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観世流コミュの「姨捨」

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「姨捨」

   わが心なぐさめかねつ更級や
     姨捨山にてる月を見て  (雑歌上 878 読人不知)

「自分の心が、何となく物悲しくなって、慰めかねたわ、この更科の姨捨山に照る月を見てサ」(金子元臣)

 今日、梅若玄祥(六郎)さんの能「姨捨」を見た。老女物で難曲として知られる。2時間以上の大曲であり、途中眠くなった。地謡は片山九郎衛門、清さん、それに味方玄さんなどの力の入った地謡は曲を盛り上げた。脇は宝生閑さん、間狂言は茂山千乃丞、小鼓は大倉源次郎さん、笛は杉市和さん、大鼓は山本哲也さん、太鼓は前川光長さん。

 友人の話では、シテの梅若玄祥さん、文句を飛ばしたり、同じ個所を繰り返したりしていたという。僕には分らなかった。全体的にはよい能であったように思える。この能の作者は世阿弥で、大和物語などを参考にして作ったのだろうか。実際には、古今和歌集にこの和歌があることが、世阿弥をしてこの作曲をさせるきっかけになったのだろうと勝手に想像する。

 能の粗筋は都見学を終えた旅人が、月を楽しもうと信州更級の月の名所である姥捨山に登って月の出を待っていると、里の女が現れる。 旅人が姥捨伝説の舞台はどのあたりかと問うと、里の女は、「わが心なぐさね・・」という古今和歌集の和歌を詠んだ人の亡くなった場所として小高い桂の木のふもとを指し示し、自分はその人の霊であると言って消える。 旅人がその場で感慨にふけっていると、満月の青い光の中に月の化身となった老女の霊が現れ、一緒に月を愛でようと言い、序の舞を見せる。 やがて夜が明け、ワキの旅人は去り、老女の霊は唯一人舞台に残されるというもの。
 
ただ、大和物語では甥が詠う和歌になっている。能では捨てられた姨が詠う。少し矛盾があるようであるが、この和歌そのものは、大和物語の話とは無関係にあったのだろう。姥捨伝説はインドにも古来からあり、大和物語はむしろこの和歌とインドの姨捨伝説を結びつけて話を作ったのかもしれない。

さて、姨を捨てた甥の立場を離れて、この和歌を眺めると、むしろ、姨の返らぬ昔の秋、取り戻せない昔の秋を悲しむとこにあるのであり、月名清光に対して「あまりに堪えぬ心」を表現しているのである。この意味で大和物語の話は少し俗っぽい。世阿弥はむしろ、古今和歌集にある和歌の精神を汲み取って、この能を作ったのではないだろうか。アイ狂言での話は俗との妥協のように思える。信州姨捨山放光院長楽寺の観音堂の後ろには大岩があり、ここで姨が捨てられて飢え死にしたとされる。観光スポットである。


大和物語第156段
 信濃の国に更級といふ所に、男住みけり。若きときに親死にければ、をばなむ親のごとくに、若くよりあひ添ひてあるに、この妻の心、いと心憂きこと多くて、この姑の老いかがまりてゐたるを常ににくみつつ、男にも、このをばの御心の、さがなくあしきことを言ひ聞かせければ、昔のごとくにもあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。このをば、いといたう老いて、二重にてゐたり。これをなほ、この嫁、所狭がりて、今まで死なぬことと思ひて、よからぬことを言ひつつ、「持ていまして、深き山に捨て給びてよ。」とのみ責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。
 月のいと明かき夜、「媼ども、いざ給へ。寺に尊きわざすなる、見せ奉らむ。」と言ひければ、限りなく喜びて負はれにけり。高き山のふもとに住みければ、その山にはるばると入りて、高き山の峰の、下り来べくもあらぬに置きて逃げて来ぬ。「やや。」と言へど、いらへもせで逃げて、家に来て思ひをるに、言ひ腹立てける折は、腹立ちて、かくしつれど、年ごろ親のごと養ひつつあひ添ひにければ、いと悲しくおぼえけり。この山の上より、月もいと限りなく明かくて出でたるを眺めて、夜一夜寝られず、悲しくおぼえければ、かくよみたりける、

 わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て

とよみてなむ、また行きて迎へ持て来にける。それよりのちなむ、姨捨山といひける。 慰めがたしとは、これがよしになむありける。

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