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カナダの歴史と政治コミュのモンセフ民主改革大臣、保守党の質問攻めを余裕の笑顔でかわす

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 メリヤム・モンセフ民主改革大臣は、当選1回・若干30歳で入閣した、トルドー内閣では最年少の(カナダ史上4番目に若い)大臣である。彼女は今週、下院で野党保守党から質問攻めに遭い、言質を取られそうになり保守党議員団から喝采を浴びたが、笑顔で「ありがとう」と答える余裕を見せた。
 保守党のスコット・リード議員は12月7日、過去15年間にブリティッシュコロンビア・オンタリオ・プリンスエドワード島が選挙改革に関する住民投票を実施したが、いずれも否決されたという事実を引用したうえで、トルドー政権は住民投票を実施するつもりがあるかと問いただした。モンセフ民主改革大臣は、政府は、この国の民主主義の歴史を変える話し合いを持つことで国民に配慮すると答えた。
 すると保守党のブレイク・リチャーズ議員は翌日、「選挙改革に関する協議が行われ、新しい選挙制度が構築されたあと、政府はその新しいシステムに関して住民投票を実施するのか、はいかいいえで答えて下さい」と迫った。
 モンセフ民主改革大臣は、用心深く「私はその協議の結果を、住民投票にゆだねることによって阻害するつもりはない」と答え、自由党議員団から拍手された。
 するとリチャーズ議員は、なおも言質を取ろうと「カナダ人には、どのように統治され、我々の選挙がどのように行われるべきかを住民投票で決める能力がないと主張するのか」「この問題に関して住民投票を実施するには、カナダ人はまだ未熟だというのか、はいかいいえで答えて下さい」と食い下がった。
 モンセフ民主改革大臣が「この国の国民は、民主的な機関と同様に重要に、考慮されるのが当然だ」と回答すると、保守党議員団は立ち上がって歓呼した。大臣は「ありがとう。素晴らしい」と言って余裕の笑みを浮かべた。そして今年10月の総選挙が、現行の小選挙区制による最後のものになることを、自由党政権は明確にしていると語った。

 モンセフ民主改革大臣は、アフガニスタンのヘラートに生まれた。子供のころ、父親はイランとの国境付近で捕らえられ、二度と帰らなかった。彼女のおじは反共運動に加担していたが、バスの中での会話を通報され、大学寮から拉致されて二度と戻らなかった。母は生活のため家で英語を教えたが、タリバン政権は女性の勉学を好まなかったので、一家は迫害から逃れるためアフガニスタンとイランの国境を往復する生活に入った。だがイランでの生活は不法滞在であり、文化的な違いもありそこでの生活も安住できるものではなかった。
 一家は1996年、おじが暮らすカナダに難民として移住することを決意する。カナダへの旅は、イラン・パキスタン・ヨルダンをロバやラクダで経由するものだった。
 一家はカナダで、フードバンク、救世軍、ニューカナディアンセンター、カサ・マリア難民ホームズ、YWCAの援助を受けた。彼女は今も、カサ・マリアとYWCAで働いているという。
「ボランティアや近所の人々は、私たちの生活に入ってきて、私たちが寂しくないよう、私たちがコミュニティに入り、そこに属するように、気を使ってくれた。20年後の今も、優しさはなお私の心のうちにある。そして下院議員として、私の任務を通してその一部をお返しすることができたらと望んでいる。」
 2014年、オンタリオ州のピーターボロー市長選に立候補して落選したが、2015年には連邦議会総選挙に立候補し、7万件の家庭を訪問する選挙戦の後に、当選を果たした。だが何より彼女を驚かせたのは、当選1回・若干30歳で民主改革大臣のポストを提示されたことだった。彼女はインタビューで、上院改革よりむしろ、賃金の平等、女性に対する暴力などの女性問題について熱心に語ったように見えた。
「民主制度下で暮らしてていることは、恩恵なのです。」


