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コメント(18)

要約。

ギャングスタラップはヒップホップだ。なぜなら革命的なエレメント(要素)を持っているから。今まで誰も成しえなかったことを果たした、という意味で革命と類似する点が多くある。
しかし金儲けに腐敗した音楽業界に流され、若者は本当に尊敬すべき革命的な英雄を失ってしまっている。現状打破するには、我々の仲間の問題に取り組んでいかなきゃならない。―Immortal Technique

ソースはこちら。私の翻訳をぜひ疑ってこっちで確認してください。http://www.infoshop.org/inews/article.php?story=20061229175627326



では原稿用紙約15枚分を一気にどうぞ



革命とギャングスタ・ラップは間違いなく関係している。私個人だけでなく歴史的にみてもそう言えよう。刑務所とか少年院、学校にたくさん行くけれど、その関係について今詳しく言わなきゃいけないってくらい、あまりにもそうであって、若い人たちも音楽業界の将来について不安がってよく聞いてくる。音楽の持っているメッセージ性やイメージについて聞いてきたり、ストリートのサウンドの起源は何か?って、まるでそれが彼ら自身の生活や運命であるかのように聞いてくる。自分もまだ20代だけど、常に心に留めていなきゃいけないと思っていることで、みんなにも覚えていてもらわなきゃいけないことは、自分が小学校時代にアイス・キューブのアルバムや、パブリック・エネミー、NWA、Geto Boyz、ICE-Tとかを聞いてたのを思い出すのに充分年を取ったってこと。

そういうラッパーやその裏にいた人たちは自分にとって見込みのある地域を決め、目的をつくってハードコアなサウンドをつくっていた。ほとんどは反骨精神や、話を伝えるため、政治的な談話などがもとになっている。ちょうどほとんどの我々の創案者のように、(ランDMCがヒップホップを始めたのではないのだ)、Schoolly Dはしばしば見落とされることがあるけど彼は80年代半ばにニッチを刻んで、ギャングスタの言い回しを自分の音楽に取り入れた。彼が作ったタイプのサウンドが広がったのだ。メレ・メルが80年代と90年代初期のヒップホップ・アーティストにコンセプトとしてのこれらの煉瓦を与え、建築物として築けるようにしたから、彼らは石工の親方=つまり言葉のマスターになったのだ。ののしりの言葉、クレイジーなコンセプトとかそういったものを私も個人的にすごく好きだった、でも同時に、ヒップ・ホップの文化をよく知らない人たちが心配しているというのもわかっていた。ギャングスタラップは下品なことばかりだし、女性に対してリスペクトがないし、そして、ひどく暴力的。でもそれって革命と同じじゃないか?って。もちろんそうであってほしくものだけれど。ていうのは、革命というものが今まで以上に今日理想化され空想化されているから。
たとえ最も正当な理由であってさえ、無実の人が殺されたり投獄されるわけで、戦争の劇場というのは、その後の自由を祝う勝利パレードがどのくらい美しかったとしてもいつもレイプ場面があるものなのだ。

 だから頼むから私に革命の性質について神話とか自由主義者とかのたわごと言わないでいただきたい。だいたい血まみれで、政治的エゴが火付け役になった軍事クーデターは必ずしも、電撃的局部攻撃だけにとどまらないから。何度もあったことで、やったのは人間なのだ。「革命のプロ」じゃなくて社会にウンザリした、親や祖父母がいないようなふつうのやつらがやったんだ。こういう若者は時々ほかの国に操作されて動かされていたこともある。(大声じゃ言えないけど、たとえばCIAとか)他にも特定の利益を目的とする団体(また大声じゃ言えないけど例のレコード会社との相互性)に金や権力のために使われることがある。それでも「システム」に対する怒りや果てしない抑圧がこうした革命という「言葉」や「行動」を生み出しているのだ。ギャングスタ・ラップは、別の形式でいう、革命的な音楽だった-- 年齢、人種、信条あるいは性別にかかわらず、他のものが到達できないところに到達したのだ。それまで教えることなどできない、って思われていたことを教えたのだ。ギャングスタ・ラップは当時盗みとかストリートで悪事ばかりしていた私に本当に耳を傾けさせてくれた。自分と一体感をもてるようなストリートの人間が、今まで誰も説明し得なかったストリートの世界を初めて歌ってきたんだ。

 例えばThe Geto BoysのWe Can't Be StoppedやIce TのOG、アイス・キューブのAmerikkka'zMost Wanted、それからKRS-OneのCriminal Mindedを聴いたとき、世界がどうできているものなのか強烈な印象を受けた。さっきも言ったけど、知っていたけどうまく言葉にすることができなかったことを明言していたのだ。ひとつ面白いのは、Criminal Mindedはギャングスタ・ラップ(あるいは当時リアリティーラップとも呼ばれていた)だと思われていたけど、今では「革命的」なクラスに分類される。同様に、Public Enemyは「革命的」だとされていたけど「ギャングスタ」だとは考えられなかった。たとえ彼らが凶暴で極めてアグレッシブな態度で政府や偽善的な外交方針または都市における政策の失敗を指摘していたけれども、だ。こういったアーティストやアルバム、楽曲は、今日のギャングスタ・ラップの表層ではないけど、伝説的なKool G Rapのように言葉遊びに新たな境地をもたらした。Dr.Dreとスヌープ・ドッグの天才的な楽曲中に隠された社会の解説さえもミレニアム以降の作品には見あたらなくなった。ヒップホップの本質とは、とかそれがどう進化していったかまたは退化したか、というのは常に繰り返されるテーマだけれど、人によっては、ギャングスタ・ラップの今昔を見てみれば、その革命的なエレメントっていうのはほとんど音楽産業という構造によってきれいさっぱり洗われてしまったのだ。

 今挙げたのはほとんどが西海岸と南部のアーティストだけど、東海岸も同様にたくさんのギャングスタ・ラッパーを輩出している。ただ彼らはブロッズやクリップスといった顕著なギャングと目に見えて関わっていなかったから、東はまた違うものとしてみているというだけのこと。結局、ニューヨークっていう帝国が当時国民の5%で、たとえいくらかの人が地元の組織犯罪に関わりを持っていた(少し挙げるとすればJust-Ice, Wu-Tang, DITC, Nas, Biggie, Mobb Deep Black Moonなど)としても、色別のギャングよりストリートのクルーや地元の組織暴力団によって築きあげられたものだ。ただ覚えておきたいことはそれがどこであれ、東・西・サウス・ミッドウェストだろうと、もっとも凶暴な音楽の起源は若者の間に生まれたイデオロギーとしての「革命」と切り離せないのだ。ファクトイド*(疑似事実)として情報は音楽業界に歪められ、「ギャングスタラップ」と呼び名がつけられるまでの間に恣意的に忘れられていった。その前は「リアリティーラップ」という名で作り手である個人に呼ばれていた。それが本来の起源であるのだから、そこに戻れないわけがないのだ。正確にやっていく必要はある。

 つまり「リアリティーラップ」もしくは「ギャングスタラップ」は「革命的」になれるということだ。もちろん「革命」というのはどんなジャンルの音楽においても、とくにヒップホップにおいては、ビジネスとしては成り立たない。「革命」というのは人々のためのものであり、何かのために情熱、愛、そして努力を捧げる行動なのだ。しかし、ビジョンの方向性や本当のリーダーシップスキルが欠けていれば、ただの無法地帯になってしまう。並のギャングスターはコミュニティー(地元)のため、というモチベーションをもってないし、どっちかっていうと金目当てにラップしている。ふつうのラッパー達もその影響に流されて、生き残りのために「欲」を必要以上に剥き出しにして、無産階級(金の無い奴ら)として表に出ようとしないのだ。でもこれは若い衆が自分と一体感を持てるものがなく、自分の仲間を認識できて無く、イタリアン・マフィアやユダヤ系マフィアやドラッグを牛耳ってる人間のイメージにすがりついているからだ。彼らは、本来の自分の仲間である英雄ではなく、創造された作家が書いた現実には居もしない登場人物と張り合っているのだ。若者がそういった本当の英雄を知らない、という議論もできるが、本当は何度も我々の革命の英雄の名を聞いてよく知っていて、そのインパクトをわかっているのにも関わらず、彼らは、日常生活でそういう例は無関係で適切でないとみなしているのだ。

 考えても見ろよ、私たちは黒人やラテン系の医者や科学者を思い出すよりも先にバスケットボール選手や野球選手の名前を挙げることができる。若者は自分たちを囚われの身にしておく政府よりもよっぽどギャングや悪人のほうが強力であると思っているのだ。圧制者に張り合って、おおっぴらに圧制者を否定する者を崇拝する。だから大卒の人間よりもギャングのリーダーや不運にも刑務所を生き延びた人間を尊敬するのだ。社会システム内に同化していくことが何か達成したことになるとは思えないのだ。星に手を伸ばそうとしても、ガラスでできた天井のせいで自分たちを取り囲んでいる国が見えないようになっている。屋根の上の私たちのもくろむ世界が見えないことは言うまでもない。見えるのは目先のルーティーンだけ。ここで批判しているのは有色人種の若者や最近の若者だけのことじゃなく、われわれみんなを言っているのだ。

 ストリートにいる平均的なギャングスターはボスではなく、自分の権益が関わっていない犯罪の中間クラスの支配人だからね。言ってみれば、動物園でいう子ブタちゃんや犬程度であって、イラクから10億を横領する人、戦争成金、株の詐欺師、汚職を働くCEO、嘘をつく弁護士、出版業界の大金持ち、利益を独占するレコードレーベル、複合した巨大多国籍企業のエクゼクティブ、上院議員、下院議員、地方政治家のようなライオンではないのだ。こういう人たちはホンモノのギャングじゃないけど本当に権力を牛耳っている。コンビニの前で勇み寄ってきたり、歌詞の中でディスったりすることを必要としなくても、人の命や家族をめちゃめちゃにし、社会一帯を巨大なビルのてっぺんからインク一滴でぶっ壊すことができるのだ。コロンビアやブラジルのような他の国では、こういった階級の人間と一般市民の格差があまりにはっきりと広がってしまい、経済的に貴族みたいなやつらはストリートを歩かないで屋根から屋根へヘリで移動しているって話だ!!

