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ノーモア ヒロシマ・ナガサキコミュの被爆 その後の記

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ウエブにはたくさんの被爆体験記がありますがMIXIにはあまり見あたりません。若い人たちの文化だからでしょうか。
被爆者から若い人たちへのメッセージもあると思うのですが…


写真は原爆資料館のHPから

左 この写真を初めてみたとき、私は思わずこの中に自分が写っているのではないかと探しました。避難していく人々はみなこのようだったのです

中 壊滅した広島市の一部

右 爆心地から1.3k 私の住んでいた近くの住吉橋あたり。 死体を積み重ねてトタンを被せて火葬した。ボタンや名札など遺品になりそうなものを、適当に遺骨と一緒にそこらの焼け瓦に乗せて並べていた。広島市内あちこちでこのようにして遺体を焼いた。そして今はその上に美しいビルが林立している。


下の文は20年くらい前、ある会で「被爆その後の記」を書いてくれといわれて書いたものです。
ずいぶん前のものですが原爆忌を前にして読み返し、このまま皆さんに読んで頂き今の社会を振り返ってもらえたらと思ったのですが… 
長文でうんざりされると思いますが、出来れば読んでいただきたいのです。(被爆体験は書いていません。私が書くまでもなくたくさんの資料があります。私には書けない…)
私が被災したのは爆心より1.5k、 爆風により家屋が倒壊、下敷きになりましたが奇跡的に助かりました。後このあたりは全焼しました(写真右 の近くに住んでいました)




「ささやかな幸せが最上なのです。
愚かな過ちを繰り返さないために… 」


前省略… 色々と経過はあったのですが、今は妻と娘二人の四人家族。結婚が遅かったので、上の娘がいま中学一年生、下の娘が小学三年生。
まだまだ前途多難…どうなることやらと思いながらも、ささやかながら家族揃って一応の食事が出来る日々を送っています。
実際には、妻と新聞の世論調査などを見ながら、我が家は日本階層社会の下流階級の中くらいか上くらいかな…などと話す程度の生活ですが…。
私自身は、これでも充分ぜいたく過ぎるくらいだと思っています。いま何気なく使っているティッシュペーパーがどんなに贅沢なものか、娘の食べ残したご飯がどんなに贅沢なものか… 
私たちの世代の者はみんな知っているはず。

一望の焼け野原に煙が立つ… 死体を山積にして焼いている風景。あの死体を焼く臭いはいやなものでした。周辺に死が日常になっているなか、母の死姉の死の悲しみよりも、差し迫った空腹のつらさ、飢餓の恐怖がさきにくる…。この非人間的な世界、それが私の戦争というものの原風景です。私の父がどのような手段で私たちの生を支えてくれたのか、いま思えば生き延びたのが不思議な気さえします。今の私が同じような状況に立たされたら、はたして子供たちの生を支えてやることが出来るであろうかと…

敗戦時12歳くらいだった作家野坂昭如氏は、神戸の空襲で被災し、幼児だった妹を飢えで亡くしています。原罪のようなものを感じるのでしょうか、野坂昭如氏の政治的エッセイに私はたいへん共感を覚えます。畑を三反買い求めて自衛しているという氏の風刺とも警告とも言えるエッセイを読んで、私はとても時代錯誤の他人事と笑えない…。私は娘にこういう実感を伝えることが出来るだろうか…。今の若い人たち、空腹をこらえるのは、ダイエットのためと思っている人たちにこの実感を理解してもらえるだろうか…。あのアフリカの難民たちのガリガリに痩せておなかだけ突き出ている子供たち。うつろな目をしたあの子供たちの気持ちが私には痛いほどに感じるのだけれど…。 今の若い人たちにはどのように映っているのだろうか。ただ「かわいそう…」とだけではなかろうか。あの痛みが自分のものだと理解できるだろうか…。

豊かになることはいいことです。しかし、これは誰かの犠牲の上に成り立っているのではないでしょうか? 私の食卓には、石油をがぶ飲みした季節のない食物と、幾人もの飢えをしのぐことが出来たはずの穀物が姿を変えた一切れの肉が乗っています。食べ物だけでなく、すべてのものがそうなのです。私は娘たちにこれらを贅沢だと頭から否定することが出来ないでいます。そういう社会ですから…。しかし、自分で理解し判るような人になってもらいたいと思うのです。他の人の痛みや、人はどのように生きるべきかを…

