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過去を紐解くとコミュのキリスト教を捨てるまで

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どうしてキリスト教を嫌悪し、捨てるにまで至ったかを、説明するには一言二言じゃ表現できないんで、ちょっと書いてみます。

トピック全てを読むにすると初めから全部見ていけるかと思います。携帯からの人はすみません。多分長すぎです(;´Д`)

途中、長男=O兄、次男=G兄、長女=U姉、次女=K姉とつけてますので。

コメント(35)

生まれた時、クリスチャンホームで既に父親が牧師でした。名前も聖書にちなんだ名前にされました('A`)
兄弟は兄姉妹弟と一通り揃ってます。名前は聖書の登場人物だったり、そういう意味合いの名前だったりします。

僕は後者の方でそういう意味合いな名前なので多少気が楽です。

物心ついた頃ぐらいからかなり、制限を喰らいました。
・キリスト教徒以外の友達を作るのを禁止
・マンガを読むの禁止(内容が暴力に繋がると言われた)
・ゲームも禁止(ゲームは偶像と言われました)
・スポーツ禁止(コレも暴力に繋がるといわれたw)
・テレビを見るのも禁止(見ていいのは食事時のニュースだけ)
・学校でクラスメイトと遊ぶの禁止(遊ぶと年子だった兄弟にチクられましたw)
・お菓子禁止(他の兄弟は食べてました)
・お小遣い禁止(自分だけでしたね)
・一旦家に帰ったら外に出るの禁止(教会に奉仕しろってこと?)

家でするべきこと
・勉強
・バイオリンの練習
・家の手伝い
・礼拝堂の掃除(毎日)
・聖書を読むこと
・お祈り


まず、守れませんでした。つか、無理っす。他の兄弟にはこんな禁止一切ありませんでした。
奴らが楽しく自由に学校で遊んでるのが恨めしかったですw

小遣いが欲しかったのですが、幼稚園の年中さんの頃に日曜礼拝が終わったあと、父が初めてお小遣いをくれたんです。30円。

めっちゃうれしかったですよ。いつも毎週、兄弟たちがコンビニいってお菓子買って食ってるのをずーっとみてましたから。
兄と姉たちがコンビニいくみたいだったので一緒に連いて行きましたとも。
18〜19年前のことだったので、まだ恐竜アイス(玉子アイスと呼んでました)が30円の時代でしたね。

兄たちは『ネクロスの冒険』っていう、チョコ菓子とオマケがついてるのを、よく購入してましたね。自分には、30円しかなかったので、迷わず玉子アイスでした。家からコンビニまでが大人の足で5分かかるかかからないところでしたので、歩きながらアイスを食べましたね。

家に着くと、玄関前に父が立ってまして、「先ほど渡した金はどうした?」と鬼の形相で聞くんです。だから、「玉子アイスに使った」とオドオド告白。

いきなりビンタ喰らいましたね。
そして、「そのお金は将来オマエの参考書を買うために今から貯めようとしていたお金だ、オマエにはお金が管理できないということがよーくわかった。今後はオマエに一切お金を与えない。オマエが自分で管理できると認めれるまで父さんが管理する」と。


あれっすね。その後、僕は献金箱から、電話代を入れる貯金箱から、ありとあらゆるところから金を盗みましたよ。
バレるたびに、叱られ、反省文を書かされそして反省の祈りの繰り返しでしたけど。
「神様、赦してください」
「もう盗らないと心に決めたのにまた破りました。赦してください」
「拾ったお金は使わないようにして下さい」
「一人でも、悪いことをしないようにして下さい」
「心を入れ替えて、お父さんとお母さんの言うことがきけるようにして下さい」
等々etc...

あの頃は、抑制ききませんでしたね。歳の変わらぬ兄弟たちは横でおいしいもの食ってんのに自分だけ何もナシっていうのが辛かったですし。
でも、まぁそういうことしてると疑われやすくなるのは事実ですね。

当時、父の妹が近畿の方からやってきてたんですよ。
なんか、叔母の財布から金がなくなったみたいで。
速攻疑われましたね。「違う。盗ってない」っていっても説得力0なんで、反省文書かされましたね。

当時、父の勤めていた大学の学園祭があるとかで、その次の日に車でお出かけを。
父・父方の祖母・兄・姉・自分・妹で大学へ向かいました。
当時母は、身重だったので家でお留守番でした。

学園祭は、とりあえず記憶に残ってませんが、自宅から約30kmほどの距離のあるところと記憶しております。
帰路につく直前に父が車を停め
「本当のことを言いなさい。言わんと置いてくぞ」
と、言い出したんです。
兄・姉共に盗ってない違うって言った最後にやはり父は自分を疑ってましたので、「認めなさい」とかなり強い口調で言ってきましたね。

それでも自分が「本当の本当に盗ってない」と訴えたのです。
そうしたら、父が「わかった」と言ってくれました。


「じゃぁ、もうウチの子じゃないけん。バイバイ」って車から降ろされ、車を発進。

もちろん、イヤイヤ言い、泣きまくり走って車を追っかけたのですが、園児の足と車じゃ到底無理なんですぐ車が見えなくなっちゃいました。

めっちゃ号泣して、どうしたらいいのかもわからんで、泣きながら歩いてたら、そこらへんって女子大多くて、多分その女子大のおねーさんたちが「どーしたとー?ぼく?迷子?」

って、親切に警察にまで電話してくれましたね。

ほどなくして、パトカー到着。幼稚園の名札もつけていたこともあり、無事警察署に保護。「置いてかれた」って泣いてたけど、まさか警察も『捨てた』とは思ってなかったでしょう。

置いてかれたのが日が暮れる前ぐらいだったので、父が迎えに来たのが夜暗くなった時でしたね。
とりあえず、警察が家に電話をかけてくれて、自宅で留守番していた母に繋がり。そして、父に連絡が届いたみたいです。


※当時父は、母に電話で「目を離した隙にいなくなった。とりあえず、他の子たちを家に帰すために帰宅中」と電話していたみたいです。母もそれを信じていたみたいですね。


父が到着するまでの間、警察官のおっちゃんたちに黒棒とか食わせてもらってたのは内緒です。

さて、父が到着した時、警察官の前では本当に助かりましたみたいな顔して引き取った帰り。
ホカホカ弁当を父と祖母と兄弟分買って、途中車を停めての食事だったんです。
他兄弟は、各自お祈りをし、いただきまーすと。

自分は、許可されてませんでした。その前に本当のことをいいなさいと。
泣きながら「本当に盗っとらーん」と訴えたのですが、次に来た言葉は『また捨てられたいね!?」と。

捨てられるのが怖くて、「本当は僕が盗った。」「ごめんなさい」と認めてしまった。
父はそらみたことかみたいに、満足顔になり。
嘘をつき続けた結果、罪が罪を呼んだ。隠し通すからこうなったと叱りつけ。メシを食ってるほか兄弟の前で
「コイツはやっと罪を認めた。こうなるまで自分の罪を隠し通す反省する心を持ってない子だ。小さな嘘も罪だ。ましてや盗みはもっと大きな罪だ」
と、見せしめのように言い放った。

その後、やっとメシは食えたが、みんなの目は冷たかった。
恐かった。悔しかった。悲しかった。死にたかった。なぜ生まれたのかと。なぜ生き続けてるのかと。
その後、飛んで約一年ちょい先の時に、K姉ちゃんが父と一緒に家族飯食ってるときに泣きながらやってきた。
「あの時、本当はアタシがお金盗ったけど、こわくて言い切らんかったんよ。ごめんなさい」と。

ソレに対して、父はコッチに対して何も反応なかったね。そんなことあったっけ?ぐらいの態度でした。



先日、G兄貴がメールしてきたんだ。
「お前はアソコで一人下ろされた時の事覚えとうよね?あの時、僕じゃない、僕じゃないって叫んでたのに信じてもらえず下ろされたんだよね。 本当は俺が嘘ついてたのに、、、。俺は自分が下ろされるのが怖かったんだ、とんだ腰抜けだよなまったく。
俺のせいで一人下ろされて凄く傷ついたと思うんだ、俺が子供の時そんな事されたらたぶん人間不信になるんじゃないかってくらいの傷だとおもう。
本当にごめん俺のせいで傷つけてしまって、、、。 できることなら許して欲しい。いまさらって思うかも知れないけどさ。 この事だけじゃなくてほかにも俺のしたことでお前を傷つけた事許して欲しい、、、本当にごめん、、、。
お前は今神様を信じてないのかも知れないけど、いつの日か神様がお前の傷を癒してくださることを祈るよ。」


と。

実際は、G兄貴と、K姉ちゃんがやった?のだろうか。まぁ、なぜ今更懺悔?っていうような告白だったんですよね。

何か、精神的にまいってるから?つか、謝罪ってソレかい。
他のことは一切気にしてないんだなと思った。
さて話は戻ります。


小学生に進級ってことで、祝いとして教会から聖書を贈られる。
聖書をもらうと、その日から朝学校に行く前に父が家にいるときは、必ず父の寝室に朝向かうのが家の決まりでした。

?ノックをして入る
?そこで、その日の聖書の箇所を読む
?父のプチ説教を聞く
?まず自分が祈り最後に締めとして父が祈る。
?そして、学校に『行ってきます』と言い出発


※複数で父の寝室に訪れると初めにノックした人が先頭なわけであって、先頭が聖書を読み祈るという形だったんです。


これを必ずやらないといけなくなったのですよ。聖書の読む箇所は、CS(クリスチャンセンター)ってところに売ってる教科書みたいなのに書かれてる箇所だったはず。

聖書をもらいたての頃は、祈り方なんて
幼稚園の頃に習った
「天のお父様今ココに頂くご飯をありがとうアーメン」しかしたことなかったし。
あとは、もっぱら教会員が祈ってた言葉を小さい頃から聞くぐらいですかね。
幼稚園の横にも教会あったんですが、本来なら日曜はそこにいかなきゃいけなかったんですが、父が園長先生に拒否宣言。
「ウチの礼拝に出させますので」と。
一度も参加したことなかったですね(´・ω・`)

さて
当然、歳の近い兄姉たちの祈りを真似するわけですよ。
「朝起きれるようにしてください」
「夜早く寝れるようにしてください」
「家に帰ったら勉強をできるようにしてください」
「お母さんの手伝いができるようにしてください」
「おねしょをしないようにしてください」

まぁ、こんな感じの。初めの数回は、兄たちについていくんです。
でも、結構寝坊をするガキだったんで、一人で行くことになったんですよ。当然、上にあるような祈りをしましたよ。

そして、「アーメン」で締めくくろうとしたちょうどその時、父が「ちょっと待った」と止めたんです。

なぜ、止められたのかはわかりませんでした。

いきなり父が激怒したんです。「なんね?その祈りは」
なんねといわれてもなんで止められたのかすらわからない自分にとっては答えようがなく、言葉を失ってたんですが、それが余計父の怒りに触れたのか。
「どういうつもりね?」と睨む睨む。
すっかり、竦みあがってその中で「お、お祈りで・す」と小さな声で言った途端に、ビンタ喰らいましたw

「なんもわかっとらん」「何で怒られとーか反省文書いてこい」と父の寝室を追い出され、ボロボロ泣きながら何で怒られたのかすら理解できず、部屋へ向かい、机に向かい反省文を。

でも、何を書いたらいいのかがわからず。白紙でうーんうーんとうなると、母が「父さんがまだ書いとらんとね?と言いよるけどぉ」と催促を。

あまりにも時間かけて白紙だと、また余計に怒られるのは目に見えてて、焦って焦って。でも、言葉は浮かばず。
どうしたらいいのかわからず。心の中では「神様助けて助けて助けて」、「なんで?なんで?なんで?」と。

はい。父、待ちくたびれて部屋まで来ました。白紙なの見て、またビンタ喰らいました。ズボンもさげられてケツも思いっきり平手打ちを。
「自分が悪かったという心を持っとらん!」「もう一度ちゃんと書け」と言い放ち部屋をあとに。


うう(´Д⊂グスン
ボロボロ涙流しながら、でもノートにはなんも書けーん
またもや(´;ω;`)ブワッと涙が。

結局、その後何度か怒られ叩かれ、父が、祈り方が間違っとーけん怒っとるんだろうが」と、いうヒント?をくれ、そこから今日の祈りが悪かったです。という反省文を書け。
何が悪かったとか、そういうことを書いて、最後には神様赦してくださいを書いてようやく父の怒りは治まった。

反省文を書き、まず自分が祈る。「今日は、自分のことを中心に祈ったことを許してください。自分中心の願いは神様が一番嫌うことなのに、それをやってしまった僕を本当に赦してください」と。その後に父が祈り、最後は抱きしめる('A`)

抱きしめられると硬直してました。
恐かったし、理解不能だったし・・。何を企んで、何を計画してそういう行動に?と疑ってかかってました。
その後、何事もなかったかのように学校に行けと言い放つ父

小学校は歩いて5分もかからんところにあったので。
でも、お昼前とかまずいけるわけがない。休みたかったけど、それを赦してくれるはずもなく。



当時行きたくなかったのには理由が色々ありまして。
・ともだちがいない(作れない)
・よく寝坊をした
・オドオドしてた子なので、イジメられやすかった

ですかね。


小1の12月ですかね、家の近くのコンビニで万引きしたんですよ自分。
今思うと本当にアホで、監視カメラあるのに、お菓子手に持って、そのまま外に出、入り口で止まって包装紙を開け食べ・・(;´Д`)捕まりました。
聖闘士星矢の40円か50円ぐらいの正方形の折り紙みたいなガムでしたね。
速攻、担任と母親呼ばれましてぇ、担任にとったら最悪の出来事ですよね。小1でこんな奴がクラスにいる。

当時あの頃、先生がどう思ってたかは知らないですけど、多分憎まれたでしょうねぇ。まぁ、それはしょうがないでしょう。

自業自得なんでしょうがないんですが、次の日はかなり学校に行きたくありませんでしたね。
コワイ顔だった先生が余計恐くてその日から直視できなくなりましたね。

その日の朝の会(HR)でいわれたんですよ。
「昨日、大変悲しいことがありました。そこにいる○○君が近くのコンビニで万引きしました。万引きは泥棒です。悪いことです。みんなは○○君のような泥棒に絶対なっちゃだめですよ。帰りにこのことが書いてあるプリントを配りますんで、家に帰ったらお母さんに絶対見せてくださいね」

いやーーー、生きた心地しなかったっすねぇ。ただでさえ先生の顔見れないのに、クラスメイトにもバレちゃって「おい、泥棒!!」とか「うわ、近付くと泥棒うつるわー」「えんがちょ」「泥棒は消えろ」と

元々、孤立に近かったのに輪をかけてあだ名は『泥棒』

まー、自業自得ですわな。


反省文ノートにはこう書いてましたね(実名伏せ字、あとはノートのまま記載、間違ったことばには()等で補足)

12/6
ぼくは、きょうセブンイレブン(以下コンビニ)のものをとりました。
おかあさんと、○木せんせいと、コンビニのおじちゃんはかなしかったといってました。
ぼくはまえからしてきました。
ぼくはわるかったとおもいました。
ぼくはもうしないっておかあさんにいいました。
どうか、かみさま どうか、ぼくのこころのなかに入る、あくまをこころのそとにだしてください。
そして、あくまをそとにだしたら、ぼくのこころのきたないところをきれいにしてください。


12/7
ぼくは、きのうコンビニのものをまえからとりました。
だから

12/8
ぼくはまえから、うそをついたり、
ごまかしたり、コンビニのものをとったり、
おかあさんにゆ(言)わずに、
おかあさんとおとうさんのゆ(言)うこときかなかったり、
ベンキョウしないでかってにい(行)ったり、
Eにいちゃんがだっそうせ(し)ろっていって、だっそうしたり、
5月なん日かにめんこをぬすんだり、
バイオリンのれんしゅうをまえしなかったり、しました。
ぼくは、わるいとおもいました。
ぼくは、もうしないときめます。
がっこうのかえりがけにも、コンビニによらずに、かえるようにします。
またあそびにいくとちゅうにも、土ようびにもコンビニに、はいらず、またほかのおみせでも、なにもとらんようにします。
またあそびにいっても、おかあさんがゆ(言)ったじかんにかえるようにします。
またともだちに、がむとかをちょうだいとか、ゆ(言)ってないけど、
もしゆ(言)ったときは、まちがえたからやっぱいらないって、
いうようにします。
ぼくは、ほんとうにわるかったと、おもいます。