 それを社会が示す善だとみるか、悪とみるか、哀れだと思うか、いずれにせよ、それがギャングスターだ。

 そして、ヒップ・ホップは、それを反映している。

 我々が今居るのは自分たちの文化においてであって、本当に居たいと思うところとは違うかもしれない。特にこの文を読んでいる人はそうだろう。けれど、自分がどこにいるか認めなければ、その起源をたどろうなんてことに意味が無くなってしまう。さっきも言ったけど、行くべきところに辿り着くにはまず自分がどこにいるか知る必要があるのだ。(古い映画「スターゲイト」の最初のほうでうまくこのコンセプトを説明しているよ)最も尊敬されてしまっているコカインディーラーの賤しいイメージを変えるとするならば、青年期の若い衆のために、映画にあまり出ていないマルコムXやチェ・ゲバラだけじゃなくて、代わりとなる人物を見つけなければいけないのだ。今の社会はスピード、画面分割で都合の悪い側面は見せない、プラス、イメージとサウンドでできている。真なるヒーローはDVDにあまりなっていないし、そのストーリーが放送されることもない。なんでTupacがまだゲットーで聖人として崇められていると思う?!?!?もう死んでから10年も経つのに、まだレコードが売れる。他のアーティストよりもよっぽど売れている。理由は簡単だ―Tupacは真の「革命主義」においてギャングスタラッパーだったのだ。Tupacはリアリティーラップを創り出し、我々の歴史がぼやけてくる奴隷制時代や植民地時代をさらにさかのぼって仲間から受け継いできた力を発揮した。私たちの子供は故郷で己の英雄を持つべきだ。英雄とは、現在の社会システムにおいて囚人扱いされ、そのシステムに対し戦っている人々のことだ。Tシャツで賛美を与えられている人ではなく、名高い独立のために戦い研究の対象となっている人、成功だけでなく、失敗から学び生かすことのできる相手としての英雄を手にしなければいけない。

 ではなぜ、本来手本とすべき人々が例とされていないのか。それは今日の革命の先人が、私たちの近所に、関連性のある印として存在していないからだ。だから平均的なアーティストはどんなにねつ造された、音楽産業の金に買われたサグのイメージを表象していても、若者はそれを正当なものとして捉えてしまうのだ。

 結局のところ、いまやっとわかったのは、ただ本を読むように頼んだって無理な話で、まずしなくてはいけないのは字を読むことを学ばせることだ。

 肝に銘じていて欲しい。革命家はほとんどギャングの振るまいに似たことをしなくてはならないときがあるということだ。そういうことを私自身したことがあるし、それがポジティブなことだとは思わないけど、口をつぐんだままでは食べ物を与えてもらえないってことは事実だろう?だいたいヒップホップを「愛」とか「ただ音楽のため」だけとか言うような奴らは金をもらってばかりで、他人にはメディア向けにタダでいろいろやらせているのだ。私たちは我々の仲間を守る必要があって動いているのに、時に我々を無知なストリートの不良だと勘違われることがある。でも我々の「戦士(ソルジャー)」や「兵士(ワリヤー)」は強靱だから一発でそういう問題をはっきり解決する。フランク・シナトラは暴力団とコネがあるって批判されていたってよく聞いたけど、当時コネがなかった人間なんていたか?音楽業界が認めたがろうが認めたがらなかろうが、黒人達が暴力について話し出したとき、ギャングは向こうからやって来たりしなかった。マフィアは常に音楽業界である一定の役割を担っていた。世間がシュグ・ナイト**に注目するのはおかしな話で、弁明するつもりはないけど、シュグ・ナイトは犯罪の半分以下しか関わりを持っていなかったし、黒人ではない先人や同等に目立っていた人間に比べればろくに金を払われていなかった。別に人種問題として話してる訳じゃなくて、現実ってそういうことなのさ。業界のビジネスってものは、心臓の弱いやつや弱気な人間、計り知れない結果をまねく決断をする能力を持たないヒトのために作られたものじゃないのだ。権力の本当の定義というものは結果もわからずにその決断権を持っているっていうことだ。

 それゆえに、ギャングスターは、革命家になることができるのだ。マルコムXやズール・ネイションの創始者のような人たちを改めて永遠に構築することになる非常に進歩的で節目となる一歩になる。しかし、ギャングになってしまう革命家はたいてい権力によって頽廃してしまうような人間だ。ギャングのビジネスは強奪、ギャンブル、殺人、そして我々のソウルであり最も偉大な源である女性を売春することだ。これらのビジネスは彼らを実験台としてペトリ皿に封じ込めておく敵対者に立ち向かって戦うことではなく、暴力が讃えられることで達成されてしまっている。それが腐敗していないって言えるだろうか?腐敗だろう!戦略としてホンモノの暴力を行使する軍で自分の立場を利用して戦うことが、利益獲得のためだったとしたら、目標が利他主義的になってより一層危険だ。神の恩恵を失って堕落しても、失墜しても、それがインスピレーションとなって他の人に遺志を継がれる。そうやって昔の戦士が死んだ後に、21世紀には想像もできなかった若い偉人が我々の中から誕生するかもしれない。真の偉大さというのは常に「かなりいいひと」でいることと、人としての自己責任を負うことを繰り返し行って生まれるのだ。認識の欠如した権力など無意味に等しい。

 我が仲間よ、よく戦ってくれ。そして、己の真実の歴史を学ぶのた。
 
 もっと多くの若いソルジャーが育ち、成熟してくれるのを待ちわびている。有名なラッパーや歌手になるというエゴを乗り越え、勤勉な音楽業界・配給会社・ラジオの仕事・出版産業・エンジニア・CD製造・グラフィック・独立系紙メディアそして特にウェブ上の独立系メディアといった局面をうまくコントロールしてくるような多種のソルジャーだ。もし我々が、金儲け目当てのフェイクなシットだらけなクソ産業がやってる半分でいいから、本当のヒップホップを良しとする側のリアルな問題に取り組みながらこれらのことに組み込めれば、今やギャングスタ・ラップとして知られるリアリティーラップの真の意味を、その革命的な起源が忘れられることなく、伝えて我々のアジェンダを出していくことができるのだ。
 


いろんなレベルの革命家に

この新年にピースとリスペクトを

Immortal
イモータル
Technique
テクニック



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*マスメディアなどで報道されて事実とされているがまだ立証されていないことや話。本当っぽいけど本当かわからないこと。

**Tha Row Records(元Death Row Records)の最高経営責任者/創業者でラップ界の大物。Knightは'95年、2件の傷害事件で州の保護観察処分を受けた。さらに同じ年、麻薬に関連した罪と陰謀に絡む連邦裁判で有罪を認めたため、連邦の保護観察下にも置かれていた。そうした中、'96年にラスヴェガス・ホテルのロビーで、Death RowのスターだったTupac Shakurを含む仲間と共に、対立するギャングのメンバーに暴行しているところをビデオに撮られ、仮釈放規則違反で収監された。この事件の3時間半後('96年9月7日)、ラスヴェガスの大通りをドライヴしていたKnightとShakurの車が銃撃され、Shakurが死亡、Knightは負傷している。Knightはその後、9年の実刑のうち4年半を服役し、'01年8月に釈放された。(BARKS )
つまり、犯罪がらみイメージの強いラップ界の人間。
●ローリンヒル Mystery of Iniquity●

ソースはhttp://www.azlyrics.com/lyrics/laurynhill/mysteryofiniquity.html
※途中までです。

 不正の不思議
 不公平の苦悩
 不正の歴史
 すべてが
 崩れ落ちるとき
 そのときのことを
 言ってるの

こどもたちよ
 パンを食べなさい
 幼い子よ
 パンを食べなさい
 だってすべてが
崩れ落ちるのだと
 言ってるの
すべてが崩れ落ちるのだと

 嘘ばっかりの法廷で真実など分かるわけがなく
 偽誓ばかりの陪審員
 軽蔑される証人
 心が曲がった弁護士
 公表されるのは偽の起訴
 罪状認否にエンターテイメント
 召喚令状
 論争するやつは明確な態度の剣闘士
 法廷は殺伐とした闘技場
 ドラゴンをくぐり
 黒い法服 歪んだバランス
 魂は売買され、30タラント*で仮釈放
 法廷前の レポーターが飛びつき見るのは紙面の表面だけ
 
 システム下での告訴申し立て 造物主の承認はないのに
 聖書に誓うなど、はなはだしい冒涜 
 公然と「神に誓って信任する」でたらめ
 勝者が操作する反対尋問 
 威嚇者が次々と
 裁判官に同調
 サーベルでだまし、隣人を損傷 
 地位のため、組織のため、悦んでで棄権
 廷吏を見よ、
 保安を象徴し
 神の言葉を守っておいて、偽誓へと揺さぶる
 検察当局
 政治的堕落
 金を払うほど解決は遠のく
 法廷関係者
 華美と悪事の後援者
 依頼人のための機関と見せかけ
 本当は偽善のかたまり
 道徳上は人の言いなり
 身体に危害を加えると口頭で武装
 汚れた裁判の呪文をまとい←?
 弁護団の主張は意味を成さない
 今後を避ける自信を偽造
 そんな被告人はシステムに乗っかっているだけ
 最初からわざと歪めて作られた 公平な判決の欠如 
 感情的な犠牲者は政治的後援者に脅迫され
 意図にはめられる

 捏造によって人をリンチ
 提起するは被疑者を中傷するニセの目撃証言
 種を植え付け、彼が利用されているのをあからさまに示す
 疑惑をもたらし、組み換え、容疑者に突きつける
 疑われぬを恐れ個人を誹謗中傷
 目撃の名手 (買われた権力)
 私心のない仲間の大多数をだますのが最優先

 義務をごまかし続ける
 プロセスを嫌う
 早く仕事に戻りたい陪審員たち
 エリートのためにつくられたシステムが
 公正に判断を下せると思って?
 適切に務めて保障すると思った?