シンプルな生活、ささやかな幸せが最上なのです。大きな幸福を求めるその心が、際限のない欲望を生んでいく。限りあるものを限りない欲望で追い求めれば、いずれ行き詰まり、破局に向かいます。限りなく豊かな生活を求める人たちの欲望が権力者の欲望を正当化し、摩擦や紛争の原因にもなり、またみんなの地球を環境汚染や、まさかとは思うが戦争というかたちで破壊していくことにつながっていく…。「他より優れているから、他より良いものをもっているから楽しい」ではなく、「みんなと一緒だから楽しい…」と感ずるような人になってもらいたいと思うのです。

私は一時期、労働争議のもつれと自分の能力の無能さに失望し、社会をドロップアウトして、外から世間を見ているようなヒッピーといわれた時期が十年ほどありました。私は原爆に被災し、母と姉を失い、父もまた今では原爆症であったといわれる肝硬変で亡くしていながら、そのときまで「戦争、原爆は悲惨なものだ。苦しい目にあった…」という程度の認識しか持っていませんでした。
ヒッピーといわれた時期、訪問販売の営業、土木建築の現場、造船所、自動車工場、廃品回収、大企業の孫請け飯場から零細企業まで、社会底辺のさまざまな仕事を通じ、人とふれあい、はじめて資本主義社会、階級社会というものの意味を知りました。
たっぷりある時間の中で本を読み、友達と議論をし、社会というもの、人間というもの、戦争、平和、生きるということの意味についてはじめて考え、はじめて原爆というものの意味の重さに気が付いたのです。

普通ならこういうことは大学生の頃、二十才くらいの頃、青春といわれる時期に思考形成されるものだと思います。私の場合、中学を卒業してすぐ就職し、夜学に通いながら、ひたすら、自分の口は自分でしのげるようになりたい一心で、ものを考える余裕もないまま働いて、普通なら所帯を持って子供もいる年齢、三十歳近くになっておとずれたヒッピーの時期が、私の、遅れてやってきた青春時代だったのです。その代償として私の社会的な居場所は失ってしまいましたが…
「私たちは何故わけもわからぬまま殺されたのか? 人は人を何故殺すのか? 戦争というものの意味について考えてもらいたい。究極は欲望のためなのだ… 」といった意味の発言がNHKの原爆特集で取り上げられたのはその頃(1970年頃)でした。しかし歯切れのいいものではなかった… 平和は望んでいても、行動的な平和運動の実践者ではありませんでしたから、 そのためにはこうするべきだという発言が出来なかった…

いま、私は思うのです。私たちにも平和のために出来ることがある。
私は日本国憲法を中学のとき学習したはずですが、あの時はいったい何を学んだのでしょう… 娘が小学校六年生の副読本で憲法を学習しているのを見て、あらためて、その意味の重さに感じ入りました。とくに、皆さんもよくご存知の「日本国憲法 前文」と、第九条「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」です。
「日本国憲法は敗戦によって押し付けられた憲法だから、原状に即した自主憲法を作らなければならない」という改憲論がときおりもちあがりますが、日本の憲法はあの戦争の悲惨な犠牲のうえに、人類の生き延びる道はこれしかないという世界の要望、人類の要望から生まれたものだと思います。体験から生まれた知恵なのです。
「武器を持つものは、武器によって滅ぶ」は歴史の証明するところです。
消極的に思えるかもしれませんが、この憲法を守るということが、平和のための、人類の幸福のための力になるのだと、あらためて思い、かみしめました。
わが娘にも、この憲法を知識としてではなく、人類が悲惨な体験の上に得た知恵なのだということを、理解できるような人になってもらいたいと思うのです。
我が家のささやかな幸せが、壊されないためにも。ささやかな幸せが、どんなに大切なものかを理解できるようになってもらうためにも…

原爆慰霊碑に刻まれている
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから 」
この言葉は、自分の胸に刻む言葉なのです。


――――――――――――

このエッセイのようなものを書いて、20年経った今、
まさかと思っていた憲法改正が現実のものになろうとしている…
戦争の実体を知らない「愛国者たち!」と、権力者に操作され、自分の言葉を持たないマスメディアによって!  

