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彫刻が好きコミュの考える人について考えてみませんか

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先日、NHkの日曜美術館でロダンの紹介をやっていて舟越さんが

でていましたが、

考える人はあんなに腕を曲げているのだろうと思いました。

皆さんの考えをお聞きしたいと思います。

http://iei.jp/cgi-bin/goods/detail.cgi?item_no=6920453

私の考えは地獄門の上から下を見て、地獄を考えていたのではないか。

腕をあれだけ曲げると下が見えるからです。

コメント(11)

あの曲げ方はかなりきついですよね。普通なら右手なら右足にのるところをわざわざ左足にのせてる。
ただそのことが大きな緊張感をもたらしていますね。
あのきつさが、思考することの難しさを表現しているように思えます。
muko さん

そうですね。

考えることの難しさですか。

考えない人が増えたなと思います。

あの考える人が伸びをしている

パロディーがあるのでしょうか。
夏子さん、ロダン美術館に行くと、ブロンズにする前の石膏の美しさを再認識しますね。
夏子 さん
ありがとうございます。

mukoさん
ありがとうございます。

萩原碌山の彫刻に似たものがあったように
思いますが、あんな形をしていなかったように
思います。

体をねじることで背中の筋肉が浮き上がるのかと
思いましたが、地獄門に置いた場合、
背中は見えないはずですね。

ねじることに、考えを転換しようとする
意図があるのではなどど思います。
少し参加させてください、

ロダンの考える人ぐらいから、彫刻に内面が現れてきますね、

なんと言っても体の表面に現れた光はロダンがとくに輝いてます。
内面の光でしょうか、

体のデフォルメは不自然でなければ人体がおどろくほど強くなります。
しかし、ロダンの彫刻はだれよりも、石やブロンズに置き換えた人体の強さがあり、ロダンにしかあらわれない光です。





ヒロさん

何かで読んだのですが、ロダンは擬古典主義の建築を
嫌っていたようです。不自然さが目立つのでしょう。
ヨセフさん

>ロダンは擬古典主義の建築を 嫌っていたようです。

知らなかったです、そうかもしれません。

昨日から、いろいろ考えていることですが、とても大雑把になります。、

欧米でギリシア以来デフォルメと言うか作者が人体を創造していることを芸術と言いますが、

唯一そのモノ、芸術を無視して人体を描いたのがマネからと言われてます?

たしか、フーコーがマネにおいて初めてそのモノを描いたと言ってました。

ここからが近代の始まりでしょうか、けっきょく芸術は嘘の塊になりますが、
嘘だから真実でないと言うのではありません、

マネのオランピアを思い出して、アングルのオランピア思い出すとアングルは蛇女を思い浮かべマネは近所のお姉ちゃんかな

人がモノを見るのはそうとう大変です、コクトーが遠近法でさえ500年かかったと言ってます。




ふと思い出しました。

アングルのオランピアは、オダリスクでした。
これでは、議論になりませんね、

お許しください。
ヒロ さん

フーコーがマネにおいて初めてそのモノを描いたとという言葉から

ふと、マネが友だちのモネにマネすんなと言った話を思い出しました。

私の先生が昔教えてくれた冗談です。でも、

これは日本語でしか通じない冗談ですね。

マネはオランピアで非難されて大変だったと思います。

新しさとは挑戦であり挑発ですね。

考える人もどこかで爆破されたことがあったと思います。

ロダンへのマネの評価ってどうだったんでしょう。
>ロダンへのマネの評価ってどうだったんでしょう。

?

>考える人もどこかで爆破されたことがあったと思います。

しかし、もう爆破されることもなくなりました。

彫刻はやはり人体から離れられないですね、
この先、新しい人体があらわれることがあるのだろうか、

ロダンもずいぶんモノにちかいところがありますが、ギリシヤ、ルネッサンス、、、などの歴史からすると、爆破する気持ちも分からなくもない、芸術を地上に落とし込んでしまうような強さがあります。





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