 物欲で腐敗し
 精神的に荒れ狂って
 訴訟のことなど忘れ
 順調に破産
 盲目が盲目を導く
 罪は定義されることなく
 豚のごとく卑猥
 己の心を純粋化す世代
 
 法的歪曲
 歪んだものになびく
 無駄なぺてん
 真実はもはや廃れ
 どちらかのサイドに別れ
 犠牲をもたらす側か、犠牲になる側か
 こんな曲がったシステムを信じ、破滅に終わる両者
 免状をもったマフィアは我々を昏睡状態にして
 アメリカ産トヨタのコロナを手に入れようとする



*お金の単位
例のシカゴ大学のBlack Youth Projectより現在Ph.D課程四年のTanji GilliamさんによるHiphop and Politicsについての論文。

途中までです。また、脚注はとばして訳しています。

序章

 ヒップホップの歴史はほとんどといって良い程、物語調の起源から始まる。これらの歴史によると、ヒップホップは概して1970年代後半のサウスブロンクス、ニューヨークで始まったものだ。商業レコーディングもおおよそその流れを追って、1979年のシュガーヒルギャングの「ラッパーズ ディライト」が初のヒップホップシングルリリースとして宣言されるようになる。
この度の研究ではヒップホップの特にラップミュージックにおける政治的認識を見極めていきたい。前述したヒップホップの歴史情報は今日的ヒップホップの存在にその起源がまったく関連していないということからみても、非常に関連性のあることだ。まず、2004年が商業的ヒップホップの25周年であるということ。それゆえに今日のそれにいたるまでのヒップホップの多様な変化や変容を成文化することが必要である。この助けとなるのは、ヒップホップがもはやストリートのみの排他的な文化ではなくなったという理解だ。よって、今日のヒップホップ文化の与えた影響を真剣に研究するならばそれが全国的で、マスメディアに媒介されたさらに多面的に媒介された存在であると認識していく必要がある。

ヒップホップの影響力は以下のはけ口によって測ることが出来る。それらはテレビ、映画、ラジオ、雑誌、そしてインターネットである。多くのヒップホップ研究はラップ音楽または昨今増えているミュージックビデオに焦点をあてているが、これら五つのメディアは中心的な重要性を持っており、ラップやテレビ番組だけを対称にするとその範囲を限定的なものにしてしまう。The Sourceや、Vibe、XXLといったヒップホップ雑誌はBETのRap CityやUncut、MTVのTotal Request Liveといったテレビ番組と、同様に若い視聴者に与える影響を理解する上で重要である。加えて、若者はテレビ以外の方法でも、日常的にヒップホップを様々な方法で聴いている。若者がどの程度、またどの特にラジオ番組を聴いているだろうか。全米の主要都市やその近郊における「アーバン」ラジオ局の優勢を考えれば、この質問は大変重要な意義を持つ。そして、今日の世代がインターネットにますます惹かれているという周知の事実を挙げれば、若者がどのサイトを見ているのか、またOhhla.comやOkayplayer.comといったヒップホップウェブサイトがどの頻度で見られているのかという疑問が生まれる。
黒人の若者が何によって情報を得ているか理解できれば、特定の媒体になぜ若者が魅力を感じているかより上手く評価することができる。これらの質問は、黒人の若者が如何に、また何故彼らの政治的態度を構築し、政治的行動をとるかということとの重要な関係性を孕んでいる。

この論文は、ヒップホップ文化と黒人若者政治に関する経験的・理論的・批判的分析によって構成されている。理論的分析では、主に人間学の学者によって書かれた黒人現代文化研究の下位領域として後発的に始まった「ヒップホップ研究」から発達した学術作品を考察する。またポピュラーな「ヒップホップ ジャーナリスト」にも言及する。経験的分析ではコミュニケーション学の学者、政治科学、心理学、社会学者によるメディアスタディーズを主に論ずる。


ヒップホップ研究に際する主要な理論的議論

ヒップホップと政治学に関する調査では概して以下の三つのテーマに焦点を当てている。:?政治的または「メッセージ性のある」ラップ、?ヒップホップと黒人(特に男性)犯罪の関連性、?黒人若者の性的行動・規範におけるラップ音楽またミュージックビデオの影響力。社会言語学者でありスタンフォード大学のヒップホップアーカイブのディレクターであるMarcyliena Morganは「アーバンの若者は自分たちの意見は日々軽視されていると認識しており、若者の言語的イデオロギーが、言語という形で生息する力自体が有効に使用されると仮定している」と言う。ラップやミュージックビデオ、チャット、編集者への手紙、ラジオの電話などで、黒人若者は黒人ナショナリズム、ニヒリズムやレイプといった多様な政治的テーマについて自分たちの意見をやっとまくしたてるのだ。
Public Enemy, Poor Rightous Teachers、N.W.Aといったラップグループが始めたポリティカルラップは伝統的に三つのサブテーマを包含するとされる。?文化的ナショナリストラップ、?イスラム的ナショナリストラップ、?ギャングスタラップの三つだ。今日みられるポリティカルラップはMos Def,Nas、Dead PrezやCommonといったアーティストにより復興され、またメインストリームの外はMs.Dynamite,Immortal TechniqueやMedusaが活躍している。加えて、ネオソウルのアーティストでもヒップホップ文化と交差(トランスアフィリエイト)しているErykah BaduやJil Scottといったアーティストも、ヒップホップ聴衆に政治的メッセージを再生し送り返すという責任を引き受けている。

文化的ナショナリストラッパーはパンアフリカニズムというテーマに従事し、1960年代の黒人闘争の政治的また文化・アート運動、1970年代のBlaxploitationやインディペンデントフィルム、またマルコムXや彼には至らないが十分に意義のあるMartin Luther King Jr.のような特定のアフリカンアメリカンの人物の名残である。
イスラム的ナショナリストラッパーはOrthodox Muslims、the Nation of IslamのメンバーやThe Five Percent Nation of Gods and Earthsに賛同する個人を指す。「ギャングスタラップ」は後付でヒップホップ産業による旧式の呼び名であるが、Ice TやBoogie Down Productionがはじめ最近ではScarfaceやThe Gameによりストリートの犯罪が叙述されたこと、また犯罪裁判システムの鋭い批判が関連付けられる。

ギャングスタラップはメディアや学術的調査において非常にポピュラーでありヒップホップと政治学の焦点をさらに広げた表象をしている。もっとも、1980年代後半から90年代初期にかけて圧倒的だったギャングスタラップは、ヒップホップと暴力(バイオレンス)の関連性を刺激し現代社会科学者が理論化させていった。(ヒップホップ研究における重要な経験的調査のセクションを参照)ヒップホップはアフリカンアメリカンの若者、特に男子に暴力を奨励してきたように表象される。1989年のNYで起きたセントラルパークレイプ事件は特定のラップの歌詞によって動機付けられたものだと言われている。学者のHouston A Baker Jr.氏は自著「Black Studies, Rap and the Academy」のなかでニューヨークのプレス陣が10代の黒人男子容疑者の好きなラップ曲(Tone LocのWild Thing)とメディアで伝えられた彼の行動“Wilding”とを合本していたことを述べている。

ギャングスタラップは一般的なヒップホップと同様に、アメリカ社会に黒人若者男子が暴力的だとけなす汚名をともなっている。「ブラックポピュラーカルチャーの迷信(folklore)」だとマイケルエリックダイソン教授は言及しており、「銃、ギャング、ゲットーを賞賛する」としている。それに対してアメリカ世論は、ラッパー(や、スラムアクション映画などに登場する黒人人物)を黒人青年層が取り入れている、というイメージを予想づけている。

ラップやミュージックビデオにおけるバイオレンスについての付加的な分析はにヒップホップにおける性的暴力、父権主義(パトリアキー)、セクシズム、そして女嫌い(misogyny)に関する議論もはらんでいる。特にギャングスタラップにおいては、Johnnetta Betsch ColeやBeverly Guy-Sheftallといった学者が「憤り、敵愾心、など若い黒人男性が警察や『システム』に対して抱く侮蔑を黒人女性に対して向ける」と議論している。ColeやGuy-Sheftallが拠り所とするのは歌詞の分析から得たものであり、Live Crewの「Me So Horny」やBuju Bantonの「Boom Bye Bye」そしてEazy Eの「One Less Bitch」といったものから挙げられている。また、「論拠」として、ラッパーDr.Dreの1991年、メディアパーソナリティであるDee Barnesの暗殺、故ラッパーTupac Shakurが1993年性的暴行を加えたとされる事件、児童ポルノ疑惑で告訴され裁判中のR&BシンガーR,Kellyを挙げている。

この種のバイオレンス(暴力)に関する経験的証拠としてColeとGuy-SheftallはBruce WadeとCynthia Thomas Gunnarによる大学生の性的態度におけるギャングスタラップの影響という研究を引用している。同研究によれば、黒人男子大学生で特にラッぷ音楽を成り立たせているジェンダー観を「正確だ」としていることがわかり、またより多くの黒人男子がラップを好めば好むほど、レイプ傾向にある態度を持つということがわかったという。これら特定の性的暴力の表明はヒップホップ文化の一部だとされ、女性を傷つける対象としてのラベル付け、黒人の過度な男性らしさ(hypermasuculinity),はびこる同性愛嫌いなどを含み、集団レイプといった攻撃的で犯罪的な性的態度を支持している。「ヒップホップジャーナリスト」のKevin Powell氏は、同様にギャングタラップのレコードであるDr.DreのThe Chronicがヒップホップ業界のラップミュージックにおける青写真となった、と主張しており、Powell氏はThe Chronicで支配的なテーマである「無意味な銃の撃ち合いとバイオレンス、罵り合いやむかつき、ニガーやビッチといった自己嫌悪(self―hating)的な言語の頻繁な使用、マリファナ・酒・セックスへの強欲さ、黒人女性に対する途方も無い無礼や蔑視」から同一視できるものだとしている。同曲が提供している性的態度や行動は公の場に照らすと非常に興味深いため、Dr.DreはしばしばLisa JonesやCole and Sheftallといった黒人フェミニストによって、黒人女性番組司会者のDee Barnesを肉体的虐待(physical abuse)したとして警告を受けている。究極的にはThe ChronicもDr.Dre自身もヒップホップ文化と激しく相反する表象をしているという点で非常に興味深い。The Chronicは実は女性嫌い(misogynist)を呈しており、アルバムは黒人同士の殺し合い、集団的ニヒリズムの表現を確かに含んでいるにもかかわらず、それでも「政治的」アルバムであるのは、社会的解説や法の厳格な施行について掻い摘んでいるからである。(特にThe Day the Niggaz Took Overはロサンゼルス暴動の応報を擁護している)

Tricia Rose、Robin D.G,.Kelly、Mark Anthony Nealといったポリティカルラップのほとんどの学者はラップ音楽は「インフラポリティックス(下位的政治学)」の形であり、「対立的叙述(または非公式の事実)が発展し、精錬され、習熟された」のだと論じている。James Scottは「隠れた叙述」を「ステージ外」で「権力保持者(powerholders)」からの批判の範囲外で存在する対話だと定義している。ラップは公の広場(public forum)に明らかに存在するが、学者たちはラップが抵抗しているヘゲモニー的な力によってその批判が認識されないように慎重に暗号化されているという事実をほめて世に知らせるのだ。その例として、RoseはQueen LatifahとMonie Loveの「Ladies First」から「黒人女性のための結束(unity)独立(independence) 力(power)の声明」を引用している。この曲の歌詞やミュージックビデオには共にSojourner TruthやWinnie Mandela、Angela Davisといった黒人女性活動家の意義を歴史的なものとしていることで、直接黒人男性を攻撃することなく、黒人女性の歴史的苦難に貢献しているのだ。これに類似してMark Anthony Nealも、Arrested DevelopmentのTennesseeを引用し、この曲が単なる黒人田舎社会の称賛ではなく、黒人コミュニティーの都市化(urbanization)の衝撃に対抗していることを示している。ヒップホップ音楽における経験的調査によってより詳細に、文化的・犯罪的・性的ポリティックスについては探究されている。

つづく。
つづきです。けっこう怪しい訳・・チェックしてくれるとうれしいー!

