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木枯し紋次郎(テレビ版)コミュの紋次郎の撮影地

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紋次郎のもう一つの魅力は映像美。
70年代とはいえ、日本にこんな風景が残ってたのだと目を見張ります。
撮影地について語っていきましょう。

・このサイトによりますと、保津峡・谷山林道が何度か使われていたようです。
http://agua.jpn.org/film/f_index.html
・「一里塚」は琵琶湖湖南アルプス。
ソースは中村敦夫さんの著書より、アキレス腱を切った時のエピソードとして。
・「獣道」での渡世人群との立ち回りは亀岡市郊外の田んぼ。
ソースは当時の新聞記事。
・「竜胆」の柿林のある集落は、おそらく京都市西京区大枝界隈。
これは実際に行って確信を持ちました。

私が知りたいのは、タイトルバックの、鉄塔一つ無い山々と曲がりくねった道。
それと、「甲州路」の「峠の向こう側」。
「大江戸」の、酒蔵のような大きな建物。

これ、どこなんでしょう?

コメント(86)

ウルトラマリンさんの示しておられる場所が、山の形などからして、かなり近い気がします。

私が着目しているのは、1でおみつさんが書いておられる【同じ所へ行ったら「ぜんぜん違っちゃってた」】というコメントです。

このページで出てくる地図を縮小させ、南東方向へスクロールすると、新山峠周辺が現れます。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=53376705

そして、峠周辺で「地形が全く変わるような土木工事をした場所は無いか」と探すと、新山峠北方に「伊那エースカントリークラブ」なる施設が。
調べたら開業は昭和49年6月20日、すなわち撮影の後です。

これはあくまで仮説ですが、この場所がくねくね道の有った所という可能性も考えられます。
なるほど、確かにゴルフ場が出来ていますね。
これだと「全然違っちゃって」いて当然ですよね。
TOKIさんの推理は、かなり鋭いと思いましたわーい(嬉しい顔)
上記のTOKIさんの鋭い推理に触発されて、もう一度
グーグルアースで調べてみました。
すると、伊那エースカントリークラブ周辺(新山地区)
は山上盆地のようになっているのですね。そこでもしや?
と思い、ここで仙丈ヶ岳と戸倉山が見える位置を探して
みるとありました!おそらくここで間違いないと思いますぴかぴか(新しい)

勘違いしていたのは、南アルプスが見えているから伊那の
東斜面だろうとそこばかり探していたのですが、おみつさん
の重要なヒントとそれを掴まえたTOKIさんの鋭い推理の
おかげで探し出せました。
そして、驚いた事にここはOff&Walk さんの写真の
高鳥谷山のすぐ近くなのです!
ただ、方角が180度逆だったという事です。確かにゴルフ場
や集落のある盆地で、しかも思っても見ない反対側の方に
注意は払いにくいと思います。
しかしOff&Walk さんは場所的には間違っていない、
非常に近いところに居られたということになります。

えらそうに一人で推理しているより、このように皆さんの
知恵を借りると事実にたどりつけるんだなぁと反省しました。
オープニング映像と山ひだの数などかぞえましたので間違い
ないと思います。
住所は分かりませんが、3の地図の矢印付近がS字のカーブが
あった所、丸がカメラを据えた所だと思います。
よく見ると、オープニング映像のS字道の右側の山ひだにとり
卷く道は残っているように思います。
いやぁ長年の思いが叶ったような気分ですわーい(嬉しい顔)
ありがとうございました。

仕事そっちのけでやってしまったので、仕事しないと…。
ウルトラ・マリンさんの詳細な検証、お見事です!
私はあの道そのものがゴルフ場開発のために無くなったのかと思ってましたが、背景にゴルフ場が見えるということだったんですか。

ただ少し疑問なのは、カメラと紋次郎の位置関係です。
貼り付けてくださった画像からすると、カメラは南南西を睨んでいる事になりますよね。
が、OPの紋次郎の影は、左やや前方に伸びております。