コメント(23)

こういう場で書き込みをされた大先達の強い意思にただ感服です。ヒロシマの若い世代は、「平和」「平和」とお題目ばかり唱えるのではなくもっともっと身近なところから、聞き続けていかなくてはだめですね。
本日、(8月6日)におじさんDさまがここに書き込みされたことはミクシィ史上、特筆されるべきことと存じます。
私の日記にリンクしておきます。
ありがとうございました。
>「他より優れているから、他より良いものをもっているから楽しい」ではなく、「みんなと一緒だから楽しい…」と感ずるような人になってもらいたいと思うのです。

この一文で、ハッと我に返りました。
まだまだ自分は甘ちゃんだなと思いました。

おじさんDさま、気付きを頂きありがとうございます。
もう一度、今ここにある自分の命の有り様について
しっかり自戒したいと思います!
今日の原爆にかんする記を読ませて頂きました。
そしてこうしたことをmixi上で記して頂けたことに、深く感謝致します。
私は勿論被爆体験はない世代です。ただ、小さい頃に小学校の恩師が自分で買ったヒロシマナガサキの分厚い原爆写真集を教室に置いてくれて、それを眺めるたびに恐ろしさと悲しさで一杯になりました。(多分私のクラスの子達全員は、その写真集のお陰で原爆という物が色濃く意識の残った事と思っています。何しろみんな自然発生的に休み時間など見ていたので)
以来、原爆と名の付く資料やテレビに出会うたびに、何故か知り得る事はできないはずなのにまるで自分が体験したことのような恐ろしさでその夜は夢を見たりします(体験したことのない人間がそんなことを言うのは不謹慎かも知れませんが)
もう、何も言う必要はないと思いました。
本当に、こうした体験記ををmixiで書いてくださった、そのことに深く感謝を致します。ありがとうございます。
それをもっと私のような若い人達もみることができるかも知れない、そう望まずにはいられません。
身近に被爆者もなく、広島も長崎も無縁に育ってきた私ですが、この現実だけは何より記憶にとどめなければ、子供達に残さなければいけないを切に願っています。

長文申しわけありません。本当にありがとうございました。貴重なお話を伺えて嬉しかったです。できることなら私のマイミク達にもこれを読んで欲しいとさえ思いました。
 8月は、いろいろな事を考えてしまう季節ですが、今日は忘れていたものを再び考える機会をあたえてくれた記に感謝します。
ただただ、原爆のおぞましさ、そして平和というものの尊さを改めて再認識させられました。

私の母方の祖母は長崎に住んでいるのですが、この時期になるといつも「もしも」という言葉が思い浮かびます。

あの日、もしも祖母が原爆で死んでいたら、当然こうしてmixiなんかしていられなかった訳ですし、何より生まれてくること自体ありえなかったことなんです。

だからこそ、若い世代の私たちがもっともっと原爆について考えなければいけないし、何かしら行動に移さなければいけないと感じました。

昔、広島で聞いた被爆者の方の「体験談」は、今も忘れることができません。

「憎むことでは何も生まれない。若い世代のあなたがたに、これだけは後世に伝えてほしい。」

あの時の自分にはピンとこない言葉でしたが、今ようやくその意味を理解できた気がします。

世界で唯一の被爆国に生まれた人間として、そして、世界のどの国よりも「平和とは何か?」を知っている国の人間として、できることから始めようと思います。
おじさんDです
たくさんのコメントをありがとうございます。
私の日記にもたくさんの足跡とメッセージをいただきました。若い方々からこんなに多くの反応があるとは思いませんでした。
そして、多くの方が原爆の実体を知る資料を見る機会がないと仰っているのにも驚きました。
ヒロシマでは学校で平和教育がありますし、図書館にもたくさんの体験記の本があります。私はこれが普通のことだと思っていました。
ホームページで検索すれば体験記はあると思いますが、被爆者の高齢化でパソコンを扱う量が少なくなくなっているのかも知れません。

本では岩波書店の戦後すぐに編纂された「原爆の子」上下。  子供の目で素直に見た被爆体験は超ロングセラー
   
   
拝見させていただきました。
貴重なトピックを立てていただき、感謝いたします。

直接の被爆世代でない私たちにとって、
このような生の声を聞かせていただくことは
本当に大切で、かつ、本当にありがたいことだと思います。

『平和とは何かについて考える』と言うことはカンタンです。
でも、私たちの世代は、幸か不幸か、
平和の逆の時代を体験していないのです。
だからその『考える』ことが無にならないためにも、
おじさんD様のような方々の生の声が、必要なのです。
そして、私たちはそこから『だから平和が必要なのだ』
と気づき、それを伝え継がなれけばならないと思います。