ヒップホップにおける重要な経験的調査

若年層の政治学とヒップホップ文化についての経験的調査は、概して三つの関係についての研究に分けられている。?メディアと性・セクシュアリティー、?メディアと人種的態度 ?メディアと薬物依存症および暴力 である。

セックスとセクシュアリティ、メディアスタディーズ

概して、若者とメディアに関する研究において重要とされる調査結果は、以下のような情報を明らかにしている。まず第二に、平均的な若者は1日に約3時間テレビを視聴するという。次に、そのうち、若者や青少年においては、かなりの時間がミュージックビデオ番組視聴に費やされる。MTV、VH1、CMT、BETで放送したビデオを録画した研究を行った、Robert H.Durantと同僚は、これらの4つのネットワーク放送局が400から700のビデオを日々放送しているということを報告している。そして第三に、70%以上のラップ音楽売り上げは白人向けだとされている←?

MEEと略されるThe Motivational Educational Entertainment Corporation(モチヴェーション・絵ドルケーショナル・エンターテイメント・コーポレーション)が”ヒップホップ世代”の若いアーバンアフリカン・アメリカンを特定の対象として調査を行った。これによると、MEEはヒップホップ世代を、「若い」「アーバン」で「危険な状態にある(危うい環境にある)」若者を含むものだと定義していながら、必ずしもそれに限らないとしている。どう研究では性やセクシュアリティといった問題について若者に自らの意見を述べる特権を与えることに従事した。MEEの調査は主に若者におけるメディアの影響力の強さを動機としており、禁欲的な教育プログラムが若者の興味を惹くのに失敗にして、同様の番組も性的衛生を保持するのに必要な情報を提供する能力を欠いているという面にも由来している。

MEEは10都市(ボルティモア、ニューヨーク、ロサンゼルスとロングビーチ、オークランドとリッチモンド、シカゴ、ニューオーリンズ、デトロイト、フィラデルフィア、アトランタ)を調査対象とし、16歳から20歳の年収250ドル以下の家庭をインフォーマントとした。文学的なレビューから、専門家のインタビュー、40以上の中心的なグループ、また「メディア消費とライフスタイル調査」として2000人の若者を対象とした。 MEEの研究ではセクシュアリティにおける環境要因の一例としてのメディアを調べ。アメリカじゅうにおいて、主流メディアとアーバンな環境における両親もしくは大人との間に「闘争(敵対状態)」があったということを示し。商社はメディアであるということだ。主要メディアにとってみれば、アーバン・ユースは最大のテレビ・ミュージックビデオ・映画の消費者(視聴者)であり、他の特徴を持つグループの若者と比べてもそうであるのだ。この調査結果は、十代の黒人は月に一度以上の映画を観、2から3のラップCDを買い、日に3時間以上のテレビを視聴すると示唆している。さらに、調査対象のうち5分の2の若者はテレビ視聴時間は日に4時間を越え、中にはDVDやビデオレンタルも含んでいるという。

そして10人中3人の割合で若い黒人層は日に4時間以上ラジオを聞いている。3時間以上聞く層はそれと別に17%となる。MEEの調査によると76%の調査対象若者がBETが好きなミュージックビデオ放送局だと示している。それに対し、10%がMTVだと答えた。41%が、UPNが好きな放送局であると答え、次にFOXの24%、WBの19%となっている。32%の調査対象者がHBOを「ミュージックビデオ以外で好きな放送局」と答えた。80%の対象者が自宅にテレビがあるとし、そのうち同様にDVDもしくはVCR機があるのは95%だという結果であった。

このように調査を入れてみると、MEE調査の回答者は男女共にケーブルテレビ放送とミュージックビデオの内容はほとんどが「露骨なセックス(explicit sex))を含む高度に性的なもの占めていることに同意している。これらの若者はHBOやMTVにおけるホモセクシュアリティや「他のライフスタイル」に対する意識があることを示している。加えて、MEEの調査により「ポルノ映像」が、早くて10歳の、青少年に引き合わせられているということがわかった。特に若い黒人男性は性的内容を含む番組ばかりを長時間見ているということがわかった。メディアと性的態度・行動の関係性についての研究で黒人男性を特定の対象としたものはほぼ存在しない。メディア経験的調査に携わる黒人や有色人種を題材とした研究は、その数が非常に少ないため、価値ある分析対象としての人種を含有する余地がない場合が多いのだ。その中でMEEの調査は貴重である。また数少ない調査のうち、Gina Wingood教授らによって行われたものがある。これはアフリカンアメリカンの14歳から18歳までのアーバンでない、下層の522人の女性でを対象にしたもので、過去6ヶ月間に性的に活動があったとされる女性である。該当者は高校の保健の授業や保健所のHIV予防プログラムの参加者から選ばれたものである。調査の序盤でWingoodは黒人思春期の女性におけるミュージックビデオ接触時間が増加したが性的衛生の決定に強い影響があることが示された。

ラップのミュージックビデオにより触れる機会が多かった対象者は複数のセックスパートナーを持ちやすい傾向があり、同様にSTDを持っている傾向があることがわかった。
同研究に参加した女性は日に何時間、誰と何処で(ミュージック)ビデオを見たかを聞かれた。健康リスクのある行動については複数のセックスパートナーをもつ傾向やコンドームの使用について調べられ、クラミジアやトリコモナス症、淋病についての検査も受けた。
基準のラップビデオとの接触時間は6ヶ月追跡単位で週に14時間、12ヶ月追跡単位で12時間。調査期間の12ヶ月において、対象女性を調べたところ、37,6%が新たなSTDを保持しており、14,8%が「ステディーでない」パートナーとセックスしたことがわかった。ラップ音楽への接触時間が長いと複数のパートナーを持つ傾向が二倍に、新たなSTDをもらう傾向も二倍近くとなった。
はい、その続きです。長くて読むわけがありません。どうぞ。

 調査ではメディアや特にラップを白人生徒の性的活動の増加と関連付ける場合が多いが、The RAND Corporationの調査では性的程度の高い番組を視聴する若者はオーラルセックスなどの性交手前の性的活動をしがちだとしている。27
また同調査では、セックスそのものが描写されている露骨な番組と同様に、セックスが話されているのみ場合の番組でも同等の影響を若者に及ぼしていることがわかった。この結果は、テレビ番組の3分の2が性的内容を含んでいることを踏まえれば非常に意義深い発見である。3分の2というのは、性行為を見せるような皮肉やジョークといった穏やかなものから、性的行為にいたるまでのものを含む。
 
高校生、大学生におけるビデオへの接触率を測ることは非常に不安定であり、実験的効果を示すのと同じくらい無効な結果もでる。またテレビ文献の不足は、視聴時間にのみ圧倒的に焦点をおいて、その類型についてはおかれないという点にもある。それでもL.Monique Ward氏は「視聴時間はテレビの影響が証明される唯一の手段である。」と主張している。視聴者参加における様々な局面に関してもより注目する必要があるだろう。
Ward氏は、18歳から22歳までの259人の大学生を対象に調査を行った。そのうちの68%は白人、15%がアジア系および中東系、10%はアフリカ系、6%がラテン系アメリカ人であった。そのうちの37%の学生がバージンであると報告され、29%が性的関係経験があると答えている。
 テレビを見る動機は22挙げられ、6つの同類種に評価された。このうちカテゴリーは「学習」としての視聴と「エンターテイメント」としての二つがある。これらの動機は「自分や他の人のこと学習する手助けをしてくれるから」「世界を理解するのを手助けしてくれる」といったものや「見るのが面白いから」といったものを含む。Ward氏は「特定のテレビ番組選択」「接触中の活動」「接触後の使用法」を評価するために24の項目を使用した。これらの項目を少し挙げるとすれば「見たい番組を中心に一日の計画をたてる」「最近テレビで見たことについて、他の人とよく話をする」などである。
 Ward氏は調査によって、視聴者がより「積極的に」「関わって」いるほど、より強く描写と自己を同一視することがわかり、さらに見た内容によって影響されやすいということが証明されることがわかった。この影響は、視聴者の「動機」や「目的」によっても左右され、またそのメディアが持つと視聴者が解釈した「リアリズム」の度合いによっても左右されることがわかった。Ward氏の分析方法については、主にはその手法が希少であるため、対象の認識するテレビを視聴する動機の決定や、視聴への「掛かり合い度」が批判されるところとなると言えようが、メディアイメージにおける現実認識と、メディアの及ぼす影響の質との関係を見ることは非常に興味深い点がある。
 
よりはっきりとわかったことで言えば、Ward氏の研究によると、テレビへの接触と「視聴者の掛かり合い度」が深いほど、若者の「男性は性的に駆り立てられる生き物だ」「女性はセックスの対象だ」という認識を強く与えているということだ。
 同様に、テレビ視聴頻度そのものが同輩の性的「経験地」の増加に関連しているということも示された。調査の上でWard氏は彼女が思うところの4つの「男性は性的に駆り立てられる生き物だ」という描写をしているミュージックビデオを見せた。さらにもう4つの「デートはリクリエーションスポーツのようなゲームだ」と示すタイプのミュージックビデオ、そして最後に6つの一切「性的でない」、友人関係、兄弟、同僚の相互関係を描いたビデオを見せた。
 
 特にミュージックビデオへの接触は若者の性的ポリティクスに非常に意義有る影響を与えると示された。これは若者を対象とした場合、ラップビデオにおいて性的テーマ・内容は他のいかなるジャンルよりかなりの部分を構成しているため、特に重要である。R&B、アダルト・コンテンポラリーのビデオは最も性的なテーマを取り扱っているということも理由のひとつである。若い女性におけるミュージックビデオへの接触時間が長ければ長いほど、女性は性的対象であるというより強い思い込みを是認するところとなる。若い男性がよりビデオを見るほど、彼らのジェンダーポリティクスはより保守的なものとなる。加えて、ミュージックビデオの視聴頻度が多いほど、男性に、デートはリクリエーションスポーツのようなゲームに他ならないと奨励し、男性の同輩がより多大な性的経験を持っていると仮定している。さらに、MEEの調査により76%の若者がBETが最も好きな音楽ビデオ放送局としていることを考えれば、BETはVH1やMTV,CMTに比べて最も性的描写の度合いが高いと示されることがわかる。

