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カナダの歴史と政治コミュのモントリオール銃乱射事件とカナダの銃規制

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 1995年に自由党政権によって成立した長銃登録制度は、当時で200万ドル、現在では10億ドルもの経費を必要とした。2005年トロントの繁華街で銃撃戦が起こり、15歳の少女が流れ弾で死亡する事件を受け、保守党のハーパー党首は重大犯罪への執行猶予不適用など厳罰化を主張し、その一方では長銃登録制度廃止を公約に掲げ2006年1月の選挙に勝利し、政権を奪取した。だが過半数割れの少数政権で、野党3党が長銃登録制度を支持する状態での法廃止は困難と見たハーパー首相は、同法を改正して実質骨抜きにすることを目論み、6月に改正案を国会に提出した。

 このような状況下で9月13日、モントリオールのドーソン・カレッジで銃乱射事件が起こった。


写真左:ウェブサイトに掲載されたキンビア・ギルの写真。
写真中:キンビア・ギルの遺体。
写真右:ドーソン・カレッジから避難する生徒。

コメント(22)

 保守党は長銃登録制度に長年反対し、選挙公約として掲げてきたが、同法を骨抜きにするべく、銃器登録に1年の猶予期間を設ける、長銃所有者が登録を怠っても起訴の対象にしない、登録料の返金、カナダ銃器協会からRCMP(連邦警察)への管轄権の移行、予算の1000万ドルの削減などを盛りこんだ改正案を、2006年6月国会に提出した。
 地方住民や狩猟愛好家は、登録制度は合法的銃保持者を規制するものであって、非合法的銃規制や犯罪減少につながらないとして現銃器法に反対している。いっぽうケベック州や大都市では賛成派が多数を占めているが、一般に保守党の支持者は地方が多い。
 2006年9月13日午後1時前(現地時間)、モントリオールのドーソン・カレッジで男1人が銃を乱射、同校の女子生徒アナスタシア・デ・ソウサさん(18)が死亡、20人以上が負傷した。黒のトレンチコートに身を包んだ犯人は、学内のカフェテリアに乱入、持っていた銃を乱射し、警察官との銃撃戦の後自分の頭部を撃って自殺した。なお犯人の銃は、合法的に所持していたものだった。
 同校は一時閉鎖となり、近隣のオフィスワーカー、学生も避難、道路の封鎖と地下鉄の運休措置が取られ、携帯電話もつながりにくくなるなどの影響がでた。州の献血センターでは、同事件の負傷者のため多量の血液が必要となり、市民に献血を呼びかけた。
 犯人のキンビヤ・ギル(25歳)はインド系で、モントリオール北部にあるラバル行政区ファブリベルに両親と同居していた。彼は「バンパイア・フリーク」というサイトにトレンチの名前で日記を公開し、「トレンチが死の天使と分かるだろう」などと書き、銃で威嚇している格好の写真を掲載していた。
 9月18日に始まった国会は、ドーソン・カレッジ銃乱射事件被害者への黙祷で始まり、銃規制法案とカナダ軍のアフガニスタン派兵の是非を巡る激しい論戦が繰り広げられ、命の尊さが問われる会期となった。ハーパー首相は、今回の惨事は現行銃器登録制度が機能していないことが原因だとし、登録制度を廃止する代替法案を提出している。いっぽう自由党のビル・グラハム暫定党首は、答弁時間の大半を費やしてこの問題の反対答弁を行い、政府が銃器登録制を正しく理解していないこと、武器商人の既得権益を擁護していることを主張した。しかし首相は、暴力犯罪に対する厳罰化、RCMP副総監と精神不安定者の武器所持を防止する施策について協議を挙げ、政府の政策の妥当性を強調した。
 ドーソン・カレッジ銃乱射事件被害者の1人である大学生のヘイダー・カーディムさん(18)が11月1日、銃規制法強化を求める全国キャンペーンを開始した。同キャンペーンは事件の反省を受け発足したドーソン銃規制連合の支援の下、与野党議員に改正法案支持を求めたり、ハーパー首相に被害者の苦悩を伝え銃規制の議論活発化を要請する公開書面を直接送付するなど、書面活動中心に展開されている。これまで公安大臣ストックウェル・デイ氏の事務所から会見許可の連絡が届いている。改正法案の内容としてカーディムさんは、小銃使用を射撃練習場等に限定、自動小銃の一種で主に軍用に使われ軽量のアサルトライフルの全面禁止のほか国家銃登録制度の維持を提案している。カーディムさんは現在も銃弾が首に残ったままとなっている。
管理人が他トピックより移動しました。
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2007年01月12日11:12
1:Sapx2ho
乱射事件、学生の私たちの中には衝撃が走りました…。
学校のセキュリティーが一段と強くなり、ドアがすべてオートロック、カードキィ、カード使うと名前がセキュリティーオフィスのコンピュータで読み取り可能、防犯カメラの増加…と大変な雰囲気になりました。日本では銃大国とすこし流れたそうですが、アメリカなどにくらべれば甘っちょろいってなってしますよね。去年の冬にはオタワの中華街の中国人カラオケで超至近距離でのハンドガン殺害がありました。知り合いの友達がお亡くなりになられました。オタワ、トロントにしろ、モントリオールにしろ…危ないです。銃規制に対しての政府の動きには注目ですね。安全でいてほしいです。
>ドアがすべてオートロック、カードキィ、カード使うと名前がセキュリティーオフィスのコンピュータで読み取り可能、防犯カメラの増加