おそらく彼岸過ぎの撮影だと思われますが、太陽が真西より北に無いと、このような影ができないと思うのです。
試しにこのサイトで甲府市の10月1日の日没の方向を調べたら、267度、真西より少し南です。
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KOHO/automail/sun_form3.htm

日没よりもっと日の高い時刻ですから、カメラから紋次郎をつないだ線はもう少し東を向くと思うのですが、いかがでしょうか。

なお、47でリンクした地図で、高鳥谷山北東部をアップしたら、曲がりくねった林道がいくつか見えます。
あのような立派な道が廃道になるとは考えにくいので、この道のどこかではないかと思っておりますが、「左に曲がってすぐ右に曲がる箇所」で、それらしきものがまだ見当たらないのです。
いつも楽しく拝見しています。
リアル時代からの紋次郎ファンです(当時小6)

ウルトラマリンさんの推理で間違いないと思います。
季節は10月中旬から下旬ではないかと考えます。

国土地理院1/25000地図を見るとそのものズバリと
思われる道を発見しました。

http://www.geocities.jp/c623z/m.index.html
すみません、55に投稿したのは数値計算にミスがあったので、削除しました。

北乃通風さん、検証有難うございます。

またまた異を唱えて恐縮なのですが、この映像の0:52辺りで見ると、紋次郎の歩く道の右端はもう一度内側にカーブし、Ωのような形になっています。
ここが少し違う気がするのですが。


あと、紋次郎の撮影が始まったのは10月18日と判明したので、この日の長野県の太陽高度を調べました。
画像の影の長さと紋次郎の身長から、太陽高度を40度とすると、10:30か13:00前後の撮影ということになります。

10:30撮影なら太陽高度は41.6度、方位は159度。(南南東)
紋次郎の影を延長すると、磁北より21度西へ向かうラインとなります。
そして、この曲がり道は山の西南西斜面にあることになります。

13:00撮影なら太陽高度は39.4度、方位は208.4度。(南南西)
紋次郎の影を延長すると、磁北より28.4度東へ向かうラインとなります。
そして、この曲がり道は山の西北西斜面にあることになります。

この辺、何か手がかりにならないでしょうか。
(話をややこしくして申し訳ありません)
<TOKI様
検証ありがとうございます。
私は地形図から判断しても、ほぼ間違いないと思っています。

カメラの位置は「電子国土」を北へスライドさせた「カメラマーク」の
ある林道。時期は1970年の10月20日前後
時間は14時頃ではないかと考えます。

じつは、おみつさんには言っていたのですが、来月小淵沢へ
行く用事があり、時間があれば、帰りに現地を訪問しようかと思っています。
おそらく木々の成長でまったく視界はないのではと
思っておりますが...
TOKIさん
グーグルアースを地図に直して倍率を上げると山道が
表示されました。
ご覧下さい。写真の中央部がS字の峠道です。この
地図によると、まだあるようですねわーい(嬉しい顔)
これは北が上になっていますので、方角も合っている
と思います。
Ω型の道は、オープニング映像のS字の右側の山ひだ
に巻いている道です。S字自体ではありません。
仕事の合間に書いているもので、時間がなくなって
しまいました。
TOKIさんの時刻と太陽位置の検証は、ちょっと落ちつ
いてからやりますね。でも、皆さんすごいですねぇ!
北乃痛風さん、ぜひ現地へ赴いて頂いて、現在の状況を
教えて下さい。
もちろんご無理のない範囲であせあせ
おお、かなり絞り込まれてきましたね。
これだけ多くの人が、あの風景に対する憧憬を持っていたとは。

私も仕事そっちのけで色々検索したり、図面を書いたりしてます。
が、「なんとしても見つけたい」という思いが強い反面、「もし見つかったら、自分の中で40年近く聳え立っていたものが、一瞬にして崩れてしまうかもしれない」という天邪鬼な気持ちが少しあるのも事実です。