 Durantらの示唆するところによれば、ミュージシャンや俳優、アスリートたちといったロール・モデルもミュージックビデオといったメディアにおける行為が、思春期の健康リスクや健康問題、振る舞いにかなりの影響を与えているとされている。性的もしくはエロティックなシーンという文脈の中で視聴された場合、これらの行為は思春期の若者たちにとって「望ましい」ものとして観られる。
ヒップホップ文化における経験的調査、特にミュージックビデオについては、ビデオの中の性的「スクリプト」が若者の概念と行動に与えるの影響を測るところから始めなければならない。これには先述の「望ましい」と思わせるスクリプトも含まれてくる。DurantはBET(182個)、MTV(152個)、VH1 (83個)、CMT(101個)計518個のミュージックビデオを研究の上で使用した。これらのビデオは青少年が最もテレビを見ていると思われる時間帯金曜の午後三時から深夜一時、土日の午前十時から深夜12時までに録画されたものだ。
四つのネットワーク局は無作為に午前、午後、夕方の時間帯と、平日の無作為な時間帯に選ばれている。それぞれビデオはセクシュアリティに準じて四つのレベルに分けられている。?セクシュアリティに言及していない、?言及されているがさほど目立たない、?度を越さない程度のセクシュアリティ、?ビデオの主要な部分を性的なもので占めている。
. 残念なことにこの調査に参加したのは8人の生徒のみで、そのうちアフリカ系アメリカ人は2人にとどまったが、この内容分析がより大きい規模で行われた場合、どのような結果を示すかは非常に関心を引く。BETが最も性的な内容を含むとわかった上で、ビルボード誌のジャンル分けに則し分類した場合、R&B/アダルト・コンテンポラリーのビデオが最も性的な内容を含んでおり、一方でカントリーが最小であった。ラップ音楽ビデオがこの範囲においてどの位置にあるかは報告されていない。
hristy Barongan とGordon C Nagayama Hallの研究によれば、ラップ音楽は性的行為に影響を与えていることが示されている。この調査には54人が参加、うち6人のみがアフリカ系アメリカ人で2人がアジア系であった。半分のグループに分かれ、一方の参加者27人はニュートラルなラップ音楽に接触し、もう一方の27には女嫌いラップ(misogynous rap)を聴いた。ニュートラルなラップにはパブリック・エネミーの"Brothers Gonna Work It Out”や"Nighttrain”、Poor Righteous Teachersの”The Nation Anthem” や“Pure Poverty”を含む。調査者らがニュートラルの枠の中に明らかに「ブラックナショナリスト」のそれを選んでいることは残念なことかもしれない。一方、女嫌いラップのほうにはDJ Quickの"Mo Pussy”、2nd?Noneの”Just Ain’t Me” “One Less Bitch” そしてN.W.Aの“She Swallowed It”を含む。そして対象者は視聴後、女性の調査参加者に、性的に暴力的な映画のビネット(スケッチ)かニュートラルな映画のビネットのいずれかを見せるという選択肢を与えられる。ニュートラルラップに比べ、女嫌いラップを聴かされたうちのかなりの男性が、性的に攻撃的なビネットを参加女性に見せた。
 
 女嫌いラップグループのうち30%がレイプ的なビネットを見せたのに対し、ニュートラルラップグループでは7%だった。この実験により、BargonganとHallは女嫌い音楽(misogynist music)は、性的に攻撃的な振る舞いを助長していると報告した。実験において、「現実世界(real world)」環境での男性の性的行為へ女嫌いラップが影響を及ぼすという想定のもとの制限された実験で、映画のビネットを見せるという意向との関連性の示すところに限りがあるのは確かだが、ここでもどうようにラップ音楽の容量だけにとどまらず、視聴させるラップのタイプまたはサブジャンルを、実験の文脈を超えた部分で報告された若者の性的行動とを関連付ければ非常に面白い結果になるだろう。


人種的態度とメディアスタディース


 1993−1994の国立黒人政治調査(NBPS)では(18歳以上の1206人のアフリカ系アメリカが回答者)、52%の回答者が一年以内にラップ音楽を聴いたとしている。またNBPSは都市住民の男性でより富を持ち、より教育を受けた回答者ほどラップ音楽を聴いていることを示している。最も重要なことは、若いアフリカ系アメリカ人は年のいったアフリカ系アメリカ人よりもヒップホップを聴く割合がかなり高いことがわかったのだ。NBPSの調査期間内において、72%の回答者が黒人映画を観た、81%が黒人雑誌を読んだ、78%がラジオで黒人のニュース番組を聴いた、72%が黒人のテレビ番組(ケーブルテレビ)を観たとしている。NBPS回答者の半数以上が黒人メディアに接触していることが示されているものの、若いアフリカ系アメリカ人はより多様な傾向のメディアに接している。

 人種的態度におけるメディアの影響を研究した調査は、白人・黒人両者のオーディエンスについて特にラップ音楽の影響に目を向けているものがある。結果によればラップ音楽を聴いたとされる白人は人種差別主義者(racist)でありにくく、また白人一般よりリベラルであるという。けれども黒人の同輩についてと同様に、暴力的なラップを聴く白人も、偏見を持ち、黒人に対して差別的になりがちだと報告されている。ラップ音楽を聴く白人は、概して黒人闘争に対して共感を持っているとされ、研究者によっては白人オーディエンスにおけるラップ音楽への接触がいつの日か人種を基盤としたアファーマティブアクションや黒人の雇用促進といった政策において黒人支持に回ることになるのでは、という推論を持つ者もいる。またこのような白人オーディエンスはアメリカの人種関係に対して皮肉的な態度を高めており、仲間とする黒人がより多い、ということも示されている。

 Melissa Harris –Lacewellの「バーバーショップ、バイブルとBET:日常会話と黒人の政治的思考」はメディアと人種的態度の関係性を示す調査を提示してくれる。特にアフリカ系アメリカ人とラップ音楽に焦点を当てた研究で、「黒人メディア認識」と「ヒップホップ知識?」を評価づけるように組まれている。さらに、Harris-Lacewellは「黒人メディア」と「ヒップホップ知識」のレベルを、フェミニストと保守的ポリティクスを測るという彼女の第一義的関心と関連付けている。
これから示す大学生に対して行われたラップとヘビーメタルの調査は、それぞれの音楽が学生の意向に与える影響、人種的態度とメディアとの関係、また暴力とメディアについての関係の証拠となっている。Mary BallardとSteven Coatesはアパラチアン州立大学の175人の学生(うち男性82人、女性93人)を対象に調査を行った。165人は白人で、アフリカ系アメリカ人は6人、アジア系アメリカ人は4人、ネイティブアメリカンは2人。平均年齢は19,71歳で、上の中級(アッパーミドルクラス)が社会的階級の平均だった。この研究はヘビーメタルとラップの歌詞とその雰囲気(mood)との関係にもっぱら焦点を置いている。特にテーマが非暴力的で殺人的傾向のある、自滅的なラップおよびヘビーメタル曲について注目している。この実験において障害となるのは、曲の選択者がヘビーメタルおよびラップの「ファン」であったため、促進要項となる曲の選択に体系的な方法論が欠如している。
 このためラップ曲のセレクションのなかで「Sunny Meadowy」がノンバイオレントおよびコントロールのカテゴリーに選ばれていたり、「Peel Their Caps Back」が「殺人的(homocidal)」カテゴリーに含まれ、「Ever So Clear」が「自滅的(sucidal) 」曲として含まれている。とはいえ、BallardとCoatesの調査はこれら三つの曲が実験的に16人の学生に対して行われ、一曲だけは熟知には欠けるが一貫性を十分に保持するということを証した。三曲それぞれコーラスとヴァースを含んだ一分間を対象者に聴かせた。対象者は無作為に三曲のうちのひとつ、ラップもしくはヘビーメタルのいずれかを聴かされ、STAXIと呼ばれる44項目で成り立つ怒りの経験地と怒りの表現を示す質問に答えた。
 
 同研究では、ラップ音楽は怒りを喚起することが判明した。ヘビーメタルの曲に比べ、比較的ラップ曲はSTAXIの点数を上げる、つまり怒りの度合いが高いということが示された。対象者の一人は怒りを喚起された理由の説明として「社会政治学的な問題に狼狽したため、また音楽の持つ政治的要点によるもの」とした。調査の参加者の支配的な人数が白人であるため、白人オーディエンスにおける潜在的な人種差別に接触させたのではという憶測もできる。この研究で非常に残念なのは、たった6人の黒人参加者でどんな怒りの効果を黒人参加者にもたらしたか示すのに十分でないという点だ。BallardとCoatesが推測できるのは、他の有効な比較対象となる主観的な人種がないという状況で、一部で対象となった主観的白人の怒りに依拠しているというところまでである。
ソース
http://www.cantstopwontstop.com/pdfs/monographfinal.pdf

まだ途中ですが、一応コンタクトもうとってます。
HIPHOP ACTIVISMをどう日本に紹介するかってとこですが。

昇り続ける〜果てしない上昇〜続くエレベーション
ベイエリアのヒップホップ アクティビズム

イントロダクション
 「HIPHOPアクティビズム」とは、社会正義のために行動する若手のオーガナイザーや思想家、文化的活動者、アクティビストが今までとの世代との違いを見せるために使用している言葉のことで、社会変革のための様々な実践などについてそう呼ぶことができる。若者によるイベントのオーガナイズから、文化的作品、アート、ポピュラー文化教育、異文化交流、青年開発、有名人を呼んだイベントの開催など「HIP HOPアクティビズム」の指す領域は広い。その上で大切なのが、HIPHOP世代の若者の世界観を理解する枠組み、また文化的発展・社会変革のためのオルタナティブなスペースをつくろうという要望を理解する枠組みとしてのアクティビズムである。

  ここにまとめられた文章は2003年6月にカリフォルニアのサンフランシスコで行われたHIPHOP アクティビズムに関する報告会が元となっている。報告会の目的は?資金援助者により知ってもらい?米国内でも最も洗練され革新的なプログラムであるベイエリアにおけるHIPHOPアクティビズムに注目を浴びせること

 ことの発端はOpen Society Instituteのニューヨークスタッフが草分け的な援助者に行った「群集を動かせ:HIPHOP アクティビズムの出現」と名を打った報告会が2002年7月19日にNYで行われたことである。その後に行われたのが援助者報告会とアーティストによるショーケースを含むイベント「果てしない上昇:ベイエリアのHIPHOPアクティビズム」である。同イベントはサンフランシスコにあるYerba Buena Center for the Artsで開催された。
 主催者(オーガナイザー)はライターでヒップホップアクティビストのJeff ChangとFunder’s Collaborative On Youth Organizations共同設立者のAmanda Beregerだ。Open Society Instの認可の下様々な援助団体・慈善団体の協力を得て、二人は著名なベイエリアのHIPHOPアクティビストと援助者による委員会を組織し、研究班をつくり、タレントショーの企画・参加者の選定を共同で行った。