 これだけの設備には費用もかかるでしょうね。どの地点を誰がいつ通過したのかについて、バッチリ管理することができるようになります。日本でも池田小学校などで児童殺害事件が起こっていますが、校門のセキュリティチェックや校内への警官・ガードマンの導入はしないようです。最近はいじめの悪質化が話題になっていますが、要所に何人かガードマンを立てれば度の過ぎた犯罪は防止できるので、私立校の保護者ならそれくらいの費用はあるはずですが、やはりやらないようです。
 日本では未だに子供の性を善とする風潮が残り、また「教育上の措置」から刑事立件を躊躇する傾向にありますが、これだけ人命に関わる事件が続いているのですから、「教育上の措置」を大きく逸脱した悪質なものについては司直の手に委ねた方がいいのではないかと思えます。
 カナダでは教師が生徒を、あるいは生徒が教師を殴るとすぐ警察を呼ぶのではないですか? カナダは児童虐待が深刻化し、体罰が容認されなくなっています。日本では学校の聖域視と教職の聖職視が残り、また日本人が伝統的に教育を重んじ教師を尊敬してきたのに対し、カナダ人は生徒を殴るほど教育に対する強い思い入れがないような気がします。カナダで初めて教師のストライキを見たときは驚きました。

>銃大国とすこし流れたそうですが、アメリカなどにくらべれば甘っちょろいってなってしますよね

 映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」で、カナダのアメリカ国境付近の街では、日中玄関に鍵をかけていないと述べていましたが、田舎はともかく、ある程度の規模の都市でしかも国境付近の街では、全く事実とは思えません。私はバンクーバーでもトロントでも空き巣の被害に会っているからです。日本では一度もないことが、たった2年半の滞在で2回あったのです。日本とカナダの失業率・銃所持率・犯罪率は全く比較にならず、カナダにおいて日本と同様の意識で暮らすことは考えられません。
 この映画は、「アメリカの国民1人当たりの銃所持率はカナダやスイスを下回る。でもアメリカではカナダの百倍以上も銃で人が殺されている。それは恐怖のせいだ」と結論づけています。非常に含蓄のある意見とは思いますが、アメリカ社会を批判するためカナダが過剰に美化されていると感じました。また映画では、「貧しい人の医療費を金持ちが払ってやることはない」という理由でアメリカに国民健康保険がなく任意制であることが指摘されていましたが、カナダのメディケアとの比較はされませんでした。メディケアは公営・無料・国民皆保険の3本柱を謳い文句にしていますが、近年病院での順番待ちが長くなり、患者が私営クリニックに流れているという問題があります。


写真:看板をつけて学校の周りを歩くストライキ中の教師たち
 1984年、ケベック党に不満を抱く男が、軍服姿でケベック州議会議事堂に侵入し、銃を乱射して死者3名・負傷者8名を出す事件があった。議会の会期ではなかったが、警備員がお茶を振舞いながら説得し、最後には自首するシーンはテレビで放送された。
 1992年にはコンコルディア大学で大学教授が、自身の処遇について当局への不満を募らせ、同僚4人を銃殺した後自殺する事件が起きている。

 なぜ銃犯罪がケベックでばかり起こるのか。グローブ&メイル紙の記者(中国系)は、非フランス系、特に移民にとってケベックは住みにくいと紙上で述べている。フランス語を維持するためのフランス語憲章が、さまざまな足枷となっているというのである。ドーソン・カレッジ事件の犯人はインド人、コンコルディア大学事件の犯人はロシア人、モントリオール大学事件の犯人はアルジェリア人でイスラム教徒だった。またケベック州の男性の自殺率はカナダで一番高く、オンタリオ・アルバータ・ブリティッシュコロンビアの2倍近くに達しているのだ。
ケベック州会議事堂銃乱射事件(1984年5月8日)


●父の暴力
 ドニ・ロルティは1959年に生まれた。少年時代は父の暴力に悩まされ、17歳で軍隊に入る。上官の彼への評価は低くはなく、事件当時はカナダ軍王立第22連隊の伍長であった。だが彼は子供のささいな粗相にも過剰に対応してしまう悪い習性があり、2歳の息子に言語障害が表れると、自分の父と同じような父親になることへの強い不安を抱くようになった。彼の父性に対する葛藤は、フレンチ民族主義的政策を掲げるケベック党政権、ことにルネ・レベック首相への反感に変わっていった。

●誰か気づいてくれ
 1984年5月5日、ロルティは銃をサックに詰めたまま基地からの外出を試みた。当然検問所で逮捕されるはずだったが、なぜか気づかれなかった。
 6日、犯行を実行に移すため、武器を積んで車でケベック市に向かう。途中ヒッチハイカーを拾い、遠回りすることになるが彼にとっては「最後の」楽しいひとときとなる。ヒッチハイカーを送り届けてから彼は、ケベック城塞を下見に行き、死ぬにふさわしい場所を物色する。
 7日、ロルティは団体客の一人としてケベック州会議事堂を見学。それからモーテルに戻って、犯行予告とケベック党政権を弾劾したテープを3本録音し、ケベック城塞へ行きそのうちの1つをアルスノー従軍神父に渡そうとしたが、不在だったため、歩哨に速達便で送るよう依頼した。

