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国防研究会コミュの防空壕を見直せ

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数年前から、つまり北朝鮮が核配備を実現させてから、
日本もタダのんびりと日常生活を送っていてはいけない、
民間防衛も考えなければならない、と思い続けてきました。
核戦争が起きたら・・・・・と言う想定では、「何を準備しても同じ」と言われるかもしれませんが、それでもNBC兵器から身を守るためには最低限の準備施設や心構えが必要です。
それが防空壕であり、核シェルターであり、防護マスク、いわゆる毒ガス対策です。
今朝の産経新聞、産経抄に記事がありましたので転載いたします。
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http://www.sankei.co.jp/news/column.htm
 鹿児島の中学生四人が中毒死して、防空壕(ごう)の存在が改めて関心を集めている。国交省の調査によると、平成十三年現在、全国に約五千カ所の壕が残り、そのうち四割が鹿児島県にあるという。当然のことながら、エッなぜ、と首をかしげてしまう。

 ▼戦争中、鹿児島には特攻基地など軍事施設が多かった。米軍の攻撃の標的にされたからというのも理由だろう。だがそれだけでは片づけられない突出した数字である。推測だが、その多くは先の大戦よりはるか昔に掘られ、それが防空壕として利用されたのではないか。

 ▼中路正恒氏の『古代東北と王権』(講談社現代新書)によれば、東北の森にはいくつもの洞窟(どうくつ)が残る。古代、国家に抗して戦った人々がそれに拠った軍事施設だという。中央軍の坂上田村麻呂が洞窟を恐れ、その上に毘沙門天を建てたという伝説もあるそうだ。

 ▼九州の鹿児島も歴史上、中央政権と緊張関係にある時代が少なくなかった。きたるべき戦に備え、洞窟をうがっていったと考えてもおかしくない。そういえば、西郷隆盛が西南戦争に敗れた後、自決したのも城山にある洞窟の中でだった。

 ▼問題は、歴史の証しが唾棄(だき)すべきもののように、放棄されてきたことだ。昔軍の飛行場があった東京の多摩地方で、飛行機や兵士を守る掩体(えんたい)の跡が農家の倉庫になっているのを見て複雑な気持ちになったことがある。戦後、人々は猛烈な勢いで戦に関する遺跡を忘れようとしたのだ。

 ▼事故のあった洞窟も、歴史を語るものとしてキチンと管理し、子供たちに教えておけばよかったのである。親たちが忘れようとし、伝えなかったものを子供たちが別の方法で知ってしまう。これも戦後社会を象徴する悲劇のひとつに思えてならない。

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