2007年9月28日マーキュリーニューズ Davey D
http://p076.ezboard.com/fpoliticalpalacefrm73.showMessage?topicID=696.topic
Rappers Need to Speak Out on Political Injustices
「ラッパーは政治的不正についてもっと語るべきだ」

 ヒップホップ批評家たちはリスナーをインスパイアさせ元気づけるアーティストより、イカサマといい加減さでできているアーティストの羅列ばかりする。

 スライ&ファミリーストーンズ、マーヴィン・ゲイやテンプテーションズ、ジェームズ・ブラウン、ジャクソン5が人気だった60年代後半から70年代初頭のブラックパワームーブメントと公民権運動の全盛期を挙げては、いかにアーティスト達が黒人コミュニティーの政治的非難や社会的気運を反映した問題に焦点を当てた歌をレコーディングすることに重点を置いていたことか語るだろう。

 それが詩人のアミリ・バラカやソニア・サンチェス、アシュミル・リード、ザ・ラスト・ポエッツ、ハリー・バラフォンテ、ジルスコットヘロインが導いた黒人芸術運動だったにしろ、ヒップホップの先祖が特定の運動に担った役割は電気ショック並に力強いものだったことは紛れもない事実だ。焼けつくように熱く、そして感化するようなサントラをこれらの運動にもたらしただけでなく、権力を持つ者が無視したいような見解も表明した。

 30年経った今、いくつものコンピレーションアルバム(「トーク・トゥー・ミー」や「ブラックパワー〜革命の音楽〜」など)が文化的表現が、社会的武器になった過去を思い返させてくれている。

 今日のラップ批評家もいくつかのアーティストは政治的であると認識している。モス・デフやタリブ・クウェリ、デッドプレスやパブリックエネミーなど。しかしそういったアーティストがかつてラジオでいつも流れていたマーヴィン・ゲイやスライ&ファミリーストーンズのような評価を得ることはない。メインストリームのメディアにおいて今日の政治的アーティストをほとんど耳にすることはない、況やテレビで目にすることなどもっと少ない。

 黒人コミュニティーからの音楽がかつて解放のツールとなったのならば、今や音楽は抑圧のツールになってしまったと言うこともできるかもしれない。良く目にする著名なアーティストはコミュニティーにおける重要な問題について沈黙を保つか、大きな注意散漫をもたらす役割を担ってしまっているからだ。例えばここ数ヶ月話題になったことは50セントの新アルバムがカニエの新アルバムより売れるかどうか、ということだ。本来ならばジーナの6人(ルイジアナ州ジーナ町で、白人を殴った容疑で逮捕された六人の黒人高校生が最高で20年の禁固刑、一時期50年の禁固刑のおそれもあった、に直面しているという事件)について注目するべきである。

 本当のところ、35年前にアーティストが政治的になったのはコミュニティーがそう要求した後のことであった。アーティストは運動を指揮したのではなく、追ったのである。ジェームズ・ブラウンの場合も彼が「大声で叫べ、俺は黒人であることが誇りだ!」と書いたのはブラックパンサーや非暴力学生協議委員会が熱い議論をした後のことである。

 H.ラップ・ブラウン(現在はジャミル・アル=アミンとして知られる)のような指導者が、ポピュラーなエンターテイナーに実際物事を動かす力はほとんど無い、と言うのもまれな議論ではない。彼はジェームズ・ブラウンと偉大なジャズ・アーティストであるライオネル・ハンプトンを挙げ、こうしたアーティストが体制の中で黒人を抑圧する道具として使われたことを述べている。

 かつての時代に対しての批判は、今日の人気アーティストに対してなされる議論と類似している。それを明確にしたのは先週のジーナ町でのデモである。ジーナの6人をサポートするため人口3000人ほどの町に私は訪問した。デモに集まった約60,000人のうち圧倒的な数はヒップホップ世代の人たちだった。

 集会に登場した人の中にはラップ・アーティストもいた。モス・デフ、Salt N Pepa、UGKのBun Bやアイス・キューブそして地元のインディーズのアーティスト達もいた。モス・デフは、自分たちの仲間がもっと来てもよかったのにと述べている。

 群衆の中にも、ヒップホップの大物スターが不在であるということに気づいていたものもいた。ある女性はディディーやジェイ・Zは居ないのか、と不思議がった。もちろん居ない。ある人は50セントやカニエ・ウエストがジーナの6人のためにファンドを設立してくれているのかどうか、少なくとも何か代弁してくれるのかどうか知りたがる者もいた。

 今日的政治問題が無視できないほど巨大化する中で、大きな顔を振る舞っても問題に触れようとしないアーティストはどんどん無関係になってきている。

 50セントは,自分のCDがカニエ・ウエストより売れなければ引退すると誓ったが、彼のようなアーティストが聴衆に近づき、重要な問題について距離を狭めない限り、マイクを切ってしまうほか無いだろう。なぜなら誰も注目しなくなるからだ。
January 4th 2008– Fresh Coast Global Report on Genocide in Kenya
2008年1月4日 ケニアでのジェノサイドに関する最新レポート

マスメディアでは耳にしないことだがが、社会運動や社会正義はヒップホップ・ミュージックとヒップホップ・カルチャーにおいて生来のテーマである。本物のヒップホップはこれまでにも「パーティー」や「ballin'」と同じくらい声高く「不公平」や「人権」について語ってきた。そのためヒップホップ・カルチャーはグローバルな現象として広まり、発展したのである。―そしてグローバル化した社会においては取り上げられる問題もグローバルなものとなった。ヒップホップは、他の標準的方法より諸問題と戦うより効果的な文化的プラットフォームだと考える人々の集まりができた。昨年ケニアのナイロビで行われた世界社会フォーラムで起きたことはそのことをうまく示している。

世界社会フォーラムは世界じゅうから社会正義活動家や市民グループ、運動のオーガナイザー等が集まる年刊の集会である。活動家達は会場で自身のプロジェクトや運動を強化しより良い変化を生み出せるよう互いに働きかける。しかしこの会議の開催国であるケニアのほとんどの現地市民がフォーラムに参加する経済的な余裕がないという事実を並べてみると、実際は皮肉にあふれたものだと考える人もいるだろう。一方でヒップホップ・ジャーナリストのDavey Dは、会場の外の在野でコログチャのスラムに溢れる抗議者の模様をレポートした。社会フォーラムのフードコートの入り口で抗議し封鎖をしていた何十人もの若者は「世界社会フォーラムはハイジャックされた」「ケニア人に食事割引を!」「ゲットーの人々に資本主義はいらない」という手作りの合い言葉を掲げ、ケニア政府が企業の元、私利や腐敗で世界社会フォーラムを催すというチャンスを搾取していることをリスナーに伝えた。その後、若者達にインスピレーションを受けたヒップホップ・アーティストや活動家が“The Undugu International Committee”を設立。残念なことにインスピレーションを与えた抗議行動は死を招くものとなってしまった。フォーラムの閉会式でチップを受け取った後、抗議行動のオーガナイザー2名が警察に殺されたということをDavey Dは確認している。真実を伝えることに駆り立てられたこの若者が、社会フォーラムという偽善行為に否と言ったことが悪かったのだろうか?

2008年1月3日のCNNの見出しには「ケニアで大規模な大量虐殺、今週だけで7万5千人が暴動により非難。暴動は現大統領の再選に対する抗議行動から発生。」先週木曜、おそらく政府勢力により殺されただろう300人以外の―白旗や、オリーブの枝々、ピケットに細流ガスとホースの激流によって対抗された―ケニアの人たちに聞いてみよう。動乱の対応としてケニア司法長官アモス・ワコは票の数え直しと選挙の独自調査を呼びかけた。これを読んでいる間、外交官達はケニアに駆け足で向かっているだろう。全米ヒップホップ・ポリティカル・コンヴェンションのある女性はCNNの報道に対し「もしアメリカ人がケニア人であったならば、今イラクにアメリカ兵はいなかったかもしない。そしてブッシュやチェイニーが我々の自由を抹消してしまうためにホワイトハウスで席を取ることもできなかっただろう。2000年そして2004年の選挙でブッシュのために不正を働いた体制に対し、ケニアの人たちのようなリアクションを我々もとっていたらどうなっていただろうか?」

快適な生活を送るアメリカ国民にとって、ヒップホップ界にとってこちらの状況はそれほど差し迫ったものではなかったのかもしれない。いや、シアトルのセントラル地区にある私の家からたった1ブロック先にある「テント・シティ」の路上生活者たちにとっては差し迫ったものでかもしれない。そしてもしヒップホップがケニアやフィリピンやラコータ共和国で起きている闘争を見つめるレンズのような存在であれば、我々は自分たちの地元コミュニティーで起きている闘争の本質をよりよく理解できるかも、そしてそれがグローバルなムーヴメントと如何につながっているか理解し、本当に克服するということの意味をわかるかもしれない・・・。
-Julie C

ソースはDavey Dのマイスペースのブログです。すいませーん
スクロールご苦労様です。
alternetの2004年6月の記事から
まだ途中で?から?までありすが、とりあえず載せます。

Hip Hop as a Political Tool
By Yvonne Bynoe, AlterNet
Posted on June 9, 2004, Printed on January 16, 2008
http://www.alternet.org/story/18902/
政治的ツールとしてのヒップホップ
Yvonne Bynoe 2004年6月9日

若者に市民参加や政治的参加に従事してほしいと思う多くの人はヒップホップ・カルチャーを目的達成のための最良の経路だと見ています。ヒップホップは特に若者に関して至るところに存在してますが、ラップ歌詞が暴力や犯罪、セックスを煽いでいるというさかんな議論に加え女性をセックスの道具として描く音楽クリップを思い出して見ればその道には地雷がひそんでいることも事実です。しかし、社会変革を求めるプロはこのヒップホップという道に全力疾走しています。そして課題はヒップホップを使って若者のコミュニティーを育てるための戦略づくりをすることになります。ヒップホップの利用という新しい試みは一般的で効果のあまりない実践より新鋭な出発点ですが、若者を政治的出来事に釣るルアーになるか、もしくは社会問題について詞を書きラップするための媒体となっても、問題の解決を考案するものには成りかねます。

