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超宗派・仏教コミュの聖者の生涯「ロンチェン・ラブジャム(ロンチェンパ)」

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聖者の生涯「ロンチェン・ラブジャム(ロンチェンパ)」




 クンキェン・ロンチェン・ラブジャムは、中央チベット南部にあるタ渓谷のトトンで、1308年、地の猿年の二月の10日目に生まれました。彼の父親はロク族の密教ヨーギーでテンパ・スンといい、母親はドム族のソナム・ギーンといいました。母親がロンチェン・ラブジャムを妊娠中、頭上に太陽を掲げ全世界を照らしているライオンの夢を見ました。そして彼の出生時には、法の庇護者であるナムドゥル・レーマティが黒い女の姿で現れ、赤子を抱えて「わたしが彼を守ろう」と言い、母親にロンチェン・ラブジャムを渡して姿を消したのでした。
 ロンチェン・ラブジャムは、グル・リンポチェがカンドゥ・ニンティクの伝達を委ねたティソン・デツェン王の娘ペマサル王女の変化身でした。ペマサル王女がロンチェン・ラブジャムに転生する前の生は、ペマ・ラディルツェルという、カンドゥ・ニンティクの教えをテルマとして再発見した人物だったのです。


 ロンチェン・ラブジャムは、幼い頃から菩薩の気高き特質である信仰、慈悲、知恵を授かっていました。彼は五歳のときにはすでに十分に読み書きができました。七歳のとき、彼の父親は、彼にアビシェーカと教えを与え、グルとカギェ・ディーシェク・ドゥパの平和と憤怒の様相の修行をさせました。そしてまた、医学と占星術も教え込みました。
 十二歳のとき、ロンチェン・ラブジャムはサムイェー僧院でケンポ・サンドゥプ・リンチェンから新参者のための戒律を授かり、ツルティム・ロドゥという名を与えられました。彼は僧院の戒律が書かれた経典であるヴィナヤに精通し、十四歳から人にそれを教えていたのでした。
 十六歳のときには、新密教系(たとえばラムデの二つの伝統、6ヨーガの二つの伝統、カーラチャクラ、チュー、シチェー)に属する多くのタントラを、師タシ・リンチェンたちと共に学び始めました。


 十九歳で、彼は有名なサンプ・ネウタン僧院へ行き、仏教経典に関する哲学・論理学・瞑想を六年間、研究しました。ロポン・ツェン・ゴンパやチョペル・ギェルツェンという師達から、彼はマイトレーヤの五つのマハーヤーナの書物と、ディグナーガとダルマキールティの論文、中観派の多くの書物、超越論的哲学を学びました。またパンの翻訳者ロドゥ・テンパと共に、サンスクリット語や詩、作曲、演劇、そして多くのスートラとプラジュニャパーラミターの書物を学んだのでした。その後、師ションヌ・トンドゥプから、イニシエーションと、アヌーヨーガのスートラ、マハーヨーガのマーヤージャーラタントラ、アティヨーガのセムデの重要なニンマ派のタントラの教育を受けました。
 彼はションヌ・ギェルポ、ションヌ・ドルジェ、サキャ派のテンパ・ソナム・ギェルツェン(1312−1375)、カギュ派のカルマパ・ランジュン・ドルジェ(1284−1339)を含めた約二十人の教師たちから教えを学び、スートラとタントラの伝達を受け取ったのでした。

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 学問に励んでいる時期、同時に彼は常に独房での瞑想修行にも従事し、マンジュシュリーやサラスヴァティ、アチャラ、ヴァジュラヴァーラヒー、そしてターラーの純粋なるヴィジョンを見て、様々な霊性の達成を実現していました。彼の学問と瞑想の修行は、彼の言葉の宝物という扉を開きました。彼は彼を知る者たちに、無限なる悟り(ロンチェン・ラブジャム)、そしてサムイェーからの経典の師(サムイェー・ルンマンバ)という名で知られるようになりました。
 二十七歳のときには、ターラーに予言された通り、彼は、約七十人の弟子たちが住むヤルト・キェム渓谷の高原の一時施設にあるリトリートキャンプ地に、ヴィマ・ニンティクの教えの保持者である師リクジン・クマーラージャ(1266−1343)に会いに行きました。師は大喜びでロンチェン・ラブジャムを受け入れ、彼はヴィマ・ニンティクの教えの伝道の保持者であると予言しました。