いやぁ、我ながらガキって文章能力ないっすねぇ。
自分ですら理解不能なところ多いっすもん。
この反省文に対する母の書き込みがあったのでそれも記載


------------------------------
12/6
セブンイレブンから○木先生がよび出されて、○○といっしょに我家へ
------------------------------
12/7
反省文を書かせる。自分の机で読書
------------------------------
12/8
    〃       〃
バイオリンの練習
------------------------------
12/9
1:30〜2:00の間にセブンイレブンの店長さんの所へ、あやまりに行く
気の毒そうにある。子供の自制心の問題です。
------------------------------



自制心の問題・・・って、
小遣い禁止、お菓子禁止にしておいて、他兄弟は菓子普通に目の前で食べてるような環境に置いといて自制心とかもうねm9(^Д^)プギャーーーッ


ええ、父にはたっぷりと叩かれましたよ。
そういえば、今の子供達は自殺を容易にしますよね。
それ、ちょこっとうらやましかったりするんですよ。

あの頃、自殺というか、早く死にたかった。いつも「死にたい」って思う子供でしたから。

よく一人の時のお祈りでは
「神様はやく僕を殺してください」
「産まれてきたこと自体が間違いだったんです」
「僕が死んだほうがみんなが幸せになるんです」
「神様、早く死にたいです」


もちろん、願いは届きませんでしたよ。

キリスト教って、自殺はしちゃいけないんですよね。
・自殺は神様が一番嫌う行為であり、大きな罪であると
・神様が作った人間の体、いわば所有物は神にあると
・人間に与えられたからといって、好き勝手していいわけではないと
・勝手に死ぬということは、それはそれは大罪であると
・自殺という大罪を犯すと死んだ後も地獄に行き、そこで永遠の苦しみを味わうと
・今、この現世で受けてる苦しみよりももっとつらい苦しみを永遠に・・だから自殺はダメだと


こんな感じに教わってたんで、死にたくても死ぬ時の痛み、死後の苦しみを考えると、元来臆病であった自分は死ねるわけもなかったということですよ。


それ以外に、幼稚園の頃から、いや、父に捨てられた事件の後ぐらいから、自分はG兄ちゃんの奴隷でした。
何をするにも逆らえない。
逆らうとボコボコに殴られる。
逆らわなくても、G兄の気分しだいでサンドバッグにもされていた。
よく毎晩毎晩、礼拝堂のある2階の手洗い場のところで殴られてましたね。
父は、大学勤めだったせいか、夜遅く帰ってくることが多かったですし。家には母親と他きょうだいがいるぐらいでしたね。

初めのころは、やはり助けて欲しくて大声で泣き叫んでましたね。でも、泣き叫べば叫ぶほどG兄は怒りまくりで余計ボッコボコでしたよ。
鼻血なんて毎日流してましたから。鼻血が20分間止まらなくドボドボなんてのも日常茶飯事でしたね。
初めの頃は、母が「何してるの!?やめなさい」って止めに来てくれてたし、むしろそれを切望してたので。

でも、G兄は「うるせぇ」といって止めに来た母の腹を思いっきり蹴るといった始末。
母は耐え難い痛みだったんじゃないんですかね。泣いてましたもん。それ以降は、やはり恐かったのかどんなに泣いてもギャーーーとわめいてもG兄を怒らせるだけで、母は来ませんでした。

次第に、痛くても声を押し殺す方法を覚えるようになり、殴られて殴られて殴られ続けても、声だけは、声だけは発しないほどまでになりましたよ。

やはり、死にたかったですね。そんな状況でも神様は助けてくれませんでしたもん。
よく思ってました。
『今まで自分が犯した罪があったから助けてくれないんだろう』と。



G兄が恐くて、隠れただけで激怒して蹴られ。G兄が恐くて逃げただけで殴られ。ムシャクシャしてただけでまた殴られ。

G兄とは4コしか離れてなかったけど、自分にとっては絶対的存在でしたね。あのG兄の怒った声を聞くだけで体が自然と硬直してましたもん。

奴隷状態は、自分が小学6年ぐらいまでは続きましたね。
頭洗う時なども、タオルとシャンプーリンスを持って、後ろからついていき、G兄の頭を洗い始める。

目にシャンプーが入ったっていわれ腹を殴られ、爪を立てた、髪の毛を引っ張ったというだけで、また殴られ、古い給湯器だったので、スイッチは火が点火するまで押しっぱなしじゃないといけなかったのに、即、外してG兄の頭には水が・・・

G兄ブチ切れ。首元掴まれ、顔や胸や腹などをいつものようにボコボコに殴られ
「鎖骨折っちゃろーか?折られたいとや?」などと脅され、首を左右にブルブルと振ると
「じゃ、ちゃんとしろボケが」と怒りが収まるまで殴られ続けましたね。

小学6年で奴隷が開放されたのには理由があって。G兄に親友Jちゃんができたからでした。Jちゃんと一緒にいることが多くなったからか、すぐ殴られることもなくなり。でも、機嫌悪いときや、僕の言葉で機嫌を悪くすると一気に殴られましたけど。

機嫌がいいときは、何もなかったですね。G兄の中学のクラスに来いよ。みたいな感じで上機嫌だったときもありました。


こういうことがあっていたにもかかわらず、父はG兄を止めませんでした。何も知らなかったと言うことは絶対ないんです。
父は、自分の生い立ちなどは一切人に教えないけど、妻や子供の行動は全てを知っておかないと納得しないっていう人でしたので。

そうそう、反省文の中にこういう一文がありました。

・G兄ちゃんに、アレをしてこい。コレをもってこい。言われたときでも断れるようにしてください。

・夜になって、ジュース買って来いといわれたときもちゃんと断れるように

・G兄ちゃんの部屋で寝たり、部屋に入ったり、奴隷のように連いてまわったり、呼ばれた時にははっきりと『イヤだ』と断れるように神様、力をください


こんな反省文書いてて、G兄に奴隷扱いされてるってわかるのに。
それでも、奴隷状態は6年間改善すらされませんでした。

教会という建物の中で繰り広げられていた暴力だったのにもかかわらず・・。

他にこんな反省文もありました。

・ゲームボーイをもうしないように(したくない)できるように。

※すぐ上のカッコ内は父が後から付け足した文字です。


反省文を付け足すなんてなんかちょっと、、、って感じです。
ずーっとずーっと、朝の父のお祈りが恐くて。
あの後も、何度も何度も何回も何回もお祈り中に止められ、叱られ反省文を書かされで、祈りが恐怖でした。

いっそ、父のところに行かずに学校にいけば・・・でも、できるかいな?とそういう気持ちはいつも持ってました。

で、小3の頃に実行に移してみました。いやー、心臓ドキドキドキドキバクバクバクバクで。でも、嫌いな学校に到着したことで恐いけども何かちょっとした安堵感というものがあったんです。

すぐ打ち砕かれましたけど。

朝の会(HR)が終わった後に、K姉がやってきて
「あーあ、父さんが怒っとったよ。バカやね。帰ってこいってさケケケ」と。
心臓が凍りついた様でした。でも、恐くて帰れない。このまま時間だけが過ぎていって欲しいと。ずっとハラハラとしながら時間が過ぎるのを待っていた。

中休み(2限目後の休憩時間)に、母親登場です。
「お父さんが、怒っとるよ。早く帰ってきなさい」「○○が帰らんとお母さんが怒られるとよ」といわれたけども
恐くて「イヤダイヤダイヤダ」と言い張り、最終的には母は泣きながら帰宅。

母を泣かせたということに動揺をしながらも、帰るのがますます恐くなっていたところに、3限目開始。
奴は来た。授業中、父到来。
ガラガラと前のドアを開けて、先生のところにツカツカとやっていき
「家庭の事情があるので帰らせます」と有無をいわさず、強制連行くらいました。

学校から家までが、5分ぐらいだったんですが、帰りのあの道はもー恐ろしかったですね。家に帰り着くまで無言ですもん。
無言で無言で無言で・・・。

玄関入り、ドアが閉まった途端、ビンタ喰らいましたね。
ケツもズボン下げられ、野球のグローブで血が出るまでブシバシと(;´Д`)ヒィィ

反省文行きです。

6/12
きょうぼくは、上にいかないで、学校にすぐ行って、
さいしょにKねえちゃんがまどの下にいて、何もしないで。
家に帰りなさいとお母さんがいっても、ぼくは、いや、いやと、
いいはっておかあさんをこまらせてなかしました。
そして、お父さんが来て帰りなさいといったら、そのいうとう(お)りにして、家にかえってきました。
また、ぼくが、正しいおこないをしていたら、こんなことはなかったのに、
ぼくがせいしょもよまないで学校にいったからこんなことになりました。
こんどからそのようなことがないようにして下さい。
またきのうは、おふろの中で2かいにあったおかしをとってたべていました。
どうかこんどからそんなわるいことをしないようにします。



はい、最後の内容、なぜか書いてしまい。それもバレてまた怒られました。
日記の内容、途中まで赤えんぴつで書いたってことで、またビンタくらいました。ソコからは黒えんぴつに戻しました。


とりあえず、この内容で父は満足してくれたみたいで。いつものように、僕の謝罪の祈りから始まり、次に父の祈り。
祈りが終わったあとは、恒例の抱きしめ・・ハグですね。ハグ(川´Д`)ゲェ
この人、叩いたりしたあとでもハグすればチャラになると思ってたんでしょうかね。


父は、満足げに言いました。「さぁ、学校に戻りなさい」

('A`)

無理っす。嫌です。でも、父の言葉は絶対でしたので、父が大学に仕事に行った後、休みたかったのですが、母に見張られていたので、また泣きながら学校へ。もちろん、それをネタにしたいじめが発生したというのはいうまでもありません。
「あ、泥棒が帰ってキタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!」ってな具合でw

よく泣いてたので、「なめくじ」っていうあだ名もつけられたことが。
4年の頃は、G兄の顔をみただけで逃げたっていうことに激怒したG兄が、顔を両手で思いっきり引っかいたんですよ。
えぐれて、血がでて、かさぶたになって腫れて。
それが、ネコのヒゲみたいに両ほっぺに傷がついたもんだから
「ネコ」ってあだ名もつけられそれが嫌で嫌でたまりませんでしたね。
まー、その他に、絶対門限は守らなかったんですよ。
むしろ、家に帰ったら外に出れなかったんで、寄り道。
時間が過ぎていくたびに恐怖心も高まりでも帰りたくなくて。

よく、
・家にまっすぐ帰ってこなかった
・お菓子を隠れて食べた
・冷蔵庫の物を勝手に食べた
・献金箱の金を盗んだ
・家の手伝いをしなかった
・勉強しなかった
・バイオリンの練習をしなかった


などで、よく叩かれてましたね。でも、その中でも一番恐かったのは、2種類ほどあって
父の怒りの度合いだったと思うんですが両方とも車に乗せられるんです、夜に。

車が動いてる間は無言ですね。

到着地点は、夜の埠頭か、夜の山。
そこに、一時間〜三時間ほど置き去りにされそのあと回収し
家で反省文を書かす。

コレされるのがめっちゃこわくてこわくて。
夜の埠頭とか恐いっすよー。潮の匂いしてるし、ザザーとか聞こえるしチャプチャプとかも聞こえるし。

夜の山なんて、音がないんすよね。
シーンとしてて虫の鳴き声がかすかにきこえたりとか、そんぐらい。

あれは、拷問に近いものがありましたね。車を下ろした場所に戻ってきたときにいないとそれだけで時間延長とか喰らったこともありましたし。


そんな後に書かされる反省文後の祈りなんて、ただ自分が助かりたいだけに口からでまかせをいってたに過ぎないですから。

そして恒例のハグ('A`)
ハグされると気持ち悪くて恐くて鳥肌が立つようになりましたもん。


それはそうと小1の初めの頃は、結構友達もできてたんだけどね。
家が結構離れてたところだったんだけど、遊びにいったりで楽しくて。
でも、それを父が知るや否や相手の家へお電話。
「貴方の家の息子さんとうちの○○を付き合わせるのをやめてください」と。
相手側のお宅のおばちゃんは人ができた人だったんで
「それはおかしくないですか?子供同士楽しがってますけど」と否定。
反抗されたのが気に食わなかったのか相手側のお宅の旦那さんと奥さんの学歴のことを攻撃し始める。
「貴方の旦那さんと貴方は大学はどこを?」なんて失礼なことを。
「そのようなことは、今関係ないことじゃありませんか?」という相手側の言葉に対して
「低学歴の家の子供とうちの子供を付き合わせるつもりありませんから」といい、一方的に電話を終了。


そら、相手側は怒るでしょうに。
次の日から、そのコとは学校でも口きいてもらえなくなって。
「口きいたらダメってお母さんからいわれたから、ごめんね」と。

上の電話の会話内容をなぜ知っているかというと、相手側のお母さんが担任の先生に怒りと共にその日の出来事をぶちまけ、その内容を大まかに朝の会(HR)で言われ、詳細のプリントをもらったからである。

母は、昔の人だったし、亭主関白が当たり前。お父さんが一番正しいと思ってたのか。旦那様には反抗すらしませんでしたね。

「○○が、いけないのよ。黙って友達を作るからこうなったの。お父さんの言うことをどうして聞けないの?」と泣きながら言ってましたね。

うちの家の決まりというわけではなく、僕だけに対して適応されていた決まりでしたね。

他の兄、姉は自由に友達作ってましたし。遊んでましたし。

兄や姉が外出して友達と遊んでいる間、自分は家に帰り、教会の礼拝堂を掃除したり、階段を雑巾がけしたり、家の手伝いをしたり・・。

よく、自分は血がつながってないんだ。どっかから拾われたんだ。だから、みんなと扱いが違うんだと思ってましたね。
家で一番自分をかわいがってくれたのは祖父でした。2コ下の妹が生まれるまででしたけど。
その後、しばらくして祖父は家から出て行ったので・・。
子供の頃って誕生日が待ち遠しくなかったですか?
プレゼントがもらえるってことで。

小3ぐらいの頃に、U姉の誕生日の時に
「今日は、アタシの誕生日なんやけん、プレゼント渡すのは当然のことやろが、お菓子買って来い」と
悔しかったので、逆らうとほっぺつねられました。
「悔しかったら誕生日までガマンすればいいやん。調子こくなよ」と

その次の自分の誕生日の時に、前回の仕返しも兼ねて、U姉に向かって
「ねぇ、誕生日プレゼントわぁ?」とワザとらしく言ったんです。

父に目撃されました。ビンタ喰らいました。
「誕生日は神様にいままで見守ってくださってありがとうと感謝する日だろうが」
「それを、兄弟にむかって自分の欲望だけを要求するなんて、最低だな」
「反省文書いて来い」

泣きながら反省文書くため部屋に直行。

兄、姉達には、「バーカ」「ザマーミロ」と笑われ悔しかったですね。

反省文を書き、祈り、そしてハグ('A`)で終わり。その日は終わりました。

その後、自分の誕生日が来るのがこわかったですね。
「おめでとう」といわれるのが恐かった。
「おめでとう」が本心でいわれてるんだろか?という思いが強かった。
むしろ、思われてもいないんじゃないのかと思った。


それ以降の誕生日は、誕生日の次の日になるまでどっか外に行って日が変わるまで帰らないというのが当たり前になりましたねぇ。

まぁ、そのたびに怒られて反省文でしたけど。



夜のローテーションの祈りもかなり嫌でした。今日はO兄、次の日はG兄、次の日は・・・といって自分の番となるので、その日が近付くにつれ憂鬱になってました。

なぜかというと、朝の祈りと同じような進行なんですけど、それが、家族集合なんですよ。

ただでさえ、祈りで頭真っ白になって焦ってるのに、追い討ちかけられるように精神的に苦しいわけなんです。

祈りの内容が頭に思い浮かばない。でも、無言のままだとどんどん気まずくなる。しかも、シーンとしてて誰も咳払いすらしない。
それが、またしても追い詰められてるような気分になり・・・。

えーと、えーーと、、うう、、えっとえっと。助けて助けて助けてとなっていき。何にも考えないで頭にふとよぎった単語をなんとか文章にして祈るというような内容の祈りを毎回終わらせていたんです。

