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三浦綾子コミュの文学散歩2015 道南(大沼・函館)2泊3日の旅  1日目その7

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文学散歩2015 道南(大沼・函館)2泊3日の旅  1日目その7

宝来町(旧蓬莱町)散策

いよいよ、『ひつじが丘』の中で、良一と奈緒美が共に住んだ函館・蓬莱町(現宝来町)散策です。

−良一の下宿は、函館山のふもとの蓬莱町にあった。蓬莱町は石川啄木の住んでいた青柳町のすぐ隣で、料理屋の多い街である。豪商高田屋嘉兵衛の像が立っているだらだら坂を登った左手に、良一の下宿はあった。―(『ひつじが丘』)

−奈緒美は、電車通りを曲がって、あの二階が坂の中腹に見えた時の、胸苦しいようななつかしさを思い出していた−

往時は電車通りから函館山から遠ざかるような方の蓬莱町が賑わいの中心だったようですね。

実は電車通りを函館山の方に登って行くと、
角に千秋庵総本家本店とその駐車場があり、
http://www.sensyuansohonke.co.jp/

並んで函館でも有名な料亭『富茂登』
http://fumoto.hakodate.ne.jp/index.html

その隣にはアメリカンレストラン『Jolly Jellyfish』
http://tabelog.com/hokkaido/A0105/A010501/1003255/

茶房『ひし伊』
http://hishii.info/

が軒を並べています。
これでワンブロックおしまいです。

そして道を一本渡ると
民家が一軒あり
そして『宝来町会館』(多分公共スペース)
で宝来町は終わりになるんです。
電車通りから70mも歩くと、宝来町は終わりです。
次の道を渡ると、そこはもう青柳町になってしまうんですね。

でも電車通りを曲がると下宿が見えたようですから、民家とか宝来町会館の辺りに良一たちの住まいがあったと考えるのかなぁ。

宝来町(蓬莱町)の賑わいについて、料亭『富茂登』のホームページに記事がありましたので、引用させて戴きます。

大正から昭和にかけての蓬莱町(現在の宝来町)は、電車通りをはさんで料理屋や見番、人力車屋、質屋、下駄屋などが20件くらいが立ち並ぶ華やかな街でした。夏は三味線の音が聞こえ、夜ともなれば日本髪で褄をとって歩く芸者さんの姿も見られ花柳界の活気に溢れていたそうです。
http://fumoto.hakodate.ne.jp/f_history.html


当時の銀座通りは、いくつものカフェーが並び東京の銀座さながらに柳の並木道は深夜まで大変な賑わいだったそうです。初音、きらく、小鶴など大きな料亭があり、函館見番、東見番、湯の川見番、蓬莱見番などそれぞれに決まった見番があり芸者が50〜70人いました。
http://fumoto.hakodate.ne.jp/f_history.html


この記事を見て『ひつじが丘』の中の次の箇所に納得が行ったのでした。
−肌寒い九月の夜風に吹かれながら、細い格子戸のつづく家並みの通りを竹山はぶらぶら歩いて行った。と、カラリと軽い音を立てて戸が開いた。芸者だった。うす暗い門灯の下で芸者は、竹山をチラリと見て笑った。その顔が京子に似ていた。芸者は下駄の音をさせて去って行った。すっと背筋を伸ばして坂を下って行くその姿を、竹山は立ちどまって見送った。
芸者の下りて行くはるか下の方に、函館の街の灯が美しかった。−

次回は写真を少しご紹介したいと思います。

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