本当にありがとうございました。
honto ni arigato gozaimasu.
tadaima, nihongo ga yomenai pasokon wo tsukatte irunode, ro-maji de sumimasen.
kino- no yoru, America-jin no tomodachi to, Hiroshima no osoroshii hi no eizo wo, iki wo nomu kimochi de mite imashita.eizo no saigo ni dete itata kotoba ga wasure rarem sen.
This is our cry
This is our prayer
Peace in the world.

watashi ni naniga dekiru ka, aratamete kangae sase rare te imasu.
arigato-gozaimashita
訪問させていただきました。

飽食に疑いを持たず生活してしまっている自分には、
グサッときました。

私はたまたま環境問題に関わる事が多いのですが、6−7年程前から、アメリカがおかしくなり始めたのを感じました。特にそれを実感したのは京都議定書の離脱です。政治のロジックが急に飛躍し始めたのです。

これは、戦争の匂いがする、とこんな世代の私でも思いました。そして、9.11が起こりました。

その後、イラク戦争、そして今日のイスラエル。

米国のロジックの飛躍に同調して、ご指摘のように日本が憲法を変えるような方向に行ってしまうのでしょうか。

これを止めるには、どうしたらいいのか、考えていきたいと思いました。
おじさんDさま

私は広島出身の被爆3世です。
広島を離れて、7年ちょっとになります。
その間、全く自分の時間が持てない忙しい生活をしていたり、時間的に余裕のある期間もあり様々ですが、8月6日を忘れたことはありません。

もちろん、小学校の時に当たり前のように平和学習をしていたということもあるんでしょうが、被爆した祖父の話(本人からは聞くことは一度もなく亡くなりましたが)を近所の方から聞いたりする機会もあったからか、とても自分と別世界とは思えません。

悲しいことに、広島出身でない友だちにはちょっと話題を振ってみても反応が薄すぎて…。
かと言って押し付けるものでもなく。
という私も不勉強な部分がたくさんあって、昨年ちょうどこの時期に「原爆の子」を読みました。
30年も生きてきてちゃんと読んだことがなかったのです。

どんなに自分が今幸せなのか、そしてその幸せに慣れすぎているのか、自分に対する猛反省をしました。

反省とともに、今できることをやらなくちゃいけない、という意志も出てきて。

風化しつつある原爆ですが、たった60年前のことなんですよね。
考えれば考えるほど頭の中が混乱してしまいます。
おじさんDです
原爆忌のテーマに対して、重い意味を持つ真摯なコメントをいただきとても嬉しく思います。
簡単に答えを出せないような事柄であり、お返事を書けないでいて申しわけありません。
もう少しこのテーマを続けて、
お答え、お返事の代わりになればと思っています。
  
憲法について

私は憲法を護ることが誰でも出来る 平和運動の原点と書きました。
いま憲法について改憲論が高まっているが、どのように替えようとしているのかまるで見えない。おそらく核心は前文と9条のことであろうが、拡大解釈で現在でも日本は核こそ無いが世界有数の軍事大国です。海外派兵まで行っている。9条の歯止めがあってさえこれである。改憲すれば更にまた拡大解釈するだろう。世界の国々、特にアジアの国々は好意的に受け止めてくれますか? 靖国問題でも、国連で日本が安保理常任理事国になれなかった問題でも、日本はまだ信用されていないからではないですか?
日本は軍事力の圧力で自分を守るより、日本フアンの国々の世論に守ってもらったほうが良いのです。

憲法第9条問題については、つきつめれば外からの脅威に対して「丸腰でいいのか?」と言うことでしょう。
私の意見は「たとえ攻め込まれようとも、腰を据えて9条を護りぬこう」「丸腰だからこそ説得力のあることもある」ということです。