 彼は二年間、リクジン・クマーラージャのもとで学び、ゾクチェンの三つのカテゴリーすべて(セムデ、ロンデ、メンガクデ)の教えを受けました。彼の学習はその中でもメンガクデの四部の経典――すなわち外、内、秘密、最奥の秘密の教えに主に重点が置かれていました。これらの経典は十七のタントラとその支分や指示の教え――すなわち百十九の広大な教えの論文が書かれた四巻の教えでした。


 リクジン・クマーラージャは、彼のニンティクの教えの一切をロンチェン・ラブジャムに与え、彼を系統の継承者にしました。リクジン・クマーラージャのもとで学んでいる間、ロンチェン・ラブジャムは厳しい貧困の環境の下で生活しました。物質的な物への執着と闘うために、一カ所に定住してそれに執着するのではなく、ある場所からまたある場所へと移動し続けることがリクジン・クマーラージャの修行でした。九ヶ月の内に、彼と彼の弟子は九回キャンプ地を移動し、ロンチェン・ラブジャムたちに大きな困難を与えました。彼が雨や寒さから身を守ることができるであろう一時的な住まい(主に洞窟)において安定した生活を得るや否や、再び移動のときがやって来るのでした。彼はほんのわずかな食料を食べ、異常な冬の寒さから身を守るために布団や毛布代わりに使うための一個のボロボロの鞄を持っているだけでした。
 ロンチェン・ラブジャムが最高に希少で貴重なタントラの教えと、ゾクチェンの三つのサイクルの教えを受けたのは、そのような環境の下でした。遂には、師はニンティクの伝道の系統の保持者として、彼をエンパワーメントしたのでした。
 それから六、七年間、彼は主にチンプーにて、独房瞑想を続けました。ゾクチェンに加えて、彼は様々な神々の観想と儀式も行い、グル・リンポチェの平和と憤怒の相、ヴァジュラサットヴァ、そして平和と憤怒の神々の純粋なヴィジョンを見たのでした。


 三十二歳のとき、そのときもまだリトリートの中にいながら、ロンチェン・ラブジャムは、ニプ・シュクセプというところで、弟子たちに初めてヴィマ・ニンティクのエンパワーメントと教えを与えました。しばらくの間、周囲の一切のものが純粋な光、神秘的な音、神聖なヴィジョンに変わりました。
 彼の弟子のオーセル・コチャは、ロンチェン・ラブジャムの前生であるペマ・レティルツァル(1291−?) によって埋蔵されたテルマとして見出されたカンドゥ・ニンティクの経典を見つけ、それをロンチェン・ラブジャムに捧げました。ダルマの守護女神シェンパ・ソグドゥブマもまた、同様の経典のコピーを彼に捧げました。彼はその教えの創案者の生まれ変わりであるにもかかわらず、未来の信奉者へと伝道を保持することの重要性を示すために、ペマ・レティルツァルの弟子であるショ・ギェルセのもとに行き、カンドゥ・ニンティクの伝授を受けました。



 三十三歳のときには、ロンチェン・ラブジャムは、サムイェー・チンプーのヨーギー・オーセル・コチャを含む男女の弟子たちに、カンドゥ・ニンティクの教えを与えました。エンパワーメントの間、タントラの守護女神(ガクトゥンマ)がヨーギニーの中の一人の中に入ってきて、予言と教えを与えました。数人の弟子たちは、ロンチェン・ラブジャムがサンボーガカーヤの姿に変わるのを見ました。花の雨が降り注ぎ、さまざまな色の光のアーチ、光線、輪が、山の至る所に現れました。集まったすべての人々は、圧倒的な智慧のエネルギーで歌い、踊りました。ロンチェン・ラブジャムは、グル・リンポチェとそのコンソートにエンパワーメントを授けられ、カンドゥ・ニンティクの伝道を委託されるヴィジョンを見ました。人々はロンチェン・ラブジャムのことをウギェン・ティメ・ウーセルと呼びました。ダルマの守護者たちが肉体の姿で現れ、供物を受け取りました。長い間、おそらく一ヶ月くらいでしょうか、弟子たちの心は、眠りと覚醒を超越した深い光明の中に溶け込みました。ロンチェン・ラブジャムは彼のヨーガのエネルギーを、このように歌いました。