姉たちが祈ったような「明日も人々が幸せでありますように」とか、
「風邪を引いてる人たちが一刻も早く回復に向いますように」とか、
そういう偽善的な内容の祈りを、なんとかすれば父をごまかせるだろうと。

祈りが終わり、父と母にお休みの握手をし(なぜかうちは『おやすみ』というとき、握手を交わしてた)
寝るために1階に降りていこうとしていたとき、姉達に「思ってもないこと祈るなバーカ」とか言われ、それがまた悲しくて。

バレたから悲しかったというわけじゃなく、祈ってもそういう風に思われてたんだなと・・。なんで、自分だけ・・自分だけ?と、いつも思ってました。

普段の祈りに加えて、集団での祈りに対する恐怖も培われて行ったのでした。
小5の頃、プロミスリングが流行ったんですよ。
ミサンガって奴ですかね。

当然、女の子達はミサンガ作りに走り出し。
うちの家でも姉達がいいなー、ほしいなー作りたいなーと。

その前後に、U姉に
「○○、刺繍糸買ってきて」といわれたんです。
「お金は?」と僕が聞くと、「あ?アタシが出すわけないやろ」
「でも、僕、お金持ってないよ・・・」と断りたかったのですが
「ああっ?アタシがそんなこと知るわけないやろうが、さっさと買って来い」

金無し→買って来い=万引きという構図は普通に頭に浮かびましたね。

丁度、その頃学校でも不良というか万引き仲間はいましたので、彼らと一緒に刺繍糸が売っている某ダ○エーへ

夏間近というのに、恐ろしいほど不自然な格好で。
でっかいジャンバーを着て(;´Д`)

刺繍糸だけを狙って、ポケットに入れていたら、係員に捕まりました('A`)

多分、挙動不振だったんでしょう。格好が怪しかったんでしょう。「ツレは?どこいった?」と聞かれましたもん。

無事3人とも捕まり。親に知らされ、その場を開放され、仲間には、最初に捕まった僕が悪いと言われ、絶交を喰らいw
家に帰り、反省文を・・。

その時に、家に連絡が行ったことで家族は僕が万引きで捕まったということを知ってましたので、U姉がやってきて
「アタシが、盗ってこいって言ったことバラしたら殺すけんね」と念を押されたのは言うまでもありませんが。


使い方すらわからなかった刺繍糸を、盗んだということで父がさらに激怒。じゃぁ、なぜ盗ったのか。知らないなら盗る意味がないと。欲しいから盗るのであって、そんな見え透いた嘘をつくなと怒鳴られ。

今度という今度はもう許さんということで、
「オマエはこれから一年間、少年院に行ってそこで生活しなさい」
「オマエはこれまでずっと、反省するという心を持たない。いや、反省するという心を持つことの出来ない人間だ」
「今から支度しなさい」
「家族に別れの手紙を書きなさい」
「泣いても無駄だ。オマエの罪はもう取り返しがつかない」


泣きながら、別れの手紙を父に母に兄に姉に妹に弟に、祖母に書いて

それを父に渡した。

父は、その手紙を自分の引き出しにしまいこみ。こういった
「今回だけは、少年院行きは許してやる。でも、それではオマエの罪がなくならない。」
「これから一年間、オマエはオマエの犯した罪と戦わなければいけない」
「少年院に行かされなかっただけありがたくおもえ」

と言い、家族を呼びつけみんなにこういった。
「○○は、今までに大変な数の罪を犯してきた。これは、このまま見てみぬ振りをしていくと○○の為にならない。」
「今後、一年間は○○はいないものとして扱うように」
「口をきいてはいけない。反省をしないからだ」
「いま、ココで○○を助けてやらないと、コイツは一生罪を犯し続けるからだ」
「口をきいたら、お前達も罪を犯すことになるからな」


この一年はつらかったですよ。

飯は与えられてたものの、家族が誰も口きいてくれませんでしたから。
兄も姉も、妹も弟も、母も、祖母も・もちろん父も。
母からは一度だけ
「父さんが決めたことだから、しょうがないのよ」と。
日曜礼拝の時は、そんな素振り一切見せないんですよね。

よく、教会の非常階段のところで、一人で泣いたり、
外の倉庫の中で泣きながら寝たり、
寒くて耐えられない時は外の犬小屋で犬と一緒に寝たり・・
家の中に勝手に入ると、兄貴たちに怒鳴られたり殴られたり、父にチクられたりしてましたので入れなかったんですよね。

そんな一年でした。


悔い改める?とんでもない。そんなことされて悔い改めると思いますか?
盗って来いといった姉ですら、無視してましたからね・。


存在を否定され続けた日が長かったせいか、過去の思い出はこういう辛い記憶しか自分には残ってないんですよね。
自分が招いた結果でもあるわけですけどね。それでも、生きてて楽しいと思えた事はありませんでした。




ほんと、いつも『死にたい』と思ってましたね。
いつも、『孤独』を感じていましたね。



一度、19歳ぐらいのころに、カウンセラーに相談したことがあって、子供の頃の記憶がほとんど思い出せないと。
でも、こういう嫌なことは全部覚えていたということで、カウンセラーから言われた言葉は
「それは、記憶欠如というんじゃないわね。ただ単に悪い思い出しかなかっただけでしょうね。気の毒ねぇ」と。

残念なことですが、記憶欠如ではありませんでした。
運が悪かっただけでした。
犬を飼っていた頃があったんです。
野良犬を拾ってきてそれを育てて、、、って感じだったんです。

でも、僕がいつも罪を犯すことで犬たちが被害に。
僕が、門限を守らなかったせいで、僕が一番かわいがっていた犬が保健所で始末されました。

父は、それに対し
「お前が罪を犯し続けるからこういう結果になったんだ。お前があの犬を殺したんだ」と。

その犬は、僕がささいな言いつけを守らなかったせいで何度か、捨てられていたんです。その度に、一週間かけて戻ってきたりとして、すごく嬉しかったんですが、今度こそは助けようがなかったみたいです。
僕のせいで、アイツが死ぬことはなかったのに・・。

そのかわいがってた犬は、母犬で、人間に捨てられていたせいか、あまり人に懐かなかったのも災いしたのでしょうか。

僕と、一家の大黒柱の父にはちゃんと従ってました。
でも、教会員の人たちには、懐かなかったせいもあるかもしれませんね。

生まれてきた子犬たちは、無事でした。あくまでも、母犬だけがターゲットだったのでしょうか。

未だにそれはわかりません。
よく、日曜礼拝に遅刻するだけで、反省文書かされてました。

家庭集会というものがあったんですけど、その間、ひとり家に残され、他家族と教会員の人は、その日開かれる家に行くんですよ。

ポツーンと、礼拝堂に独り。そこで、ぼーっと何がいけなかったのかとノートにφ(;ω; )カキカキ

父によく「どういうつもりね?答えなさい」とか「どういう風に思っとーとね答えなさい」とか、
ああいう詰問をされると必ずといっていいほど顔から冷や汗が常にダラダラと出てましたね。。
あれは、かなりの精神的苦痛でしたよ。あの言葉を聞くだけで頭が真っ白になり。思考回路が停止するんです。
で、何も答えられず父激怒→反省文行き。もう、理不尽もいいところでしたね。


そんななか、よく言われてました。
「うちの方針に従わないなら出て行きなさい」と
バイオリンの練習をしなかった時
家の手伝いをしなかった時
聖書を読まなかった時
教会堂の掃除をしなかった時

言いつけを守らない時(ほぼ毎日(^ω^))


売り言葉に買い言葉で「じゃぁ、出て行く」というものなら
即座に、ビンタ喰らってました。
それでも、家を飛び出すと警察に通報されてましたので「まだ家に帰ってこないんです」とかいけしゃーしゃーと。
要するに選択肢は1コしかなかったんですよ。


従え


と。


それでも、日曜の礼拝には参加したくなかった。体が拒絶してたので、性懲りもなく出席しなかった日があったりしたわけです。
馬鹿でしたから。


それでも、ふと幼稚園の近くまで行くと、そこの近くに初めて教会を見つけたんですよ。
入ってみると、幼稚園時に妹と弟の先生してた女の人がいて。
幼稚園児のクラスメイトが数名いました。

なつかしくて。うれしくて。
その女の先生はそこの教会の娘さんだったみたいで。
この教会にはよく幼稚園の卒園生がくるそうで。
また次も行きたいなと思ったんです。
帰ったら怒られることも忘れて・・・。

「どこ行っとったとね?」ときかれ、
「■×のバプテスト教会行った。幼稚園の卒園生とかいっぱいいて知ってる人もいた。日曜の礼拝を出なかったわけじゃない」と言ったんだけど、ビンタ喰らいましたね。

「うちの方針に従えないなら出て行けー」、はい伝家の宝刀でました。
「なんで?教会だったらどこの教会行ってもいいやん。なんで?学校でも言いよったよ。宗教の自由って」というと、
いきなり、「若僧がぁ」と怒鳴られました。
「ことの良し悪しはお前が決めれるもんじゃない、偉そうな口きくな」

いやぁ、若僧とかそんなセリフきいたことなくて、ビックリしましたね。



感情押さえきれず、今までためこんでいた気持ちを口にした。

昔捨てられたことの話をだした。
「母さんから聞いたけど、あの時捨てたくせに、電話で「目を離した隙にいなくなった」とか言ったみたいやね。」
「あのあと、K姉ちゃんが犯人だってわかったときも、何も間違ったことしてないぞみたいな感じで流したやんか」と
「牧師のくせに、嘘ついていいと?罪じゃないと?」

ボゴッと殴られましたね。グーは初めてでした。
そして、
「お前が今まで犯して来た罪で、償えたものはあるんか?そのたびに父さんは傷を受けてきたんだぞ。何も償ってきてないくせに偉そうな口きくな」

話はソコで終了。その後、反省文を書かされ。
今後、二度と別の教会に行かないと約束させられました。
16歳に丁度なった時だったかな。
東京に引越しということで、父からの洗礼を受けることができるのは今回が最後という状態だった。

洗礼を受けるのは教会員の人数名と、僕とK姉だった。
当時、日曜学校の低学年を受け持っていた講師がいた。
女なんだが、うちの父と乳繰り合ってた仲の女(以下A子)で、
よく、母親の前とかで僕らきょうだいに向かって
「私のこと、お母さんって呼んでもいいのよ」と勝ち誇ったような顔で言ってた。頭のネジがおかしい女だ。

そのA子が、率先してみんなに色紙に一言一言を書いてもらってたんだ。
うちの教会は、バプテスマ(洗礼式)が終わったら、受けた人、一人一人にみんなで寄せ書きした色紙を手渡していたんだ。

毎週、恒例のように朝早めにやってきて、父とハグしたり、チュッチュしてた姿を何度も目撃していた自分は、
「ね、○○は何色の色紙が欲しい?」と言ってきたA子に
「そんなもんいらん」とボソッと言ったんだ。

聞こえちゃったみたいで。でも、聞こえなかった振りをして何事もなかったようにしていたんだが、礼拝が終わった昼にさしかかる時に、父親に呼ばれた。

もしや、バレた?と思い父の発言を聞いた。
「今日のバプテスマ、止めようと思う」
「お前、A子姉妹にそんなもんいるかって怒鳴ったんだってな?」
「A子姉妹が、泣きながら言ってきたぞ」
「そんな、人の心を踏みにじるような人間にバプテスマを受けさせるわけにはいかん」
「もし、このまま悔い改めないのなら、みんな出発の準備してるが、お前だけ置いてくつもりだ」


ココまでくると、どんな言い訳も通用しないのは長年わかってきたこと。今日、バプテスマを受けるのは教会のみんなが知ってること。
ここで、一人だけ置いてかれるなんて、無理。恥ずかしい今後どんな目で見られるかわかったもんじゃない。


テメェが、あの女と乳繰り合って抱き合ったりしてなきゃ、こんなことになってねぇんだよ。って言えれば苦労しなかったんですが、そんなこといえるわけもなく。


とりあえず、ごめんなさい。人の気持ちを踏みにじって…(ノ_・、)
と表面的に反省の素振りを見せ…
でも、心の中では一気に冷めてしまった。
バプテスマを受けさせる、させないがテメェの女の都合かよ。
そんなんクソクラエだ。

とりあえずうちのバプテスマは海ではなく山の中の深い川の部分で毎年行ってたんで、そこまでみんな各自車で向かい到着。

はやくおわんねぇかなーと思いながら、自分の番が。

全員で賛美歌を歌い、歌い終わったあと牧師と二人だけで川の中に入っていき、
水が胸の高さまであるような場所で止まり、そこで牧師が「神の御名において〜」
といいながら、川の中で体全部を仰向けの状態で沈めるんですよ。
もちろん、顔はタオルで隠しつつ、一瞬で終わりましたが。
終わったあと岸にあがると教会員が感激?なのか嬉しいのかしらないけどみんな泣いてるもしくは、目頭を熱くさせてるんですよね。

うは、めっちゃキモーイ( ▲ ;)ゲェェ・・・って思いながら、タオル羽織って着替えを。

全員が終わったところで神に感謝をと、またしつこく賛美歌を歌い始めるんです。
それが終わりやっと帰路へ。

教会に帰り着いたときには、バプテスマを受けたほかの教会員の人たちももちろん、過去に経験済みな人たちの目は、喜びに満ち溢れてましたね('A`)
東京の大学が、父の功績を褒め、引き抜きをしたと当時父は言ってました。東京に出てくることをかなり悩んだと。
でも、これが神様の望んだ道だと。ならば新しい地で生きていかなければと。

ま、本当かどうかも僕は知るよしもないですけどね。
聞こえたなら幻聴ですよきっと。



東京に引越しした家でも、毎週日曜日午後2時ぐらいから内輪の集会を開いてたんです。

なんでも、その集会をテープに録音して地元の教会員の人たちにダビングして渡すため。

なので、日曜は必ず午後2時には家にいないと罰せられるんです。

O兄が東京のミッション系の大学行ってたんです。
そこの付属の教会に行ってみることに。
なんだか、明るくて楽しそうだなーと。
なんか、午後からレクリェーションがあるみたいだ。
何々、親睦会?いいねぇ参加してみたい。

でも・・・門限午後2時だ・・('A`)

とりあえず、ダメ元で家に電話。新しい教会で親睦会あるから参加したいという。

却下され、すぐ帰ってこいとのこと。

じゃぁ、来週も待ってるからねーと。

来週の日曜日も、すぐ帰ってこいと、その新しく行き始めた教会、行き辛くなって行くの止めました。


なぜか、父には「そらみろ。お前は長続きしたためしがない」
「行くだけ無駄だ。おとなしく家の集会に出ればいいんだ」と。


そして、またこの家で行われる集会に嫌々参加するわけです。
この新居で一番の恐怖は、集会内容をテープに撮ることでした。
初めから終わりまで全部。お祈りも含め。

コレが一番の恐怖で・・祈りの内容を何度も聞かれるというところから、また気持ち悪くなっていき、追い詰められていったんです。

東京に来たことで、牧師は辞めたんですが、 その大学の教会で時々説教をするようなことはしてたんです。

あとは、牧師生活が長かったからか、ああいうコトをしてないと落ち着かなかったのかもしれませんね。いい迷惑でしたけど。
毎週、家庭集会みたいなお祈り会を日曜の午後に開く・・。
参加任意(と見せかけて強制)

拒否すればいいじゃないという方もいるかもしれませんが、拒否する、、すなわちそれは家を出て行くということにつながるのです。

当時、僕は東京に出てくる前に一度地元で高校を中退してました。志望校じゃなかったこと、元々かなり酷い寝坊をする人間でしたので、朝07:30からの授業に当然起きれるわけもなく。

早く寝ればよかったんだろうけど、夜の静まった孤独な空間にいることで初めて、落ち着くことのできる腐りきった人間だったので、無理でしたね。

元々、孤独と隣りあわせで生きてきたので孤独という場所が一番居心地が良いという悪循環だったのかもしれません。
家にいるのが精神的にきつかった頃ですから。

アルバイトなり仕事をして、家を出れたらよかったんでしょう。
でも、親が教職員。しかも教授とか変人だと学生時代は勉強が命だとか言って、アルバイトとか絶対させなかったんですよね。
これは、僕だけじゃなく兄弟全員に該当してたことでしたけど。
まぁ、自分と違って他の兄弟は父の絶対的な監視があったわけでもないので、奴らはこそっとやったりしてたみたいですけど。
なんで、バイトはおろか履歴書の書き方すら知らなかったんですよ。どうやってアルバイトを探すかと。
自分で電話して、自分で会話して、自分で・・というのが一切できなかったんですね。