なお57の書き込みで「磁北」とあるのは「真北」の誤りです。
要は、「画面から推測できる方角から考えて、カメラは紋次郎より西(真西という意味ではなく、西側)に位置している」ということです。

それにしても、このオープニング見ながら定規で製図したり、電卓たたいたりする日が来ようとは、当時は夢にも思わなんだ…。わーい(嬉しい顔)
TOKIさん
紋次郎の西にカメラはないと思いますよ。
オープニング映像のS字のカーブ道の先の山ひだが
尽きている方角は北北東です。その先にカメラがある訳
ですから、カメラは紋次郎の北北東の方角にあります。
道と地形も比べてみましたが、ここでまず間違いない
と思います。
そのようですね。失礼しました。

プリントアウトした地図の、件の場所に、午後三時の影・57.3度と、午後三時半の影・62.9度の線を書き込み、北東方向から見て、「かなり離れれば真左チョイ前に見える」と確認いたしました。
ズームレンズなのを忘れ、「もっと左方向に影が伸びて見える」と錯覚していたようです。
しつこくて恐縮ですがあせあせ
念のため、応S字峠に丸をつけた画像をアップして
おきます。

皆様今回の件ではお忙しい中、貴重なご意見を多数頂きありがとうございました。

皆様のご意見から、Off&Walkさんにお伝えした撮影地の情報の一部が間違いであったため、off&walkさんが皆様のご意見と反対方向の「高鳥谷山から西方を望む場所」を撮影地に確定された事が分かりました。40年来の夢を実現し幸せの中にいらっしゃるお気持ちを考えると申し訳ない気持ちでいっぱいです。

こちらの情報の間違いと判明した限りは、早くに真実をお伝えし心より謝罪するのがoff&walkさんに対する誠意だと感じています。

連絡が取れればoff&walkさんにもMIXIに参加していただいて、皆様のご意見を直接目にされるようお勧めしたいと思います。皆様の真剣で熱い討論をお知りになれば、どんなにか感激される事かと思います。

今回の事で、私も昨日「驚きももの木20世紀」の「必殺VS紋次郎」を見返しておりました。撮影開始が10月18日で、皆さんの太陽の位置や影からの季節の推理の正確さに驚いてしまいました。


紋次郎ファンは、紋次郎がそうであるように、苦しんでいる人に手を差し伸べたからには、最後まであきらめない強い意志を持ち、心の優しい方ばかりと再確認出来ました。



いえ、おみつさんが気に病むことはありません。
あの時点ではまだどこなのか明確になっておらず、「伊那谷新山峠付近」と、正解だった場所を含め、あの時点での候補に挙がっている情報を提供されたのですから。

off&walkさんの行動に触発されて、このコミュの住人が動き、場所が特定できたのですから、言ってみればoff&walkさんのお陰です。

地蔵峠の紋次郎のセリフじゃないですが、私自身、この数日は、私自身の夢でもあった「あのOPの場所を探してやるぞ!」に邁進できた、楽しい時間でした。
私自身がoff&walkさんにお礼を言いたいところです。
皆さん、素晴らしい検証でごぜぇやすな…ぴかぴか(新しい)
あっしにはこれと言った知恵もありやせんが
ただただ、尊敬でごぜぇやす。

紋次郎好きの皆さんの熱い情熱を感じやす。
まったくTOKIさんのおっしゃる通りです。
おみつさんが紹介されたoff&walkさんの写真と
コメントに触発されなかったら忘れてましたし、
そして、皆さんのヒントや推理や検証がなけれ
ば特定は難しかったと思います。
まったく皆さんに感謝ですわーい(嬉しい顔)

あと、私的にはほとんど引きこもり状態でも
発見出来たグーグル・アースにも感謝ですウッシッシ
来月10月17日に現地探訪予定でいます。
行けば写真または動画をアップしますので
楽しみにしておいて下さい(^^ゞ

