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カオス 混沌 chaos コミュの人間の行動原理

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人間は
「美的実存」(欲を満たすために生きる)
「倫理的実存」(社会規範を守るために生きる)
「宗教的実存」(たった一人の人間として神と対面するために生きる)←ここらへん少し微妙です、あってますかね?

という三段階があると考えた人がいるらしいです。
(キルケゴールでしたっけ?)

僕は、
人間は、無意味な目標を心に生きることはできないと思っています。
しかし、どういった目標をもつのが
人間として正しいのでしょうか?
あるいは幸せに生きれるのでしょうか?

もっというとこれは「哲学」で扱うべき問題ですかね?
それとも違うところで扱うべき問題でしょうか?
(確か古典倫理学という授業で、哲学史のところで「幸福論」というのをやった気がするので大丈夫かな?と。)

皆さんのご意見をお聞きしたいです。

コメント(12)

私はクリスチャンではないが、神のアガペーの愛と言うのは実に大事な思想だと思いますね。
近代資本主義社会、民主主義社会はキリスト教を母体にして生まれてきたと言う説がありますが、福祉国家の理想なども、神のアガペーの愛を土台にして生まれてきものだと思います。
すなわち、神は己が創造したもの一切を無条件で愛している。
ありとあらゆるものに神の愛が行き渡っている、勿論、世に見捨てられた弱者や、社会に受け居られない得意な個性を持った者も、神が創造したものである限り、無限の限りない愛の対象なのであると。
そういうことから、各人の個性を尊重しようと言う考え方が生まれ、真の意味での民主主義、個人主義と言う概念が創造されてくるのではないかと思います。
フェリーニの『道』と言う映画で、道化師が主人公の女性に、この石ころだって価値がある。夜空に輝く星もそうである。
君にも神から見れば人々には分からない深遠な価値があるんだよ。と言うことをささやくのですが。
この発言を見て、日本人は「むなしい慰めだ」と考えてしまうかもしれません。
しかしながら、こういった思想を基本的価値とし、制度化し、法律化することを求めているのが現代憲法でしょう。
ただしその心は失われつつあるように思います。
かつて人々の行動原理は、この神の愛をこの地上に実現することでした。
この世は確かに、弱肉強食で、神も仏も無いように見える。
しかしながらその現実は現実として鋭く認識しつつ、尚且つ目標として神の国を置く。
現実には実在しない、人間の心の中にしかない神の国を彼岸の世界に置くのがかつて宗教でしたが、人間の良心に基づいた人道国家を何とかこの娑婆世界で築き上げたいと思うし、現実の国家を理性の国家に変えていくことこそ、良心と言うものを天から授かった人間の使命だと思います。
これはいつの時代も変わらない、究極の真理だと考えています。
経済学や物理学など諸学も、本来はこういった道徳原理を根本として、神の創造したもうた世界を客観的に記述すること、或いは理想の神の国に相応しい国家を創造するにはどうすればいいかと言う発想から進歩したものでした。
しかしながらその理想は失われてしまいました。
経済学も特定の人間の利己心に奉仕するような学問に成り下がってしまった。
ニーチェの指摘するようなニヒリズムの時代の到来です。
こういう時代において尚且つ理想や目標を持って生きていくと言うことは実に難しい課題です。
我ながら、支離滅裂な事を書いているが
要は、現実の世界と良心が投影された世界ではギャップ、矛盾がある。しかし矛盾こそが運動の原動力であると言うヘーゲルの言葉を思い出して欲しい。
このギャップがある限り、文明は進歩するし、人間性、文化にも限りない向上が見られる。
私など、町を歩いていると、様々なビジョン、イメージが現れる。無意識の中に「神聖帝国」が君臨しており、こっちのほうが、真の現実なのではないか、今、感覚的に認識している世界の方が、虚構であり仮の姿ではないのかと、公園に落ちている犬の糞とか見ながらそう思うのである。
恐らく、宇宙全体の悠久の時間の流れの中で考えると、私の直観の方が真であり、感覚的に現われる世界の方が偽である。
私アルテミスは岩手県、盛岡市の生まれだが、きっと宮沢賢治などの芸術家も、現実の社会よりも、イーハトーブと言う名前で描かれた理想世界の方が、宗教的な時間感覚で考えられた場合の真実であると考えていたのではなかろうか。
であるがゆえに、彼は田中知学らの宗教結社に加盟したり、社会主義革命に密かな期待を抱いていたように思う。
 ユングの『タイプ論』は驚くべき書物だが、こういう内向直観性格者は概して感覚が劣等機能になっていると言う。
しかしながら、こういったビジョンにリアリティを持たせるには、実際は感覚の機能を鍛える必要があるのである。
私もこの意見に同意で、さもないと、直観性格者のビジョンは永遠に湖畔に映った建造物のように実体を持たない影にとどまるだろう。
そう、私は直観の方にリアリティを感じるタイプなのに、どうしても感覚的に現われる物理世界が不愉快でたまらなくなってしまうのである。
この世界に存在していること自体に、立腹してしまい、下手をすると、己の内面世界に引きこもってしまいがちである。
これを客観的に見ると、或いは精神分裂症の発作かと思われるだろう。よく、精神病患者が、親族が話しかけるのも無反応で何十年も壁に向かってじっとしているような症状があるが、ユングはこの状態を無意識の力が強まり、無意識が齎すイメージに魅入られてしまっている状態などと分析する。
まさしくその通りで、俺なども下手すると100年くらい座禅しても平気なところが在る。
しかし、無意識のビジョンを現実化するには思考機能や感覚機能をやはり強化する必要がやはりあるだろう。
さもなければ妄想は妄想で止まってしまう。
○直観(世界)の方にリアリティを感じるタイプなので<修正
神は細部に現われたもうと言う格言があるが、全体性に鋭敏なところが在る直観性格者の成功の鍵は実は直観性格者がこよなくバカにする「感覚」に在る。
直観性格者に人々が言う耳に痛い苦言忠告「現実を直視しろ」は実はもっとも正しく適切なアドバイスなのである。
感覚が鋭敏と言うことは、細部に注意が向くということでも在る。結局、物事を成し遂げるには、微に入り細部に入る繊細な注意が必要で、そういう地味な細かい作業を通して初めて、志が実現することもあろう。
現実感覚の養成、これが実に重要である。

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