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カナダの歴史と政治コミュの4人の女性首相

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 10月11日、ニューファンドランド&ラブラドル州議会選挙が行われ、与党進歩保守党が勝利した。これによりキャシー・ダンダーデイル首相は、同州で初めて選挙で選出された女性首相となった。なお彼女が首相に就任したのは、2010年12月である。
 10月7日には、進歩保守党の党首選に当選したアリソン・レッドフォード党首が、アルバータ州首相に就任した。女性州首相はほかにブリティッシュコロンビア州のクリスティ・クラーク首相と、ヌナブート準州のエバ・アーリアック首相がおり、これでカナダは史上初めて、同時に4人の女性首相を持つことになる。

 カナダ初の女性首相は、1991年にブリティッシュコロンビア州首相に就任したリタ・ジョンストンである。彼女は、前任者のビル・バンダーザム首相が汚職のため辞任したのを受けてあとを継いだが、その年の州議会選挙で大敗した。同年にはノースウェスト準州で、ネリー・コーノイア議員が協議によって首相に選出された(ノースウェスト準州議会には、政党・会派がない)。
 選挙で初めて選出された女性首相は、プリンスエドワード島州首相に1993年就任したキャサリン・コールベックである。この年の州議会選挙は、野党党首も女性であり、どちらが勝ってもカナダ初であった。

 コールベック元首相は当時を振り返り、「この状況に辿り着くのに、ずいぶん長い時間がかかった」と述懐した。
 彼女はどんなときでも、数少ない女性の一人であると言われ続けてきた。大学の商学部では、唯一の女生徒だった。1974年に州議会選挙に初当選したとき、彼女は2人目の女性議員だった。
 だが彼女が首相になったときには、議長・副議長・野党第一党党首・副総督の全員が女性になっていた。この年キム・キャンベルがカナダ初の女性首相に就任し、同年行われた総選挙前のテレビ討論では、三大政党党首のうち2人が女性であった。
 コールベックが1993年に州議会選挙で勝利してから、次に選挙で選出された女性首相が登場するのは、2000年のことである。ダンダーデイル首相は史上3人目に当たる。それ以外の女性首相は、前任者が政権を投げ出した後、選挙対策として選ばれていることが多いのだ。
 だが興味深いことに、アルバータ州とニューファンドランド&ラブラドル州では、有力野党の党首も女性である。つまり現在の女性首相が政権を失っても、まだ女性が首相であり続けることになるのだ。


写真左:宣誓するアリソン・レッドフォード首相。
写真中:キャシー・ダンダーデイル首相。

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 1月26日に行われたオンタリオ自由党党首選で、キャスリン・ウィン前先住民問題担当大臣が当選し、オンタリオ州首相に就任することが決まった。彼女はオンタリオ初の女性首相となり、カナダ初のレズビアンの首相にもなる。
 彼女はエバ・アーリアック首相(ヌナブート準州:2008年就任)、キャシー・ダンダーデイル首相(ニューファンドランド&ラブラドル州:2010年就任)、クリスティ・クラーク首相(ブリティッシュコロンビア州:2011年就任)、アリソン・レッドフォード首相(アルバータ州:2011年就任)、ポリーヌ・マロワ首相(ケベック州:2012年就任)に続き、13行政区のうち6人目の女性首相となる。これはカナダ国民の87%が、女性首相のいる行政区に暮らすことを意味する。



写真:勝利したキャスリン・ウィン前先住民問題担当大臣(左)と、決戦投票で敗れたサンドラ・プパテーリョ元経済開発・貿易大臣(右)。
 アルバータ州議会総選挙で、与党新民主党が敗北し、レイチェル・ノトリー首相の退陣が決まった。これで、2013年には13行政区に6人いた女性首相は、一人もいなくなることになる。その6人とは、ブリティッシュコロンビア州のクリスティ・クラーク首相、アルバータ州のアリソン・レッドフォード首相、オンタリオ州のキャスリン・ウィン首相、ケベック州のポリーヌ・マロワ首相、ニューファンドランド&ラブラドル州のキャシー・ダンダーデイル首相、ヌナブート準州のエバ・アーリアク首相である。

 オタワ大学で政治学を教えるジュヌビーブ・テリエ教授は、これらの女性リーダーたちも他の女性たちと同様に「ガラスの崖」の犠牲になったと指摘する。
 男性が女性を辛辣に批判し、陥れることには強い抵抗がある。そこで党内で対立が深刻化し、分裂の危機に瀕するとき、女性をリーダーに立てることによって党執行部を保護し、団結と一致をアピールすることで党内抗争を回避しようとする知恵が働くのだという。
 テリエ教授は、カナダの女性党首たちのほとんどはそのような理由でリーダーになったと指摘した。そして女性首相たちの大多数は、野党党首が総選挙勝利によってではなく、首相である与党党首が辞任し権力危機が発生したときに誕生している。前者の例はマロワとノトリーであり、後者の例はクラーク、レッドフォード、ウィン、ダンダーデイルと、唯一の連邦首相であるキム・キャンベルである。
 彼女たちの全員が、与党党首として最初の総選挙に挑んだ。何人かは敗れて退陣し、何人かは勝利して留任した。留任したうちのほとんどはさらに次の総選挙に挑んだが、クラークを除く全員が敗北した(クラークは選挙後に辞職を拒否したため、内閣不信任され辞職)。テリエ教授は、女性リーダーには調和と包容力ばかりが求められているため、党内が安定し政権が長期化すると、今度は決断力の不足を批判されるのだという。
 ウィン前首相は、女性首相が増えるにつれ首相会議には、先住民女性の失踪や暴力などそれまでとは異なった議題がのぼるようになったが、やがて女性首相たちが減るにつれ、それらの議論は形式化・儀礼化していったと述懐する。彼女は、人口の半数を占める人々が代表されなくなった今、それほど遠い昔でない時代には半数近くを代表していたことを思い出し、それを取り戻すために戦い続ける必要があると訴えた。
 ノトリー首相も選挙後の演説で、同様のことを訴えた。
「それはしばしば、前に2歩前進したあと後ろへ1歩後退したように感じられるかもしれない。だが前に進むのを、絶対に止めてはならない。」

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