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縄文族ネットワーク [太陽の道]コミュのマヤ遺跡のククルカン降臨現象 〜春分秋分

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古代マヤ暦は、春分が新年

 この日、神殿にはある仕掛けがされました

  春分秋分の日における、カスティーヨのククルカン降臨現象は特に有名です...



古代マヤ人は、天文観測に優れており独自の暦法を持っていました。
マヤ遺跡は、高度な測量技術と天文学などを駆使して建てられたとされ、宇宙との限りなく深いつながりを感じさせます。
このマヤ文明最大の遺跡が、メキシコ東部、ユカタン半島北部に位置する「チチェン・イツァ」の遺跡。
9世紀初頭から建設が開始され、13世紀末には放棄されたと推定されます。
マヤ文明が謎とされる理由の一つは、せっかく作り上げたユカタン半島南部の神殿や都市を惜しげも無く何度も放棄して、半島北部の他地域へ移動して行ったことです...

チチェン・イツァ遺跡北部の区域内に、「カステージョ」と呼ばれるピラミッド型の神殿があります。
別名を「ククルカン(羽毛のある蛇神)」の神殿と呼ばれています。
高さ23m、四辺の長さが55mの巨大なピラミッド。
実は、四角錐の形状全体が暦として設計されていました。
91段の階段の4面を合計すると364段となり、これに頂上神殿の1段を加え、1年の日数のと同じ365段となっています。
階段の1段が太陽暦の1日に相当し、マヤの民衆のためのカレンダーを表していると信じられています。

また、春分と秋分の日にククルカンが降臨するといわれ、その影が北面に映し出されます。
春分と秋分の日没の方向を明確に割り出し、神殿自体が真北に向いて建てられておらず、やや角度が西にずれて建っています。
それにより、日没の日差しが神殿の西側側面に当たるため、西側側面の角の部分が北側面にある羽毛の蛇神の頭がついている階段に影を落とし、太陽が沈むに従い少しずつその影も変化し「羽毛の蛇神が天から舞い降りてくる」ように見えるのです。

またカラコルといわれる天文台もあり、春分と秋分の日没には西窓外側南西の角の影が正確に内側の角に落ち、春分の日の月が沈む際には外側北東の角の影がおなじく内側の角に落ちるなどの事例が実測されています。


※参考URL

 [神が舞い降りるマヤの都チチェン・イッツァ]All About
 http://allabout.co.jp/contents/50life_tag_c/worldheritage/CU20061206A/index/

 フォーラムソラは木内鶴彦氏と共に「宇宙の記憶」を検証します。
 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2733/soranotabi_mexicomaya.htm


※関連トピ

▼12:60=時は金なり 〜暦の内部構造
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16734144&comm_id=1581098

▼金山巨石群の古代太陽暦
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16296342&comm_id=1581098


...

コメント(5)

地球は1日で1回自転しながら、太陽の周りを1年に1回公転している。
自転の軸と公転の軸は23.4度傾いているので、季節によって太陽に照らされる時間が変化する。
冬至と夏至には北半球と南半球でその差が最大になる。
しかし、春分と秋分には太陽の中心と地球の中心を結ぶ線が地球の自転軸と直角になり、地球上のどこでも昼と夜の長さが同じになる。

新たなはじまりとして、春分は世界中で地球規模の新年にふさわしい日。
最も調和するこの日をお祝いすることは、地球の喜びでもあると思います!
伝統的なマヤの太陽暦では春分が一年のはじまりです。
アイヌをはじめ、春分は古代太陽信仰の新年です!

ここでちょっと、私の魂の兄弟姉妹でもあるナガク’ 奥義学校ご夫婦から教えていただいた、マヤの長老フンバツメン直伝の教えを少〜しだけシェアしようと思います。


 太陽は地球のちょうど真ん中を通って、北半球と南半球に平等に光が降り注ぐ

 この日は地球上のどこにいようと完璧なバランスで太陽エネルギーが注がれる

 春は植物が芽吹き、花が咲く目覚めのとき

 人々も種蒔きして、動物たちも交尾する結びのとき

 生命力のもっとも高まる、愛にあふれた季節です


 古代マヤでは春分のころに結婚し、自然のサイクルに準じて愛を結びあい子供をもうけました

 太陽のもと、大地の木々や動物や風に見守られながら、水のあるジャングルの聖地で、神聖なる儀式として屋根のない野外で行われていたのです

 春分のハーモニーに包まれ、グレートスピリッツである太陽と大地が二人を承認し、それを取り囲む美しい自然が二人を祝福してくれたのです

 そうして生まれくる子供は自然とのつながりを深く心に刻むことができました



先日行われた尾張の天下の奇祭、大縣と田縣の豊年祭がこの時期であることにも深いつながりを感じます...
http://mixi.jp/view_album.pl?id=29372618
http://mixi.jp/view_album.pl?id=11984129

伝統的なマヤの太陰暦では、春分の日以降に昇る最初の満月が一年のはじまりです。
キリストの復活を祝う復活祭(イースター)は、春分の後の最初の満月の次の月曜日。
もともとゲルマンの太陽信仰のお祭りとユダヤの太陰太陽暦が習合して、春分の日以降の最初の満月を基準としたといわれています。

日本の小正月(女正月)が1月15日でお盆が7月15日なのは、満月を一年のはじまりとする半年周期の太陰太陽暦の名残と考えられています。
田縣の豊年祭も昔は旧暦の1月15日に行われていました。
私はもともと日本でも、春分の日以降の最初の満月が正月だった可能性もあると感じています。


ちなみに春分のころに着床したとして、十月十日で計算するとちょうどクリスマスのころの出産となります。
冬至は太陽の誕生日。
キリストの誕生日が実際は夏だったのに、太陽神ミトラの冬至祭とすり替えられたという歴史がありますが、なんとも神秘的な思想がその背景にあったと知るだけでもワクワクしますね。

聖なる二元性のもっともバランスのとれた春分こそ、新たなスタートにふさわしい男性性と女性性の調和する日なのでしょう!!!
素敵です・*
シェアさせてもらって うれしいです
あたしも ともだちとシェアさせてもらいますね♪
ありがとうございます
素晴らしい。
男性性と女性性の調和、そして子孫繁栄は重要ですよね。

大縣と田縣の豊年祭、拝見しました。
「珍宝窟」には大爆笑してしまいました。(コテコテですね〜)

この手のご神体は秋田のほうでも残っていました。
他の土地でも調べれば出てくるんじゃないかな。
古いものが引き継がれているところほど、この手のご神体のようです。
いのちの基本ですもんね。
【春分満月】

3/20 如月新月=皆既日蝕→ 3/21 春分(大地の女神の新年)→ 4/4 如月望月=皆既月蝕(春分満月)→ 4/5 イースター(キリスト教最大の祝日である復活祭)

日蝕と月蝕は新月と満月のセットで起きやすいとはいえ、この春分前後の日月のめぐりは新たな時代の到来を告げている。

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