ぶっちゃけ、友達いなかったんで電話かかってくることもなかったですし、かけることもなかったので、家電話の操作がいまいちわからなかったのもあります。

そういう意味で、かなりヘタレな人間として出来上がってた僕からしたら、家からいきなり追い出されるという行為は死ぬということと直結でした。

17歳の時に、一度地元に数日間ほど戻ったことがあり、その数日間で色々と考え決めたことを、18歳になった時に父親にぶつけました。

・今後はキリスト教を信仰しないこと
・祈らない
・聖書を読まない
・集会に絶対でない

当然父は激怒し、伝家の宝刀を抜きました『家の決まりに従わないなら出て行け』と。お決まりですね。

今度は、決心は固いものでした。
家を出たとしても、昔とは違い日雇いなどの登録制のアルバイトなどして食いつなげばいいと考えていたぐらいですから。

なので、「いいよ、出て行くよ」と父に言い放ったんですが、
意外な言葉が父から出てきました。

「出て行くというなら、いままで育ててきた18年間の生活費と学費を今すぐ耳そろえて返却しろ」
「生活費でざっと計算して300万、学費はもっとあるだろうなぁ」
「出て行くということは、家族の縁を切るということだ、すなわち他人ということは育てる義務もないわけで」
「今すぐ払えないなら、出て行くなんて偉そうな口きくな」


貯金も全然ない人間からどうやってそんな莫大な金を引き出そうというのか、はっきり言って無理です。そんな金あったら一人で生活してます。
そんなわけで、結局勇気を出して言ったことも実行できずにまた時が・・・。

その間も、あの日曜の家庭集会の苦痛は続いていった。
地元で高校を中退したのはあるきっかけがありまして。
当時通ってた高校は、芸術の科目が書道しかない学校でして。

男子校で、元々はスポーツが秀でてるような学校だったので・・。
ま、自分は運動は小さい頃から禁止されていたので、かなり運痴なほうでしたね。キャッチボールすら捕れないほどの・・。
反射神経が皆無でした。全部、身体に受けてひたすら耐えてたような人生でしたから。

自分がよく遅刻をしており、このまま留年となると、父の肩書きに、世間体に確実に傷が付きます。
それを察したのか、いままで僕が通っている高校のことすらきかなかった父がいきなり、『音楽のない学校は認めん!!自主退学しなさい』と。

そこまで言い切ったのには、理由がありまして。当時、うちの教会にきてた女性で、山形の独立学園卒業生の人がいたんです。

山形の基督教独立学園というところは、内村鑑三の無教会主義の伝統を受け継いだ学園であって、その紹介からすでに父は気に入っていた様子。

既に、東京に上京することはきまっていたのだろう。
今通ってる高校を中退させ、そこを受験させたかったようだ。
自分としても、当時のあの高校を辞めれるという後先考えずな思考が先行してか・・嬉しかったですね。馬鹿ですけど。

高校という新しい環境で、元中の人間は全部違うクラス。
しかも、人とどう会話すればいいのかを知らなかった人間に男50人のクラスはきつすぎましたわ。
人の機嫌を損ねるという行為が一番の恐怖だったんで、一言一言にビクビクしてたような気がします。
まぁ、そんな人間いたら普通にイジメられますわな。
クラスのリーダー的存在の奴に煙たがられましたからw

そういうのもあり、辞めることに多少なりの安堵感はありました。
あと、独立学園の自給自足の生活に憧れも・。
動物と触れ合うのは好きでしたから、人間と会話することよりも好きでしたので、学年約25人という少数で、牛などに囲まれての生活をやってみたく。

でも、その気持ちも次第に薄れていったんですよね。
父が、教会で自慢のように、「今度、うちの息子が独立学園受験なんですよ」と言うんです。
「息子が受験」というかは、「父のコネで父の名誉のために、父の世間体のための受験」になりさがっていき、

「今までの流れは全て神様が用意してくださったものだ」
「神様が、いまこの時このチャンスを与えてくださった」

など、父一人でワクワクしてたみたいで・・(;´Д`)

実際、受験のために父と一緒に独立学園に行った時のことです。

三者面談で面接官に言われました。
"なぜ、前の高校を中退したんですか?そしてなぜ、また高校に入ろうと?"と。


正直に答えるべきだと思ってたので、
「遅刻欠席サボリが多かったです。学校自体が嫌いでした。でも、辞めてみて周りの同年代の時間の流れから一人外れたことにより、この一年はかなり寂しいものがありました。もう一度、高校に入りがんばっていきたいと思ったので受験しました」と。


次の面接内容が
"お父様に質問ですが、学園は私立ということでかなりのお金がかかります。払いきれるのであれば問題はありませんが、厳しいというのなら考えなおしたほうがいいかもしれません"

その問いに父は
「はい。正直かなりキツイと思います。まだうちには下に3人の子供が残っており、上は大学高校といってましてかなり家計は厳しいですね。」
なんて、馬鹿正直に答えやがりまして。
とりあえず、試験は終わったんです。夕飯は食堂で全員集まって食べるというときに、受験者一人一人が自己紹介をしてたんです。

受験した生徒が紹介したり、その父母が紹介をしたりと様々でしたが、例に漏れず自己紹介は父がしました。

地元で牧師を二十数年間続けたこと。家族が多いこと。でも、神様に恵まれてココまで受験するために訪れれたことなど。
今現在の家計の苦しさなどいわなくていいことを、なぜか自慢げに話す父の横で、かなりうつむいてましたね。恥ずかしくて。


当然、試験は不合格でした。
父は
「オマエが、サボリですよサボリ。って笑いながら言ったからこうなった」
「神様は見ておられた」
「傲慢で驕り高ぶったからだ」
などと、罵り。教会員にもそのように約1年間ほど言い続けてましたね。

昔、小6の頃も似たようなことがありまして。
元旦礼拝の終わったその日にいきなり、月末にあるミッション系のかなり偏差値の高い中学がありまして、そこを受験しろといきなり決定事項を申し出たのです。

当然、馬鹿だった自分は今以上に参考書を渡され、何も出来ないまま当日を迎えた。
当日までにやはり父は教会員などに「○○中学を受験させることになったんです」などと自慢げに話していた。
牧師の息子ということ、教授の息子ということ。誰からも頭がいいと思われてたのだろう。

当日は、試験会場まで父が連れてきてくれた。試験会場入り口でおもむろに聖書を開き、用意してた箇所を読み、それに対しての説教を説きはじめ最後にお祈り('A`)

結果はいわなくてもわかるでしょうけど不合格。

途端に父ブチキレ
教会員のみんなには
「自分から受けると言っていたのに裏切られた」
「見込み違いだった」
「受けさせなきゃよかった」
などと、言いたい放題。

まぁ、昔から変わってなかったということですかね。


結局、都立の頭の悪い高校に入学しました。
独立学園の試験が10月でしたので、3月の普通の試験は受けれたんですよね。
独立学園の受験に失敗した頃ぐらいから、ある溜まり場を見つけてまして・。そこで知り合った人たちが野球ファンだったということからバットの振り方や、キャッチボールのしかたなど色々教えてもらい、野球をやってみたいという結論に至り、

じゃぁ、高校に入って野球部入れよ〜と。

そういう流れもあったのか、高校に入ると迷わず野球部に入部。家庭集会にやってきてた老人の孫がその高校に通ってて事前に素人でも入部できるということは聞いていたので。

初めての自分探しみたいな気持ちで、クラスでも勇気を出して自分から声を掛けるということを学び、色々と楽しい生活過ごしてました。

やっぱり、高校で仲間ができると楽しいもので、通い続けていた溜まり場には疎遠になっていった時でもあったんです。

居場所のない頃だったからこそ、居心地がよかった場所でもあり・・。
その溜まり場は、こじんまりとした古本屋でした。
本屋の近所の子供が数名溜まってるような場所で、かなりよかったんですけど、そこの店主がちょっと・・。

少年好きだったみたいで、色々とちょっかいかけられましたよ。

ま、中2の頃学校をサボった時に、強姦された経験もあったんで、そういう人間はなんとなーく空気でわかるって奴ですかね。

それに、家族の愛に、特に父性愛が欠如していたもんですから、優しくしてくれる人は好きでしたね。しかも、父と同じような歳の人でしたから。
普通にしてる分にはよかったんですけど、次第にケツを要求してくるようになりまして・・(汗)

ただ、拒否るとその溜まり場には二度と近づけないという雰囲気もあったし、優柔不断な性格な自分にはキッパリと断るという行動はできず、結構相手に流される感じでしたわ。

ただやっぱりそれは、LoveではなくLikeの好きでしたから、別に感情はなく、父さんだったら・・?みたいな感じでの付き合いでしたね。
居場所はそこしかなかったからなおさらなとこもありましたけど、高校に入りそれが一転しちゃったんですよね。

高校に入ることによって、部活もあるし、クラスメイトと遊ぶしで、溜まり場にはほとんど出向かなくなってました。

高校最初の夏休み直前に、溜まり場の兄ちゃんの一人が、原チャを譲ってくれるという話が出て、免許とってこいよ

な、流れになって。
くれるならもらうーって感じで、もらいにいったんですよね。
原付あるなら夜でも遊びにこれるだろうし、それにその原付は溜まり場の兄ちゃんたちが順々にお下がりで受け継いでいってるモンだったみたいで、乗り方とかも教わったりして。

原付もらったときには、かなりうれしかったですから、どこにいくにしても原付乗ってましたね。
東京の電車に未だ慣れないこともあり、原付は必需品といっていいぐらいのモノでしたね。

ただ、その頃から溜まり場に足を運ばなくなった理由がありまして、店主のオッサンが高校生になったことだし携帯を買ってやると。それさえあれば、いつでも連絡できるからという勧めがあったんだけど、束縛されるのもイヤだったし、何よりも他人名義の携帯というものを持つのは気が引ける状態。

さすがにそれは、、と。アレだのコレだのといいわけして携帯は拒否ってた。
そのたびに「俺のこと嫌いか?」とか「好きじゃないのか?」と、、
いつ頃からか、そういう感じになってたんだよね。
そのオッサンには12年もの奥さん(男)もいるってことは、お店でも公認だったし、その奥さんがお店にやってくるのも結構あったしで、周知のことだったんだ。

そんな人に、なんか嫉妬心持たれるのに嫌気がさしてきたことを、当時その店の店員の兄ちゃんに相談してた時でもあったんだ。
その後、ちょっとしたトラブルが発生したんだ。
クラスメイトが、携帯じゃなくても、PHSでも持ってみたら?
という進めで、PHSを購入。
友人などに、アドレスなどを送ったりして、初めての携帯にカラオケの誘いのメールが。

日曜で、家庭集会もかったるい状態だったんで、原付飛ばして新宿まで。

ま、男経験あるもんで、新宿のどこにそういう街があるっていうのも知ってたし、行ってみたこともあったし。そういうので、そこらへんに適当に路駐できる場所も知っており、そこに原付置いて、集合場所まで向かったんだ。

2、3時間ほど馬鹿騒ぎした頃、姉からメールが
「父さんが怒っとったよ。いい加減にして帰って来い」と。
何度もメールがしつこかったんで、帰ることに。
原付の場所に戻り、外付けの鍵をはずし、定位置に入れようとするとなにやらゴミが大量に入ってた。

なんだよ・・と思って出してみると、何かを破ったようだった。
よくよく見ると、全部写真で、しかも僕の写真だった。
破られてない写真が一枚だけ入っており写真の裏には「残念です」と一言書きなぐり。それ以外は全部ビリビリに破かれ・。

何がなんだかわからなくなり、クラスメイトに相談をしようと、その場で電話をかけるがバイト中なのかつながらず。
丁度その時、前方から車がやってきたのだが、その車がライトを上にチカチカと上げたので顔をそちらに向けると、、、、

あの、溜まり場のオヤジが睨みつけながら車を徐行しつつ、通過。通過した先で停止し、窓から顔を出しこちらをまだ睨み続けている。

あれはめっちゃ焦ったよ。しかも、なんか勘違いされてるしで。
そのまま、乗って逃げればよかったんだろうけど、原付をそのままにし、走って逃げましたよ。

あっちも走っておっかけてきたんですけど、こっちは体型細かったですから、逃げ切れたんですが、原付の周辺をウロウロしてるんですよね。

帰るにも帰れない状態で・・。
でも、らちがあかないんで出会わないことを祈りつつ、原付を置いてるところに。
丁度、いなかった時で、急いで鍵をはずし、ヘルメットをかぶり、エンジンをつけて・・・って時に前から今度はかなりのスピードでやってきて、捕まっちゃいました。

「助手席に乗れ!!」と怒鳴られ

「なんで?」と平静を保ってる振りをしたが

「いいから乗れ!!!」と気迫に負け

車に乗るといきなり色々と
「裏切られた」
「別の男と会っていた」
「携帯を拒否ったのに誰から買ってもらった?」

色々と違うと、カラオケに行ったというのも一切信用してもらえず、、、PHSだって前日に買ったばかりだと何度も同じことを言ってると、落ち着いてきたのか、

・番号を教えること
・今週、火曜日に溜まり場に遊びにくること

を、約束させられその場を解放された。

約束をしたこともあり、PHSから電話をかけ、番号を教えた。
火曜は雨で、行けそうにもなかったからその旨も伝えたら相手は上機嫌で「いいよ、いいよ」と言ってた。

それ以降、自分からは電話しなかったんだな。PHSから携帯にって当時結構高かったからさ、あまりかけたくなかったし、
そうこうしてて2週間ほど経った時、その店主から電話があった。

「会って話したい」と。

なんか、また愚痴愚痴言われるのかいなー?って思いながら、
店主が家の近くまで来てたんで、車に乗ってそこで会話しはじめた。

店主がいうには
・俺はお前とは恋人と思って付き合ってたつもりだった
・お前が、他に好きな人がいるなら喜んで引き下がるよ
・ただ、そうならそうでハッキリいってほしい
・それでも時々は溜まり場に遊びに来て欲しい
・サバイバルゲームにも時々は参加してくれ

と。

だから、
部活が忙しいこと、高校入ってから彼女ができて付き合ってること、クラスメイトと仲良くなりそっちと遊ぶのが楽しいこと、溜まり場が嫌いになったんじゃないけどでも高校生活を優先してしまうこと。

色々といったら相手も納得してくれたんだ。

「じゃぁ、いつでもいいから遊びにおいでよ」といわれ、
じゃ、またね。と別れる前に、サバイバルゲームで借りてた迷彩服を洗濯して部屋に置いてたのがあったので、ついでに渡しておこうと思い、家に取り帰り、そして店主に渡したんだ。

それが、間違いだったのか・・。

その店主には「もう二度とこねーよ」と思ったのか・・。

自分としては、借りっぱなしがアレだったんで、渡しただけだったんだが・・。


それからしばらくして、、非通知の電話が始まった・・・。
非通知電話は、初めから相手にしないつもりだったんですが、
こう何度も常になると、何か大事なことでもあるのだろうか?と
当時、公衆電話でも非通知と出ると信じてたトンマでしたので、非通知電話が一週間鳴り響いた後、電話に出てみた。

しばらくは無言だったんだ、イタズラかいなと思って、切ろうとしたら、あの店主だった。

「あれから、色々考えたんだが、納得できなくてね」
「俺が受けた屈辱、何倍にしてでも返してやる」
「復讐してやるよ」
「安心なんてさせないからな?常に恐怖感を保ってやるよ」
「忘れられないようにしてやる」
「いままで、あげた色々なものを返してもらうよ」
「あいつらにもらった原付、本来は俺のだから返してもらう」
「溜まり場に来る往復交通費や、サバイバルゲームなどで食べた食費や、その他諸々、30万を返してくれ」
「返さないつもりなら、窃盗罪として訴えるからな」
「実家がヤクザなんだよな。お前、ナメてんだろ?」
「殺してやろうか?」
「まだ死にたくないだろ?」
「ふふふ、そのうちいやというほど後悔させてやるよ」
と、延々と言われ、電話をブチっと切られ・・。

