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中国史コミュの『淮南子』人間訓 22

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或明禮義、推道體而不行。或解搆妄言而反當。何以明之。孔子行游,馬失,食農夫之稼,野人怒,取馬而繋之。子貢往說之,卑辭而不能得也。孔子曰、夫以人之所不能聽說人,譬以大牢享野獸,以九韶樂飛鳥也。予之罪也。非彼人之過也。乃使馬圉往說之。至,見野人曰、子耕於東海,至於西海,吾馬之失,安得不食子之苗。野人大喜,解馬而與之。說若此其無方也,而反行。事有所至,而巧不若拙。故聖人量鑿而正枘。夫歌《采菱》,發《陽阿》,鄙人聽之,不若此《延路》、《陽局》、非歌者拙也,聽者異也。故交畫不暢,連環不解,物之不通者,聖人不爭也。

禮義を明らかにし、道體を推して、而るに行われざること或り。妄言を解搆して反って當ること或り。何を以て之を明かにせん。孔子行游す,馬失げて,農夫の稼を食らい,野人怒りて、馬を取りて之を繋ぐ。子貢、往きて之を說くに,辭を卑くすれども得る能わざるなり。孔子曰く「夫れ人の聴く能わざる所を以て人に説くは,譬えば大牢を以て野獸を享し,九韶を以て飛鳥を楽しましむるがごときなり。予の罪なり,彼の人の過に非ざるなり。」乃ち馬圉をして往きて之を說かしむ。至り,野人を見て曰く、「子は東海を耕して,西海に至る,吾が馬の失ぐるや,安んぞ子の苗を食わざるを得ん。」野人大いに喜び,馬を解きて之に與う。說、此の若く其れ方無くして,反って行わる。事には至る所有りて、巧は拙に若かず。故に聖人は鑿(サク)を量りて枘(ゼイ)を正す。夫れ采菱(サイ・リョウ)を歌い,陽阿を發するに,鄙人、之を聽けば,此れ延路・陽局にも若かずとするは、歌う者の拙きに非ず、聽く者異なればなり。故に交畫は暢(のびる)びず,連環は解けず。物の通ぜざる者は,聖人は爭わざるなり。

<語釈>
道體 ― 道の本体、道理、本質
解搆 ― 理屈をこねて関係のない事を無理に結びつけること。こじつけ
大牢 ― 牛・羊・豕を使った最高級の料理、三牢とも言う。
九韶 ― 舜の楽
馬圉 ― うまかい、馬の世話をしている者
鑿と枘 ― 材木を繋ぎ合わせるとき、一方を凸に他の一方を凹にして、差し込んで一本に繋ぐ。凹のことを鑿、凸のことを枘(ほぞ)と言う。
采菱と陽阿 ― 共に楽曲の名
延路と陽局 ― 共に鄙の歌曲。陽局については異論がある
交畫 ― 交わりもつれた線

<通釈>
禮義を正しくし、道理に従って行動しても、うまくゆかないことがあり、妄言をこじつけて反ってうまくゆくことがある。何によってこれをを明かにするか。孔子が旅行したとき,馬が逃げて,ある農夫の田の実った稲を食い荒らした。その農夫は怒り、馬を捕まえて自分の所に繋いでしまった。弟子の子貢が、農夫の所に赴いて、辭を低くして返してくれるように頼んだが、返してもらえなかった。孔子は、「そもそも人が聞き入れそうにない事を以て、人に説くのは、譬えば牛・羊・豕を使った最高級の料理で野獸を饗応し,雅な九韶の楽で飛ぶ鳥を楽しまそううとするようなものである。私が悪いのであって、あの農夫に罪はない。」と言って、馬の世話をしている者を行かせて説得させた。その者は農夫のところにやってきて、農夫を見るなり、「あなたは東海から,西海に至るまで耕しておられ、私どもの馬が逃げたとしても,このあたり全てあなたの田なので、どうしてあなたの田の作物を食わずに済ますことが出来ましょうか。」と、大いに持ち上げて言った。農夫は大層喜び,馬を解いて返した。このように説得は術策を弄しないほうが、反ってうまく行くことがある。物事には自ずから落ち着くところがあり、上手が下手に及ばないこともある。だから聖人は差し込む穴の寸法を測ってから、差し込む突起物を整えるのである。雅な采菱や陽阿を歌っても,田舎者がこれを聞いて,素朴な歌である延路・陽局に及ばないと思うのは、歌う者が拙いのではなく、いつも聽いているものと異っているからである。故に交わりもつれてしまった線は、真直ぐに伸ばせないし,連なりあった鎖の輪はバラバラにできない。物事の道理から外れていることに,聖人は爭わないものである。

<解説>
前回に続き、人の説得の仕方を述べている。前回は、相手の主張を先ず聞いてやる、と述べていたが、今回は、相手を持ち上げろ、褒め上げろ、と言っている。人間誰しも、褒められて、ヨイショされて嫌がる者はいない。気分のいいものである。故に明君といわれる皇帝も、在位年数が立つと、諫臣死して敞臣妹くして暗君となる。会社のお偉方も同じだろう。側近はゴマすりがいいのでは。かくして気骨のある社員は去ってゆく。
“物事の道理から外れていることには,聖人は爭わないものである。”出来ることだけやればよい、と言う、何と無く都合のよい処世術のように聞こえないこともないが、物事には自然の流れがあり、帰着す可き所があり、それに逆らっても万事うまくはゆかない。自然の流れに従い、さかしらなことをしなければ、世の中はうまく治まっていく。しかし、不可能だとおもっても、敢て其れに逆らってトライしてみるのも、又必要ではなかろうか。

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