先日テレビでとても貴重な意見を聞きました。医師の中村哲さん、アフガニスタン、パキスタンで医療活動と水利灌漑事業を、農地、緑の回復事業を現地の人と日本のボランティアによって活動している代表の方です。
「この地方は結束の固い復讐社会、自分を犠牲にしても仲間を護るという社会。あるとき私たちの活動仲間が襲われたことがありました。仲間は仕返しに行くといきり立ちましたが、私は我慢しろと抑えました。私がここで生きて活動できるのは丸腰だからです」といったような意味の話をされていました。
私はほんとに感銘を受けました。
「どうせ命をかけるのなら、銃に命を懸けるよりも、丸腰でパンと薬に命を懸けたほうがかっこいい! 相手にも信用されるだろう、自分の命も標的になりにくいだろう!」と…
活動は、政府のひも付きDOAを拒否し市民の協力会員の会費と寄付で運営されているそうです。

余談ですが、アメリカが9.11テロという犯罪行為に国連を軽視して、西部劇のような復讐劇を勝手にテロとの戦争だと格上げし、戦争ならお互い自分の正義のための戦い。
そして03年からイラクに使った金は44兆円!
イラン国民所得の5.3年分!
アメリカ兵がロケット弾の替わりに、毎日パンと衣類と薬品を配って廻っていたらどんなに喜ばれたことでしょう。
今からもどれだけ膨大な金が掛かるか計り知れない…

何故このような愚かしいことをするのでしょう?
誰がこれで利益を得ているのでしょう?
考えたことがありますか?


今回の日本のイラク派兵についても、わが国は日本憲法により派兵はできない、そのかわりに被災者の支援に全力をつくす。と言えばよかったのです。
前回の湾岸戦争のとき、金しかださなかったと馬鹿にされたからというが、120億ドル1兆3800億円もの金を受け取った側がどんなに有益なことに使ったのかまるでわからないのでは、当然のことです。

今の時代、TV、ITで情報が世界を駆け巡っている時代に不当なことがそのまま押し通せるでしょうか? 19世紀、20世紀型の覇権主義が通用するでしょうか? 時代が代わって来ているのは明らかです。かっては自分の周りしか見えず判断もその範囲でしか出来なかったが、今は世界全般をみることが出来、自分のポジションが何処にあるかを判断できる時代です。

では戦争の危機はないのか? このイラク戦争でも見られるように、残念ながら人間の欲望、利害の対立があるかぎり戦争の危機はなくならない。
私達が理性的な判断力を身につけることが出来るかどうかにかかっているのです。
窓はすでに開かれているのです。学ぶ姿勢があるかどうかにかかっています。

   
初めて書き込みさせていただきます。


脱線かもしれませんが、おじさんDさんのトピックを読ませて頂いている間、祖父母の事が脳裏に浮かび、彼らの戦時中の話しを思い出したのです。祖母はよく私に「大学へ行って学びたかった」「生まれ変わったら、今の若者のように青春を戦争に奪われる事なく、自分の興味ある事にとりくみたかった」と言っていたのを思い出しました。

私の実家は九州なのですが、長崎に原爆が投下されるつい1日前まで祖父は長崎で働いていました。その帰省した翌日に原爆投下という、危機一髪で生を守ったのですが、その事を思いだすたびに、自分の命の尊さを感じてなりません。
私がこの平和な世界にノウノウと生きていられるのも、こうした祖父母の苦労の上に成り立っているのかと思うと、言い表せない感情に胸が切なくなります。

祖父母はもう他界してしまいましたが、彼らの私に言わんとしていた事を胸に、生きていきたいと思うのです。
8月15日 小泉総理が公約どうり靖国参拝するのか、またマスコミの話題になっている、

総理の靖国参拝は個人ならともかく、国を代表する立場なら、心の問題ではすまされない。国を代表する思想の発信と受け取られるのは避けようがない。 むろん被爆者の立場である私も無関心ではいられない。


下記は昨年の10月、小泉首相の靖国参拝について記したものの再掲です



咋今のメディアを見ているとNHKが一番過激な放送をしているようにみえます。
「沖縄、サイパンの一般市民の強いられた悲惨な玉砕戦略
日本の捕虜も虐待されたと右翼の宣伝に利用されている、カウラ捕虜収容所の集団脱走の真実60年後の証言
取り残された民衆、もと関東軍兵士と開拓団家族の証言」 などのドキュメント
日本国軍の銃は「愛国のため!」に、国民にも向いていたのです…