社会変革を求める人々はヒップホップのエンターテイメント的側面のぬかるみにはまるのではなく、ヒップホップを若者の自身や世間、市民としての批判的思考を養成し始めさせることで政治的もしくは公民としてのフレームワークとして利用できるでしょう。ヒップホップを新たな社会的・政治的にプログレッシヴな方法として使う場合は以下のようなことを視野に入れてもらいたいと思います。

?内容は中立的ではない
ヒップホップを議論する場合、若者の表現を確認するにしろ、若者を近づけるためにしろ、社会変革を求める人はまず若者自身にヒップホップ文化とその影響(良い影響、悪い影響ともに)分析し評価するよう要求してみることです。その際に問われる事項は1)ある歌のリリックは一体どのような意味を持ってますか?多くの若者はビートを聞きがちでリリックをあまり聞かない傾向にあります。2)どんなラップ・アーティストが選ばれ、どういうラップ曲が生産されているか、マーケティングはどのように、また誰に向かってされているか、商業ラジオ局の役割とヒットソングの誕生の関係はどうであるか、ヒップホップで利益を得るのは誰であるかという意味では一体誰がヒップホップをコントロールしているでしょうか?多くの若者は誤って、メインストリームのヒップホップ・カルチャーの流れを生んでいるのは大企業のCEOではなく自分達のような人々だと認識しています。3)特定のラップ曲が促進している個人的もしくは地域的価値観、原理、理想はどんなものでしょうか?こうした考えに賛成ですか、反対ですか、その理由はなぜですか。残念なことに、オルタナティブな影響が欠如しているため、多くの若者はハードコアラップやそのビデオに個人の私的および公的アイデンティティーを構築してしまっています。

?歴史に注目せよ
今日、多くの若者は歴史の基礎知識が不足した公立学校を出ています。ラップ大立者や億万長者野球選手について考える前に、先祖の歩んだ道の感覚というものを知ることが必要です。いい加減な「黒人歴史月間」プログラムは毎度3,4人の英雄に焦点をあてるばかりです。そうはいっても、学校側に若者に現在の自由と選択を確固たるものとした多数の複雑な歴史の段階について教える長期的コミットメントはありません。遺憾ながらも、多くの若者は奴隷制について知識が乏しく、実際にそんなことがあったのか、本当に残忍なものであったかと疑う者さえいます。公民権運動やブラック・パワー・ムーブメントについてのたくさんの議論にもかからず、多くの若者はそれらの運動に先んじて起きた政治的および社会的出来事について少ししか知りません。こうした情報の空っぽさから、若者の刹那的で簡単に影響されやすい「いまここで」という意識、共同の政治的社会的アクションを支持させないような意識を生ませているのです。ですから個人の長期的コミットメントやコミュニティーの目標に対しての長期的かかわりというものなど生まれるはずもないのです。

?リーダーシップ育成
最優秀賞プログラムの資金供給のためより一層一致した努力が必要です。チャンピョンを生む、最優秀賞プログラムで明白な若者のリーダーシップ能力を拡大させることです。リーダーの役割というものは啓蒙的で広く若者層(ヤング・アダルト)にとって入手可能なものでなければなりません。つまり、コミュニティーグループや政策決定者、当選役人がどのように機能し現在の世の中を構成しているか理解するためのさまざまなプログラムも必要になるでしょう。若者には、実質的イニシアティブを発展させ、自身に直結するコミュニティーに効果をもたらせられるツールとチャンスが与えられなければなりません。さらに、若者(ヤング・アダルト)はアクティビストとなるだけでなく、地元の学校の委員会や市議会において役人として選ばれるよう奨励されるべきです。また重要なのは、みんながみんな「リーダー」になって先頭を切らなくても、社会を変える力になれるということです。若者が知るべきなのは地域レベル、都道府県レベル、国レベルでもメディア関係専門家やスピーチライター、資金調達者、ロビースト、政策アナリスト、スタッフ長、立法秘書官や側近、弁護士といった裏の立役者が大いに必要とされているということです。

あともうちょっと・・・あせあせ(飛び散る汗)
?イメージにはイメージで戦え
ヒップホップのきらびやかさや生命力は若者の生活のいたるところに存在していますが、相殺する強い影響力は持っていないことが少なくありません。社会変革者にとって容易な選択となるのは、ラッパーを呼んで若者に自らが伝えようとしているメッセージを話してもらうことでしょう。しかし、もっと実りのある方法として決して簡単ではありませんが、新しいアイデアを持ち若者が仲間意識を持てるような人物を地元から発掘することです。対抗勢力としての姿を明確に築くためには、ヒップホップ・セレブリティの群れに対抗できるより近い歳、スタイル、を持つ新たなロール・モデル(模範となる人)により若者にとって関連付けられることが必要とされます。

真面目なスーツ姿の50歳の共同経営者よりも、25歳のSean Johnの衣料会社の同僚のほうがより良いサクセス・ストーリーの例となることでしょう。こうした若いロール・モデルはゲットーの信頼を持っていないのにゲットーの重任のようなふりをしてはなりませんが、自分のバックグラウンドや目標達成に歩んだステップについて快く話せる人物でなければなりません。

?選挙者登録以上の試みを
ここ数年で選挙民登録推進のための努力がなされ、何千人の新たな登録者を生みましたが、こうした試みは未だヒップホップ世代に通じるものになっていません。ヒップホップ世代は大きな票数を持っています。しかしヒップホップ世代の低い投票率のため、当選者も選挙民としての影響力を認識していません。投票者登録は重要な第一歩ですが、登録だけでなく実際の投票行為がさらに重要なのであり、新規登録者に投票するよう奨励することが大切なのです。場合によって、社会変革要求者は投票日の数日前に電話やEメールをすることで世論調査の動向を伝えながら投票率を高めることもできます。
しかし他の若者にとっては、投票する意義を提供させる必要があります。調査によると、投票しない若者の多くは社会問題や政治的問題を作り出し、また解消しているものが何なのかしっかりとした知識がありません。つまり、政治家が何をしているのかさっぱりわからないということです。すると出馬している候補者の名前もわからないということになってしまうのです。一方で同様の調査から、若者が自身のコミュニティーについて憂慮している、そして近隣地域だけでなく市全体、さらには州、国家というより広い視野においても感心がある、ということもわかっています。一発屋的な登録推進キャンペーンはチャリティーコンサートをする程度のものであり、ヒップホップな話は長期的投票者教育に力をそそぎ、若者に政府の社会問題を治す役割を理解させることができていないという現状にあります。政府の役割を学ばせ、投票や市民参画が自身の生活や地元環境の改善になることを理解させる必要があります。

政治的には、ヒップホップ世代の到達点はレトリックで象徴的なアクティビズムから実際の本質的な政治的行動としてのアクションへ移行することになるでしょう。新たなリーダーシップの発掘と育成、こうした世代の関心事項に対応する新プログラムや組織の確立は直ちに成されなければならないことです。ヒップホップ・カルチャーが兵器庫のうちのひとつの武器となる一方で、そればかりに頼っていくわけにはいけません。ヒップホップ世代にアプローチする唯一の手段としてではなく、ヒップホップ世代を政治的選挙民として発展させることが大切なのです。また、私達が政治的に熟練していくにつれ、芸術的な表現だけがヒビ入った公共政策のかわりになるわけではないということがわかるようになり、無関心な人々をドキっとさせることに使えるということがわかるでしょう.

Yvonne Bynoeは「立ち上がって、伝える〜ポリティカル・アクティビズム、リーダーシップとヒップホップ・カルチャー」の著者。アーバン・シンクタンクの代表。
「ボストン発 地球にやさしいヒップホップ」

Getting back to the garden in song Lyrics offer lesson in environment
By Amy Farnsworth
Boston Globe Correspondent / March 2, 2008
http://www.boston.com/news/local/articles/2008/03/02/getting_back_to_the_garden_in_song/
の訳です。

Michael Cermakの入る教室では、教科書よりもヒップホップが前に出る。しかし、この教室で流れるヒップホップやR&Bの曲にとって、ブリンブリンなアクセサリーは興味範囲の外である。代わりにボストン・カレッジの博士号コースの学生が聞き入るラップは環境について歌っている。そう、環境のこと。

Cermak が今手がけている博士論文のテーマは環境正義とヒップホップの関係。そしてWest Roxburyにあるアーバン・サイエンス・アカデミーとRoxburyにあるNew Mission高校の教室でTAとして教員のヘルパー役を担っている。音楽が、生徒が環境について考えるための効果的な方法になると考えているからだ。「特に学校の授業にあまり興味を示していないような生徒が、一番面白がって関心を持ってくれる」とCermakは言う。「大きな目標は、環境問題の取り組みを多様なものにすること。将来的リーダーを都市の有色人種のコミュニティーから輩出できるようにすること。」と意気込む。

教室で、生徒達はMos Defやマーヴィン・ゲイの様なアーティストを聞く。マーヴィン・ゲイは日本での水俣の公害についてや、水の使いすぎについて歌っている。この授業で、生徒は自分の歌も書くことになっている。 「こうした子ども達は環境問題や社会、圧制について素晴らしいラップやスポークンワーズを創り出します。」とCermakは言う。

これまでの歴史を振り返っても、ミュージシャンは環境に新しい動きをもたらそうと取り組んできている事がわかる。1971年にヒットしたマーヴィン・ゲイの「Mercy, Mercy Me (The Ecology)」では水銀や地球が破壊されていることについて「ああ、物事は昔と変わってしまった。だめだ、だめだ。海に残された重油、魚は水銀にまみれて」と感傷的に歌った。 ラッパーDefは「New World Water 」という曲 で劣悪な水質と水資源の過剰消費について歌っている。 ボストンでは地元のヒップホップアーティストが地球環境の現状についてメッセージを広めている。博士論文の中でCermakはそのことを詳しく述べている。また自身が行ったワークショップ「Word Weapon」では市内を回り地元アーティストの曲を使用した。
その中のアーティストWil Bullockは15歳の時にThe Food ProjectというNPOで働き始めた。このNPOでは農業や農業を通じた食のシステムについて学生に教える活動を行っている。こうした経験にインスパイヤされて生まれたのが5曲入りのアルバム「♪~Time For Change」だ。様々な低所得者層の家族を訪れた彼は、都市のコミュニティーが食材店へアクセスしにくい現状について歌っている。

「酒やファーストフードが欲しいなら、すぐ横町で手に入る。いつだってすぐ手に入るようになってるんだ。けれどもレタスやトマトが欲しいとなれば、バスを3回乗り換えてスーパーに行かなくちゃいけない。負担が大きいんだ。」とBullockは言う。 Trustees of Reservationsで働くBullockは今若者向けのプログラムをつくっているところだ。子供達がMattapanで野菜を育て、地元の青果市場で売るというもの。 (インタビューをコチラから聴けます)
(つづきです。)

