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縄文族ネットワーク [太陽の道]コミュの飛騨の位山と両面宿儺(スクナ)

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(2007年2月作成)

※地域性を重視した新たな書き込みに関しては、今後こちらのコミュへ移行していきますのでよろしくお願いします...
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38315287&comm_id=3180326



『日本書紀』は仁徳天皇六五年、和珥臣の祖・武振熊(タケフルクマ)が飛騨国の怪人・宿儺(スクナ)を退治したと伝える。

「六十五年、飛騨国に一人有り。宿儺と曰ふ。其れ為人、体を一にして両の面有り。面各相背けり。頂合ひて項無し。各手足有り。其れ膝有りて膕踵無し。力多にして軽く捷し。左右に剣を佩きて、四の手に並に弓矢を用ふ。是を以て、皇命に随はず。人民を掠略みて楽とす。是に、和珥臣の祖難波根子武振熊を遣して誅さしむ」

原文ではたったの八四文字、この話は『日本書紀』にのみあって『古事記』にはない。
しかも一度登場して誅殺されたあと正史に姿を見せないが、濃飛ではいまでも敬愛されている。
それでも美濃・飛騨の現地では両面宿儺への信仰に根強いものがあり、多くの古寺が両面宿儺を開基として「両面さま」「両面僧都」などと尊称している。
円空もこの土地感情に共感して、心をこめて両面宿儺を刻んでいる。

もちろん両面宿儺に関しては奥が深すぎて諸説あり。
なぜ大和朝廷が、応神朝の創建に活躍した有力な将軍・武振熊をわざわざ山深い辺地の凶賊一人のために派遣しなければならなかったか?
飛騨には大和朝廷にとって、高天原にも匹敵するほど重要な何かがあったのではないか...

例えば谷川健一氏の説によれば...
「美濃、飛騨は大和朝廷にまつろわない異族の国である。両面宿儺はその首長であると考えられている。」
としていて、これが一般的な解釈なのでは?

仁徳天皇六五年といえば西暦三七五年、つまり四世紀後半の古墳時代。
九州系景行王朝が神功、応神の時代に畿内に入った頃とちょうど重なります。
東方を支配した縄文の飛騨王朝の存在がちらつきます。

飛騨における古史古伝のひとつ、「竹内文献」。
その中では飛騨のことが「日球国」「日玉国」などと表記され、ピラミッド日本起源説をはじめ世界の中心たる大宮が置かれたと記されている。
昭和初期に成立した偽史とされるが、真意は別としてそうした隠された歴史があることは確かだと思います。

高山市南方にある位山にはピラミッドといわれた巨石群があり、方位計測に用いられたという。
位山を御神体山とする水無神社が古くから飛騨国一之宮として崇敬されながら、その祭神も諸説あって定かではない。
宿儺が座した位山は分水嶺で、太平洋側と日本海側の文化の双璧であり、ここを制したものが広大な支配力を持つことで飛騨王朝が実在した可能性があります。



参考サイト:
両面宿儺伝説をめぐる奇想
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/gamen.htm


...

コメント(5)

両面宿儺の諸説に関して実在したとかしないとか、二人の人物を併せたとか、兄弟双生児であるとか...
また同一人物としてあげられるのが、日本武尊(ヤマトタケル)=別名ヤマトヲグナ、少彦名命(スクナヒコナ)、大碓・小碓、忍熊王(オシクマノミコ)...

忍熊王とは第十四代仲哀天皇第二皇子のこと。
慣例として皇位につくはずが阻害され、神功皇后や武内宿禰らの軍のため淡海(近江)国瀬田川畔に追いつめられた。
『古事記』では宿儺を退治した武振熊が忍熊王を近江で入水に追い込んだとしているが、『日本書紀』ではその役を武内宿禰が果たしたことになっている。
しかし記紀ではっきり死んだとされている忍熊王が、越前に逃れたという伝説がある。
越前国の二ノ宮に国幣小社剣大明神(丹生軍織田町鎮座)があり、祭神はなんと忍熊王。
実は身代りを立てて越前国角鹿に遁れ後海路をへて織田荘の山間に入られ、織田郷開拓の祖神になられたというのが剣大明神社記の教うるところである。
そして、この剣大明神の神官家の一族からは後に戦国武将・織田信長が出ている。

また大陸から来た神話が伝説化したとする説もある。
インドのヴェーダ神話に現れる至高の双神格ミトラ−ヴァルナ、ローマ神話の双面神ヤヌスとダブるイメージがある。
ミトラ−ヴァルナから分離独立した神ミトラが仏教に取り入れられて弥勒となり、さらに一世紀末頃のローマではミトラスの名で「不敗の神、太陽神」として崇拝されたこと。
これらの伝承が六世紀の新羅における弥勒崇拝に見受けられ、飛騨の宿儺は新羅系の勢力から弥勒=ミトラとして祭られたのではないかとする。

ヤマトタケルにも畿内を守護する神人と、畿内に侵攻する禍々しきものという二面性がある。
ヤマトタケルから見れば伊吹山の山神は畿内の東北(鬼門)に陣取る悪神である。
しかし、畿内から見ればヤマトタケル自身が東北から侵入する鬼神であった。
伊吹山頂には日本武尊像と共に弥勒像が祭られており、ここにも弥勒信仰と両面宿儺との関係が指摘される。
くわしくはこちらを参照。
「両面宿儺伝説をめぐる奇想」
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/gamen.htm
>偽史学博士さんへ

このリンクの中で一番気になったのが、斎藤守弘氏の『神々の発見』からの引用と思われる以下の部分です。


『飛騨の伝承によると、「位山」と呼ばれた山は三つあるという。長野県と岐阜県の境の「乗鞍岳」、千光寺のある「袈裟山」、そして現在の「位山」。
縄文中期、長野県に人口が集中していた頃の「位山」は乗鞍岳で、その頃、統合の祭りを行っていたのは『日本書紀』に一度しか登場しない謎の女神・菊理媛神であった。飛騨の伝説に、武振熊に敗れた両面宿儺が首を「括り」死んだとあるのは、菊理媛との関係を暗示したものだという。』


太陽の女神(巫女)の「菊理媛」と、太陽神「両面宿儺」についてさらに進みたいのですが、まだ原文の『神々の発見』を読んでおりません。
もしご存知でしたら教えてください。
はは〜ん、(^^)

どうしてか、わたしの家にも両面宿儺!
中学の選択科目で彫刻を選択、3年の作品がこれ。
材料の都合ミスで、体は彫刻出来ていません。

やっと繋がりました。(^^)残しておいて良かったです。
裏表、天使と悪魔、そんなところでしょうか。
>まっさんへ

スゴ過ぎます!
中学ですでに円空しちゃってる。
それを今でも所持してる...

やはりただものではありませんね(笑)


表も裏も、そして天使も悪魔も合体しちゃってるわけです!
陰陽がケンカせず一体となる。
とても平和な「和合」の力を持つ神さまなのです...

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