ただ撮影された時期は仙丈ケ岳の積雪具合から
見て11月初旬ではないかと思えてきました。
いち早く地図で検証されていた北乃痛風さんですから
正確な場所で今の情景を写し取って頂けると期待して
います。でも、ご無理はされませんように。
あのS字道の先(北方面)にちょっと標高が高くなって
いる所がありますが、その道ばたか近くの高台にイント
レ(撮影用やぐら)を組んで撮ったのでは?と思ったり
しています。山の中に分け入るのは大変ですからね。

季節はおっしゃるように初冬に近かった(11月)ように
思います。というのは、映っている仙丈ヶ岳に10月始め
に登った事があるのですが、その時は山頂にも雪はまっ
たくありませんでした。映像では山の中腹まで雪がありま
すから11月初旬というのはいい線だなぁと思いました。
一応3000mある山ですから一回の低気圧で様相も変わる
事がありますが、近くの山の葉の枯れ具合からも私も晩秋、
初冬に近いように思います。
北乃痛風さん、来月行かれますか。
お気をつけて。

近くなら一緒に付いて行き、紋次郎のコスプレをして道を歩き、撮影してもらうという美味しい役を引き受けたのに。わーい(嬉しい顔)

次に私が考えるのは、「スタッフがこの地へ赴いた時、他の場面は撮影しなかったのだろうか」です。

「峠に哭いた甲州路」で、お妙さんに送られて出立する紋次郎の向こうに見える、広大な山々が連なるシーン。
その直後、紋次郎が「あっしが産まれたのも…」と口にして映し出される、遠くに富士山のような山が見え、高い山々に囲まれた盆地。

これは山の高さや広さ、鉄塔の無さから考えて、京都や滋賀とは考えにくいです。
道すがら、これらの風景も見えないか、できたら確認して頂けないでしょうか。
<ウルトラマリン様
仙丈ケ岳に登られたとは凄いですね。
山男ならではの検証お見事でございました。

中村敦夫さん御本人からの「伊那だったと思う」との返信が
なければ場所の特定は無理だっただけに、よくぞメールを
出されたなと感心いたします。

<TOKI様
「峠に哭いた甲州路」での広大な遠景、先程DVRで
見直しました。私は京都市在住ですが
亀岡や滋賀にもあのような景色はないとので
伊那周辺かも知れませんね。
北乃通風さんのおっしゃるとおり、ウルトラ・マリンさんのメールが決め手でまずエリアが決まったんでしたね。

私も「あの場所を見つけたい」という夢を40年近く持っていたものの、メールで中村敦夫さん本人に問い合わせることは思い浮かびませんでした。
ウルトラ・マリンさんの行動力に脱帽です。

北乃通風さま

どこかで「初期の紋次郎は信州でロケをした」というのを目にしたことがあります。
やはり、この周辺の可能性が考えられますね。

1でおみつさんの書いておられる【「帰ってきた木枯し紋次郎」の時に同じ所へ行ったら】という談話から、「帰ってきた木枯し紋次郎」の撮影でも、この近辺の風景が使われていることが伺えます。
15分辺りの、小平次が出立した直後に映し出される広大な山々、雪を被った高い山と藁葺き屋根。
32分辺りの、紋次郎が再び草鞋を履いて旅立ったシーンの、向こうに連なる山々と、同じく雪を被った高い山が、このあたりの風景ではないかと考えられます。
いえいえ、まず山男などではなく強いていえば
山歩き男、それも最近出来ていないのでただの
オッサンですあせあせ

中村敦夫さんへのメールにしても、実は最初は
「長野の佐久市あたりでは?」という全然見当
はずれな推理をしていまして、それを「どうで
すかねぇ?」という感じでメールをお送りした
のですが、余程の的外れに不憫に思われたので
しょう、「伊那の辺りでした」とお教え頂いた
訳です。言わば中村敦夫さんのやさしさのおか
げでした涙

