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特別支援学校教諭コミュの【プータロウーの「障害児教育」学習ノート 1】

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どこまで続くか分かりませんが、「障害児教育」(「今は特別支援教育」と呼んだ方がいいのか?)を書いて行きたいと思います。最初は「論文」を書くつもりで書き始めたのですが、「とりあえあず書けた所まで紹介していく」という方法で始めたいと思います。
「障害児教育」と「特別支援教育」という題は、その「論文用」の題名なのですが、「第1回目」は、その論文の「はじめに」の部分と「障害児教育の歴史・・・明治以前」について書いたものを掲載したいと思います。


「障害児教育」と「特別支援教育」
                

【はじめに】

 「障害児教育」の分野で「これからは“特別支援教育”の時代である」というふうに言われだしてから、もう数年になる。「特殊教育書学校」と呼ばれていた「盲・聾・養護学校」は「特別支援学校」という「一括り」として呼ばれることになり、「地域の障害児教育のセンター的役割」を担うべき学校として位置づけられようとしている。しかし、その実態ははなはだ「お寒い」ものである。なぜなら、それに伴う「専門家」の配置など人的な資源の整備などお金のかかることは一切(とまでま言わないが・・・少ないことには間違いない)せずに、現在の人的資源において、新しい「特別支援教育」を担っていけということなのである。

文部科学省は、それらしいかっこいい名前「特別支援教育」をつけたが、個々の問題をかかえた児童・生徒にそれではどのような支援ができるのか、「個別教育計画」や「個別支援計画」など書類の作成を現場に持ち込み、それでなくても忙しい現場に「不要」とは言わないが、かなりの時間と労力を割く必要がある「書類作り」を押しつけている。そのため本来時間を割くべき「現在対応している児童・生徒の教育について話し合いを持つ時間」さえ満足に現場では取ることができず、勤務時間を大幅にオーバーしながら日々の取り組みを進めているのが現状である。

 文部科学省は、「現場」の実態を把握して、このような「特別支援教育」なるものを持ち込もうとしているのかはなはだ疑問である。予算をかけずして、満足な「特別支援教育」は成立しない。「特別支援教育」においては「個々の児童・生徒」において「個別の支援計画」をたててそれにのっとって教育を進めていこうというのであるから、「個々」に対応できるような人的・予算的計画を無しには前に進みようがないのである。もし、現状のままの予算・人的資源のままさらなる「改革」を進めようとするならば、それはやる前から破綻しているのではないかと私には思われる。
 

 ここに『キーワードブック 障害児教育 特別支援教育の基礎知識』(編集代表 清水貞夫 藤本文朗 クリエイツかもがわ・発行)(1)という1冊の本がある。その「前書き」の部分から引用してみたいと思う。(上掲書 3ページ)

21世紀に入り、日本の障害児教育および障害児福祉は、新自由主義的「構造改革の響を受けつつ、大きな転換と改革の時期を迎えています。障害児教育は「特殊教育」から「特別支援教育」への転換が打ち出され、障害者福祉の分野では「措置制度」から「支援費制度」さらには「自立支援制度」への転換がはかられてきました。
この一連の改革は、評価すべき点をもちながらも、現実の障害児教育や障害者福祉の矛盾をいっそう拡大するものとなっています。また、このような改革と矛盾のもとで、学問的に蓄積されてきた基本的概念や原理、地道に積み重ねてこられた実践の到達点があいまいにされる傾向があります。

 とりわけ、障害児教育の分野では特別支援教育構想のもとで、必要な人的配置を行わないきわめに不十分な盲・聾・養護学校のセンター的機能や、障害児学級の通級指導教室化を意味する「特別支援教室」(仮称)などが提起されています。見逃すことができないのは、これらが単なる「障害児教育のリストラ」にとどまらず、障害のある子どもたちの教育の個別化・訓練化の傾向を強めながら進められようとしていることです。すなわち、特別支援教育が強調する「一人一人のニーズに対応」した教育が、全人格的発達を保障するための特別な教育的ニーズという視点ではなく、子どもたちのもっている困難性の改善・克服のための指導を意味するものとして位置づけられているのです。これは、子どもたちの健やかな成長・発達とそれを願う保護者や教職員の願いと、深いところで矛盾を強めるものとなることは明白です。