当然、どうしたらいいのかわからず、当時、彼女の友達の女の子で、周りからみてもかなり大人な感覚での話ができる子にまっさにき相談したさ。全部を・・。

「絶対ヤバいって。はやめに警察に言ったほうがいいよ」と、アドバイスももらった。

でも、なんとかその最終手段を講じる前になんとか解決したかった。警察に、色々と全部を話す勇気もなかったし。

でも、それから何度も何度もかかってくる電話。
留守番に、
「お前の彼女にも復讐してやる。お前のせいだからな」
「俺は常にお前を見張ってるからな?どこに行ったってわかるんだぞ」
などと・・。

東京に出てきて、多少なりとバイト(登録制)をするようになって、法律などに詳しい知り合いもいたことで、そいつに事の次第を相談した。

そいつの案はこうだった
?「とりあえず、警察にこのことを相談したら、相手から電話かかってきたら、その旨を伝える」
?「二度と電話などその他接触をしないといい、一方的に電話を切る」
?「それで相手が、二度とかけてこなければ成功。それでももし続くようだったら本当に警察に行きなよ」

と。

自分はその案を選んだ。
丁度、近いうちにまた脅しの電話がかかってきたので、
一方的にその内容を告げた。そして、電話を切った。

・・・・・終わった。勝った。これでもう、怯えることはないのだろうか。と思った。

矢先に、自宅の電話が鳴る。まさか、あの店主じゃないだろうと思ってたんだが、そのまさかだった・・・。しかも、電話と取った相手が悪かった・・・。父親だった。


話の内容的には、相手の店主が一方的に
「警察だけはカンベンしてくれ」としきりに言ってたみたいだ。

父は話の内容が読めなかったのか、「何のことですか?」と。
そしたら、相手が警察が云々と、問題の相手が僕だと色々ボロボロというわけで、、、

こともあろうか、父は僕がまた万引き?などして警察に厄介になったと勘違いしたのだ。そして、その店主に
「警察沙汰をよく起こすんです。すみません」と言ったそうな。

相手は、その言葉を聞くなり、いきなり態度急変。
電話を僕に代われといい、代わった途端言われた。
「お前は、そういう手口で人を騙してきたんだな。お前の父親がそう認めたぞ。もう、言い逃れはできんからな。テメェは最低の人間だよな。俺が一番の被害者だったんだ。ふざけんな。もう許さねぇ。覚悟しろ」

と

もう、何を言っても、そういう手口でオヤジを騙す人間ととられてしまって。話にならない状態に・・。
そこへ、余計な発言をした父親がしゃしゃり出てきて、、
相手に対し「事情が飲み込めない。色々知りたいから大学の研究室に電話をかけてほしい」
と、研究室の電話の番号をアホだから教えたりして('A`)

挙句、僕には
「コレ以降は、父さんと相手とで話を解決するから関わりは持たせん」と言い放ち数週間が経った。


父に呼ばれたので、父のもとにいくと
「お前はなんてひどいことを相手にしたのだ」
「お前のやったことは大罪だ」
「よくそこまで人を人と見ない行動をとれるものだな」
「相手の方はとても紳士的で、お金のことは大目にみてくれたぞ」
「お前が自活するようになってから慰謝料も含め100万返済するということになった」
「だが、それでも鬼ではないと、お前のことを考えて50万でもいいと言ってくれたんだぞ」
「これ以上は、お前とのコンタクトも取らないという約束を快く受けてくれた」

とか、なんかふざけた展開にしてくださりましたよ。

こっちの言い分は、全て嘘だと決めつけ、挙句の果てには

「やはりお前は反省するという心を持って生まれなかったんだな」
「今まで犯した罪を悔い改めなかった報いだ」
「神は全て見ておられる」
「お前は地獄行きだ」
「お前なんて、生まれてきたことが間違いだった」
「生まれてくるべきじゃなかったんだ」
「お前がいたせいで、父さんの青春時代はなかった」
「こんな奴のために働いてたかと思うと、情けない」

などといわれ、罵られ…。


とりあえず、もう接触はないと思ってたんだ。
30万が100万に膨れ上がったこと、僕は同意してないこと、色々不満はあった。
相手が被害者を言い張り、なぜこちらが加害者なのか?
勝手に恋人だと思い込んでたのに?
脅迫などしてきたのに?

いくら思っても納得いかないものだったけど、無力な自分には何もできやしなかったんで、、この話はここで終わった。


かのように見えたんだ。

父は、今回の件がかなり気に食わなかったみたいで、
「悔い改めよ」とか
「毎週教会に通わないからだ」
「お前はいままで長く通ったためしがない」
「ここのところ参加しない家庭集会にも絶対に参加しろ」
「正しい道に矯正させるのが親の務めだ」

などと言い、今まで以上に行動を監視、制限すると言い出した。

だから、昔言ったように、すべて拒否した。
『出て行け』『出て行くならいままでの学費・生活費を払え』とまたいわれたが、今回はそれでも引き下がらなかった。

ただ、住み込みで働くから、返済は分割にして欲しいということを伝え、職探しを始めた。

アルバイト情報雑誌の一番最後に住み込み系の募集があったなかで、コレだと思うものがあった。

酪農農家での仕事。独立学園に入りたいと思ってたこともあり、獣医になりたいと思った頃もあり牛は好きだったし、堆肥の臭いすら平気だったし、何よりも家を出て働ける。
きつくてもがんばってみせると自分なりに決心をした。

電話面接で緊張しながらも一生懸命伝えた。
最後に一言だけいわれた
「もしも、家庭が嫌で逃げてくるっていうんだったら採用はしません」と。

逃げるわけでもなかったし、家を出て働くためでもあったので、それはないと。今すぐにでも働いていかなければいけないということを伝え、それならばいつから働いてもらおうかという話になった。

色々と準備もあるだろうから、3週間後に、、ということに。


父が、教え子のいる職場を数点勧めてきた。もちろん、監視しやすい為でもあるのだろう。
だが、仕事が決まったことを父に告げ、3週間後に発つことも伝えた。それまでに旅費やら当面の生活費を確保しないといけないといつもの日雇いでもするかなと思ってたところに
思いがけない父の言葉が。

「誕生日も近いことだし、北海道までの旅費は父さんが出してあげるよ」
「どこで働くか、牧場の名前と住所と電話番号と教えてくれないか?」と。

働き出すまでそういうことは教えたくなかったんだけど、しつこかったのもあり、電話番号は絶対教えないとしても、まぁ牧場の名前ぐらいなら言ってもさほど問題はないかなと思った。

この三週間の間、父はニコニコしてた。
自分も準備に色々と。家にあったもので一番思い出があったのが1コのバイオリンだった。やりたくないといいこのバイオリンをぶん投げたことだってあった。

中2の終わりで、当時の先生がバイオリンをしてて受験に落ちたとかいわれたら嫌なのでと言われ辞めたあの日からずっと家にあったものだが、やらない日々が続くと人間は嫌なことだったとしても多少懐かしむものだと思う。

そのバイオリンを、知り合いの店のマスターに預けると共に、またいつかお店くるんでそれまで〜と頼んだ。

出発当日、なぜかG兄が家に帰省してた。
出発予定時刻になり、最後に家族にさよならを告げようとした時に、G兄に拘束された。
「父さんの命令だ、お前が家を出ようとするならぶん殴ってでも止める」といいだした。

今更何言ってんだと思い、父に反論した。
父は
「あれからずっと考えた、お前は間違った道を進もうとしている。家を出て飛行場に向かいたかったら、あのバイオリンを持ってこい。あれはお前のではない父さんのだ」と

数年間埃かぶって倉庫に入ってた一度も触ったことすらないバイオリンを今更、自分のものと主張する。
「あれさえ出せば、今すぐにでも出発できるぞ?」と。

バイオリンを渡しにいったことを知ってるのは、家にいた母だった。多分母が報告したのだろう。今、家にないことも知りつつ、取りにいくと出発に間に合わないことも計算しつつ、出発直前までそのことを一言も言わなかった。

「お前のその行いは許せるものではない。だから、旅費を出してやるといった言葉は撤回する、さぁバイオリンを取りに行ってくるなら話は別だが?」

その店は、夕方まで開店せず、マスターも多分寝てるだろう。その状態を知ってるのか、朝10時にそのようなことを言い出した。飛行機が飛び立つのは12時の予定だった。
家からその店に向かうまでに40分、家から空港までが1時間ちょい、、、到底無理なわけで。

なんとか、殴られてでもいいから無視して出て行こうとした。
その時、G兄にサイフを抜き取られた。

「コレがなけりゃ、家でれねぇだろ?」

父はさらに言った
「遅刻なんてしたらその場でクビだろう。遅れるって電話したほうがいいんじゃないのか?まぁ、遅れるって言ってもクビにはなるだろうけど、どうする?電話するか?」
「体調が悪くなったので今回はすみませんって断るか?」

G兄からサイフを奪い返そうとした。思いっきり殴られた。
それでもがんばってはみたが、力の差は歴然として、奪い返せなかった。時間が経つのが長く感じた。

早くいかなきゃダメなのに・・・。フライト時刻が・・・どうしよどうしよどうしよ・・と思いながらも時間は過ぎていった。

もう、電話するしかないという時間まで過ぎた時、震えながら受話器をとった。せっかく就職の内定?までもらえたのに、こんなことで終わらせたくないけど、もうどうしようもないと・。

そんな時に父が発した言葉は強烈だった
「本当はなぁ、お前が牧場の名前教えてくれたあと、部屋を調べたんだ。切り抜いたアルバイト雑誌をみつけ、コンビニで同じものを探し、その牧場に挨拶を兼ねて電話をかけたぞ」
「相手側から"どういった感じの息子さんなんですか?"ときかれたから正直に答えてやったが?"兄弟に虐められて続けている可哀相な息子です"と。そしたら、先方側から"そんな問題のある子だとは聞いてなかったんですが・・。すみませんがこの話なかったことにして下さい。失礼します"と、一方的に切られてしまったぞ?」
「父さんは正直にお前のことを伝えただけだ、それで相手が拒否をしたというなら、それは本来お前が持っている罪が災いしたのだ」
「今更電話しても意味のないことだと思うが?」
「おとなしく、父さんの選んだ仕事に就いてればこういうことにはならなかったはずなのになぁ?」
「神様はいつも見ておられるんだ。今回もお前の身勝手な行動を止めてくださったのだろう」

かなりショックだった。三週間の間、自分ひとりだけで舞い上がってたんだ。
結局自分の知らないところで父に潰されていたことも知らずに・・・。
それがわかったと同時に悔しくて悔しくて。
悔やんでも悔やみきれないほど悔しかった。

神様はどんだけ人の人生かき回せば気がすむんだよ?と。

家を出て行くといった手前、ごめんなさいと謝罪し、また教会に行く。なんてとてもじゃないができないと思っていたし、
絶対、祈りたくもなかった、聖書すら見たくもなかった。
あの空間に足を踏み入れたくなかった。

それを、知り合いの店のマスターに愚痴りにいった。
「それならうちで働くか?」といわれ、働かせてくれるなら・・がんばります。と二言でそこで働くことになった。
当然そのマスターとは肉体関係はあったさ。
じゃないと、知り合いになるなんてなかったし。
当時は幼いってこともあり、かわいがられた。
多少なりと、好きだと思ってたときもあった。
マスターには恋人がいたが、それでも優しくしてくれるなら・・と、そんな状態でもうれしかった。

ただ、雇用関係になると話は別で態度は一変して厳しくなった。
色々、誓約書などを書かされ、拇印を押させられ。

内容は、
住み込みなど費用を差し引いた額を毎日支給。
ここ以外の仕事をするべからず。
普通は、雇用しない特別な状況などを考えて、日給500円とする。
寝るところを与えてもらえるのだから当然だと思えと。

背に腹はかえられない。それぐらいでも日雇いをコソっと朝だけすればいいかな?と思いながらそこでの生活が始まった。

仕事を始めるにあたって一番困ったのが、仕事のやり方を一切教えてもらえなかったことだ。
しかも初日にして一人にされ、マスターはレジ金を持って「がんばれよー」と遊びに・・・。

ショットバーみたいなお店で、制服着て、サロンまいて、ネクタイしめて、手作りピザを焼いたり、お酒を出したり。
かなり不安でしょうがなかったが、初めのお客さんが常連さんだったのが幸をそうしたのかそのお客さんに色々と教わったぐらいだ。

一週間ほどで、人見知りだった自分がドアが開く時には普通に「いらっしゃいませ」を言えるように、客とも普通に会話できるようになったのは自分でも成長したなぁと思ったぐらいだ。

寝泊りは店の中の座敷部分という場所があり、ビールケースを畳一畳分のスペースの四隅に2段重ねていて、そこの下に潜り込んで寝袋で寝るという状態だ。まさに犬小屋。幼い頃から犬小屋で寝たことはしょっちゅうだったので大した苦痛にはならなかったが。

それに時々だったけど、マスターが閉店後にケツを使われてたかな。
自分はウケだったので、時々だったけど使ってもらっている。
相手にしてもらってるってだけでも十分だったほどだ。

ただ、計算違いだったことがあった。就業時間が酷かったのだ。
夕方6時頃から開店し、朝の4時頃閉店。
そこから掃除などをし、朝の6時に就寝。
自分が与えられた自由な時間は睡眠時間も含め、昼すぎ4時ぐらいまでの10時間だけ。
4時からは仕込みや開店の準備をしなければいけなかった。
そのあいだで、毎日の給料、500円で、昼飯か銭湯かを選ばなければいけなかったぐらいだ。

当時は、吉野家の牛丼がまだ290円ぐらいだったかな。
特盛りがなんとか食える状態だった。

なんとしてでも現状を回避したいと、当時まだ若いとだけあって2日ほど徹夜ぐらいだったら多少無理すればできる範囲だった。

ただ、そういう行動をしてると、マスターにばれちゃうんだよね。昼過ぎに店にいないってことで、どこにいってたんだ?とPHSが鳴り、何をしてたんだと質問され。
適当にごまかしてはいたんだが、履歴などで登録制のバイトをしてるということがバレてしまったのだ。

最悪だったのが、その日朝数時間の仕事を予約していたのだが、その日に限ってマスターが閉店時にいた。
はやく帰らないかな?と思ってたんだが、仕事に行くのを予想してたのか店に閉じ込められる。
マスターは昔、空手をやっていたということもあり、関節をひねればどう痛がるかも知っていたようだ。
腕をひねられ、ねじ伏せられ、止められた。

マスターは激怒し、
「体調が悪いからと言い訳をし、キャンセルしろ」と言い、
そんなことできるかと思いなんとか振り切って店を出ようとしたけど、押さえつけられてはどうにもならず。
「そんなに行きたければ行けばいい。でも、家出少年を保護してくださいって警察に電話してやろうか?そしたら仕事にすらいけなくなるぞ?さぁ、目の前で電話しろ」
と、脅され・・。

初めての仮病を使い、仕事をキャンセル・・・。
その行動に満足したのか、色々としゃべりだすマスター
「お前のことは、お前のお父上からもよろしくたのまれてるのだ、勝手な行動はさせん。お父上との約束だ」
とか、なんかいいながらなぜかマスターは父とメールの交換をしていたのだった・・。

それからというもの、マスターは今までのような優しさでは接してくれなくなった。時々ケツは使われるものの、単にそれは出したいだけ。

次第に道具のような扱いになっていった、面白がってケツの中にしょんべんしたり、当時まだ2月だったのにもかかわらず、外にあった大理石みたいな水槽?を素手で洗わされたり。
その後、マスターの家につれていかれシャワーを使わせてもらったのだが、今の風呂みたいに温度調節はできず、銭湯にあるような赤い蛇口と青い蛇口で、お湯と水の調節をするものだった。

それの赤い蛇口しかひねってくれず、初めは熱くて冗談だろうと「やめてくださいよぉ」と言ってたのが、冗談ではなく、マスターはニヤニヤしているだけで嫌がっても熱湯を出し続け僕の身体にかけていく。

熱くて熱くてマジ泣きになり、それでも許してもらえず、、、
どのぐらい経っただろう。頭がボーッとし、何も考えられない時にシャワーが止まった。
熱湯が、マスターの足にふとした拍子にかかったのだ。
「あっちぃぃぃぃ」と言い、即座に止めたみたいだったが。