でも、本当に探し出せるとは思っていません
でした。何かネット上でみんなで力を合わせて
解明出来たという感じで、久々mixiをやってい
て良かったなぁと思いましたわーい(嬉しい顔)
ほんとにありがとうございました!
Off&Walk様からお返事とご報告を頂きました。


メールには

MIXIの皆さまからの重要情報を頂きながら、お礼のお返事も致しませんで申しわけありません。昨日の11日に再度探索に行き確認をして参りました。その結果は、フォト蔵の同じ場所に追加しておきました。
ご指摘の撮影場所とS字カーブは、最初の探索で高鳥谷山に行った時に惜しくも通過しなかった場所でした。その悔しさもあり、今回は場所完全に把握して、ナビゲーションに登録して行った次第です。

詳しくは写真で確認していただきたいのですが、頂いた情報のOPのカメラ位置(No.1),今回の写真位置(No.2)、
OPのS字カーブ(No.3)、S字を下った位置(No.4)としました。
No.1のOPのカメラ位置は現在樹木が酷過ぎて撮影困難でした。この辺りは崖に近く降りる事もしませんでした。
本当にこの場所でOPの画像が捉えられるのかは不明です。簡単にコンデジで撮影できる可能性は皆無な場所です。
No.2はNo.1の少し西に位置し、樹木の間からS字カーブ付近やオープニングの山並みを撮影しました。
でもこの時点ではOPの場所かは確信出来ませんでした。正直どこにでもある山と言う感じは否めません。家でOPを見返すと確信に変わりました。グーグルアース等で感じる感覚と実際の場所で得れる情報はかなり乖離があります。
今回はMIXIの方の知恵と私の馬鹿げた行動のコラボが良い結果を導いたのかもしれません。
No.3は土の道はコンクリートに変わり、木々も植林+放置の為視界は悪いです。正直日本全国何処にでもある荒れ果てた山のコンクリート舗装路と言う風情です。急坂で乗用車で行く事はお勧め出来ません。軽トラとバイクがすれ違うのがやっとでした。11日はキノコ狩りの素人さんの軽トラが結構止まっていましたが、S字の急坂での停車は危険でした。
OPのS字カーブは、家で確認し結構上の方で、撮影したS字カーブは紋次郎が歩いた箇所そのものではありません。
コンクリートの道の真ん中にコケが生えていて、そのものの箇所周辺では駐車不可能であったのと、私の勝手な勘違い(もっと下)とが相まって、写真は1つか2つ下のカーブしかありません。
No.1やNo.3の場所は、両側に山があるV字の谷を登って行きついた場所から、南斜面をS字に登って行く道なので急で、
10日に降った雨が道を横切った個所が多くありました。
現地に行くと同じ撮影が不可能である事を思い知らされました。木々が成長したのが最大の理由ですが、MIXIの皆さまの分析通り、あの時代のあの季節と時間にあのスタッフとあの機材、そして無いより映画人としての誇りある人々と若かりし頃の中村敦夫が存在した為に撮影できた事を思い知らされました。
場所が判明し、過去と現在との相違を現地で思い知らされ、顔も知らぬ多くの方の情熱と慈悲深いご支援で何とか思いを遂げる事が出来き今は、多少の寂しさはありますが心の奥の温かさを感じずにはいられません。
稚拙な文章と的を射ない写真ではありますが、MIXIの皆さまにも宜しくお伝え下さい。

コメントには

OP撮影場所(S字カーブ)の新情報感謝します。昨日高鳥谷山近傍のS字道並びに撮影場所に行って来ました。写真は前回の写真に追加しました。新情報の撮影場所は木々が邪魔で撮影不可能ですが少しズレた場所で撮影し、S字カーブにも行って来ました。私の勘違いで紋次郎の歩いたS字は写真より上でしたが、雰囲気は味わっていただけます。情報を下さった全ての人に感謝します。木枯し紋次郎とこれを制作さいた全ての人の思いは、今でも皆さまの心に生きていると思います。今後も生き続けて欲しいものです。