●そして凶行へ
 5月8日朝、ロルティは丁寧にアイロンをかけた戦闘服を着用し、磨き上げた軍靴を履いて、伍長の徽章を胸に留め、自動小銃と拳銃さらにガスマスクを携行し、懐には軍の身分証を抱いて、彼のための「最後の」戦いに向かった。まず妻宛ての犯行予告テープをポストに投函し、次に車でCJRPラジオに行って、職員にテープを預け、DJのアンドレ・アルチュールに渡すよう依頼した後、ケベック城塞に向かった。予め目星をつけておいた死ぬにふさわしい場所に車を停め、ラジオのスイッチを入れる。そのころラジオで彼の犯行予告テープが放送されているはずだった。彼はそれを合図に戦闘を開始する予定だったが、いつまで待ってもテープの話題は始まらなかった。業を煮やした彼は午前9時30分、ケベック城塞に向けて銃を乱射した。ここで歩哨に見つかり射殺されるはずだったが、信じがたいことに誰にも気づかれることはなかった。

●ルネはいなかった
 9時45分、ロルティは城塞から数百メートル離れたケベック州会議事堂に入り、受付の女性の胸に数発の銃弾を浴びせた。この女性は重症を負ったが奇跡的に一命を取りとめた。ロルティは「進め!」と叫んで、通路を走りながら辺り構わず銃を撃ち、その場に居合わせた職員3人を殺害した。次に喫煙室に移動し、人々に向けて銃を乱射した。それからカフェテリアに向かい、彼はついに本会議場に続く道を見つけた。計画では、10時から始まる委員会の間に本会議場に入り、ケベック党政権を打倒すべく党議員と首相のルネを暗殺する予定になっていた。だが到着が少し早く、本会議場にはわずかな人数しかいなかった。ロルティはそこでも銃を乱射し、数人を負傷させた。だが目的のルネもケベック党議員もいないと知ると、ロルティはひどく興奮し、議長席に陣取った。
 警護隊の一人が、銃を持つ男が本会議場にいると聞いて駆けつけた。彼がエレベーターから出るや、男はすかさず発砲した。警護隊員は男がひどく興奮していることを知り、彼をなだめようと試みた。
 警護隊員はルネ・ジャルベールと言う退役軍人だった。彼は丸腰で男に近づくと、軍人のように見えたことから、まず互いの軍歴を紹介し合うことから始めた。ジャルベールはロルティが第22連隊の隊員だと知って驚き、自分も第22連隊の隊員だったと言って、互いの身分証を見せ合おうと提案した。こうしてジャルベールが除隊証を見せると、ロルティも身分証を見せた。防弾チョッキを脱ぎ捨て、隠れている警官に向かって「撃ってみろ」と徴発するロルティをなだめるように、ジャルベールはお茶を振る舞い、彼のケベック党政権に対する憤懣やるかたない思いに耳を傾けた。そして、本会議場の机の下で震えながら身を伏せている人たちはケベック党員ではないから、解放してほしいと訴えた。
 こうして5時間近くも話し合った午後2時22分、ロルティはジャルベールの勧める市警察当局への自首ではなく、軍隊への投降を決意する。ジャルベールは投降証書を作ってともに署名した。そこには教程書にある通り、議事堂を出てから75歩進んで武器を預けることになっていたが、武器をジャルベールに預けたロルティにその約束は守られなかった。二人の様子は本会議場に設置されたカメラで録画され、世界中で放送されることになった。ジャルベールはその英雄的な行為のゆえに、カナダ政府より「勇気の十字勲章」を授与された。

●テロか、それとも心身耗弱か
 3人を殺害し8人に重傷を負わせたロルティは、犯行の理由を問われ「ケベック党政権は親父の顔をしている」と答えたため、フレンチ民族主義・分離主義に反対するテロリズムからくる犯行と当初見られたが、幼少期の家庭内暴力が取り沙汰され、心の内にある父への恐怖心を克服しなければ何もかも破滅してしまうと追い詰められ、彼にとっての父性の象徴であるレベック首相を暗殺することで父殺しを実現しようとしたという動機が明るみに出ると、今度は精神異常者の犯行と疑われ、ロルティの責任能力、ことに「政府を殺す」目的で実際には無関係な人を殺した事件に、計画性はあるのかが問われた。また彼の姉妹が養子を殺して自殺していた過去も話題になった。弁護士は、ロルティ自身が責任能力と刑罰を求めていることから、限定的に責任能力を認め裁くことが本人にとって望ましいと語った。
 1985年の一審で、ロルティは第一級殺人罪による有罪を宣告されたが、裁判に不備があると認められ、1987年の控訴審で、第二級殺人罪による禁固10年の刑が確定した。1995年に仮釈放され、現在は職を探しているという。
 1989年、モントリオール大学で銃を乱射し女子学生14人を殺害したマルク・レピンは、ロルティの行為を賞賛する遺書を残している。


写真:議長席に陣取るロルティを録画した映像。
モントリオール大学銃乱射事件(1989年12月6日)

