中国史コミュの『淮南子』人間訓　18

年末から新年、スキーのシーズン、本業等で忙しく、気がつけば『淮南子』の解読も前回から随分日にちがたってしまった。又気合を入れなおして、進めて行きたいと思う。

人皆務於救患之備，而莫能知使患無生。夫使患無生，易於救患。而莫能加務焉，則未可與言術也。晉公子重耳過曹，曹君欲見其骿脇，使之袒而捕魚。釐負羈止之曰、公子非常也。從者三人，皆霸王之佐也。遇之無禮，必為國憂。君弗聽。重耳反國，起師而伐曹，遂滅之。身死人手，社稷為墟。禍生於袒而捕魚，齊、楚欲救曹，不能存也。聽釐負羈之言，則無亡患矣。
今不務使患無生，患生而救之，雖有聖知，弗能為謀耳。患禍之所由來者，萬端無方。是故聖人深居以避辱，靜安以待時。小人不知禍福之門戶，妄動而絓羅網，雖曲為之備，何足以全其身。譬猶失火而鑿池，被裘而用箑也。且唐有萬穴，塞其一，魚何遽無由出。室有百戶，閉其一，盜何遽無從入。夫牆之壞也於隙，劍之折必有齧。聖人見之密，故萬物莫能傷也。太宰子朱侍飯于令尹子國。令尹子國啜羹而熱，投卮漿而沃之。明日，太宰子朱辭官而歸。其僕曰、楚太宰未易得也，辭官去之，何也。子朱曰、令尹輕行而簡禮，其辱人不難。明年，伏郎尹而笞之三百。夫仕者先避之，見終始微矣。
夫鴻鵠之未孚於卵也，一指蔑之，則靡而無形矣。及至其筋骨之已就，而羽翮之既成也，則奮翼揮ケイ（“羽”の右に“慧”の字），淩乎浮雲，背負青天，膺摩赤霄，翱翔乎忽荒之上，析惕乎虹蜺之間。雖有勁弩利矰微繳，蒲且子之巧，亦弗能加也。江水之始出於岷山也，可攓衣而越也，及至乎下洞庭，騖石城，經丹徒，起波濤，舟杭一日不能濟也。是故聖人者，常從事於無形之外，而不留思盡慮於成事之內。是故患禍弗能傷也。