 そのような矛盾に対して、障害のあるすべての子どもたちの発達保障に向けて、理論的実践的な提示がいっそう重要になってきています。学問研究の蓄積や実践の到達点を無視したままで21世紀の豊かな社会発展を考えることはできません。今こそ障害児教育や障害者問題の基本的概念をしっかり押さえながら、問題点や論拠を整理しつつ、今後の方向を明示することが必要な時期であると考えます。


 私は、この「上掲書」を基本的な参考文献としながら、その他の参考文献にもあたりながら、現場での実践経験をふまえた立場からの論考を加えてこの「論文」を作成してみたいと考えた。自分自身の中で一定の整理をつけて、今後の自分自身の実践の方向のあり方、また、「障害児教育」全体の今後のあり方等についても論考を進めていければと考えている。



第1章 「障害児教育の歴史」


 様々な問題を考えていく時、「その歴史はどうであったのか」ということを見直して考えることは非常に大切な事であると私は考える。これは、「先行研究」にあたる以前にその基礎として知っておくべきことである。そこで、「上掲書(1)」を参考にして我が国の歩んできた「障害児教育の歴史」について簡単に触れておきたいと思う。

 「上掲書(1)」には「日本障害者教育史年表」が掲載されている。「教育・福祉一般・社会背景」なども横に記載されているため、「どのような時代背景のもとに、どのような教育が展開されたのか」を知るために非常に参考になる年表である。

【明治以前の障害児教育・寺小屋で行われた障害児教育】

 さて、「幕末から明治期にかけて欧米諸国に旅立った人々は、現地で様々な学校や施設、進んだ教育方法を目の当たりにし、日本でも障害児教育を行うべきだと考えた。」(上掲書(1)236ページ)

 明治時代に入る以前、江戸時代においては、庶民に対する教育は主に各地に作られた「寺小屋」で行われていた。地方を含め都市部の寺子屋では、視覚障害児や聴力障害児、肢体不自由児が学んでいたことが明らかになっている。幕末に確認された全国3090の寺子屋の中で266校(約8.6%)で障害を持つ子どもたちを受け入れたことが分かっている。(上掲書(1)236ページ)
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◆幕末の寺小屋への障害児の通学状況(単位:校)

    地域通学あり    地域の寺小屋総数

・ 奥羽地方及び北海道 ・・・  46(14.6%) 314
・ 関東地方 ・・・  43(10.2%) 422
・中部地方 ・・・  60(8.3%) 726
・ 近畿地方 ・・・  57(7.9%)     725
・ 中国地方 ・・・  17(5.0%)     343
・ 四国地方 ・・・  24(8.3%)     289
・ 九州地方及び沖縄県 ・・・  19(7.0%) 271
・ 全国総計 ・・・ 236(8.6%) 3090

原典は、乙竹岩造『日本庶民教育史』中・下巻。ここでは、中村満紀男・荒川智編著『障害児教育の歴史』の表を整理した。)(上掲書(1)236ページより重引)

 江戸時代の当時、寺子屋で障害児に対する教育が行われていたことは、保護者からの受け入れ要求に師匠が応えるという消極的な理由から開始されたものであったが、注目に値すると言えよう。指導に当たった師匠は、聴覚障害児に対しては日用品や玩具、絵草紙などを見せ、実物と絵と文字の結びつきを教え、漢字を学ばせる直観教授法を採用した。一方、視覚障害児には、指を動かせて字を覚えさせたり、凸字のいろはを作り、読ませた。こうした努力は、鎖国下の日本で営まれたもので海外の障害児教育とは切り離された独自の教育であったが、明治以後の障害児教育の土台になったものと考えられる。(上掲書(1)236ページ)

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