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中国史コミュの『淮南子』人間訓 12

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賢主不苟得,忠臣不苟利。何以明之。中行穆伯攻鼓,弗能下。餽聞倫曰、鼓之嗇夫,聞倫知之。請無罷武大夫,而鼓可得也。穆伯弗應。左右曰、不折一戟,不傷一卒,而鼓可得也。君奚為弗使。穆伯曰、聞倫為人,佞而不仁。若使聞倫下之,吾可以勿賞乎。若賞之,是賞佞人。佞人得志,是使晉國之武,舍仁而從佞。雖得鼓,將何所用之。攻城者,欲以廣地也,得地不取者,見其本而知其末也。
秦穆公使孟盟舉兵襲鄭。過周以東。鄭之賈人弦高、蹇他相與謀曰:“師行數千里,數絕諸侯之地,其勢必襲鄭。凡襲國者,以為無備也。今示以知其情,必不敢進。”乃矯鄭伯之命,以十二牛勞之。三率相與謀曰:“凡襲人者,以為弗知。今已知之矣。守備必固,進必無功。”乃還師而反。晉先軫舉兵擊之,大破之殽。鄭伯乃以存國之功賞弦高,弦高辭之曰:“誕而得賞,則鄭國之信廢矣。為國而無信,是俗敗也,賞一人而敗國俗,仁者弗為也。以不信得厚賞,義者弗為也。”遂以其屬徙東夷,終身不反。故仁者不以欲傷生,知者不以利害義。聖人之思脩,愚人之思叕。

賢主は苟くも得ず,忠臣は苟くも利せず。何をか以て之を明かにせん。中行穆伯、鼓を攻めて、下す能わず。餽(キ)聞倫曰く、「鼓の嗇夫(ショク・フ)は、聞倫、之を知れり。請う、武大夫を罷(つかれる)らすこと無くして,鼓を得可きなり。」穆伯、應えず。左右曰く、「一戟を折らず,一卒を傷めずして、鼓を得可きに、君、奚為れぞ使わざるや。」穆伯曰く、「聞倫が人と為りは,佞にして仁ならず。若し聞倫をして之を下さじめば,吾れ以て賞する勿かれ可けんや。若し之を賞せば,是れ佞人を賞するなり。佞人、志を得ば,是れ晉國の武をして,仁を舍てて佞に従わしむるなり。鼓を得ると雖も,將(はた)た何ぞ之を用うる所あらん。」城を攻むるは,以て地を廣げんと欲すればなり,地を得るも取らざるは、其の本を見て其の末を知ればなり。
秦の穆公は孟盟をして兵を舉げて鄭を襲わしむ。周を過ぎ以て東す。鄭の賈人弦(ゲン)高・蹇(ケン)他、相與に謀りて曰く、「師、行くこと數千里,數々諸侯の地を絶(わたる)る,其の勢、必ず鄭を襲わん。凡そ国を襲うは,備え無しと以為へばなり。今示すに其の情を知るを以てすれば,必ず敢て進まざらん。」乃ち鄭伯の命と矯(いつわる)り,十二の牛を以て之を勞う。三率(スイ、帥に同じ、将軍のこと)、相與に謀りて曰く、「凡そ人を襲うは,知らずと以為へばなり。今已に之を知れり。守備は必ず固からん,進むとも必ず功無からん。」乃ち師を還らして反る。晉の先軫、兵を舉げて之を擊ち,大いに之を殽(コウ)に破る。鄭伯、乃ち國を存するの功を以て弦高を賞す。弦高、之を辭して曰く、「誕(タン、いつわる)にして賞を得ば,則ち鄭國の信は廢れん。國を為(おさめる)むるに信無くんば,是れ俗は敗るるなり。一人を賞して國俗を敗るは,仁者、為さざるなり。不信を以て厚賞を得るは,義者、為さざるなり。」遂に其の屬を以て東夷に徙り,終身反らず。故に仁者は欲を以て生を傷(やぶる)らず,知者は利を以て義を害せず。聖人の思は脩(ながい)く,愚人の思は叕(みじかい)し。