人は皆患を救うの備に務むれども，而るに能く患をして生ずる無からしむること知る莫し。夫れ患をして生ずる無からしむるは，患を救うより易し。而るに能く務めを焉に加うること莫ければ，則ち未だ與に術を言う可からざるなり。晉の公子重耳、曹を過ぎるや、曹君、其の骿脇（ヘン・キョウ、一枚あばら）を見んと欲し，之をして袒して魚を捕えしむ。釐負羈（キ・フ・キ）之を止めて曰く、「公子は常に非ざるなり。從者の三人は，皆霸王の佐なり。之を遇するに禮無くんば，必ず國に憂を為さん。」君、聽かず。重耳、國に反るや，師を起こして曹を伐ち，遂に之を滅す。身は人の手に死し，社稷は墟と為る。禍は袒して魚を捕えしめしより生ず。齊・楚、曹を救わんと欲すれども，存する能わざるなり。釐負羈の言を聴かば，則ち亡患無かりしならん。
今、患をして生ずる無からしむることを務めずして、患生じて之を救わんとするは，聖知有ると雖も，謀を為すこと能わざるのみ。患禍の由りて來たる所の者は，萬端にして方無ければなり。是の故に聖人は深居し以て辱を避け，靜安にして以て時を待つ。小人は禍福の門戶を知らず，妄に動いて羅網に絓（かかる）る，曲（つぶさに）に之が備えを為すと雖も，何ぞ以て其の身を全くするに足らん。譬えば猶ほ火を失して池を鑿（ほる）り，裘（キュウ、かわごろも）を被りて箑（ショウ、うちわ）を用うるがごとし。且つ唐（つつみ）に萬穴有らば，其の一を塞ぐとも，魚、何遽（なんぞ）由りて出づること無からん。室に百戶有らば，其の一を閉ずとも，盜、何遽從りて入ること無からん。夫れ牆（ショウ、かきね）の壞るるや隙に於いてし，劍の折るるは必ず齧（ケツ）有り。聖人、之を見ること密なり，故に萬物、能く傷（やぶる）るもの莫きなり。太宰の子朱、飯に令尹の子國に侍す。令尹の子國、羹を啜りて熱く，卮漿（シ・ショウ、水差し）を投じて之に沃（そそぐ）ぐ。明日，太宰の子朱、官を辭して歸る。其の僕曰く、「楚の太宰は未だ得ること易からず。官を辭して之を去るは，何ぞや。」子朱曰く、「令尹は行を輕くして禮を簡（あなどる）る。其の人を辱むること難（はばかる）らじ。」明年，郎尹を伏せて之を笞つこと三百。夫の仕うる者は先んじて之を避け，終始の微を見しなり。
夫れ鴻鵠の未だ卵より孚（かえる）らざるや，一指之を蔑すれば，則ち靡（ビ、形が崩れること）して形無し。其の筋骨の已に就りて、羽翮（ウ・カク、羽の茎）の既に成るに至るに及びては，則ち翼を奮い、ケイ（鳥の風きり羽）を揮い，浮雲を淩（しのぐ）ぎ，背に青天を負い，膺（むね）は赤霄（セキ・ショウ、日に映えた赤い雲）を摩して，忽荒（コツ・コウ、空漠の世界）の上（ほとり）に翺翔（コウ・ショウ、高く飛び巡る）し，虹蜺（コウ・ゲイ、にじ）の間に析惕（セキ・テキ、この語は古来より不詳）す。勁弩・利矰（リ・ソウ）・微繳（ビ・シャク）・蒲且子（古の弓の名人）の巧有ると雖も，亦た加うるに能わざるなり。江水の始めて岷山（ミン・ザン）より出づるや，衣を攓（ケン、かかげる）げて越ゆ可きなり。洞庭を下り，石城（地名）に騖（はせる）せ，丹徒（地名）を經て，波濤を起こすに至るに及びては，舟杭（杭は航に通じ、舟で航行すること）すること一日にして濟（わたる）る能わざるなり。。是の故、聖人は，常に無形の外に従事して，而も思いを留めず、盡く成事の內に慮る。是の故に患禍も傷（やぶる）ること能わざるなり。