一方Chapuの名で知られるCarlos Pemberthyも自身のリリックのなかで環境についてラップしている。この曲の元となる経験は、 Neighborhood of Affordable HousingというNPOでチェルシー・ディーゼル発電所工事反対運動を行ったことである。請願書を書きながら、スペイン語で走り書きしたものが後に「El Planet Tierra」という曲をつくることになった。

ケンブリッジのBrandon McDowellはエコ・ラップに一声加えた。Alternative for Community and EnvironmentというNPOで活動するスポークンワーズのアーティストだ。場所や用地の利用について、浄化について、そしてグリーンな生活をすることについて語る。 「環境の正義や、立ち上がること、自分を表現すること。ヒップホップはストーリーを伝え、知恵を手渡していく手段なんだ。」とMcDowellは言う。

West RoxburyのCorey DePinaはイースト・ボストンにあるZumixというNPOで作詞やレコーディングを行う手助けをしている。ここ2ヶ月で、DePinaは生徒達とリリックをつくることに取り組んできた。2月19日に行われたコンサートと環境問題作詞コンテストのための作品だ。一方でDePinaは自分の音楽を EnPossantという名でつくり、環境や社会正義について歌っている。「Erflings」という曲では貧困や、ローカルな思考と行動でより良い世界を求めることについて歌っている。DePinaは環境問題をラップすることは真新しい事ではないが、環境について歌うラッパーが増えていることでみんなも世の中で何が起こっているか注目しだしたのだ、と語る。「大きな問題に発展したことで人々の意識が高くなってきているんだと思う。これからもこのムーヴメントは続くよ」
まだ途中ですが、Green Partyに候補者として出ていたJared Ballのしばらく前の文章です。

メディアシステムと音楽産業、黒人コミュニティーについて、制度的な問題を指摘しているもの。
ソースは、またアップします。


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『ヒップホップ、マスメディアと21世紀の植民地主義』
Hip-Hop, Mass Media and 21st Century Colonization

by Jared A. Ball, Ph.D, コミュニケーション研究員Communications Fellow


マスメディアとポピュラーカルチャーの社会的な必要性と機能を考えれば、ポピュラーであるものは総じて如何様であると言えよう。ポピュラリティー(人気)はどんな場合であっても作為的に捏造されたものだ。今日のヒップホップにおけるこうした嘆かわしい状況を捉えた論評は非常に少なく、この国のメディアシステムの政治的性格またはシステムが果たす政治的機能についての批判も少ない。ヒップホップは政治的闘争、抑圧、またマスメディアが主要な役割を担って推進している国内に台頭する新植民地主義(neo―colonialism)といった現存する文脈から逸脱されてしまうことが多い。

メディアは、その技術によりしばしば誤って定義されているが、第一にイデオロギーやさように見られるべき世界観の導管となっており、それゆえに高度に統合された所有権(ownership)・コンテンツ・その経営構造(法人の役員・助役・株主が重複、深い関係を持っているということ等)については、マスが生産し自身が裁可する良心を広める能力を抜きにしては理解されない。

マスメディアとポピュラーカルチャーの関係のように、ヒップホップもその適切な文脈から排除されている。国内に存する内的移民集合体(internal colony)または「ブラックアメリカ」として知られる文化的表現という文脈から。植民地主義の生成と事後的発生したポピュラリティ(人気)を前もって示すこの植民地主義はヒップホップのポピュラーな議論から抜け落ちており、そのため周辺事態の問題について問わないというとぼけた分析を導いてしまっている。「植民地主義」ということばを用いるのは、市民である大多数に対する制度的、意図的な悪い扱いについて注目するためであり、特にその悪い扱いは北アメリカのアフリカ系、黒人居住区においておきているということに目を向けるためだ。そのためアメリカの黒人には基本的な植民地主義的関係が手づかずの形でのこっているのである。

つづきです
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それは、1)黒人は空間的にコミュニティー、スラム(フッド)、プロジェクト(特別居住区)などといった区切られたままである2)この国の安い労働力として位置づけられたままである 3)第一次産物にさらされるよう位置づけられている。第一次産物とは文化的表現、特にヒップホップを含むものを指し、絶望状態を作るために意図的に貧困状態を差し向けているものである。そのため黒人は労働力を安く売り込まなくてはならなくなる、もしくは必要に迫られて「成功」するために自らエリートに従うようになる。黒人コミュニティーが生み出した他の文化的表現と同様にヒップホップは構造的必要に買収され生存競争のシステムに資して制度的に生産された。これは非常に自然なことで、こうでなければ理解に苦しむものなのである。

自身のコミュニティーに向けられた暴力、女性蔑視、商品置き換えによる顕著な販売促進と消費、そして概してポピュラーなヒップホップに欠落している巧妙さは前述の特別な制度的必要によりわざとメディアでの見本(レプレゼンタティブ=この場合は音楽産業)を通じてつくられたものだ。正しく理解されたならば、注意したいのは営利企業自体がエリートの支配を保護するプロセスにおける制裁や匿名性を与えられた合法な存在であるということである。よって、契約書に署名をすること、販売促進すること、ばらまくこと、などの能力を有し、植民地関係内に存在する文化的表現であるポピュラーなヒップホップの内容や方向性を決定付けることができるのだ。


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まだです。ちょっと訳あまいです、すいません。
Black Teens Are Breaking The Internet And Seeing None Of The Profits
http://www.thefader.com/2015/12/03/on-fleek-peaches-monroee-meechie-viral-vines
written by DOREEN ST.FELIX, December 3, 2015 | FADER

ブラックのキッズたちはネットでクリエイティブな発信をして大ウケしている、ところが一銭の稼ぎにもなっていないというこの事態。

高校生のKayla Newman(当時16)は、Peaches Monroeeというアカウント名でVineを始めた。2014年6月にアップした「We in this bitch, finna get crunk, eyebrows on fleek. Da fuq」と口ずさんだVine動画は3600万回の再生された。Kayleはあまりの反響に、動画を取り消すがすぐに別のユーザがYoutubeにアップ。300万回再生される。のちに「on fleek」というフレーズをアリアナ・グランデが自身のvineでも投稿し、パンケーキを中心としたレストランチェーンのIHOPも競合のデニーズも、「on fleek」を使ったツイートで自社商品をプッシュ。ティーンのネットの流行に誰もが便乗し、紙コップメーカーのHeftyがCMに起用するなど連鎖効果が続く。もはや誰のものとも言えないような波及効果をもたらした。
これについてKaylaは「わたしはこの世に言葉を生んだ。どんな感じか言葉では言い表せない。誰からも一銭ももらってないし、支持をもらってもいない。何か対価をもらってもおかしくないと思う。まあ、いい事が起きるまで待つしかないけどね」と。話している。

じゃあ誰がイノベーターなのか。テクノロジーの誉れは相当だ。企業家やエンジニアーがつくった素晴らしいプラットフォームだ、と。でもそこに人が集まるに到るまで、貢献した人々はなんだったんだろうか。

名も無きブラックのクリエイターたち
ほとんど白人のダンサーしか出てこないABC放送のテレビシリーズ番組、「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」は番宣動画で、Silentoの「Watch Me (Whip/Nae Nae)」を使ったし、大統領選出馬前のヒラリーはトーク番組「エレン」でもその振りをやった。こうした国民的に人気なエンタメで使われるフレーズの元になった動作は誰がやったのその名をみつけるのは困難だ。

アトランタのDenzel Meechie(20)さんはSheLovesMeechieというアカウント名でVineとYoutubeを利用。トータル20000万回の再生を誇る。あるときYung NationのPlug Snitchinという曲に合わせて踊った動画がバイラルになった。が、しばらく後にYoutubeチャンネルが凍結になる。著作権侵害が多すぎたからだ。「変な話だよ。アーティストからビデオをつくって載せて、って依頼があるくらいなのに」と不満を話す。多くの場合、レーベルは中身を知らずに、Denzelのビデオがバズを生み出し宣伝の機会創出をしてくれていることを知らぬまま、著作権侵害として動画の差し止めをYoutubeに通達する。そうしているうちに結局、他の人が彼らの振付をパクって、儲ける。
>続き

かつてのブルースがそうであったように
アフリカンアメリカンの芸術形式における知的財産権の扱いが専門のKevin Jerome Greene教授は、ジャーナルに掲載された論文の中で、ブラックアーティストは著作権法を鑑みることがまず無く、その姿勢はあらゆるブラックカルチャーにおける音楽製作において通じるものだとし、さらに黒人の特に女性ブルースのアーティストの所有権(ownership)をを排除するかたちで著作権の規定が設計されていることが多いと論を展開している。ブルースは演奏の技巧とインプロビゼーションが多い。「著作権法はアイディアを保護しない。黒人の作曲家は、自身の作曲を多くの人たちが模倣し、もはや“発想”であるという次元に到ることで、著作権保護の下にありづらい状況にあった」と話す。確かに無形のスラングやダンスのスタイルといったものは、大規模な組織が投資しして商標登録するという目的で生産されない限り、価値があるものだとは捉えられない。どんなにバイラルなコンテンツになろうとも、その生産を所有するのはツイッターであり、VineでありSnapchatといった、プラットフォームだ。

音楽著作権を中心に扱うニューヨークの弁護士事務所、D.F.Nelsonの代表は、知的財産権に関する法律はデジタル時代にそぐうようにアップデートされる必要があるとして次のように話している。「アメリカの知的財産権や著作権法はアーティストの創造的なプロダクションに則ったものというよりは、企業の利益に則ったものだ」と。そして「もはや非商用的なフェアユースと、商用の利用の境界は判別不能になっている」。先のダンスビデオはレコード会社の売り上げに対しては脅威ととられる一方、文化的な創造という面では、Kaylaの"on fleek"同様、別の企業にとって獲得するに適したものだと捉えられる。いずれにしても企業が得する仕組みだ。

黒人のスラングをいつも白人が横領しなし崩しにしてしまうことに対し、今議論が沸き立っている。(参考→http://www.theguardian.com/commentisfree/2015/jan/14/white-people-declared-bae-over-black-people-can-use-it)こうした議論のように、デジタルな環境においても同様に知的財産権について法的にもっと尋問していく必要がある。本当にMeechieのYoutubeアカウントがフラグされて差し止められてしまうことが妥当なのか、彼のような視聴数を誇る個人のクリエイターが勝ち点なしのままいるべきなのか。彼らはまだ若い。今だって何かを発信しているし、いつかいいことないかなって待ってるんだ。

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