これらを見れば戦争責任とはなにか、戦争遂行の精神的支柱であった靖国神社とはなにか、鑑みれば靖国参拝など出来るわけが無いと思います。

不条理な死を強いられ無念のこころを抱いたまま祀られている人たち、また祀られていない被爆死した私の父母姉などを含む膨大な一般市民の犠牲者、
そして侵略戦争に巻き込まれた他国の膨大な犠牲者たち、
いかに「外国列強の挑発を受けて国を守るための、やむを得ぬ正義のための闘いだった」と強弁しようとも、
海外で戦争をし、一般市民を巻き込み、膨大な犠牲者を出した事実を消すことはできはしない。
靖国神社はその政権政策の精神的支柱として利用されていたのです。
私たちは愛国教育を受け、大きくなったら兵隊さんになり、死んだら靖国神社で神様になるのだと信じていた…いや思い込まされていた…… 
何の為に?! 
誰のために?

小泉首相はいつも参拝理由に「心ならずも戦場に赴いて命を失った方々、戦没者の方々に感謝の気持ちを伝えるため云々…」とコメントされているが
「心ならずも…」の人たちは自分を戦場に追い立てた人たちと一緒にされたくは無いのではないでしょうか?
こんなところからは出て行きたいと思ってはいませんか? 
「平和を祈念し誓うために…」と言いますが、それなら場所が違っているのではないですか?

「死ねばみな仏様、罪を憎んで人を憎まず…」このような言葉を権力者側から言って欲しくない。言葉を変えれば権力者側は何でもやりたい放題、自分の正義のためだ、許せ!と言っているようなもの。
この言葉は被害者が報復の連鎖を断ち切るため、忍び難きを忍び、自分に言い聞かせるためのものでしょう。

被害者の気持ちも顧みず参拝を強行されるのは何故ですか?
いかに私人だと言いつくろっても首相の肩書きがある限り小泉さんは日本の代表者なのです。
国益を損ねてまで自分の個人的な正義だけで押し通していいものなのでしょうか?
首相をお辞めになってからなら、毎日、気の済むまで参拝されたらいいと思いますが…


過日、天皇夫妻がサイパンのバンザイクリフを参拝された様子が報道されていました。
この地は名のとおり戦時「捉われて虜囚の辱めを受くる勿れ」の東條陸軍大将の発した戦陣訓により、多くの子女が「天皇陛下万歳」と叫びながら身を投じた断崖です。
当時こどもであった現天皇には何の責任も無いが、天皇という名の下での自分から進んでの参拝でした。それは針の筵の上での土下座を見る想いでした。
天皇は靖国には参拝されないが、沖縄やサイパンなどの各地の戦争慰霊碑には参拝されている。
誰からも、諸外国からも批判されることは当然ありません。


   
8月6日に書いて下さっていたのに、今読みました。
早くにここへきて読むべきでした。
真実の文章、被爆の実情、悲惨さが胸を打つと同時に「生きること」を真剣に考える文章に出会いました。
広島に住んでいたこともあり、原爆の日に参列したこともあります。長崎に生まれて、一度も原爆の日に平和公園へ行ったことも無いのに、広島では引き寄せられるように会場へ。もちろん原爆ドームに近い所に住んでいたこともありますが。その時は森首相でしたが・・どんなに冥福を祈る文を読んだところで、しらじらしく感じたことを思い出しました。
16の文章も読ませて頂きたいと思います。
初めまして。Junです。
広島に住んで25年になります。
これまで、様々な平和活動に関わり、被爆者の方々の証言も数多く聞いてきました。
Mixiの会員として迎えた初めての原爆の日、たまたまMixiで知り合った人々や、これまで知っていたのに平和について語り合ったことのなかった知人のブログに、平和を求める想いが溢れていることを知りました。
このトピックでは、おじさんDさんのメッセージに多くの人々が肯定的な意見を書かれ、胸が熱くなりました。
とても勇気づけられました。
はじめまして。Browlerと申します。
http://mixi.jp/view_event.pl?id=8722430&comm_id=154290
のスタッフで、被爆者の方の体験談と峠三吉の詩と原爆ほかの写真パネルを組み合わせた活動をしております。

60数年前と違って、今はインターネットの力で大きな動きが作れるのではと考えています。
どうぞよろしくお願いいたします。
はじめまして・・・・
貴重な生の声を聞かせていただきました。
後世に伝えていかなきゃならない事実ですね・・・
ありがとうございます。

平和ぼけ?
でしょうか・・・・・・・・。
戦争の事について周りではあまり関心が無い人が多く見受けられました。

8/6・8/9のあった出来事すらもう忘れてしまっている若者。
教科書の一部でしか記憶が無いようでした。
とっても悲しいできごとでした。

現状で戦争が起こっている事にも無関心。

いつになったら目がさめるのでしょうか?