＜語釈＞

重耳　―　春秋時代の覇者晋の文公。

萬端無方　―　萬端は“あらゆる所から”、無方は“どこから来るかわからない”こと

太宰　―　官名、その職務は時代により異なるが、ここでは食事を司る官

令尹　―　宰相、楚国のみ使用される

利矰・微繳　―　利は鋭い、矰はいぐるみの矢。微は細い、繳は矰に結びつける糸。矢に糸をつけて、鳥に当れば糸がからみついて獲物を確保する狩猟法をいぐるみと言う。

＜通釈＞

人は皆患から逃れる為の備はするが，その患が生じないようにする術は知らない。患を生じなくさせることは，患から逃れるより容易である。けれど生じなくさせる為に努力をしなければ、與にその術を語ることは出来ないだろう。晉の公子重耳が曹の国を通り過ぎようとした時、曹君は伝えられていた重耳の一枚あばらを見る為に、彼に上半身裸にさせて魚を捕えさせようとした。釐負羈は之を止めて「公子は常人ではございません。さらに從者の三人は皆霸王の補佐為る人たちです。今彼らに礼を以て遇しなければ、後に必ず我が國に憂を為すでしょう。」と諫めたが、曹君は聽かなかった。重耳は國に帰ってから，軍を起こして曹を伐ち，遂に之を滅した。我が身は人に殺され，国は廃墟と為ったが、この禍はもろ肌にして魚を捕えさせようとして生じたのである。齊と楚は曹を存続させようとしたけれど，結局滅亡することになってしまった。釐負羈の言うことを聞いておれば，このような亡患は無かったであろう。
患が生じないように努力しなくて、患が生じてから之を救わんとするのは，聖人のような知恵があっても，それは不可能である。何故なら、患禍の由来は，あらゆる所から、どこから来るか分からないからである。それ故に聖人は奥深い所に身を置いて恥辱を避け、靜かに安息して時の至るのを待つ。小人は禍福の門戶を知らず，妄に動いて患の網にひっかかる，これでは幾ら様々な備えをしていても，どうして我が身の安全を全くすることが出来ようか。譬えて言うならば、火を出してから、消火のための池を掘り、毛皮を着ておいて、厚いからといって団扇を用いるようなものである。さらに堤防に多数の穴があれば，其の一を塞いだとしても，魚がどうして逃げ出さないことがあろうか。家に多数の戸口が有れば、其の一を閉じたとしても、盗賊がどうして入ってこないと言えるのか。大体に於いて、土塀が壊れるのも小さな隙間からだし、劍が折れるのも必ず小さな欠けたところが有るからである。聖人はこれらどんなに小さな原因でも緻密に対処するので、どんな物でも、聖人を害することはできない。太宰の子朱は、令尹の子國の食事時にそばに控えていた。子國は羹を啜って熱かったので、水差しを取って之に注いだ。その翌日，子朱は太宰の官を辭した。職を辞して歸る時、其の従僕が、「楚の太宰は得難いものです。それを辭して去るのは，どうしてでございますか。」と言うと、子朱は、「令尹は行が軽率で禮に欠けている。人を辱めることを何とも思っていない。」と答えた。翌年，令尹はやはり郎尹をうつ伏せにさせて笞で三百も打った。人に仕える者は、子朱のように事に先んじてその難を避け，事の成り行きの機微を見抜くことが大事である。
夫の鴻鵠もまだ卵よりかえらないうちは，一本の指で押しただけで，形もなくつぶれてしまうが、成長して筋骨が整い、羽翼が形成された後なら，翼を羽ばたかせ、風きり羽が風を切り、浮雲を淩（しのぐ）ぎ，背に青天を負い，胸元は夕映えの赤い雲をかすめ，果てしない大空を高く飛びまわり，虹の間を抜けていく。そうなれば、強力な弩や・鋭いいぐるみの矢や其れに結ぶ細い糸があって、蒲且子のような弓の名人がいたとしても、鴻鵠を射落とすことは出来ない。あの長江も岷山より流れ出した初めのころは、服をかきあげて飛び越えることが出来るが、洞庭を下り，石城を力強く馳せ巡り、丹徒を流れ，波濤を起こす程に至っては，舟に乗っても一日では渡ることが出来ない。それ故に聖人は，常に未だ形を成さない奥深い所に身を置きながらも、思いはそこに留めず、盡く物事のなった時の事を考えている。だからこそ患禍も聖人を害することは出来ないのである。

＜解説＞

従者三人は誰か、重耳には放浪時代から従者の五人の賢士が知られている、趙衰・狐偃（咎犯、文公の舅）・賈佗・先軫・魏武子。ここで言う三人は誰を指すかは、定かでないが、恐らく趙衰・狐偃・先軫の三人ではないかと思う。
この章の趣旨は明らかであるが、その結論とも言うべき最後の文章の、「是故聖人者，常從事於無形之外，而不留思盡慮於成事之內。是故患禍弗能傷也。」は難解である。私は通釈で述べているような意に解しているが、『新釈漢文大系』ではこの部分を“常に形のあらわれぬ以前において事を処理し、すでに事のあらわれた後になってから思慮をこらし尽くしたりはしない”と解釈し、外、内を以前、以後の意に解している。