マルク・レピンはモントリオールで、ガミル=ロドリーグ・ガルビとして生まれた。父ラチド・ガルビはアルジェリアからの移民で、母モニク・レピンはフランス系カナダ人だった。レピンは幼少期の多くを、父が事業を営んだコスタリカとプエルトリコで過ごした。だが1968年モントリオールへ戻ってまもなく、一家は株式市場暴落で財産のほとんどを失った。
父は女性を蔑視しており、女性は男性に奉仕するためだけに存在すると考えていた。優しさや愛情などただの甘えとしか考えず、妻や子供たちを言葉においても肉体においても虐待した。レピンが7歳のとき両親が離婚し、母と妹と3人暮らしとなる。父は恐ろしくて会いたいとも思わなかったし、父も外国へ移住し子供たちに関わろうとはしなかった。
母モニクは1973年から看護婦として働き始め、子供たちは週末だけ母に会う生活となる。だがレピンは愛情の欠乏からさまざまな問題を起こすようになり、1975年一家は精神療法に一年間を費やすことになった。
1976年、母がモントリオール病院の看護婦長になると、一家はモントリオール郊外のピエールフォンに家を買い、そこに移り住んだ。レピンは人付き合いを好まなかったが、一人の男の子と深い付き合いを持った。このころ彼は父に対する嫌悪感から、母の姓を取って「マルク・レピン」とフレンチ風の名を名乗るようになる。17歳のときカナダ軍に志願するが、面接の結果不採用となった。遺書によれば、「反社会的」だったからだと彼は信じていたようである。
1982年、一家は母の仕事の都合でサンローランへ転居し、レピンは親友との接点を失った。この年が、彼の遺書で触れられている「喜びのない7年」の初まりである。
彼は女性に威張り散らし、女性の前で知識をひけらかす癖があった。またフェミニスト、キャリアウーマン、そして伝統的に男性のものと思われる職務に就く女性への嫌悪感を公言していた。彼は非社交的で、飲酒やドラッグの習慣はなく、もちろん恋人もいなかった。
1986年、レピンはモントリオール大学に入学する。事件の4日前には、母にバースデー・プレゼントを数週間早く贈っている。彼は几帳面で家賃を滞納するようなことは一度もなかったが、事件が起きた89年の12月だけは支払っていなかった。

1989年12月6日、レピンは銃を持って大学の二階教室に入った。彼はそこにいた生徒たちを脅して男性と女性とに別れさせ、50人ほどいた男子生徒に出て行くよう命じた。そして自分はフェミニズムと戦ってきたと言って銃を乱射し、女生徒6名を殺害し9名を負傷させた。レピンはさらに別棟へ向かい、さらに8名を射殺した。彼はこの日、女性14名(工専学生12名、看護学生1名、大学職員1名)を殺害し、女性10名と男性4名を負傷させた後、その危険な銃口を自らに向け、最後の弾金をひいた。
彼の上着のポケットには遺書があり、公開されないはずだったが、1990年11月ラ・プレス紙上で暴露された。

「私は、私の人生を滅茶苦茶にしてくれたフェミニストたちを、彼女らを創った創造主の元へ送ることに決めた。ここ7年間、私の人生には喜びがなかった。私は口やかましい女どもにとどめをさすことにした。
十代のころ私は軍隊に入ろうとした。そうすれば武器庫から銃を取って、ロルティに先駆けることができただろう。だが彼らは私を反社会的と見なし、入隊を認めなかった。それで計画を実行するために、今日まで待たなければならなかったのだ。
女は、女としての特権(例えば安い保険、産休など)を維持しようとしている。だがオリンピックで男女の区別を取り除いたら、女は優雅さを競う種目にしか出場できなくなるだろう。にもかかわらず、フェミニストたちはその障害を取り除くために戦おうとはしない。女など、男によって歴史的に蓄積されてきた知識から学ぶことを怠っているただの日和見主義者に過ぎない。
(このあと19人のフェミニスト女性のリストが並ぶ)
取り掛かるのが遅すぎたので、私はこれら過激なフェミニストが生き残るのを許してしまった。」

精神科医は、レピンは精神病であり、女性を支配する乱暴な大人になってゆく過程にあって、無意識に残忍な父の思い出を消そうともがき、現実感を失っていったのではないかと語った。


写真左:マルク・レピン
写真右:犠牲者のモニュメント
2006年9月にケベック州のドーソン・カレッジで起こった発砲事件に対し、シャレー州首相は犠牲者アナスタシア・デ=ソーサさんの名を冠した銃規制法「アナスタシア法」を成立させた。
この法律は、教育施設や公共・教育交通機関におもちゃの銃も含めいかなる火器の持ち込みをも規制し、違反者には最高5000ドルの罰金が課せられる。また銃器を購入しようとする人たちに州の銃器販売者がまず許可を与え、購入者はその許可を警察に取りに行かなければならない。

