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5th ElementコミュのMarcus GarveyとRastafari

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数年前に某雑誌でMarcus Garveyの特集がありました。
そこには、??という表記が数点あり、その事について調べて投稿した一部を載せます。

*管理人様。もし、このトピックがコミュの方針に合わないようでしたら削除して下さい。

取り上げたのは
1:UNIAの旗の色とラスタカラーの関係
2:ラスタファリは宗教か否か
3:UNIAの旗の色とPan-African colourについて
書かれていた部分です。(どのようなことが書かれていたのかは省きます。)

 ガーヴェイが赤黒緑を「黒人の色」と宣言し、UNIAのシンボルカラーとして使用したのは1920年で、ラスタファリ(1930年〜)の起こる以前の事である。ラスタファリのシンボルカラーは赤黒緑黄とされ、それは彼らが「聖地」としているエチオピアの国旗とガーヴェイムーブメントの旗から用いられたものである。レオナルド・E・バレット・Sr.は彼の著書『ラスタファリアンズ』で、元々ガーヴェイムーブメントの色であった赤黒緑は様々な場所で使用され、後にジャマイカの国旗の色の一つである黄色が加えられた。ナイヤビンギというラスタファリの集会で使用される用具は赤黒緑である1)、というように述べている。いずれにしても、ラスタファリたちが自らのシンボルカラーとして赤黒緑を取り入れたのは1930年以後のことであるから、UNIAの旗としての赤黒緑のことを「ラスタカラー」として言及するのは時間的背景から考えると正しい表記であるとは考えられず、UNIAとラスタファリを混合してしまう可能性があると思われるのである。
 上記にもあるように、ガーヴェイは赤黒緑を「黒人の色」と宣言し、UNIAの旗として使用した。現在では、一般的にUNIAの旗の色として知られているこの色は起源をローマ帝国やギリシャ帝国より数千年前から存在していたとされるアフリカのジンチ帝国に持ち、人類史上最古のナショナルカラーとされている。そしてその色をガーヴェイが自身の組織のシンボルとしで再び使用したというのである。そして現在、赤黒緑は、アフリカ大陸の国の国旗の中にみることができるが、サハラ砂漠以南のアフリカ各国が使用している色、赤黒緑黄は「パン・アフリカンカラー」と呼ばれている。そのパン・アフリカンカラーの形成に至っては二つの大きな要因があり、一つはガーヴェイの旗の色、そしてより大きな事実となっているのがアフリカ最古の独立国、エチオピアの国旗の色であるとされている2)。その国旗の色、赤黄緑は1895年にはすでに皇帝メネリク2世によりエチオピア国旗の色として使用されていた3)。
 次に、ラスタファリとガーヴェイムーブメントは同一のものではない。確かに「類似点」は多くあるが、だからといって同一の思想を共有している訳ではない。
 ガーヴェイの持つ強いカリスマ性が、彼がジャマイカを去った1916年以降も国中に残り、1930年にラス・タファリ・マコネンがエチオピア皇帝ハイレ・セラシエとして即位したときに、ガーヴェイの言葉「アフリカを見よ、黒人の王が王位につく時、彼こそが救済者になるであろう。」が予言として遂行されたとジャマイカ国内の人々に考えられ、レオナルド・ハウエルら(元UNIAのメンバー)によって始められた運動が「ラスタファリ」へと発展した、など、ガーヴェイのラスタファリムーブメントへの影響力は計り知れないだろう。だからといって、ガーヴェイの思想をもとに、ラスタファリが発展していったとはいえないのである。それには以下の事柄が理由としてあげられるのではないだろうか。
   ?皇帝ハイレ・セラシエの存在
   ?ガンジャの使用
   ?聖書、そして
   ?『ホーリー・ピビー』起源説
である。
 第一に、「ガーヴェイの予言」の通り王座についたエチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世の存在である。彼が皇帝の座についた時、彼は同時に「キング・オブ・キング」「ロード・オブ・ロード」「ユダの獅子」という名前も引き継ぎ、彼の名前、ハイレ・セラシエも「三位一体の力」という聖書の中に出てくるものであった。故に人々は彼を「救済者」として、そして「神」として崇拝したのである。しかし、ガーヴェイは皇帝ハイレ・セラシエを「救済者」とは呼んだものの「神」である、とはいっておらず、むしろエチオピア・イタリア戦争時、セラシエを「支配者」として批判している。
 続いてガンジャの使用についてである。ガンジャはラスタファリの間では、「知恵の草」または「ホーリー・ハーブ」などと呼ばれており、それは聖書の中にも記されているとされ、自分たちを浄化してくれる神聖なもの、とされている。反対にガーヴェイはガンジャを「悪の草」と呼び、その使用についても反感を持っている。
 聖書についての見方にも違いがある。ラスタファリにとって聖書(キング・ジェームズ版)はすべての内容を受け入れている訳ではないが、神聖な本である。一方ガーヴェイは自身はカソリック教徒であったが、聖書を人類のすべての問題を解決できるものとは信じておらず、むしろ聖書を正しい場所に自分を置いてくれるもの4)というように見ている。
 最後に『ホーリー・ピビー』についてである。またの名を『黒人聖書』として知られるこの本は、1924年に出版され、ラスタファリにとって重要な書物の中の一つである。その中には、ガーヴェイに対する偉大な経緯も述べられており、ラスタファリの起源はこの『ホーリー・ピビー』にある、というようのが有力な説のようである。
 以上のことから、ラスタファリはガーヴェイの思想から影響は受けたものの、別の形で発展しいていったことが分かると思われるのである。ガーヴェイ自身は、ラスタファリとの関係を否定しているし、彼の集会でラスタファリたちが活動するのを許可したものの良い印象は受けていなかったようである5)。つまり「…彼の教えをもとにしたラスタファリにズムという宗教」というようにラスタファリについて定義してしまうと、くり返すようではあるが、ガーヴェイの運動がラスタファリの誕生に直接関わったかのような印象を受けてしまうのである。