その後は、身体を拭いてもらったりと多少の優しさはあったんだけど、結局はケツを使いたかった?だけなのか意識が定まらない中で、僕は使われた。

そういうこともあり、次第にマスターが怖くなっていった。
熱湯をかけられたこともあり、それ以降は好きだった気持ちもなくなり恐怖だけが続いた。

シェーカーの振り方を教えてくれたこともあったが、客が居る前でワザワザ口で指導をし、動作をするたびにダメだしの嵐。
恥ずかしくて、悔しくて、でもできなくて・・。
イライラがどうしようもなく、机に思いっきり頭突きをしたことも・・。当然頭を冷やして来いと怒鳴られてしまったが。


何かあるたびに怒られるときは
「お前のお父上から直々によろしくおねがいしますといわれてるのだぞ?」を言われ続けた。

店のお客さんが、電話番号教えてーみたいなことを言ってた時、別に問題もなかったし、無下に客を怒らすのも悪いなと。
それに、PHSなんてあってもないようなもんだったし。

たまたまマスターが店の備え付けのPCをいじくってた時で、いきなり血相を変えてその客に
「そういうことは、この私を通してからにしてください」
などといい、断ったほどだ。

まぁ、その日の掃除中に床に正座させられて、怒られ、また父からのメールを読み上げられて怒られたが。

仕事は一日も休める日はなかった。熱が38度と続こうがそれでも休ませてもらえることはなかった。
周囲からは知恵熱知恵熱と笑われ、自分でも風邪なんてそんなに引いたことなかったからそんなもんだと思った。
熱は、38度を保ったまま、3週間ほど続いた。

それが、HIVの初期症状だということに誰も気付かず・・。

そこでの仕事は、3ヶ月ほどで終わった。
マスターと父がメールを交わしてた中でお店の名前などを教えていたからだ、ちょうど父が学会でその街に来たときにたまたま店に来た。

他にお客さんが
「元気にしとうとね?ご飯はちゃんと食べようとね?」などといい、ドンベエを2コほど差し入れてきた。゚(*゚´∀`゚)゚ノ彡☆

お店の雰囲気が心配だったのか、マスターにメールを送ったらしい
「ここは、どういったお店なんですか?」と。

マスターは
「ゲイバーです」と返信したそうな。

それを知った途端、父が激怒。元からゲイに対して素敵なほどの拒絶・嫌悪を抱いていた人間でしたから、かなりの罵倒をしたんでしょう。
それに対してマスターがむかついたのか一言
「あなたのお子さんもゲイですよ」と。

それで、結局「帰ってこい」と強制送還くらったわけです。
自分としては、強制送還でも、熱湯を浴びせるマスターから逃げたかったこともあり、どんな形でさえ家に帰れるということにより、助かったと思った。

この3ヶ月間、学校にも何も言ってなかったから退学されてるかな?と思ったら意外だったことに父が休学届けを出していたみたいだ。それで、4月からまた学校に復学することになった。
数ヵ月後、突如学校の周辺にラクガキが発生。
数件かと思いきや、かなりの数。そこには、僕の本名が含まれており、
「○○ホモ死ね」とか、「○○殺す」とか、「○○、オヤジ騙して金儲け」とか、「ホモ野郎○○」とか、住所なども書かれていた。担任含め、好かれてた先生たちが結構消してくれてたみたいで。

でも、初めはマジックだったのに、次第にラッカーなどに変わっていき、自宅周辺にもそういうラクガキが増え始めたんだ。
家からすぐ近くのバス停の柱にも何ヶ所も。
郵便局のプレハブのところにも銀色のラッカーで、でかでかと。
電柱にも。
橋にも。道路にも公園のぶらんこ、滑り台、イスなどにも。

誰がこんなことを、、ってヤルやつは一人しかいない。
あの店主だ。あの書きなぐった汚い字にも見覚えがあったし、でもなによりもなぜまた今頃?と思いながら・・。

よく遊びにいってたクラスメイトの親御さんも車で移動中にそのラクガキを目撃したみたいで、かなり激怒していたほどなのに、うちの両親は興味がなかったみたい。こちらから言うまで気付くことすらなかった。言ったとしても
「大変だね」と他人事。

日曜の朝、玄関を出てみると家の前の道路にBB弾が敷き詰められていた・。
なんだコレ?と思って色々しらべてみると、どうやら家の自転車めがけて夜中にエアーガンを乱射した模様。
こんなアホなことするのは、サバイバルゲームオタクだった店主しかねぇなと思った。あの人、車の後部にエアーガンとか常に携帯してた人だったんで・・。

そんな状況を、日曜礼拝にいく親が見て一言、「片付けておきなさい」だけ。

ポストの上に昔UFOキャッチャーで捕ったペンギンとクマの手のリサイズのぬいぐるみが乗っていた。
これは、以前あの溜まり場におすそわけとしてあげたやつだ。
当時、UFOキャッチャー結構上手なほうだったんで捕ることは捕るのだが、そういうのを部屋に飾るのは趣味じゃなかったんで適当に妹にあげたり、その店に持ってったりなどしてたんだ。

で、なぜ今頃そのぬいぐるみが家のポストの上に?と思ってよく見ると、両方とも背綿がぐちゃぐちゃだった。しかも、何か紙切れが入ってると思って、その紙切れをあけてみると、、、

『必ず復讐してやる』

と、あの汚い字が・・・。


どうも、忘れたことが気に食わなかったみたいですね。


あの頃、担任はかなり心配してくれてて、親御さんが何も助けてくれないなら、学校側として警察に訴えようか?という話も出てた。学校周辺のラクガキに対して、器物破損でも十分訴えれるという話だった。

僕としても、こんな状況は早くなんとかしたかったのもあり。
担任と、学年主任の先生と一緒に近所の警察署に届けに行った。

あまり深くはきかれなかったが、『先生たちは味方だからな』と。

警察署で話は簡単に進み、告訴する前に僕の親の了解をとるということで父に連絡をしたみたいだ。
が、父はその申し出を断り、この話をなかったことにした。
父は学校側に
「家庭内の問題に余計な首を突っ込まないでください。迷惑です」と一喝。
そして僕には
「父さんには子供を守る義務がある。たった一人のバカな行動で父さんが仕事ができなくなり、他の七人の子供が路頭に迷うようなことがあるなら、父さんはその七人の子供を守るために必死に動く」
「この問題はお前一人がガマンしてればいいことだ」

と、言われました。
結局は、世間体が大事な人だったので自分の学歴に、職歴に傷がつくのがイヤだったみたいです。
基督教系大学の教授の息子が、同性愛!?みたいな展開になられたら困ると思ったんでしょうね。

元々聖書では、同性愛は滅ぶべき存在と書いてますからね。
当時、中2で強姦された時は、穢れた。もうこの家にはいれない。今以上に救われない存在だ。とかなり悩んだこともありましたんで。
あの頃もさすがに、3人の男に襲われたなんて口が裂けても言えるわけがなく。穢れた状態なのに教会に住み続けるという罪に苛まれてましたね。


コレに対し、学校側はかなり激怒したみたいです。
まぁ、普通に考えても激怒するでしょう。生徒のためを思って色々と動いてたのに、それに対する返答が『いい迷惑』だったので。
好感を持たれてた先生たちからも、微妙に嫌われ始め、学校でも味方がいなくなっていった。

ラクガキは次第に「殺す」「必ず殺す」という簡単な文字に変わっていった。

そのせいなんだろう。学校周辺の住民から苦情の電話が学校に届くようになった。
「公園のあのラクガキをみて、うちの子が怖がり出した」
「そんな生徒のいるところにうちの子供を置いておくわけにはいかない」
「外が怖いと子供が泣く」
「問題の生徒を早く退学に」

そんな苦情が殺到していて、担任からも校長からも呼び出され、「できることなら自主退学してくれないか?」と。

どうしようもなかった。色々手を尽くしてくれた先生たちに「でも」なんて言えなかった。

それに復学後、今まで以上に体調が悪かった。
いつもなら、寝坊といっても結構記憶にあったりするんだよ。
朝9時頃に一度目が覚めるとか。
その日の夕方まで身体が動かないとか一切なかったんだ。
それが毎日のように続いてたから…。

保健室の先生には「もしかしたらエイズかもしれないわね〜」
と冗談交じりに言われた。自分もまさかぁ。ないない。って思ってたから。

HIVについて、エイズについての知識は一切なかった。
症状がどんなのかも知らなかった頃だ。
日和見感染症が発症することによって初めてAIDS発症というということも。
日和見感染症が出ない限りはHIV患者と呼ばれるということをも…。

自分がHIV陽性だと知るのはこの時からまだあと半年後だったわけだが・・。


学校にも思うようにいけない、出席日数もこのままでは留年してしまうってこともある、しかも学校に行っても早く退学してくれといわれる毎日に何もかもがダルくなっていってた時。

父から
「学校に行け、そして退学届けを出せ。いつまでも中途半端にするな」と伝言があったと母に伝えられ。
一晩悩んだあとしょうがない。学校に行けない自分も悪いわけだし、このままズルズルいってもどうせ留年決定だし。
2年遅れて高校入りなおしたのにまた1年遅れるなんて…。

そう決心し、学校に退学届けを出しに。
先生達は喜んでくれた
「やっとか、別に先生たちは追い出したくて追い出したわけじゃないぞ。でも、PTAがこれ以上騒ぐと色々厄介になるから・・・自主退学するんだからこちらを恨むなよ」

別れは悲しくはなかった。こんなもんかと次第に理解するように。

帰宅後、翌朝父が帰宅。退学はちゃんとしたと伝えたら、なぜか怒られた
「父さんは、退学届けを出せと伝えたんじゃない。休学届けを出せと母さんに伝えたんだ」
そして、矛先を母親に向け、罵倒がはじまった。
一音一句間違えずに伝えられない母だと知っていて伝言を言い渡したくせに、責任を母に擦り付ける父をみて、、、。

父が
「退学届けを取り返して来い、休学にしてこい」というのは、
プライドもあったしそんなことできやしない。と

僕はそのまま二度目の高校中退を味わった。
高校を中退したことにより父親は夜に母との会話でこう漏らしていた

「アイツはもうダメだ」
「今まで人としてなんとか修正しようと神様に祈り行動してきたが、今回の件ではっきりとわかった。あれは人ではない」


それ以降は、監視などもなくなり、放り投げ捨てられた状態いうか何をしても関心を向かなくなってくれました。
完全な無視ですね。よく父は言ってました。
人が存在してるのに、存在していないように無視することを"仮説殺人"だと。

まさにそのことを実行されてしまったのだ。
今までもそうだったけども、もう家からみても必要のないモノなんだろう。そう感じた。

「存在自体が罪、早く死ね」
「お前のせいで家族がグチャグチャだ」
「くたばれ」
「消えろ」
「家族の癌だ」
「さっさと死ね」

特にK姉に言われた言葉だった。
他は誰も何も止めることすらせず、ああ、やっぱりそんな風に見られてる思われてるんだな・・と改めて実感できる言葉だった。
幸い、年下の妹はさすがにこんな言葉は発しなかったが。
かといって、否定もできない。否定すると姉や兄、父や母に嫌われるから。

父は学歴主義な人だったんで、無学歴なしかも中卒な人間が理解できない人でしたので・・。
人間として認めたくなかったんでしょう。

そんな凝り固まった人間がよく認められて牧師になれたもんだと今でも思ってます。まぁ、そとづらはかなりよかったんでしょう。

みんな、素晴らしい先生などと褒めてたので。


学校を10月末に辞め、何も残らなくなった自分はまた年明けに職探しを始めた。
こんな自分でも少しでも必要としてくれる場所に行きたい。
存在意義を認めてくれる場所に。存在してもいいよといわれる場所に・。

そんな時、自衛官の募集ポスターを見た。
恥ずかしいことにそれまで自衛官という存在すら知らなかったのだ。
クリスチャンホームだと、自衛官=暴力にでもつながるんだろう。平和を唱える者からみたら武力として取られるだろう。
それとも知らなかったのは自分だけなのか?とも思ったがそれどころじゃなかった。

有事の際だと、どんなに必要とされなくても必要とされるのではないか?いてもいいと思えるのではないか?
災害派遣の時は、否が応でも求められるのではないだろうか。
そのほんの一時でもいい。その求められる気持ちがあるだけで自分は生きてていいのではないだろうか?
そういう気持ちになり、ぶつかってみようと決め色々と準備を始めた。

その矢先だった、、思わぬ形で自分がHIV陽性者と告知されてしまったのだ。目の前が真っ暗になった。

※当時、今みたいな時代ではなく10代での感染者発覚っていうのは少数だったので・・。薬害エイズを除くね。

今まで感じたことのない虚無感に襲われた・。

いつかは結婚して、子供を作った時に自分が感じたこの寂しさを絶対に味わわせない、めっちゃかわいがって生まれてきてよかったって思わせたい。
そういう夢ももう叶わないということを知った。
子供も作れない、誰かと家庭(?)を持つことも許されない。

そう思うだけで涙が止まらなかった。

誰からうつったのか・・。まさかマスターから?とも疑ったが(マスターは陰性だったみたいで)

神を信じなかった結末がコレか?とも思った。
ゲイは滅ぶべき存在という言葉が頭に浮かんだ。まさにその通りだと思った。最後にはこういう形で死ぬんだなとも・。
とにかく、半月の間ずっと泣き続けた。
それからしばらくした時のこと、当時のゲイの友人から一通のメールが・・・
「アンタのこと2chに書かれまくってるわよ?大丈夫?」と。

急いでどういう内容かを見てみたら、すごいすごい。
住所・氏名・家族構成・在学してた学校の名前など色々。
「ホモ○○ですヨロシク」
「オヤジ騙して稼ごうよ。チョロイよ」
「金クレ、チンコしゃぶるよ」
「家族にはカミングアウトしてるんで家まで遊びにきてね。待ってるぴょーん」
「妖精(陽性の当て字のようなもの)だよーん。うつしまくってるよーん」
「お父さんは○○大学の教授で牧師なんだけど僕ちゃんはホモでーす。やりまくってまーす」
などと、僕のフリをして書き込んでいたり、

「エイズうつしたから早く死ね」
「B型肝炎梅毒全部あげちゃった」

などという攻撃的な書き込みも。

あぁ、、あの店主か・・一発でわかってしまった。
後にも先にもあのレベルの人間は一人しかいなかったので・・。

初めのうちは、自分自身も書き込みをして言い合い(?)みたいなことをしていたが、書くと余計に悦ぶというか、キリがなかったので、それすらも相手にしなくなった時に・・やっと止まった。

今もどこかでやってるのだろうか?僕は知らない。


ただ、親の研究室まで無言電話白紙FAXが執拗に届くようになった。父がいうには、オマエの責任だと責めてたが。
安易に、大学名や研究室名、そして電話番号を疑いもせずに教えたのは他に誰でもない、父だ。

だけども父からしたらそんなことどうでもいいことだ。
全部、僕が悪いのだから。
「オマエの罪が」
「罪が」
「罪」
「罪」
「お前なんかが何で生まれてきたんだ」
「家族を悲しませてそんなに楽しいのか?」
「お前にとったら家族なんてオモチャなんだろ?」
「お前は必ず地獄に行くだろう」
「これ以上、神の名を汚すのはやめてくれ」


母にも
「あの時産まなきゃよかった」
「アナタはサタンよ」
「目の前から消えてちょうだい」
「声も聞きたくない」

そう、ヒステリックに叫ばれて


きょうだいには
「厄介者」
「癌」
「中卒のゴミがっ」
「死ね」
「くたばれ」
「死んで当然」
「死んだほうが神様の為」
「これ以上家族に迷惑かけるな」
「ああ、神様コイツを早く殺してください」


などなど・・・。
さすがにキツかった。あれだけ泣いたんだ。もう涙はでないと思ったけど、それでも涙は枯れることはなかった。
だからまた泣いた。

何でこんなことになっても生きているんだろうと。
泣くだけ泣いて、泣いた先に教会のことが脳裏に浮かんだ。
こんな自分でも助けてくれるだろうか?と。
いまさらすがっても許してくれるだろうか?
そういう気の迷いは多少なりとありました。

