ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

中国史コミュの『淮南子』人間訓 20

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
事或為之適足以敗之。或備之適足以致之。何以知其然也。秦皇挾錄圖,見其傳、曰、亡秦者,胡也。因發卒五十萬,使蒙公楊翁子將,築脩城。西屬流沙,北擊遼水,東結朝鮮,中國內郡挽車而餉之。又利越之犀角、象齒、翡翠、珠璣,乃使尉屠睢發卒五十萬,為五軍,一軍塞鐔城之嶺,一軍守九疑之塞,一軍處番禺之都,一軍守南野之界,一軍結餘幹之水。三年不解甲弛弩,使監祿無以轉餉。又以卒鑿渠而通糧道,以與越人戰,殺西嘔君譯吁宋。而越人皆入叢薄中,與禽獸處,莫肯為秦虜。相置桀駿以為將,而夜攻秦人,大破之、殺尉屠睢。伏屍流血數十萬。乃發謫戍以備之。當此之時,男子不得修農畝,婦人不得剡麻考縷,羸弱服格于道,大夫箕會于衢,病者不得養,死者不得葬。於是陳勝起於大澤,奮臂大呼,天下席捲,而至於戲。劉項興義兵、隨而定、若折槁振落,遂失天下。禍在備胡而利越也。欲知築脩城以備亡,不知築脩城之所以亡也。發謫戍以備越,而不知難之從中發也。夫鵲先識歲之多風也,去高木而巢扶枝,大人過之則探鷇,嬰兒過之則挑其卵。知備遠難而忘近患。故秦之設備也,鳥鵲之智也。

事、之を為して適々以て之を敗るに足ること或り。之に備えて適々以て之を致すに足ること或り。何を以て其の然るを知るや。秦皇、錄圖を挟み,其の傳を見るに、曰く、「秦を亡ぼす者は,胡なり。」因りて卒五十萬を発し,蒙公・楊翁子をして將たらしめ,脩城を築く。西は流沙に屬(つづく)き,北は遼水を撃ち,東は朝鮮を結び,中國の內郡は車を挽きて之に餉(ショウ)す。又越の犀角、象齒、翡翠、珠璣を利(むさぼる)らんとして、乃ち尉屠睢をして卒五十萬を発して,五軍と為し,一軍は鐔(タン)城の嶺を塞ぎ,一軍は九疑の塞を守り,一軍は番禺の都に處り,一軍は南野の界を守り,一軍は餘幹の水に結(集結)ばしむ。三年甲を解き弩を弛めず,監祿をして以て轉餉無からしむ。又卒を以て渠を鑿ちて糧道を通じ,以て越人と戰い,西嘔の君譯吁宋(ヤク・ウ・ソウ)を殺す。而れども越人皆叢薄(山野)の中に入りて,禽獸と處り,肯て秦の虜と為る莫し。桀駿を相置き以て將と為して,夜秦人を攻めて,大いに之を破り、尉屠睢を殺し、伏屍流血數十萬なり。乃ち謫戍(タク・ジュ)を発し以て之に備う。此の時に當りて,男子は農畝(農業)を修むるを得ず,婦人は麻を剡(さく)き縷(いと)を考(なす)すを得ず,羸弱(ルイ・ジャク、衰弱)は道に服格し,大夫は衢(ちまた)に箕会し,病者は養うを得ず,死者は葬むるを得ず。是に於て陳勝、大澤に起り,臂を奮いて大いに呼び,天下席捲して,戲に至る。劉(劉邦)、項(項羽)義兵を興し、隨って定むること、槁(かれる)たるを折り落つるを振うが若く,遂に天下を失えり。禍は胡に備えて越を利(むさぼる)に在り。欲は脩城を築き以て亡に備うるを知るも,脩城を築くことの亡ぶる所以なるを知らざるなり。謫戍を発し以て越に備うれども,難の中從り發するを知らざるなり。夫の鵲(ジャク、かささぎ)は先ず歲の風多きを識るや,高木去りて扶枝に巣う,大人、之を過ぐれば則ち鷇(コウ、ひな)を探(さぐる)り,嬰兒、之を過ぐれば則ち其の卵を挑(とる)る。遠きの難に備うるを知りて、近きの患いを忘る。故に秦の備を設くるや,鳥鵲の智なり。