と書かれてありました。

1枚目の画像・・・皆さまの協力により、新情報を入手し再探検して来ました。No.1当時のカメラ設置場所でここでは木が多くて撮影不可能でした。、No.2は今回撮影場所、No.3はOPの撮影された道、No.4は里に降りてNo.1/2/3を観た位置。

2枚目・・・No.2での撮影結果。木が邪魔です。下に降りるのは不可能でした

3枚目・・・No.2ので少し降りた場所。先程の南方に対し今度は南東に向きを変えた。


拙ブログのコメント欄からフォト蔵に飛べない方がいらっしゃる事が分かりました。連投ですが、ご容赦願います。

左から

1枚目・・・上書き込み3枚目より上方の山をアップで撮影

2枚目・・・1枚目より少し右にパンした風景

3枚目・・・この方角に?のS字カーブの痕跡が伺える。OPの画像と比較するとほぼ間違いなしでは無いだろうか?
1枚目・・・上の書き込み3枚目のアップ

2枚目・・・OPのS字。自宅で見比べるともっと上に上がって撮影すべきだったがバイクを停車する事は不可能であったと言い訳。雰囲気に相違は無い。谷戸地形(V字谷)の行きついた場所に切り開いた坂道の為、前日大雨だった為に道に雨水が横切る。

3枚目・・・更に下った場所。コンクリートの舗装で軽トラとバイクがすれ違うのがやっとであった
左から

1枚目・・・S字カーブを下り里に下りて来て、道の右のNo.1/2を観た風景。最初のコメントの地図の?4の辺りから?1、?2を望む。

2枚目・・・降りて来た道。?4の辺りから?1と?3を望む。

3枚目・・・降りて来た道のS字カーブ側(北斜面)。?4の辺りから?3を望む。
おお、Off&Walkさん、とうとう行かれましたか。
40年近い歳月でかなり変化してますが、まぎれもなくあの空気感ですね。

「あのOPの風景を見つけて歩きたい」
これは当時、手作りの楊枝を咥えたであろう少年たちの共通の夢だったんだなあと、この一連の動きで強く感じました。

そして、あの頃飛ばそうとしてもポトリと落ちるだけだった楊枝が今まさにヒュッと飛び、見事にあのS字道に突き刺さったような感動です。

次は私も行ってみたいです。
予定通り信州には行ってきたのですが...
17日は午後から予定が入ってしまい、現地を
訪問することは叶いませんでした。

まぁOff&Walkさんが行かれて、私がやろうと
思っていた事をすべておやりになられてので
もういいかという気持ちが強かったのも事実
ですが..(^_^;

中央道で伊那付近を走った時は東側の車窓を
見ながら、木枯し紋次郎のサウンドトラックの
CDを聞きながら撮影地に思いを馳せて
おりました。
「峠に哭いた甲州路」に出てくる、棚田の有る集落。
あの撮影地は嵯峨越畑か嵯峨樒原ではないかと考え、地理研究のエキスパートであるマイミクさんに映像を送り、鑑定をお願いしました。

すると、その方は何度も足を運んでくれた上、地元の老人からの聞きとり調査もやっていただき、嵯峨樒原が撮影地であることを突き止めてくれました。

そして先日、GPSを駆使して詳細なデータを作ってくださり、ネットにアップされました。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-194786.html

地図上の四角いポイントをクリックすると、写真が出てきます。
なお、下から二つ目の画像は「竜胆は夕映えに降った」で、仙太郎と会う場所です。
木枯し紋次郎のオープニングの「こっちに向かってズンズン歩いて来るシーン」のロケ地を、遂に探しました! 説明が長くなったので、ホームページにまとめました。 http://www.geocities.jp/bucpolar/monjiro/mon_loc/mon_loc_index.html

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