 おお、ヨーギー達よ、わたしはとても幸せで、歓喜に満ちている。
 今夜、われわれはこの上なく純粋な地にいる。
 平和と憤怒の神々の宮殿であるわれわれの身体の中、
 光明と空性の合一のブッダの集会が繁栄する。

 おお、瞑想家たちよ、心を一点に保つ者たちよ
 心を一所にとどめずに、安心して手放しなさい。
 心は、どこかに行こうが、とどまろうが、空性である。
 心に生じるものすべてが、智慧の遊戯にすぎない。
 


 ダルマの守護女神ユードンマに要請されて、彼は、いくつかの有名な作品を書き、人生の大半を過ごしたカンリ・トカルにあるウギェン・ゾン・オーセル・ティンキ・キェモ・ツァル(光の雲の喜びの園のウッディーヤナの要塞)に住居を移しました。この場所で、彼の瞑想の悟りは、ニンティクの直接的アプローチ法(トゥーゲル)の修行によって、明智の完成に達しました。
 純粋なヴィジョンの中で、ヴィマラミトラは彼に教えを説き、ヴィマ・ニンティクの教えを委託しました。ヴィマラミトラのインスピレーションを受け、彼は、ヴィマ・ニンティクの三十五の論文集であるヤンティク・イシン・ノルブ (アカ・ラマ・ヤンティク)を書きました。

 ロンチェン・ラブジャムはテルマの中に隠されていた黄金を取り出し、それを資金として、グル・リンポチェとヴィマラミトラの偉大なる弟子の一人のニャン・ティンジン・サンポによって建てられた、ディクンのウル・ザ寺院を修繕しました。修繕が行われているとき、作業者がうっかり負のエネルギーの力を抑制するために寺院の下に埋められていた多くの物を掘り起こしてしまい、それらが空中に流れ出てしまいました。ロンチェン・ラブジャムはグル・リンポチェの憤怒の相に姿を変え、神秘的な力の印によってそれらを再び埋めました。
 誇り高きリーダーのクンリクあるいはディクンの策略による内戦の大きな危険が中央チベットであったとき、ロンチェン・ラブジャムは、クンリクを武力衝突の道からダルマの道へと方向転換させ、平和をもたらすことで、マンジュシュリーのトゥルクに関する予言を成就させたのでした。
 初め、チベットの王タイ・シトゥ・パクモ・ドゥパ (1302−1364)は、ロンチェン・ラブジャムを疑い、彼を殺すために軍隊を送りました。なぜならば、彼は彼の仇敵であるディクンの師だったからです。軍隊が到着したとき、ロンチェン・ラブジャムは、神通力で不可視となりましたが、彼はその状況によってブータンに移動することを強いられました。
 彼はブータンで教えを説き、ときには約十万人の弟子たちを集めました。ブータンで彼はタルパ・リン僧院を設立しました。彼はブータンのコンソート・キパとの間にトゥルク・タクパ・オーセル(1356−1409?)という名の息子を授かり、その息子は系統の保持者となりました。後にタイ・シトゥ・パクモ・ドゥパは、ロンチェン・ラブジャムの公平な態度を理解し、弟子になりました。そしてロンチェン・ラブジャムはチベットに帰ったのでした。


