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中国史コミュの『淮南子』人間訓 16

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或貪生而反死,或輕死而得生,或徐行而反疾。何以知其然也。魯人有為父報仇于齊者,刳其腹而見其心,坐而正冠,起而更衣,徐行而出門,上車而步馬,顏色不變。其御欲驅,撫而止之曰、今日為父報讎,以出死,非為生也。今事已成矣,又何去之。追者曰、此有節行之人,不可殺也。解圍而去之。使被衣不暇帶,冠不及正,蒲伏而走,上車而馳,必不能自免于千步之中矣。今坐而正冠,起而更衣,徐行而出門,上車而步馬,顏色不變,此眾人所以為死也,而乃反以得活。此所謂徐而馳,遲于步也。夫走者,人之所以為疾也;步者,人之所以為遲也。今反乃以人之所為遲者反為疾,明於分也。有知徐之為疾,遲之為速者,則幾於道矣。故黃帝亡其玄珠,使離朱、捷剟索之,而弗能得之也。於是使忽怳,而後能得之。

生を貪りて反って死すること或り。死を輕んじて生を得ること或り。徐に行きて反って疾きこと或り。何を以て其の然るを知るや。魯人に父の為に仇を齊に報ゆる者有り。其の腹を刳きて其の心を見,坐して冠を正し、起ちて衣を更え,徐に行きて門を出で,車に上りて馬を步ませ,顏色、變ぜず。其の御、驅らんと欲するに,撫して之を止めて曰く、「今日、父の為に讎に報ゆ。死を出だすを以てす,生を為すに非ざるなり。今、事は已に成れり,又何ぞ之を去らん。」追う者曰く、「此れ節行有るの人,殺す可からざるなり。」圍を解きて之を去る。使(もし)し衣を被て帶する暇あらず,冠正すに及ばず,蒲伏して走り,車に上りて馳せれば,必ず自ら千歩の中に免るること能わず。今坐して冠を正し,起ちて衣を更え,徐に行きて門を出で,車に上りて馬を步ませ,顏色變らず,此れ眾人の必ず死すと為す所以なり。而るに乃ち反って以て活くるを得。此れ所謂徐に(歩むは馳するより疾く)して(解説参照)、馳するは歩むより遲きものなり。夫れ走るは,人の疾しと為す所以なり。步むは,人の遲しと為す所以なり。今、反って乃ち人の遲しと為す所の者を以て、反って疾しと為すは,分に明かなればなり。徐の疾為り,遲の速為りを知ること有る者は,則ち道に幾(ちかい)し。故に黃帝、其の玄珠を亡くすや,離朱(リ・シュ)・捷剟(ショウ・テツ)をして之を索めしむれども,之を得ること能わず。是に於いて忽怳(コツ・キョウ)を使いて,後に能く之を得たり。

<語釈>

蒲伏 ― 匍匐(フ・フク)に同じ、はらばいになること。ここでは、這う這うの体で逃げ出す状態をさしている。

離朱 ― 黄帝の臣下で、目のいい人

捷剟 ― 黄帝の臣下で、利に聡く善く物を拾う人

忽怳 ― 黄帝の臣下で、善く忘れる人

<通釈>

生きることに執着して、かえって死ぬことがある。死ぬことを恐れずして、かえって生を得ることがある。ゆっくりと行って、かえって速いことがある。何によって其の理を知ることが出来るか。魯の人でに父の為に仇を齊に報ゆる者がいた。其の者は敵の腹を割いてその心臓を見て,坐って傾いた冠を正し、立ち上がってフクを着替え,ゆっくり歩いて門を出て,車に上って馬を步ませたが,その顏色は変わらなかった。御者は車を走らせようとしたが,その者は御者を推し止めて言った、「今日、父の為に讎に報いた。死は覚悟の上である。生き延びようとは思っていない。今、目的は達成されたのだから,どうしてこの場をを去る必要があろうか。」これを聞いた追跡者は、「此の者は行いに節度の有る人である。殺す可きではない。」と言って、圍を解いて去って行った。もしも、衣服を着て帶する暇もなく,冠をも正さずに,這う這うの体で逃げ出し、,車に乗って急いで駆け出していれば,必ず千歩も行かないうちに殺されていたであろう。今、座ったまま冠を正し,起ち上がって衣服を着替え,ゆっくりと歩いて門を出て,車に乗って馬を步ませて,顏色が變らない。此れは誰もが殺されると思うところである。しかし反って命を拾うことが出来た。此れが所謂ゆっくり歩むのは、馳せるより速く、馳せるのは、歩むより遲い、と言うことである。大体に於いて人は、走るのは疾く、步むのは遲いと思っている。ところが今反対に人が遲いと思っているものを、かえって疾いと思うのは,物事の本質的な定めが分かっているからである。徐が疾く,遲が速いと言う事を知っている者は、物事の根本である道を理解している。だから黃帝は其の玄珠を亡くした時、目のいい離朱と善く物を見つける捷剟に之を探させたけれども、見つけることが出来なかった。そこで善く物忘れをする忽怳に探させて,やっと見つけることが出来た。

<解説>

“此所謂徐而馳,遲于步也。”この部分は文意の流れが不自然で、意味が取りづらい。『新釈漢文大系』では次のように文章を足している、“此所謂徐行反疾而、馳遲于步也。”これなら自然で、意味も明確である。しかし同じ足すなら対句的に考えて、“此所謂徐歩疾于馳而、馳遲于步也。”とするほうが良いのではなかろうか。
内容的には解説することはない。道家の典型的な逆説的思考法である。

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