銃規制連盟代表は、こうコメントした。
「私たちは、強力な国家レベルの法律が絶対に必要だと思っています。シャレー氏は既存の連邦法を強めるため権限の及ぶ範囲でできる限りの事をしています。」
9の「ケベック州会議事堂銃乱射事件」の動画発見しました。
http://www.youtube.com/watch?v=aA1CaQz5VXo&feature=related
「私たちは、フェミニストじゃないわ。」
 ナタリー・プロボストは20年前、マルク・レピンにそう訴えた。それは、クラスメートたちを救うためだった。彼女にとってフェミニストとは、何かと戦うことだと思っていた。
 だがレピンは耳を貸さず、銃を放った。プロボストは、生き残った4人のうちの1人となった。
 彼女は現在、日々忙しく働くケベック州政府の戦略局長である。
「自分がフェミニストだったと気づいたのは、それから何年も経ってからのことだった」。
 ジャン=フランソワ・ラリベーは、マリス・ラガニエとモントリオール大学で出逢った日の澄んだ青い瞳を覚えている。二人は将来の結婚を誓い合った。だが20年前の12月6日、彼女と13人の女学生はモントリオール大学で銃殺され、全ては破壊された。
 ノートルダム・バシリカで開催されたセレモニーで、ラリベーはこう語った。
「このような状況で私は、生き続けること、愛し続けることの尊さを知った。」
 そして彼は、その後20年にわたり銃規制強化運動に取り組んできたことを、マリスはきっと誇りに思ってくれるだろうと語った。

 保守党政権は、長銃登録制度を改正し骨抜きにすることを目論んでいる。ハーパー首相はこの日、訪問先の香港でカナダ軍墓地を訪れ、64年前の12月7日、日本軍と戦って戦士したカナダ兵に黙祷を捧げ、こう述べた。
「祖国に奉仕した人々に、我々は永遠の感謝を捧げる。我々はまた、アフガニスタンや世界中のどこかで、我々の価値を守るために奉仕している人々に心をとめる。それは我々の生活とカナダ、強くて自由な真実の北国を守る、カナダ軍の男性と女性である(It is the men and women of the Canadian Forces who defend our way of life and keep Canada, the true north strong and free.)」
 ハーパー首相は、いっぽうでは銃の所持を自由化し、もういっぽうでは治安を守るため銃を持つ部隊を海外に派遣することに、何の疑問も感じていないようだ。

 12月6日はまた、92年前に人類最大の爆発事件「ハリファックス大爆発」が起こった日でもある。ハリファックスではこの日記念集会が開催されたが、生存者はほとんどが100歳以上で、その数は年々減少している。作家のブレア・リードはこう語った。
「もしあなたの家族に事件の生存者がいたら、時を待ってはいけません。おじいちゃん・おばあちゃんに今すぐ、話を聞きなさい。」
 生存者のセシリア・クーレン(92歳)は、事件のときは生後10日だったと言う。
「私は年をとりました。それが今日来た理由です。いつの日にか、私は次のセレモニーまで生きられないと思うようになるでしょうね。」
 彼女はそう言って笑った。


●香港の戦い
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=1&comm_id=1611536&id=25509006
●ハリファックス大爆発
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=1&comm_id=1611536&id=15662786


写真左:トロント大学構内に設置された、モントリオール大学銃乱射事件の犠牲者を覚えるキャンドルライト。
写真右:香港のカナダ軍墓地を訪問するハーパー首相。
 新民主党のレイトン党首は、長銃登録制度を廃止するC-391号法案について、保守党への協力を撤回すると発表した。
 長銃登録制度は1995年、銃犯罪を抑止するため当時の自由党政権が創設したものだが、地方では狩猟が日常的に行われているため、評判が悪い。2006年に成立した保守党政権は、凶悪犯罪の厳罰化を公約しながら、支持者は地方在住者が多いため、長銃登録制度廃止も公約していた。

 保守党のキャンディス・ヘップナー議員が個人提出したC-391号法案は、新民主党を二分する騒動を巻き起こした。個人提出の法案には通常党議拘束がかからないので、議員は自由に投票することができる。だがこの法案は個人提出であるにもかかわらず、保守党の大多数は賛成、自由党の大多数は反対、ケベック連合は全員が反対と、党派性が強く表われている。ところが新民主党は、下院議員36名のうち12名が地方選出である。そのため2009年秋の第二読会では、新民主党議員12人と自由党議員8人が賛成票を投じたため、保守党政権が過半数割れしているにもかかわらず、164対137で通過した。
 第三読会の投票は9月22日に行われる予定だが、自由党のイグナティエフ党首は党議拘束をかけ一丸となって反対すると明言しているので、法案成立のためには新民主党議員8人の造反を必要とする。そこで保守党議員たちは、新民主党の特に地方選出議員に手紙や電子メールを送り、造反を呼びかけている。保守党のジェームズ・ベザン議員はYouTubeに、カウボーイハットと格子縞のシャツを着て馬に跨り「今こそレイトン党首に、引き下がれと言う時だ。ここはあんたがいるトロントのダウンタウンじゃない」と語る動画を掲載したが、あわてて削除した。