 ロンチェン・ラブジャムはチベットで最も偉大な学者の一人であるとともに大聖者でしたが、ダルマの修行者と教師の見本となるように、また悟りの具現化の目的を果たすため、極端に微細で厳しい戒律、説法、執筆、瞑想に全人生を捧げました。彼の心と生活は簡素で、開放的で、自然で、ありのままで、純粋で、深遠でした。彼がどこに住もうと、何を為そうと、常に瞑想状態でいることが、彼にとっては当たり前でした。
 彼は彼の理解と悟りを完成させるために、何度も何度も師であるリクジン・クマーラージャを訪ねました。彼は物資的なものへの執着を浄化するために、五回、全財産を師に布施しました。
 彼の学識と悟りの名声のおかげで、彼は容易に巨大な僧院や在家組織の体制を設立することもできましたが、団体を設立することには興味がなかったので、そのような仕事は避けたのでした。
 信を持って信者から布施されたものは、厳重にダルマの奉仕に費やされ、他の目的には一切使わず、自分のためにも使いませんでした。
 彼は、どんなに社会的に高い地位にいる人にでも、俗人には決して敬意の念を示さず、「敬意は三宝に払われるべきであって、俗世の存在にではない。グルと後援者の役割を逆にすることは正しくない」と言いました。
 どんなに素晴らしい供養がなされても、彼は決して感謝の意を表せず、「感謝の意を表すことによってそれに報いる代わりに、後援者に功徳を積むチャンスを与えているのだ」と言いました。
 彼は貧しく苦しんでいる人々には非常に優しく、貧しい人々が施した簡素な食物は非常に喜んで味わい、彼らのために多くの祈りをしました。
 ロンチェン・ラブジャムは人生のほとんどを、山の洞窟の隠遁所で暮らしました。最初の頃はサムイェーのチンプーの隠遁所、そして大体はカンリ・トカルの隠遁所で暮らしました。自然の平穏で奇麗な環境は、瞑想者に寂静と明晰さを与え、それからすべては一つになり、寂静と明晰さは合一するのです。
 
 ロンチェン・ラブジャムは、次のように隠遁所のメリットを要約しています。


「娯楽に満ちた街から遠く離れ
 森の中に在りしことは、
 自然に平穏なる集中を高め
 ダルマの中に人生を調和させ、心を調御し
 究極的な歓喜に到達する。」

 彼は多くの仏教圏に教えを伝えましたが、彼が最重要視したものはゾクチェンでした。ゾクチェンの瞑想を要約し、彼は簡単な言葉でこのように助言しています。

「思考の本性が生じるとき、それらを直視することが重要である。
 あなたが本性の悟りに確信を持つならば、その本性の中にとどまることが重要である。
 あなたの瞑想として瞑想なき瞑想をすることが重要である。
 揺れ動くことなく、それを継続せよ。それがわたしのアドヴァイス。」


「制限なくそこにあり、『これ』や『あれ』をつかむことなく
 一切の修飾や希釈から解放され
 とらえられるものととらえるものという二元性にけがされることなく、そこにある心は
 究極的な真理の本性。この境地を継続せよ。」



 ラサにおいて、ロンチェン・ラブジャムは大歓迎を受け、二週間そこに滞在しました。ラサのジョカンとラモチェの間で、王座に座りながら、彼は菩薩の誓いと多くの教えを、あらゆる社会的階級の人々の大集会に与えました。
 彼の学識と悟りによって、ロンチェン・ラブジャムは多くの学者の傲慢な心を調御し、彼らにダルマの純粋な心を獲得させました。彼は多くの人々の心の中に純粋なダルマへのインスピレーションの種を撒いたのでした。
 彼は「全智のダルマの主」という意味のクンキェン・チュージェとして知られるようになりました。
 それから彼はニプ・シュクセプへ行き、約千人の弟子たちにゾクチェンの教えを与えました。次に、トク・オギェンの近くの岩山で、ダルマの師として知られる四十人の人々を含む約三千人の人々に、エンパワーメントとゾクチェンの教えを与えました。
 彼が五十六歳、水のうさぎ年(1363年)のときに、彼は以下の詩を含むティマ・メペ・オー(けがれなき光喜)と題された霊的な遺言を書き取らせ始めました。
 


「わたしが昔、輪廻の本性を悟ったとき
 この世の存在の中に本質はありませんでした。
 今、わたしは無常なる幻影の身体から旅立つ際に
 あなたにとって利益あることを教えましょう。――どうか、聞いてください。

 あなたは真実のものとして人生を見なしているが、それはあなたを欺きます。
 その本質は移り変わり、実在性がありません。
 その信用できない性質を理解して、
 どうか、まさにこの今日から、ダルマを実践してください。