だから、一度だけ足を運んでみたんですよ。
家族との関わりの一切ない教会へ・・。

教会が懐かしくも思った。そこへ温かく招き入れてくれる牧師さんと教会員。
ああ、こんな感じだったっけ?とその一時の優しさにほだされ教会の中へ入った。

その日はなんとなく過ぎていった。
後からその日のことを思い出してみると、新人さんは名簿に名前と住所などを記入するのが決まりだったとかいって書かされたなぁ・・。と
午後からは、ココの教会員になりなよー。神様が守ってくれるよー、神の国に一緒に行こうよ。みたいなキモイ勧誘が次第に増えていったっけ・・?と。

まぁ、いいやと思っていたのだが、、悪夢は来たw
次の日曜の昼頃に電話がかかってきたのだ
「○○君、元気にしてるかな?風邪でもひいちゃったのかな?みんな心配してたよ?来週はちゃんと来れるよね?」

はぃ?毎週通うなんて誰も何も言ってませんよと思い、なんだこの集団。と呆れ無視してたんだ。

次の週には家までやってきた・・。
「××教会の牧師なんですけど、○○君が先週に続き今週も来なかったので心配で心配で・・来週はちゃんと教会に来るように伝えておいてください」
とか伝言残していきやがった。

正直ウザいキモいダルい。気の迷いで振り向いたキリスト教がこんなにも酷いものだとはわかってたのに、、本質までわかってなかったんだろう。

福音派もバプテスト派も改革派もメソジスト派も、どの派も同じようなことしかやんねぇんだなと。
ここに来てまでヤってくれるんだなこの宗教はと思った。
もう絶対に迷ったりもしない。流されるもんかと。

こういうしょうもない問題があったこともあり、色々と落ち着くことができた。

その後僕が取った行動は、同じようにHIVに苦しむ仲間を見つけようとしたことだ。
もちろん、親にはHIVのことは言えない。いえるわけがない。
知ったらどうなるだろう。悲しむことは絶対にないということはわかってたが、どういう反応を取られるかを考えるのが怖くて仕方がなかった。

インターネットで探したサイトに出入りしてたKOJIさんという方がいた、ポジティブではない、ネガティブな人だったんだけど、HIVに対して理解が強いという第一印象だった。


※HIV陽性者をポジティブ、HIV陰性者をネガティブと言ったりもします。


色々不安なことを相談することもできた。
ただ、そのサイト集団を悪くいうわけでもない。でも、一番気になる部分がコレだった

「悪いのはHIVという病気なんです。貴方達が悪いんじゃない。病気が悪いんです」

この部分だけには共感できず・・。
自分にとったらHIVっていうのは運が悪かったんだろう。でもなってしまったものはしょうがないのであって、それとどうやって共存していくかが必要なのにもかかわらずいつまでたっても病気が悪いといい、傷を舐めあうかのように集まる奴らについていけなくなり・・。

そのKOJIさんとは、あるささいな発言が災いしてそれ以降疎遠に。
10代の最年少感染者として、中学高校に顔を出し色々とHIVについての怖さを語って欲しいと何度も頼まれたことがありました。

初めの頃は、それで感染者が減ってくれるならやってみようとも。でも、なんだかそういう誘いの話が主体になっていってるような感じがしなくもなかった。

病気が悪いといいつつも、ポジティブを否定するような節々を
時折見せてたそのKOJIさんに、話の流れでポジティブの気持ちが完全にはわからないというような流れになったんだ。

一言僕が「じゃぁ、ポジティブになってみれば?気持ちわかるよ?」って軽く聞いたんだ。
そしたら、豹変したかのように「誰がなるかそんなもん、ふざけんなよ。二度とかけてくんな」と・・。
今まで理解あって色々と話してた人とは明らかに別人かのように思え、今まで色々相談してきたのも単に共感するーっていってネタ集めだったのだろうか?と・・。

それ以降は、余計傷の舐めあいしかしないと思えはじめ、そのサイトからは疎遠になってしまったが。

女性のポジティブと何度か電話を交わしたことがあります。
NHKに取材されたのに、必要な部分はカットされ都合のいいように改竄され・・CD4の数値なども公表され・・。もう何も信じられへんという女性もいた。

でも結局、鬱な人とか多かったりしてその空気にとても馴染めなかったので、その人たちとも音信普通に・・。


結局は世の中理解あるとか抜かしておいて、自分よりも下等なものを守ってるという自己陶酔に浸ってる人が多いんだなぁと。
二十歳の頃に今までやってきたような無茶が祟ったのか、
帯状疱疹でぶっ倒れました。

正確にはぶっ倒れたというか、自分で救急車呼んで病院行ったわけですが・・。

突如右腕に疱疹みたいなのができたころ、母にこれなに?と聞いたことがあり、「あせもよあせも」といわれ、なんだそうか。
でもやけに痛いな筋肉痛よりもピリピリすると・・。

湿疹だと思ってたものも、次第に広がっていき、痛みが増し、当時夏場、自分の寝場所はロフトだったんですが、そこは屋根裏と呼んで間違いじゃないほどの高熱だったんです。

屋根の熱も加え、40度近いのがいつものことだったんで、気にはあまりしなかったんですが、そのときだけは無理でしたね。

呼吸すると皮膚が痛い。呼吸すらまともにできず。でも呼吸しないと苦しいという連鎖で辛かったですねぇ。

一度皮膚科にいったときに痛み止めをくれるとのことだったんですが、当時拠点病院に通ってた自分としましては、痛み止めとかも薬であり、勝手に判断して飲んでいいのか?という不安がありましたからね。

ポジティブは薬を・・って思ってた頃です。
正確に言うと、抗HIV薬と関係するものを飲んだらいけなかっただけみたいで。

皮膚科に行ったのが金曜で、月曜にかかりつけの医者に相談してから薬をもらおうと週末を過ごしたんですけど、その間にも症状は酷くなっていき、夜も眠れず、寝っころがることすらできない状態。深呼吸もできない。

さすがに、耐えれなくなり、月曜の朝はやくに痛みに耐えながら銀行に金を下ろしに行きそのまま皮膚科に。
「ちょっと、これ大事じゃないの」と怒られ、それでも痛みをなんとか止めたいと頼み、鎮痛剤を飲ませてもらい・・。

ほんの少し、お情け程度の痛みが引いたときに、救急車に電話を・・。
母親はでかけていて、家には数人の兄弟がいたんですけど、みんな興味なかったみたいで。。。

ただ、ポジティブだってことは、U姉にだけは教えてたんだ。
昔はU姉とも色々あったけど、大人になってからはわだかまりは減ったような気がしたこともあり。
自分ひとりじゃ、耐えれそうにないと、道連れ?にしてしまったのである。
号泣されたときには、焦ったほどだから。

でも、心配をしてくれる人がいるっていうだけででもうれしかったかなぁ。

自分で救急車に連絡をし、誰かがついていかなければいけないって時に、U姉がついてきてくれたんで・・・。
病院に二回ほどついてきてもらったこともあったのでちょっと安心でした。

診断結果は、帯状疱疹でした。
それもかなり酷い状態だったみたいで、普通の人の帯状疱疹ってすっごい小さいんですよね。
でも、自分の場合はHIV患者っていうのと、病院に来るまでに日程がかかりすぎたのと、疲労と、栄養失調が原因で写真のような状態に・・。

見づらいかもしれませんが、国立病院のヤブ医者たちに研究材料だと喜ばれ何度も写真を撮られたぐらいだったので。
写真はその一枚をもらったやつです。

親には黙っておいてほしかったのですが、コーディネーターという立場の人がベラベラとしゃべっちゃって父と母にバレました。

父が病院にやってきて、開口一番に言った言葉は

『悔い改めよ』

でした。

その次の日には、ポストカードに何か聖書の言葉を書いてきて色々説教っぽいこともついでに書いたような奴を渡され・・。
それだけでした。

関わりあいたくなかったんでしょうね。

点滴一週間で退院することができたのですが、その間が苦痛でした。
夜中痛みに耐えられずナースコールをし、痛みでもがき暴れると余計に辛いので手足縛っててくださいと頼んだほどだ。

退院しても、またあの灼熱地獄に戻ったら意味ないよなーと思ったときに、母が一言
「和室を使ってたO兄ちゃんに部屋を譲ってもらうことにしたわぁ。お父さんと考えた結論なのよ。○○は病人でしょ?それぐらいはしないとと思ってね。退院しても安心しててちょうだい。準備してるから」と嬉しい言葉。

退院した当日に、和室を明け渡してもらえるという話だったから、すごく期待してた

が、現実に打ち砕かれさらに追い討ちが来たんだよ。
退院っていっても、病院での1週間の点滴が終わり、入院費用かさむから自宅療養で 養生しろと絶対涼しい部屋じゃないとダメだからなということだったんだが。

帰るとロフトにお帰りなさいだし(;´Д`)
和室、片付いてないし。以前と何もかわらないゴミタメのままでした。

母が、
「O兄ちゃんに頼んだんだけど、○○自身が頭さげないのに冗談じゃないって断られちゃって、本当にごめんね。ロフトでガマンしてちょうだい」

こんなんで・・・と泣きそうになった時さらに、
「今日夕方か明日から、G兄ちゃんの親友のJちゃんが福岡から来るから、寝る場所なくて、悪いんだけど、友達の家とかに行っ てくれないかしら?」

片や、自分らと同じクリスチャン。片や、どうでもいいやっかいもの。どっちを優先するかは目に見えてたけど、
でも、せめて普通の家庭なら、、自分の子供優先しないか?と泣き叫びたかった。
傷がケロイド状態でズキズキ痛むのに、ヨソに行けと。

断りきれるわけもなくそのまま家を出、友達の家に〜ってできたら問題なかったんだけどね。
東京でそんな瀕死な状態を迎え入れてくれる友達がいるわけでもなく、普通病人をかくまってくれるとこなんてありませんから。

結局ワシが身をよせたところは、エアコンが聞いてて、住所不定でもころがりこめるところ。もちろん、雑用などしなきゃいけなかったけどね。
当面生活力もなかったし、金もなかったし、何より病み上がり継続中だったってことで、自分が身を隠した場所は、多分想像しづらいし、したくないだろうけど、ホモの、ゲイの出張売り専の雑用ってところかな。

ああいうところだと、住所不定のガキどもがいっぱいいるから、ちょっと火傷あってもガンバリますっていっとけば、置いててくれるし。当然指名があれば、身体を売らないかんかったけど、ゴムはちゃんとつけてたし、できるだけ感染にかかわるようなことは避けたんで、、

それ以外はその冷房完備の部屋の掃除とか雑用とかやってればソコに居ていいってことだったから、当時の僕としてはかなり助かったね。

そこにJちゃんからメールが「○○、譲ってくれてありがとう。神様の恵みがどうたらこうたら。祈っとるけん」と。
何も知らないっていいよなー「ケッ神がなんだよ」って心底感じた。

まー、ソコにいたのは一ヶ月ぐらいかなぁ。最後の方で、非合法(?)のドラッグを、多量に盛られてかなりヤベーって状況なってて身の危険を感じたからなのと、
買った客に対して、服従しなかったことと色々不満があったんだろう。雇い主に嫌われてしまっちゃいまして。

まぁケロイドも結構治まってきたからってことで、そこを後にしたけど。
多分今でも、当時は友達の家に厄介になったと、母親は思ってるだろうけど、普通に考えても、右上半身胸から背中にかけて広範囲にケロイド状の火傷でただれてる奴を迎え入れてくれる奴なんてどこにもいないと思うけどね。
ポジティブが家族に発覚したあとはひどいもんでした。
K姉には常に
「エイズは早く死ね」
「エイズ死ね」
「神様が死ねっていってんのだから消えろ」

O兄にも上記にあるような言葉を言われてましたね。
「出来損ないが!」
「家族のために、さっさと死んだら?」
などと。

兄はともかく、やぱり血の繋がってる(?)姉にそういう言葉をいわれると結構グサっとささるもんがあるんですよね。
精神面的に弱々な自分は真正面から受け止めて一人で涙するという状況が続いたわけですが・・・。


身体の不調などもあり、まともな職にも就けないと不便さもあり、嫌でも実家にやっかいになるという生活を続けていた。

あの帯状疱疹から一年がたった。またあの熱い夏が到来しそうな6月に、また帯状疱疹でやしないか?ぶったおれないか?という不安があり、今度こそは、、、何とか自分で行動しないとと思い。

嫌々ながらも背に腹はかえられないということで、O兄に頭さげて「部屋を譲ってください。お願いします」と。
何言われてもその一点張りでO兄も気をよくしたのか
「しょうがない、夏の間に明け渡すよ」

本来なら、去年のうちに明け渡せと父にもいわれてたのだが、この際そこを攻撃しても始まらない。
とにかく「ありがとうございます」とまた頭を下げ、今年は和室のクーラーのある部屋で養生できると思った自分が馬鹿でした。

八月を過ぎても、部屋は何も片付かず、片付ける気配すら見せず、八月下旬を迎えた時、ガマンできずにO兄に言った。
「いつになったら部屋を譲ってくれるんです?もう夏は終わってしまいます」と。

それについて気分を悪くしたのか、
「これから丁度、掃除を始めようとしたのになんだその態度は!?せっかく譲ってやろうと思ったのに。それに夏にはとは言ったが、何日までとは言ってないだろうが!!譲ってやろうと思ったが気が変わった。それにお前今年は健康じゃないか、そんなんでよく部屋を譲って欲しいとかいえるよな?」

などと、待ってましたかのように考えてた言葉を言い放ち、実際には明け渡すつもりはなかったんだろう。ただの口約束だったのだ。

コレには耐えられず、強硬手段を取ることにした。
当時のO兄の部屋は、腐海といっていいほどの汚さだ。
多分今もかわらないだろう。ゴミタメのような部屋のゴミを全部隣のロフトのある部屋に投げ入れ、和室を強奪に成功。

それが気に食わなかったのかかなり文句いってきたが、それすらも無視して黙々と作業を、、観念したのか
「全部は明け渡すと言ってない、半分は俺のものだ」と荷物を戻し始めこう着状態に。

家族からは、僕が悪いと非難の声があがった。
許可も得ずに勝手な行動をとったと。
病気に理解のあったと思っていたU姉からも非難された。
O兄が今年の夏には譲ると約束をしたのにもかかわらず、それを破ったO兄の非は一切認めず、僕だけを非難した。

U姉とはちょっとギクシャクしてたことがあって・・。
U姉は帯状疱疹で入院する前までは自分だけが僕のHIVのことを知ってると思っていた。でも、妹がHIV患者へののボランティアに参加したということもあり、自分がそうだと告白したことが気に食わなかったみたいだ。

「アタシだけに言ったと思ったのに、何よ?誰でもいいってわけ?もういいよアンタなんて知らない。勝手にすれば?」と・・。

何でそれで文句言われなきゃいけないんだろうと思ってたがそれが尾を引いていたのか・・。
やはりU姉も敵か・・・と。

それ以降、O兄の嫌がらせは続いた・・・。
部屋を奪われたからだろう。
まぁ、嫌がらせといっても2コほどしかされなかったのだが、一つは持っていたパソコンの本体の中に砂を入れたり、ジュースをぶっかけたりと様々・・。

イライラが隠せず。でも、部屋を奪ったことだし・・。また問題起こすと非難が飛ぶと思い我慢してたんだ。

でも、さすがにサイフの中身を盗られ始めるようになってからは我慢の限界に達し、とうとう手を出してしまった。

手を出すといっても、今まで暴力は振るわれても自分からは何も攻撃はしたことのなかったヘタレですから、何ができるわけでもなかったんですが、食事部屋で悠々とテレビみて酒飲んでた長男をいきなりビンタかましたんです2発ほど。

なんでビンタだったんだろうと今でも思うけど、やはりあれは父にいつもビンタを喰らってたから?自然と出てましたね。

「なにすんだこのやろぉぉぉ」と怒鳴られたので、今度は頭突きを・・。O兄は結構背が高かったので僕の頭は鼻に当たるぐらいで・・。

O兄、鼻血が出てましたよ。

「やめてぇ、暴力はやめてぇぇ」と泣きながら母が僕だけを止めに、反撃のパンチを喰らい、後ろに倒れてしまったものの、母はまだ僕だけに「暴力はやめてぇぇ」と叫んで腕を掴んできてましたね。