 レイトン党首自身はトロント選出で、長銃登録制度の支持者だが、党内に地方選出議員を多く抱えている現状では、反対投票を強制できない。地方選出議員たちも、反対投票すれば次の選挙に差し支えるというジレンマを抱えている。オンタリオ州ティミンズ=ジェームズベイ選挙区のチャーリー・アンガス議員は、かつて法案に賛成していたが、先週になって反対に転向した。
「保守党のゲイリー・ブライトクロイツ議員は、我々のために働いている警察官を指して『おじいちゃんの銃を取り上げようとしている』と言っている。それは悪質なレッテル貼りだ。それはティーパーティの主張だ。」
「保守党議員たちは、地方の住民はみんな頭が悪いとでも思っているのか。こんな連中と同じ側についているなんて、気分が悪い。」
「うちのおばあちゃんは、『ケンカは勝つまで絶対逃げちゃいけないよ』と言って、私を育ててくれた。だから私は、最後まで保守党と戦う。」
 新民主党議員の中には、法案が否決されれば、保守党は地方選挙区で新民主党の批判を続けられるので、かえって好都合だと考えているのではないかと疑う者すらいる。新民主党のブラッド・ラビーン議員は、こう分析した。
「自由党の議員は91%が都市部選出で、地方選出は9%しかいないから、保守党に奪われそうな議席はほとんどない。しかし新民主党は都市部選出と地方選出に割れているから、保守党に奪われそうな議席が多く、もし奪われたら、保守党は過半数に達してしまう。」

 板ばさみに悩んだレイトン党首は先週、地方と都市の間の妥協案を探るよう要請したが、ハーパー首相に拒否された。ハーパー首相はこう語った。
「それは、妥協案ではない。それは、猟師と農民に長銃登録制度を続行するという要請だ。」
 これについてレイトン党首は、次のように述べた。
「これは、ハーパー首相が乗せたトラックから、我々を降ろそうという試みだ。オール・オア・ナッシングを迫り、国民が国民に対立するよう迫るのは、カナダのやり方ではない。」


図:ゲーム「レイトン教授と不思議な町」(Professor Layton and the Curious Village )のパロディで「レイトン教授と騒々しい長銃登録制度」。
 新民主党のマルコム・アレン議員(オンタリオ州ウェランド選挙区)は9月13日、長銃登録制度を廃止するC-391号法案に反対することを発表した。2009年秋の第二読会では、彼を含む新民主党議員12人が賛成に回ったが、彼はクロード・グレイベル議員、チャーリ・アンガス議員、グレン・シボルト議員に続き4人目の転向者となる。
 アレン議員のオンタリオ州ウェランド選挙区は、オンタリオ南部の都市と郊外の両方を含んでいる。彼はこの3週間、直接あるいは電話で地元有権者の声を聞いてきた。その結果、有権者の反応はどちら側も多かったが、彼は長銃登録制度を存続させることを決意した。
「保守党は、有権者の声を聞けと言い続けてきた。だから聞いたよ。」

 22日に予定されている採決では、保守党議員144人は全員が賛成投票する。保守党を除名された無所属のヘレナ・ジョージス議員も賛成投票する。第二読会では8人が賛成投票した自由党は、党議拘束をかけて75人の議員全員が反対投票することになっている。ケベック連合は、引退を表明していたジャン=イブ・ロワ議員が投票後まで引退を先送りすることを決定したので、48人が反対投票する。
 アレン議員の転向により、現在の票読みは151対151の同数と考えられている。可否同数の場合は、ピーター・ミリケン議長の投票で決する。ミリケン議長は自由党政権時代から9年務め、最長在任記録を更新しているが、下院の歴史において過去10回あった可否同数のうち、5回がミリケン議長の時代である。ミリケン議長は自由党議員だが、可否同数の場合は廃案にせず継続審議にする慣例があるため、賛成投票することになる。

 保守党は、法案通過を確実にするためもう2・3人の造反が欲しいところである。そこで保守党は、第二読会で賛成投票した8人の自由党議員と12人の新民主党議員の選挙区で、集中的にキャンペーンを展開している。ラジオの広告では「採決は、本当に際どい勝負となるだろう。だがこれだけは覚えておいて欲しい。我々の代議員は、オタワのボスから反対せよと命じられているのだ」と訴えている。
 第二読会で賛成投票した新民主党議員12人のうち、6人は転向しないと明言している。ニキ・アシュトン議員(マニトバ州チャーチル選挙区)は、どちらに投票するかを明確にしていない。キャロル・ヒューズ議員(オンタリオ州アルゴマ=マニトウリン=カプスケイシング選挙区)は、法案を廃案にするような投票はしないと語っているが、賛成するとも棄権するとも受け取れ、判然としない。

 与野党の壮絶な草刈り場となった新民主党のレイトン党首は、党の分裂を逆に、幅広い勢力に支持された自由な党というイメージに変えようと、「我が党は自由党や保守党のような上意下達政治を拒否する」と述べたが、ネイノス・リサーチ社のニック・ネイノス氏はこう分析している。
「都市部の新民主党支持者は、長銃登録制度が廃止されそうになると慌てて自由党支持に走るだろう。そして地方の新民主党支持者は、長銃登録制度廃止を望んで保守党支持に回るだろう。新民主党はどちらに投票しようと、必ず負けるゲームをやっていることに変わりはない。」
 だが新民主党のジョー・コマーチン議員は、このような見方に反対する。
「あらゆる調査は、長銃登録制度は投票行動を決定する動機の1%に満たないことを示している。しかし我が党のどの議員も、選挙区で1%以上得票している。」
 9月20日、連邦議会の秋のセッションが開幕した。このセッションは総選挙前の最後のセッションとも言われているが、冒頭からいきなり22日、長銃登録制度を廃止するC-391号法案の採決がある。この時期カナダには、10年ぶりに国連安全保障理事会非常任理事国になるチャンスがあるが、ハーパー首相とキャノン外相らは渡米した後、この採決のためいったん帰国する。