 無常は、客の集まりのような友の本質。
 彼らはしばらくは行動を共にするが、すぐに永遠に離れ離れになる。
 友への執着から自由になることによって
 どうか、あなたを永遠に利するダルマを実践してください。

 蜂蜜のような富は、たとえあなたが集めたものだとしても、滴り落ちて次第になくなっていく。
 あなたがそれを稼ぐにもかかわらず、他者がそれを楽しむでしょう。
 さあ、あなたに力がある間に、来生の蓄えのために、それを投資してください。
 布施をして功徳を積むことによって・・・・・・。

 人々は、早くに去る訪問者と、もっと遅くに去る訪問者の団体のように、無常です。
 老いた人々は早くに逝き、若い人々はもっと後で逝くでしょう。
 現代の人々は、誰も百年も生きられない。
 どうか、まさにこの瞬間に、無常性の本質を悟ってください。

 一切のダルマの中で、究極的な光明の道は
 聖なる方便のニンティクである。
 これは一生であなたをブッダフッドへ導く最上の道。
 どうかこの道を通じて、大いなる至福に満ちた、普遍的で崇高なるものを成就してください。

 心の本性は宇宙のように、究極的な領域。
 宇宙の本性は、生来の本性である心の本性。
 方便において、それらは分離している。それらは偉大なる完成である平等性。
 どうか、まさにこの瞬間に、その本性を悟ってください。

 さまざまな現象は、鏡に映る映像のよう。
 それらは、それらが現れている間は空性であり、空性は現れそのものに他ならない。
 それらは単一や多数としての概念から解放されている歓喜なる現象。
 どうか、まさにこの瞬間に、その本性を悟ってください・・・・・・。

 死に対する、私の喜びは
 海で大金を得た貿易商人たちの喜びよりも
 戦争での勝利を称える神々の主たちの喜びよりも
 あるいは、サマーディにとどまっている聖者たちの喜びよりも大きい。
 さあ、ペマ・レデルツァル(ロンチェン・ラブジャム)は、もうここに長くはとどまらないでしょう。
 わたしは、至福なる不死の本性を手に入れます。」



 それから、彼はチンプーに到着する前に、サムイェーを通りかかったとき、「わたしはここで死ぬだろう」と言いました。そして彼の身体は、病の兆候を表し始めたのでした。しかしそれでも彼は、彼に付き従っている人々、彼から教えを受けに集まって来る人々の大集会に教えを説き続けました。十二番目の月の十六日目に、彼は念入りな供養の式典を行いました。それから彼は無常についての最後の教えを弟子たちに説き、次のような助言を与えると共に、テクチューとトゥーゲルの修行をさせました。

「もしわたしの教えがあなたにとって理解しがたいならば、ヤンティク・イシン・ノルブ(アカ・ラマ・ヤンティク)を読みなさい。それはまるで如意宝珠のようになるでしょう。あなたは究極的な本性であるダルマターの中に一切の現象が分解されていく境地を悟るでしょう。」

 十八日目、ダルマカーヤのポーズで座りながら、彼の心は絶対的なダルマの空間へと溶解していきました。その場に居合わせた人々は、大地が震動するのを感じ、ものすごい轟音を聞きました。
 彼の身体は二十五日間保存され、その間、虹の天幕が絶えず空に架かっていました。チベットで一番寒い月であるにも関わらず、大地が暖かくなり、氷は溶け、薔薇が咲きました。
 火葬のとき、大地は三回震動し、大きな音が七回聞こえました。たくさんの遺品と五つの大きな遺品が、ブッダフッドの五つの身体と五つの智慧の成就の印として、骨から現れました。
 ロンチェン・ラブジャムは、チベットに存在した仏教の教えのすべての系統の教えと伝道を受けました。特にゾクチェンの伝道の一切の流れが彼の中でまとまりました。
 ロンチェン・ラブジャムは、二百五十を超える歴史、戒律、伝授、スートラとタントラの教えの論文、そしてとりわけ、一般のゾクチェンと特別なニンティクの論文を書きました。彼は、組み立てられた論文の形で教えのすべてを伝えたのでした。しかし多くの学者は、タントラとゾクチェンにおける彼の作品の大部分は、実際は彼の悟りの力によって見出された心の宝(ゴンテル)であると断言しています。

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