1) Barrett, Sr. Leonard E. The Rastafarians (Boston: Beacon Press, 1997). p.143.
2) Znamierowski, Alfred. The World of Flag. (London: Lurenz Books, 1999) pp. 124-125.
3) "Ethiopia" Flag. (New York: DK Publishing Books, 1997), p.66.
4) Garvey, Amy Jacque, The Philosophy and Opinions of Marcus Garvey, or, Africa for Africans. (Dover, Mass.: The Mojority Press, 1923, 1925) p.9
5) Martin, Tony. Marcus Garvey, Hero: A First Biography. (Dover, Mass.: 1983)p. 139.

参考文献
Barrett, Sr., Leonard E. The Rastafaricans. Beacon Press Books: Boston. 1997.

Garvey, Amy Jacque. Philosophy and Opinions of Marcus

Garvey, or, Africa for Africans. Dover, Mass.:The Mojority Press, 1923, 1925.

Lewis, Rupert. 1998. "Marcus Garvey and the Early Rastafarians: Continuity and Discontinuity." Chanting Down Babylon: The Rastafari Reader. Edited by Nathaniel Samuel, William David Spencer, and Adrian Anthony McFarlane. Temple Univeristy Press. Pp.145-158.

Martin, Tony. Marcus Gavery, Hero: A First Biography. The Majority Press: Dover, Mass. 1983.

Ryan, Siobhan ed. Flags. DK Publishing Books: New York. 19997.

Somerville, Alex C. "Roots and Culture: Rastafarinism and Reggae -One Love, One Aim, One Destiny-"

Znamierouwski, Alfred. The World of Flags. Lurenz Books: London. 1999.


追加:
Rastafariたちは「黒人の王」を初めて見た時ショックを受けた。なぜならエチオピア皇帝は彼らのイメージしていた「黒人の王」ではなかったからである。
彼の鼻はとがっていて、肌の色は薄い。
Haile Selassieが初めてJamiacaを訪れる前、Jamaicaは長いこと雨が降っていなかった。しかし、彼がJamaicaに降り立った時なんと雨が降ったのである。この事実もHaile Selassieを神とした理由の一つとされている。

Ethiopia, Somalia人の顔は他のアフリカ人とは少し違う。みんながみんなそうではないけれども、一般的にそうである。そのことをRastafariたちは知らなかったのである。

   

コメント(6)

mke様
コミュに沿いまくりです。ぴかぴか(新しい)
拝むように感謝しながら読ませていただきます。ありがとうございます!
すみません、Rastafariは宗教か否かって部分を書くのを忘れてました…。以下がそれです。

ラスタファリが宗教活動か否かについては様々な見解があるだろう。崇拝する「神」(ハイレ・セラシエ)の存在、聖書への関心等から、それ自身が「宗教活動」ではない、とは言い切れないであろう。そして、先ほども言及したラスタファリ研究で有名なレオナルド・E・バレット・Sr.はラスタファリについて「ジャマイカの最も新しい宗教」6)と述べている。しかし、ラスタファリたちの中には、自分たちのしていることは宗教活動ではなく、生活や理解の方法である、といったりするものもいるため、ラスタファリのことを示す際、「宗教活動」と記すことを避け、「運動」もしくは「ムーブメント」と表記した。それはガーヴェイムーブメントに対するラスタファリムーブメント、そして彼らの思想の発展・展開(ムーブメント)という理由からである。

6) Barrett. 1007. p.270.


このことに関してはほんとうにいろんな意見があると思います。上記は私の意見です。皆さんの意見を聞かせて下さい。
過去にある様々な運動等にはどうしても宗教的な要素が多々あると思います。ガーヴェイに関してもそうです。
Randell Burkett, Garveyism as a Religious Movement Scarecrow Press, N.J., 1987
という本があります。まだ読んでませんが、非常に興味深いです。
mkeさん、

どうもありがとうございます!!!Marcus Garveyについてこんなに詳しく書いていただけるなんて!

じっくり読ませて頂きます。
お詫び。
ホーリー・ピビー起源説の出典がちょっと行方不明なので、見つけ次第upします…。
Marcus Garveyの詩を別トピで書きますので、そちらもよろしくです。
Chance the Rapperの新しいPVが、どうもGarveyっぽい。
や、もうこれは絶対にそう。
そのうえ、年明け1月6日に、ガーナでフリーコンサート。エリカバドゥやTpainも集結。

★と船とラスタカラーといったらもうこれしかない。そこにたどり着く、というのはもちろん自由、約束の。Moorの話も入ってるかな?とおもったけど、Marcusは明言してるし。などどおもってたら、RSにもう記事が上がってます
https://www.rollingstone.com/music/music-features/chance-the-rapper-interview-black-star-line-festival-ghana-1234635605/

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