 新民主党のピーター・ストファー議員(ノバスコシア州サックビル=イースタンショア選挙区)はこの日、6人目の転向者となることを発表した。これにより票読みは151対153となり、法案は否決されることがほぼ確実となった。
「私自身は長い間長銃登録制度に反対してきたが、選挙区において両方の意見を注意深く聞いた結果、この日を終えるに当たり、私は有権者の声を代弁しなければならない。選挙区の62%は、長銃登録制度を支持している。残念なことだが、私は有権者の声を裏切ってきた。これまでの全ての政治歴の中で、これが最も困難な選択であった。」
 ストファー議員はこう述べた後、長銃登録制度に関する議論は節度と妥協を失い、国民をいたずらに分断したと非難した。
「賛成も反対も双方が、この問題について政治をもて遊んだことに疑問の余地はない。双方とも、国民をミスリーディングするために統計をもて遊んだ。私は断固として長銃登録制度に反対する。だが残念なことに、議論はもはや長銃登録制度そのものについてではない。それは、最悪の分断政治である。」

 保守党は、長銃登録制度に反対すると有権者に約束しながら、その逆に投票する議員は次の選挙で報いを受けるだろうと述べた。ハーパー首相は「我々は猟師や農民ではなく、犯罪を取り締まる銃登録制を望んでいる」と語った。


写真:車で議事堂に入るキャンディス・ヘップナー議員。
 長銃登録制度を廃止するC-391号法案の採決は、9月22日に行われる。保守党は、長銃登録制度に反対すると約束しながらその逆に投票する議員は、次の選挙で報いを受けるだろうと語っている。

 2009年秋の第二読会で賛成投票した自由党議員8人のうち、3人はニューファンドランド&ラブラドル州選出である。ニューファンドランド&ラブラドル州は、全国で最も銃所持率が高く、かつ最も銃犯罪率が低い州となっている。この地で長銃登録制度維持を主張することは、冒険となろう。
 スコット・シムス議員(ビショップス・フォール選挙区)とトッド・ラッセル議員(ラブラドル選挙区)は、2008年総選挙で大差で当選している。スコット・アンドリューズ議員もアバロン選挙区で45.3%を獲得しており、落選の心配はない。
 第二読会で賛成投票した新民主党議員6人と自由党議員1人は、オンタリオ州北部選出である。彼らは、長銃登録制度は選挙区の動向を決定づけるほどの問題ではないと語る。またこの地域では保守党がほとんど支持されていないため、保守党に議席を奪われる心配はないという。新民主党議員6人のうち5人と、自由党のアンソニー・ロタ議員(オンタリオ州ノースベイ選挙区)は、反対投票に転向した。
 新民主党議員のもう一人、ニキ・アシュトン議員のマニトバ州チャーチル選挙区は、1979年以降ほとんど新民主党が独占してきた。彼女は前回総選挙でも、圧勝している。だが彼女は依然として、どちらに投票するかを明かしていない。

 いっぽうデニス・ベビントン議員(ノースウェスト準州西北極選挙区)とジム・マロウェイ議員(マニトバ州エルムウッド=トランスコナ選挙区)は、前回総選挙では接戦だったためか、賛成投票する意志に変わりはない。
 自由党のキース・マーチン議員(ブリティッシュコロンビア州エスカイモルト=フアン・デ・フカ選挙区)は、前回総選挙では保守党候補にわずか68票差で勝利した。彼は明日、反対投票することになる。
 自由党のマーク・ホランド議員が提出した、キャンディス・ヘップナー議員提出の長銃登録制廃止法案(C-391号法案)の議事進行を禁止する動議が、9月22日に下院で採決され、153対151で可決された。これによりC-391号法案は廃案となり、長銃登録制度は存続する。カナダを地方と都市に分断し、新民主党を分断した一大論争は、ここに終結した。
 自由党議員は全員が賛成投票し、新民主党議員は6人が反対投票した。第二読会ではC-391号法案を支持した自由党のスコット・シムス議員は、この日の朝召集された幹部会で、父親が今年6月に銃で自殺を遂げた事実を告白した。
 下院の傍聴席では、モントリオール大学銃乱射事件(1989年)の現場に居合わせて生き残ったハイジ・ラスジェンさんや、ドーソン・カレッジ銃乱射事件(2006年)で3発の銃弾を浴び、今も体内に銃弾を残しているヘイダー・カディムさんらが採決の行方を見守った。