<語釈>

秦皇 ― 始皇帝
錄圖 ― 図讖、乃ち吉凶の預言書
脩城 ― 脩は長いの意味があり、長城のこと
珠璣 ― 珠は丸い玉、璣は角のある玉
轉餉 ― 食料の運搬
桀駿 ― 桀は傑、駿は俊、傑俊で英雄豪傑のこと
謫戍 ― 罪人を移して辺境を守る
服格 ― “車を押す”の意と、“鞭打ちの刑に処せられる”の意と、二説がある。ここでは一応“車を押す”の意に解釈しておく
箕会 ― 箕で穀物を救い上げるように、農民から過酷な税を徴収すること
陳勝 ― 秦末の陳勝・呉広の乱の陳勝。「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の言葉で有名である。
扶枝 ― 風から守ってくれる、低い枝

<通釈>

物事には、それを為して、その事が反って失敗の原因となることがある。禍に備えて、反って招きよせてしまうことがある。何によってそのことを知ることが出来るだろうか。秦の始皇帝は預言書を持ち、其の伝える所を見ると、秦を滅ぼすものは胡である、と書かれていた。そこで兵卒五十萬人を挑発し,蒙公・楊翁子を将軍にして,胡の侵入を防ぐために長城を築かせた。西は流沙に続き,北は遼水まで達し,東は朝鮮まで繋げた。中國国內は車を引いて長城の各地に食料を送り届けた。又越の犀の角、象牙、翡翠、珠璣を手に入れようとして、尉の屠睢に兵卒五十萬人を率いさせて,分けて五軍とし、一軍は鐔城の嶺に塞を築き,一軍は九疑の塞を守り,一軍は番禺の都に處り,一軍は南野の国境を守り,一軍は餘幹の水辺に集結させた。三年間武装を緩めず,監祿に敵の糧道を絶たせた。一方兵卒に運河を掘らせて自陣の糧道を確保し、以て越人と戰い,西嘔の君譯吁宋(ヤク・ウ・ソウ)を殺した。しかし越人達は皆山野に逃げ込み,禽獸と一緒に暮らし,進んで秦の捕虜と為る者は一人もいなかった。そして英雄豪傑を互いに押し立てて将軍とし,夜、秦軍を攻めて,大いに之を破り、尉屠睢を殺し、血を流し倒れ伏した秦の兵卒は數十萬にのぼった。そこで秦は更に罪人を徴収して防戦させた。そんな時代の中で,男子は農業に従事することもままならず,婦人は麻を紡ぎ糸を作ることもままならず,衰弱した者たちが道端で車を推し,大夫は農民から過酷な税を徴収し,病人は看病することも出来ず、死亡しても葬むる事も出来ない状態であった。こんな情勢の中で陳勝は大澤で決起し,人民に大いに呼びかけて,天下を席捲して,戲水に至った。劉邦と項羽は義兵を興し、それに従って平定すること、枯れ枝を折り、落ちかけている葉を振るい落とすようなもので、遂に秦は天下を失ったのである。禍は胡の侵攻に備えながら、越を貪りとろうとしたことにあり、秦の貪欲さは長城を築いて滅亡に備える事は知っていても,長城を築くことが滅亡の原因となることは知らなかった。罪人を徴収して越に備えたけれど,その中から禍が生じることは知らなかった。あのカササギは、その歲の風の多さを予知して,高い木は避けて、風から守ってくれる低い枝に巣をつくるが、大人がそこを通り過ぎれば雛をを探り取るし、,子供が通り過ぎれば卵を取ってしまう。遠くの禍に備える事は知っていても、近くの患禍を忘れている。故に秦が備を設けたのは,鳥や鵲の智と同じである。

<解説>

今回は全体を通して比較的わかりやすい内容になっていて、解説の必要のないところであるが、その趣旨は我々にとって大層重要なことを述べている。分かりやすく言えば、“灯台下暗し”であろうか。遠大なことは一生懸命考えているのに、肝心の足元は忘れている。よくあることである。又、これ以上にないほどの対応策を考えていて、其の中に気付かない禍の元が潜んでいる事がある。福島原発の問題も、意外とそのような側面があるのではなかろうか。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

中国史 更新情報

中国史のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング