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国防研究会コミュの「旧日本兵2人 比で生存」ミンダナオ島 引き揚げできず山岳に

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今日5月27日は、日露戦争の日本海海戦の開戦の日から100年だそうですね。こんな日に旧日本兵の方々が生存されている報道が流れる、これも何かの「縁」ですね。

60年の間、敗戦を知らず?ジャングルでの生活、おまけにまだ軍法会議を恐れる。何という忠誠心。「戦争の悲惨さ」という報道もありますが、私は今の幸せすぎる日本をこそ、彼らを見て”感謝”したい気持ちでいっぱいです。
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「旧日本兵2人 比で生存」ミンダナオ島 引き揚げできず山岳に
さらに数人の情報も 保護、帰国を熱望

http://www.sankei.co.jp/news/morning/27iti001.htm


 【マニラ=鈴木裕一、大地山隆】フィリピン・ミンダナオ島で、旧日本兵とみられる男性二人が現地当局に保護され、帰国を希望していることが二十六日、分かった。二人は、山岳地帯で終戦を迎えたため引き揚げに間に合わず、そのまま現地で生活していたとみられ、ほかに数人が保護を希望しているという。日本大使館員が二十七日に二人と会い、身元が確認されれば帰国のための手続きを行う。旧日本兵の帰国は、実現すれば小野田寛郎さん以来三十一年ぶりで、戦後六十年目の生還となる。
 保護された二人は、旧陸軍第三十師団捜索第三十連隊第三中隊の元中隊長、山川吉雄中尉(87)=大阪市西区出身=と中内続喜上等兵(83)=高知県明治村(現越知町)出身=とみられる。さらに数人の旧日本兵が生存し、保護を求めているという情報があり、日本大使館などで身元確認を急ぐ方針。

 二人はモロ・イスラム解放戦線(MILF)などの反政府ゲリラが支配する同島などの山岳地帯で約六十年間にわたり生活していたが、今月下旬になり南部サウスコタバト州ゼネラルサントス市郊外のスルタン(イスラム教国の君主)支配地域に移って国家捜査局(NBI)に保護され、帰国を熱望しているという。

 同連隊の関係者によると、第三十師団は昭和十九年七月、同島のダバオ市に上陸。同年九月に米海軍艦載機による空襲を受け、翌二十年四月に同島中央部の渓谷地帯マライバライで「自給自戦」を命じられていったん分隊となり、同島北部のワロエで再集合することになっていた。
 彼らは小人数で山岳部を転進中に終戦を迎えたため師団の引き揚げに合流できず、残留を余儀なくされた。以後、山川元中尉らは同島南部のブルアム湖近辺などを拠点に生活していたが、昨年九月に同島東部と中部で木材の切り出しなどを行っている長崎県在住の日本人の関係者(54)
が山中で旧日本兵と遭遇。その後、いずれも高齢のため帰国を強く望んでいるが、戦線から離脱したことで日本での軍法会議にかけられることを強く恐れていることが分かった。

 別の関係者によると、彼らのほかにも同島山岳地帯などには四十人以上の旧日本兵が生活しているもようで、いずれも帰国を望んでいるという。
 フィリピンでは、北部ルバング島で一九七四(昭和四十九)年、ジャングルに潜伏していた小野田寛郎元陸軍少尉が救出された例がある。また、七二(同四十七)年には米グアム島で、元日本兵、横井庄一さん=平成九年死去=が見つかっている。

                  ◇

 《第30師団》昭和18年6月、朝鮮・平壌で編成された陸軍最後の現役師団。対ソ戦の訓練を受けていたが、19年4月、ミンダナオ島先制防衛のため対米戦備を整え出陣。師団は16個の部隊などで構成され、「機動兵力として随時重点方面に使用」との方針から、島を東奔西走し、終戦までの1年で500キロにおよぶ行軍を強いられた。戦死者は1万2000人を超える。
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