 マーク・ホランド議員は、こう述べた。
「首相にはこう言いたい。今夜の投票結果を受け入れ、今は前進するときだ。カナダ人を分断し、誤った事実を並べてミスリードすることはもうやめなさい。」
 長銃登録制維持に転向した自由党のキース・マーチン議員は、膨大な数の抗議の電話と電子メールを受け取り、ビクトリアの選挙事務所ではピケさえ張られた。彼はこう語った。
「私は警察の要望を無視して職にとどまるくらいなら、長銃登録制廃止の公約を覆して落選する方を選ぶ。」
 同じセッションで同一の法案を提出することは禁止されているが、異なるセッションでは可能である。同性婚廃止投票で敗北したときは「この問題を蒸し返すことは二度としない」と約束したハーパー首相は、こう述べた。
「我が国の銃所持者の圧倒的多数は、有効な銃規制を支持する。彼らはコストが高くつき、効力がなく、銃犯罪ではなく彼ら自身を規制する長銃登録制は支持しない。我々は、それを廃止するため戦い続ける。」
 だが新民主党のレイトン党首は、首相を非難した。
「ハーパー首相は長銃登録制改正の提案を退け、あくまでも廃止に固執した。」
 法案廃案を受けて、キャンディス・ヘップナー議員はこう述べた。
「私たちは、妥協しません。私たちは、長銃登録制を廃止する方針を、決して変えることはありません。」
「ユーコンに暮らす人々にとって、今日は残念な日でした。あなたの選挙区の議員(自由党のラリー・バグネル)は、長銃登録制を維持する方に投票しました。ユーコンの有権者、ノースベイの有権者、ビクトリアの有権者、そしてカナダ全土の有権者たち、あなたたちの代議員がどちらに投票したかを覚えていて下さい。」
「ふれいざー」2013年1月号編集後記より:
http://www.thefraser.com/2013/01/%E6%96%B0%E5%B9%B4
>もし銃規制の強化でカナダで10%被害者が減ったとしたら、アメリカでも同じ規制で10%被害者が減るかもしれない


「カナダが銃規制を強化したら10%被害者が減った」という事実に基づくのではなく、「カナダがもし規制を強化して、もし10%被害者が減ったら」という架空の成果に基づいた意見に、何か意味はあるのでしょうか。
こんなのは、問答無用で規制を強化しろと叫んでいるだけです。そもそも「ふれいざー」はカナダのメディアなのだから、カナダ政府に銃規制を要求すればいいのであって、アメリカはどうでもいいのではないでしょうか。

銃規制をどうこう言う前に、私が書いたものを自分の名前で勝手に出版したり、私の家の近所に「カナダ人物列伝の真の作者は自分で、高橋さんは作者を騙る偽者」などという怪文書を配布したりするのはやめて下さい。
 1月29日に起きたケベック市モスク銃乱射事件を受けて、ケベック州のフィリップ・クイヤール首相は31日、州内に人種差別という「悪魔」が存在することを認めるとともに、それと共存することを訴えた。
「言葉は重要だ。言葉は人を傷つける。言葉は人の心を切りつけるナイフにもなる。」
 彼は政治家と市民に「言葉を書くとき、口にするとき、よくよく考慮しよう」と訴えた。
 ケベックではほかの地域より差別が潜在的かと問われると、彼はこう答えた。
「それは、コミュニティにより異なる。」
「外国人嫌い、人種差別と排除は、ここに存在する。我々はそれを認め、そして共存しなければならない。いかなる社会も、その悪魔と同居しなければならない。」
「我々の社会は、完全ではない。完全な社会などない。」

 同日ケベック党のジャン=フランソワ・リゼ党首は、党首選のとき「ブルカの下にAK-47を隠すことができる」という理由でブルカ禁止を主張したのは「行き過ぎだった」と認めた。
「私はそれを、今もテロが頻発するアフリカの例として言った。言葉の選択がよくなかった。ケベックに関する議論に用いるのは、適切ではなかった。」
 ケベック党は2013年、物議を醸した「ケベック価値憲章」を提出した。その骨子は、公務員が公共の場で宗教的シンボルを表示することを禁止するものだったが、これが法制化されたら公共の場でのブルカ着用はできなくなることから、ムスリムの公務員は大半が辞職することになっただろう。その後任にケベック人の失業者を充てるという、事実上のムスリム排除政策だとして強い批判を呼んだが、翌年の総選挙に敗れ廃案となった。
 その後政権を担ったクイヤール首相は、ヘイトクライムの沈静化を見て2015年、ヘイトスピーチ禁止法の制定に動いたが、「言論の自由を制限することになる」というケベック党の反対を受けて、断念している。
民族主義や排他主義が、昨今の流行のようだ。ケベック州には、ケベック価値憲章やライシテに一定の支持があることが判明している。それゆえケベックの政治家たちは、エスノセントリズムを強く非難するのではなく、「我々はそれを認め、そして共存しなければならない」と現状容認に逃避している。ケベック党党首選での発言なのに「アフリカの例」だとは、相当苦しい言い訳だ。
世論調査は、カナダ人の大多数が「最も重要なカナダの価値は平等」だと言い、価値憲章や衣服の規制に反対だ(http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1611536&page=1&id=78987232)と言いながら、市民権宣誓式でのニカブ着用にも反対していることを示している(http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1611536&page=1&id=49557492)。
ここには何らかの、ダブルスタンダードを起こすトリックがあるのではないだろうか。「ケベック民族主義はケベック州内での英語使用を制限するが、ニカブ着用はイスラム教徒対象だからいい」とか、「ケベック価値憲章は『カナダの価値』ではないから認めないし、市民権宣誓式でのニカブ着用も『カナダの価値』への反抗だから認めない」とか。

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