こんな日本の現状は良きとは思えないです。


私の日記に戦争について語りましたが・・・
普段はたわいも無い返事をくれる人が
今回少なくて・・・・悲しかったです。
何か感じとって欲しくて書いた日記でしたが・・・
やっぱり意見が少なかった・・・・

これからをもっと考えていくべきだと思った。
>何か感じとって欲しくて書いた日記でしたが・・・
やっぱり意見が少なかった・・・・

うっしぃさん
このようなテーマはこころのプライバシーに触れる事柄、
みようによっては踏み絵のようなものですから、
気軽に反応できなくて当然だと思います。反応が薄いように見えるだけかもしれません。
こころの片隅に、ちょっと引っかかるものが残ればそれでよいと思います。
責任の重石をつけて動けなくならないように…

何人かの目に触れただけでも、けっして無駄だったとは思いません。

  
  
報復−憎しみの連鎖はとまらない 

ヒズボラの無思慮な2人のイスラエル兵の拉致から、イスラエルの過剰報復攻撃がはじまり、両国の死者は1000人を超えるまでになってしまった。イスラエルの指導者の政策からみれば当然予想される結果です。

イスラエルは差別迫害された歴史の痛みを忘れたのでしょうか? 
イスラム全部を敵に回して、昼夜こころの休まることのない、非難のまなざしの中の生活を、生涯続けるつもりなのでしょうか?  
中東問題、民族問題はどこかで譲歩しないかぎり憎しみの連鎖はとまらない。
イスラエルは世界を相手にして、力で押さえつづけるようなことは、出来はしない。


ヒロシマはあのような多大な犠牲者を出しながら憎しみはないのか? 恨みはないのか?
肉親を失い、家を失い、生活の基盤を失う…
怒り、恨み、憎しみがないわけがない!
その責任の所在を問うのは当然です。
しかし被爆者の場合、憎しみ、怒りが、その悲惨さに比べて薄いのではないか?といわれるが、 これは打ちのめされて立ち上がる気力もなかったせいもあろうが、日本人の仏教思想、特に広島で信者の多い浄土真宗の影響があるのではないかと思う。

弱者が生き延びるためのこころの支え、知恵として鎌倉時代に形成された日本仏教、ひとことで言えば
「色即是空、空即是色、諸行無常。欲望を否定して弥陀の本願をあえて信じる」
『攻撃的諦念』が、大部分の日本人の精神を形成していたからだと思います。これが憎しみの連鎖を断つ役に立ったのではないかとおもいます。
これはまた日本の敗戦処理がわりとスムーズに行われた要因にもなり、
また、「ごめんとあやまったのだからもういいではないか…すんだことをいつまでも言うな。死んだらみな仏様。靖国神社に参拝して何が悪い」と言う… 良い面もあれば権力者には都合のいい無責任な悪い面もある。これらはみな同根の精神構造によるものだと思います。
文化の違う今紛争中の国々に理解されるとは思われないが、遠廻りのようでも人間とは何か、いきるための知恵を学ぶ、教育が必要ではないでしょうか。
宗教はもともとそういう生きるために必要な知恵からから生まれたものです。しかしもう世界の主要な宗教は、生まれた時代と状況も環境もかわってきている。原理主義者がトラブルの原因になるのもそういう時代の変化に対応しないからです。有効な思想、倫理を持たねばなりません。

    
今読ませて頂きました。
その苦しみを、その哀しみを、やはりどうしても伝えていく必要があると思います。
日本人でも「8月6日はヒロシマとナガサキどっちだっけ?」という人がいます。
長崎の平和の像を「これ何の像だっけ?」という人もいました。
そういうものなのかな、とは思いつつ、それを放置する訳にもいきますまい。
被爆者の方の中には「どうせ伝わらないから」と口を閉ざす人もいますが、全部は伝わらなくても何かは伝わると、僕は信じます。
貴重な体験談、敬して拝読させて頂きました。

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