写真:保守党議員団からの喝采に笑顔で応えるメリヤム・モンセフ民主改革大臣。

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 「アフガニスタン生まれ初の大臣」と言われてきたマリヤム・モンセフ民主改革大臣は、グローブ&メイル紙で実はイラン生まれと報じられたのを受け、9月22日にこれを認める声明を発表した。
 大臣はこれまでアフガニスタンのヘラート生まれと語ってきたが、数日前に母ソリヤから、イランのマシュハドで生まれたと聞かされた。大臣の両親は、家族が故郷と呼ぶヘラートで結婚したが、ソ連のアフガン侵攻の影響で町は壊滅し、治安がすこぶる悪化したため、イランのマシュハドに逃れ、そこで大臣を産んだ。一家はその後しばらくイランに滞在したが、家族の誰一人としてイラン国籍を取得しなかった。
 マリヤム・モンセフ大臣は、就任した2015年11月からずっと「アフガニスタン生まれ初の大臣」と言われ続けてきたが、実はイラン生まれだったことを、母は数日前まで話さなかった。母はそれを問題だと思っていなかったし、夫を失った辛い過去の記憶を思い出したくなかったようだ。
 大臣は「カナダは、私が私でいられることについて重要な役割を演じている。それは私が属していると心から思える唯一の地であり、私がカナダ人であるという以上に誇りに思うことはない」と語った。

 奇しくも日本では今、民進党の蓮舫代表が国籍について正しく報告していなかったことが問題視されている。モンセフ大臣は選挙制度改革に取り組んでいるが、彼女もまた経歴を正しく申告していなかったことになる。カナダ移住時に、書類に「アフガニスタンのヘラート生まれ」と申告していたため、大臣は現在その修正手続きを行っているという。
 保守党のミシェル・レンペル議員はツイッターで、大臣の難民申請書の正当性や、トルドー首相の任命責任に疑問を呈した。枢密院広報のレイモンド・リベット氏は、閣僚は連邦警察(RCMP)などから破産と債務超過に関しチェックされると語った。
 マリヤム・モンセフ民主改革大臣が出生地を誤って公表していた件について、カナダ人の間ではおおむね同情的な声が大きいようだが、中には「辞職せよ」「市民権剥奪」という厳しい意見も聞かれる。保守党のトニー・クレメント議員は9月26日、モンセフ大臣に「深刻な結末」について語り、辞職を迫った。
 保守党政権下で成立した法律(C-24号)では、市民権申請書に出生地を偽って申告した場合、裁判なしに市民権を剥奪されることがありえる。ブリティッシュコロンビア市民自由協会のジョシュ・パターソン理事は、C-24号法は違憲立法であり、モンセフ大臣のケースはこの法律の不条理を浮き彫りにしたと語る。
「我々が駐車違反切符を切られるとき、裁判を受ける権利について聞かされる。あなたが不正な場所にゴミを捨てたら切符を切られるだろうが、裁判を受ける権利はある。じゃあ20年前に何かを言ったり言わなかったりして市民権を剥奪されるかもしれないとき、裁判を受ける権利はないのか?」
 彼は、ジョン・マッコーラム移民・難民・市民権大臣が就任前の野党議員だったとき、C-24号法は「独裁的だ」と非難し、裁判に訴えることができるよう改正すると約束したと指摘した。しかし2015年11月の自由党政権発足後も、法律は改正されなかったし、それどころか新政権は毎月数十人もの市民権を剥奪した。
 移民弁護士のローン・ウォールドマン氏は26日、C-24号法を違憲立法だとする行政訴訟を起こした。本人のせいではなく親のせいで誤った申告をしてしまい、市民権を剥奪されるというモンセフ大臣に類似したケースを、彼は何件か担当していると語った。

 モンセフ大臣は、自身の出生地を巡る騒動についてこう弁明した。
「出生地に関する混乱は、私と家族にとっては大きな問題だ。しかし私が誰であるかは変わらない。これは私と家族が解決していく問題だ。ピーターボロー-カワーサ(選挙区)への私の責務と、このファイルへの私の責務は、変わらない。」

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