自分としては、初めて自分から人を叩けたことにビックリでした。自分もやりゃできるんだなと。

O兄が半狂乱になりながら
「早く死ね」
「死ねクソが」
「エイズくたばっちまえ」などと吠えてました。

「テメェが人の金盗ったんだろが、テメェの方こそくたばれ」って言い返したんだけど、やっぱりそれも家族から非難されましたね。

・決め付けるのはよくない
・神様はちゃんとみておられる
・○○が間違えただけだ
・被害妄想だ
・暴力は罪よ


その数日後にG兄貴が実家に久しぶりに立ち寄った。

G兄はさ、、東京に来た頃に言ってたんだ。
『俺は生まれ変わったんだ。今までの俺は捨て去り新しい自分になった。神様がそうしてくださったんだ。だから、今までの俺は全て違う俺だ。俺であって俺じゃない。過去の俺のことは忘れろ』

とまぁ、なんとも都合のいい発言をベラベラしてましたね。
神様を信じれば、虐待をしてたことも、うそをついたこともすべて忘れ、生まれ変わることができるのです。


婚約者の外人を連れて。その女性は奴と同じクリスチャン。
だけど、日本語はわからないって感じの人で、食事部屋には弟と、U姉と、G兄とその婚約者がいた。

弟とU姉に事情を聞いたG兄貴が日本語で言い出した。
「オマエは"人間"じゃないんだから、もうちょっと人間様のことを考えて行動しろ。血が出て相手に感染させたらどうするんだ。責任取れるのか?神様はそんなことを喜ばれると思うのか?」
「ああ、イエス様はその状況を見て悲しんだろうなぁ。辛かっただろうなぁ。そんなことすらわからないのか!?」
「いい加減、立ち返れ。罪を悔い改めろ」

婚約者は日本語わからなかったからずっとニコニコしてたけど、ワシは苦笑い。内心は、かなり痛手だったよ。
ハッキリいって長男が悪かったことに対して「人間じゃないんだから」発言だったから、しかもその発言をしてた両サイドにいたU姉や弟でさえ、それに頷いてたからさ。
その言葉自体に何も感じなかったんだろうなーって。

ガキの時ならまだしも、二十歳越えてパクるとはね。
ガキんときにそんなことをしようものなら、普通に、殴られたり蹴られたりしてたと思う、自分がそうだったから。
それを、顔に平手2発でテメェが悪いくせによ。ってそう思ってたから納得がいかなかった。

だから、人間じゃない〜云々の発言は納得いかなかったし。でも、納得がいかないからって文句が言えるわけでもないし。昔からそうだったけど、身体が恐怖を覚えてるから逆らいたくても反論したくても逆らえない反論できないっていう状況。

笑うとさ、右頬にエクボが出るんだけど、小5ぐらいの頃に、G兄に殴られて右頬がすげー青黒く腫れてさ、それが固まったときに出来たのがそのエクボなんだけど、まー普通の人は嘘だろー。信じらんなぁいw って反応かね。


正直なところ、人間じゃないんだから〜云々の後は、かなりショックやったし、泣いたし。
でも僕の中で出た結論はこういうものだった。
じゃぁ、O兄も含め、そんなに人間様が偉いってんなら、病気じゃない人間が全部正しいならてめぇら全員死ねばいいんだよ。
てめぇらの神様なんてクソクラエだ。何がイエス様だ、何が聖書だ、何が信仰だ、何がみことばだ、何が兄弟姉妹だ、何が神の国だ、何が栄光だ、 …etc...

と。


絶望・・と言ったらいいのかな。
これ以上絶望を増やしたくないと思い、それからしばらくして・・姿を消した。
家には二度と戻らなかった。
そろそろやっと最後になるんです。
長々と書いて本当に申し訳ありませんでした。
でも、どんな感じでキリスト教が嫌いになったかは全部を読んでくださった人には多少なりとわかってもらえるかもしれません。

ただ、書き始めた以上書き終わらないと、ダルいなーと思い。
ゲームをしつつ思い出しながら書いております。
ぶっちゃけ終わった事なんで、起きた事件についてはとやかく悩んではおりません。

未だに憎み続けてるものは、キリスト教ですかねぇ。
関わってくるクリスチャンには悪いんですけど、憎しみぶつけてます。

神はすべてを許してくださるとか甘い考えを持ち続ける人はいいかげん目覚めて欲しいですね。


こうして、完全なアンチキリストとなったわけです。

・同じ苦しみを持った、味わった人にしか伝えられないことがある

まぁ、そうでしょうね。苦しみを知らない人からその苦しみに対して言われても実感はわかないし。ふんっ味わったことすらないくせに偉そうな口利くなともいわれそうですし。
その苦しみを味わってる仲間でしか信仰は伝えられないということでしょう。


・神様は乗り越えられる苦しみしかお与えにならない。

↑そう思ってる奴は、おめでたいんだよ。苦しみにあったことないからそう言ってられるんだよ。テメェらも味わってみろよ。ほんと心からそう思います。


・そういう役目を遣わされたんだよ

勝手に人の人生を決め付けないでください。いい迷惑です。


・コレも神様の計画の一つなんだよ

ハイハイ常套文句来たよ。何でもそれ言えば万事OKって奴ですよね。


僕にしてくれた神様の所業

・家族愛を与えてくれなかった神様
・普通の人としての最低限の生活すら与えてくれなかった神様
・虐待を黙認してた神様

全てを見ておられる存在ならば、人間は神の計画のうちに動いてるというなら、
中2の頃の、強姦は神の計画したことだったのか?

・強姦されてる時も、一切助けてくれなかった神様
・HIVという病気になった時も何も助けてくれなかった神様
・その後、色々日和見感染症がでても、体調はおろか、家族の絆すら回復してくれなかった神様
・何があっても、何一つ良い方向に変えてくれなかった神様


そんな状態で、信仰が得られるとでも?

よくヨブ記の話を持ち出された。
裕福だった男が、サタンと神とのやりとりで、サタンの攻撃を受け続ける話。子供も財産も、最後には病気という形でヨナの健康をも奪い・・。
それでも神を信じ続けるヨブを見て、神様は病気を治し、財産も子供も前以上のものにした。

というような話だったと記憶しているが・・。


まず、こんなのと自分は当てはまらないから。裕福だった頃、幸せだった頃なんて一度もありませんから。
なのに、色々なんとかこじつけのように当てはめても困りますよ。

つか、こんな話されたからって、信仰を取り戻すと?いや、元から信仰すらなかった状態で、感動でもすると?

信じたら病気が治るとでも?

本気でそう思ってる人がほんとバカだと思います。
幸せな環境だったんだろうなぁと。

キリスト教を捨てて、自分はいま幸せですよ?
捨ててよかったと本当に思ってます。
13と14の間の出来事だと思って見て下さい。


上京する直前に、父の大学の恩師夫妻が父と母を呼び出した。
その恩師夫妻もまた、うちの教会に通う信者さんでした。
奥さんの方はかなり気が強い人だったのですが(他の教会で言う長老みたいなポジションの人です)
さすがに最後だから聞いておきたいということがあったみたいです。

僕は、もちろん盗み聞きしてましたよ。父と母二人同時の呼び出しなんていままで見たことありませんでしたから。

会話のやりとりはこんな感じでした。

奥さん
「大分前からなんですけど、アナタとA子さんはただならぬ関係という話を耳にしたんですけど、どういうつもり?」
「礼拝堂で抱き合ってたのを見たという人もいるじゃない!」
「M子さん(母の名前)がいるのにどういうことよ!?説明してもらいますからね!!?」

それに対し、父は何も悪いと思ってなかったのか顔色一つ変えずに

父
「兄弟愛です(`・ω・´)」

と言い切りました。

コレに対して
恩師の奥さん呆然。

続けて父は
「A子姉妹とは兄弟のように妹のように愛してます。それが何か悪いんですか?」

母は俯いてました。

いやー、さすが牧師は言うことが違いますね。

しばらくして、A子も父を追っかけてこっそり東京に来てたみたいですね。時々、逢ってたみたいですし。

家に帰ると心臓が止まるとか言って、大学の近くにマンションを購入したのも多分、A子と逢うためでしょう。
他の家族には一切居場所教えようとしませんでしたもんね。

一度母が父の後を尾けて行ったことがあるみたいですが、それがバレた時も父は母に対して罵倒してましたもん。



それはいいとして、父が牧師になった経緯は(他コミュから転載)

●クリスチャン達が集まったり個人のクリスチャンが伝道し教会という建物の形を持たないまま成長した団体の人達がジーザスから掲示され代表者を牧師に任命する方法。

でなったっぽいのでぶっちゃけいうと、エセ牧師いや偽牧師ですね。
元々あった教会から株分けをして、5つにわけたうちの一つの教会だったみたいなので・・。
他トピの内容もココ一つに纏めますわー。
14歳になる前後に、歳を偽って働いたことがある。
それは以前、4コ上の兄貴がやっていた新聞配達だった。
小学低学年の頃から配達を手伝わされていたこともあり、ちょっとの期間だけ内緒ということで働かせてもらった。

4ヶ月働いて(土曜と日曜の朝だけとかそんな感じ)やっと1万稼げたときだった。

当時、7つ上の兄貴が通っていた高校の英語教諭(外人)がいて、兄貴が卒業後も時々は家に兄貴と来てたぐらいだった。

その外人さんをジュディーとしよう。

父は、星が好きな人だった。恐怖の存在でも、嫌いでもそれでも父は父であった。
血のつながりを否定していても父は父だったのだ。

その父に心の底では愛されたいという気持ちがあったのは否定しない。
別トピの『キリスト教を捨てるまで』に書いたようなことをされていても、それでも心のどこかでは家族に家族として認められたい、歓迎されたいという気持ちはあった。

それだからこそ、最後の最後までは嫌えなかったんだ。
暴力を振るわれたとしても…。


まー、そんでその貯めた一万で自分ができること、自分の足りない脳味噌で一生懸命考えた案が、ジュディーが米国に帰省したときに、米国で望遠鏡を一万ギリギリで買ってきてもらおうと。

父には内緒でジュディーに頼み、買ってきてもらうことに。

※当時、米国製が一番性能がいいと信じてたので

なぜそこまでしたかったのかというと、父の誕生日にプレゼントをあげたかったんですよ。

他の兄弟は多少なりとお小遣いをもらったりしていたのでその中から色々と買って『誕生日おめでとう』といいながらプレゼントを渡せるのですよ。

下の子は下の子で、折り紙などを折ってそれと一緒に『誕生日おめでとう』を言えるわけです。

みんなそれぞれのプレゼントを手にしながら渡してるのに、僕だけ手ぶら・・。
めっちゃバツ悪かったですよ。

小学生の頃は、そんなバツが悪くても『誕生日おめでとう』をいってたんだけど、その後の間が苦しかったのと、他兄弟にプレゼントを渡さなかったことで、仲間はずれにされたりしていたこともありまして・・。

次第にプレゼントを持ってないと、『おめでとう』を言えなくなってしまったんです。

それ以外に、誕生日に対するトラウマもありますので…。

そういうことも続き、父の誕生日の時に『おめでとう』の一言がどうしても言えず(プレゼントを持ってないから)、父を避け、それでキレられて怒られて反省文を書かされたこともあります。

『みんなが祝ってる中で、それを快く思わない人間がいる』と非難。それを見た兄弟たちはニヤニヤクスクスと・・。

だから父の誕生日もかなりのトラウマでした。


だからこそ、その望遠鏡を渡すことによって初めて達成感と安堵感を持ちつつ『遅くなったけど、これ誕生日プレゼント』と
笑顔で渡せるとウキウキしてたんだ。

念願の望遠鏡も届き、父が帰ってきた日のタイミングを見つけ、礼拝堂で恒例のお休みの家族全員の祈りが終わった後に父に包装紙で包んだ望遠鏡の箱を渡した。

『父さん、遅れて申し訳ないけど、これ誕生日のプレゼント…』と、普通だと感動シーンなのかもしれませんが、次に出た父の言葉は以外でした。


『これは受け取れない。今すぐ家から出て行きなさい』

有無を言わさず追い出され、当時2月のまだ寒い頃でした。

中2の真昼間に3人がかりで強姦されたのが10月ぐらいでしたので、それから4ヶ月も経たない頃でしたね。

一時は忌まわしい記憶が残る場所でもあったわけですが、それでも家にいるよりもずっと落ち着く場所でした。公園でもあったわけでしたので・・。

あの頃からですかね。夜の公園が平気になったのは。
初め当初は怖くて仕方がなかったですよ。また襲われるのではないのかという気持ちもありましたから。

でも、夜の静かな公園って、気持ちも落ち着くんですよね。
静かだからこそ余計なことを考えずに済むというか、、あとは座り込んでいても茂みの中だと人に発見されないので独りでいるのには好都合だったんです。

靴下も履かずに追い出されたあの冬の日、ホッカイロを一個30円でミニを買ったあの頃、それでも寒くてしょうがなかったとき、その公園で夜に深夜に徘徊するのってやはり、ゲイの人しかいないわけですよね。

まぁ、大学生ぐらいの人でしたかね、異常な光景に心配してくれて、多分、厭らしい気持ちもなかったと思うんですけど、行くところがないなら家においでよ。と

多分、あのままあの茂みでブルブル震え続けていたら凍死してたんだろうなぁと思うぐらい酷かったみたいです。

それから2、3日はその大学生のアパートにご厄介になりました。
父は、どうせアイツは何もできないすぐ泣いて帰ってくると思ってたんでしょう、探すことも一切しなかったぐらいです。

さすがに、母は心配したみたいですけど。

その後、母に『父さんにごめんなさいって謝って、家に入れてもらいなさい』といわれ、でも謝る理由すらないけどもそれでも謝らないとまた野宿だと言われ、

父に家にいれてくださいと謝罪。

父はお金の出処を、どうせどっかから盗んだか誰かクラスメイトから借りたかと思いこんでたみたいです。

アルバイトすら禁止の家でしたから、そういう仕事をしたというのがバレることも恐ろしいことだったんで、隠してたんですけど、正直に言うしかないということでバラしたんですよ。

事実を知った父は初めて『ごめん、父さんが悪かった』と目の前で泣きました。

普通の子供ですと、そこで貰い泣きとか感激するんでしょうけど、ねじれて育った自分は
「うわっ、泣きやがった」「何たくらんでるんやろ?」と、
あと涙腺を持たない非情な人間と思っていたのであの不意打ち涙には度肝を抜かれました。
正直、都合の良い涙を流されて非情に気持ち悪かったです。


まぁそのあと、父だけが祈り最後にハグ('A`)され。
『ありがとう、大事にするよ』と言われたのがとてもうれしかった。



これで終わったかのように見えた・・・が、、、、
その年の夏、
父の教え子が経営しているペンションに家族で行くことにした。

その時初のあの望遠鏡が使われることに。
父もニコニコし『どうせなら、○○が組み立ててくれないか?』と。

英字の説明書を片手に一生懸命がんばってつくったんだけど、素材が最悪で、グラグラな望遠鏡に‥。

※後でわかったことなんだが、その望遠鏡は made in Chinaだった('A`)


それを見てた教え子が、『先生という人がそんなちゃちでオンボロな望遠鏡じゃダメですよ』といい、70万相当の望遠鏡を、明らかに自分のあげたものとは性能のレベルが"月とスッポン"状態の望遠鏡を・・父にタダであげたのだ・・。

当然、父は喜びすごく上機嫌になっていた。

そして事は起こった…。


父が、弟を呼びつけこう言った
『海老で鯛を釣るというのはこういうことなんだぞ♪』
『儲かった!』
『神様が用意してくださった、ふさわしいものだ!!』

弟と一緒にいた僕の目の前でとても嬉しそうに言ってました。

父にとったらそんな高価なものを私物として持つのは子供が多い家庭だったので無理だと腹をくくってたんだろう。

それが思わぬ形で手に入った。しかも、星好きからみたらたまらんだろう。本当にうれしかったんだろうな・・。

でも僕は、それ以降二度と父にプレゼントをしたいとは思わなかった。
ここに至るまでのやり取りは全て海老だったのだ。
その海老も釣り餌のちっこい海老なわけで・・・


その後の誕生日では『おめでとう』の言葉も言わずに逃げた。それが叱られることになっても‥。
うひw
2年ぶりに自分の書いたの見ると、重くてキモイww

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mixiユーザー
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