<語釈>

嗇夫 ― 秦・漢代、訴訟・租税の事務を担当した村役人。

奚為 ― 奚は“なんぞ”、為は“する”、奚為れぞ、と訓じて、“どうして”の意味になる、

賈人 ― 商人

<通釈>

賢主はかりそめに得られる物は得ようとしない。忠臣はかりそめの利は利としない。何によって之を明かにしよう。中行穆伯は、北狄の鼓の地を攻めていたが、下すことが出来なかった。餽(キ)聞倫が「私は鼓の村役人を知っております。どうか私に任せていただければ、武将を疲れさすこと無くして,鼓を手に入れることが出来ます。」と述べたが、穆伯は応じなかった。左右の者は、「一本の戟も折らず,一人の兵卒をも傷つけずして、鼓を得ることが出来ますのに、君はどうして彼をお使いにならないのでしょうか。」と尋ねると、穆伯は、「聞倫という人物は,口ばっかりで、誠実さに欠けている。もし聞倫を使って鼓を下せば,吾れは彼を賞せざるを得ない。もし彼を賞したなら,吾は佞人を賞することになる。佞人が志を得ることになれば,晉國の武人に,仁義を舍てて佞に走らせることになる。そうなるのであれば、、鼓を手に入れることが出来るとしても,はたして何ぞ佞人を用いることが出来ようか。」と答えた。城を攻めるのは,領土を廣げようと欲するからである。それなのに、地を得られるのに、それを取らないのは、国の根本は人であり、土地は枝葉末節の末であることを知っていたからである。
秦の穆公は孟盟に兵を預けて鄭を襲わせた。孟盟は周を通過し更に東へ進んだ。鄭の商人弦(ゲン)高と蹇(ケン)他は與に語り合った、「秦軍は軍を進めること既に數千里,數々諸侯の領地を通過している,其の勢を見るに、必ず鄭を襲うだろう。大体に於いて、他国を襲うのは,その国の備えが無いと思うからである。今秦軍に彼らの本心を知っているように見せかければ、必ず敢て軍を進めようとしないだろう。」そこで鄭伯の命令だと偽って,十二頭の牛を屠り、それで秦軍を勞った。すると三人の将軍は互いに語り合って、「大体に於いて人を襲うのは,その人が気付いていないと思うからである。ところが今已に相手は知ってしまっている。恐らく必ず堅く守っているだろう。このまま進んでもきっと功績を挙げることは出来ないだろう。」そこで軍を返して帰っていった。すると晉の先軫は兵を舉げてこの秦軍を擊ち,殽(コウ)の地で大い秦軍を破った。鄭伯はそこで國を救った功により、弦高を賞しようとしたが、弦高は之を辞退して、「偽りよって手柄をたてて賞を得たとなれば、鄭國の信義は廢れましょう。國を治めるのに信義が無ければ,国の風俗を乱すことになります。わずか一人を賞して、國の風俗を乱すようなことを,仁者はしないものです。信義に悖る行為によって厚賞を得るようなことを,義を重んじる者は、致しません。」と言って、遂に自分の一族を連れて東夷の地に移り住んで,生涯戻らなかった。まことに仁者は欲によって自分の生き様を生を傷つけることはしない。知者は利害によって信義を損ねない。聖人の思は遠くを眺め,愚人の思は目先のことしか見ていない。

<解説>

この章で言わんとすることは、前回とほぼ同じで、“聖人の思は脩(ながい)く,愚人の思は叕(みじかい)し。”乃ち目先の利益に捉われるな、と言うことである。
主君が信義に反する行いをすれば、国内に於いても信義が損なわれる。臣下が信義に悖る行為をすれば、国の政治は乱れる。故に賢主や忠臣はそのようなことはしない。支配者と被支配者は表裏一体である。どちらか一方が乱れれば、必ず他の一方も乱れ、其れが全体の乱れとなって、国は亡んでいく。今の日本の為政者たちも金権に汚れきっており、又国民も目先の利益に捉われて、一銭でも多く稼ぐものが偉い人間だと勘違いしている。日本人は果たして信義を重んじた昔に戻れるのだろうか。

コメント(1)

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