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ここが変だよ比較文化論コミュのCool Japan 「礼儀」

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 6月4日放送のCool Japanは、日本人の礼儀がテーマだった。Cool Japanが道行く人にきいたアンケートの結果が興味深い。
 まずは「初対面の人との話題」。天気42人、出身地12人、年齢7人、職業7人、趣味3人という結果となった。
 1位の「天気」は、人類永遠の話題と言われている。2位「出身地」は、都会ならではの話題。3位「年齢」は、日本語には敬語があるためだろう。
 次は「会話のタブー」。家族34人、お金22人、年齢16人、住む場所12人、職業10人という結果となった。

 (1) 理想と仮面
 1位の「家族」だが、日本人は夫婦同伴で行動はまずしないから、家族についてきく必要がない。ところが欧米人は必ずと言っていいほど、リビングルームに家族の写真を飾っている。「家族」といっても1世帯ではなく、「この人は私の母キャサリンで、この人は息子のスティーブン。その隣がその妻のロリーンで、抱いているのが私の孫のフレディ。一番左にいるのが末娘のジェニファーで、日本人と結婚して今は日本に住んでいる」などと、訪ねてもいないのに自慢げに説明するが、全員の名前なんか覚えられないっちゅうの。誰もが老化し誰もが病気になるのだから、どんな家庭にも問題はあるような気がするが、他人の前では隠蔽し、あくまでも理想の家族を演じるのだろうか。
 英語で「カウチポテト」などという言葉があるが、日曜日に家にいてテレビを見ているような人は、日本ではごく普通のような気がするが、北米では軽蔑の対象となるようだ。欧米では「パーティジョーク集」のような本が最も売れるそうで、アメリカ大統領選などを見てもわかるとおり、北米における理想の人間像とは、背が高く、離婚歴がなく、社交的で、勉強だけでなくスポーツにも秀でてなければならない。勉強ばかりしている人は「ギーク」などと嘲笑される。しかし日本ではエリートの定義はもっと広く、勉強だけできる人でかまわないし、ガリ勉はむしろ奨励されている。日本ではカウチポテトやオタクにも居場所があり、ふさわしい場所では尊敬すらされるのだ。
 北米では理想のタイプが極端に狭くステロタイプで、ある特定の人間像を装っていないといけないのは、実に心苦しい。日本のサラリーマンは仮面を被っているとよく言われるが、会社で仕事さえまじめにやっていればいいのであって、仕事を終えればパチンコでも競馬でも風俗店でも、どんな趣味に没頭しようと関係ない。アメリカは「自由の国」とよく言われるが、独特の了見の狭さを感じる。北米より日本の方が自由で個人主義的だと思うのは、私だけだろうか。

 (2) 日本人の職業意識
 5位の「職業」だが、江戸時代の身分が職業で決められたことから、職業の貴賎意識は今も根強いようだ。貴族階級のような身分制度が廃止され、世界でも稀な平等社会を実現したことから、日本人は貴賎意識を学歴や職業に求めているのではないだろうか。日本の政界には民族政党・階級政党がなく、宗教政党も公明党を別にすれば存在しない。日本の政党は基本的に、職業別に分かれている。このことは、日本社会に存在する最も大きな亀裂は、民族でも宗教でもなく職業であることを意味する。もっとも民族団体・宗教団体などは、職業別に分けられた政党の内部に取り込まれてはいるのだが。
 「話題」と「タブー」の両方に「年齢」が入っているのは、明らかに自分より年配とわかる人には年齢はきかないということで、日本人と外国人の感性に大きな差はないと思う。

 (3) 敵意と距離感
 「日本人は知らない人には挨拶しない」ということも話題になった。エレベーターのような狭い空間では、欧米人は相手に敵意がないことを伝えるために話しかけるが、日本人はそのような敵意を感じないし、話しかけると下心があると勘ぐられてしまう。
 ところが話しかけたのが外国人だと、日本人は愛想よく応対する。日本(中国)人は外国人を客としてもてなす伝統があるようで、お客様として丁重に扱ってくれるが、逆に言うと見た目が外国人風だと、何年滞在してもいつまでもお客様扱いされてしまう。片言の日本語を話しただけで過剰に褒めるのもその表れで、外国人が日本(中国)語を話せなくても寛容である。中国の入国審査では、一言たりとも質問されなかったが、先月のカナダ入国審査では「トロントは初めて?」「何しに来たの?」「泊まるところはどこ?」などといろいろときかれた。
 白人と目が合うとニッコリ微笑んでくれるのは、これも敵意がないことを無意識に示しているのだろう。海外旅行に行くと、白人の若いおねえちゃんが微笑んでくれるのが、理由がわかっていてもうれしい。いっぽう白人が日本に来ると、日本人が頻繁に照れ笑いをしたり、話をしながら文節ごとにいちいちうなずくのを奇妙に感じるようだが、前者は敵意がないことを示すため、後者は同意している合図を頻繁に送っているのであって、白人の笑みと似たようなものだ。
 街でアンケートに答えた通行人たちは一様に、日本人が大切にしているものは他人との距離感だと指摘した。親しくない人や見知らぬ人とは適度な距離を保ち、不用意に深入りしない。だから家族の話題や抱擁などは、親しい人としかしない。よく「日本人は集団主義」と言われ、銭湯で一つの浴槽に入ったり、鍋料理をみんなでつつく行為が日本特有で、かつ外国人に抵抗ある習慣だと指摘されるが、外国人が日本人は個人主義的でなくあけっぴろげだと思い、知らない人に世間話をしかけたり、初対面の人に家族の話をしたりすると、大変なことになるだろう。もっとも日本人は外国人には寛容で、自文化をスタンダードとみなさない習慣があるので、あからさまに怒るようなことはないだろうが。
 高野陽太郎の論考や山岸俊男の実験は、「日本人は集団主義」という俗説を否定した。

 (4) 公衆道徳の不在
 今回のゲストは慶応大学の中村伊知哉教授だったが、「和を以って尊しとなす」や「恥の文化」など、言い古されたステロタイプを述べるばかりで、この人が一番不必要だった。この先生より街の通行人の方が、よほど日本文化を理解していたと思う。
 日本人が「和をもって尊しとなす」や「恥の文化」なら、荒れている掲示板がなぜ存在するのだろうか。日本社会は互いに規制しあっており、上下関係がなくても年齢によって初めから上下関係があるものとされ、相手の地位を意識した振る舞いが要求される。ゆえに規制がなく、平等で年齢不詳のネットの世界に入ると、日本人はとたんに自己主張を始める。世界のブログで最も多いのは英語ではなく日本語ブログであり、日本は世界に冠たるブログ大国である。
 ルールなし・上下関係なしのネット世界にも、マナーや道徳はあってしかるべきだが、規制がなくなると羽目をはずす人がいるのは残念なことである。朱子学の影響から、日本人には勤労道徳は発達したようだが、公衆道徳・宗教道徳は失われたようだ。

コメント(3)

●日本人と「和の精神」

 十七条憲法第一条の「和をもって貴しとなす」は、日本人では知らぬ人がいないほど有名で、日本精神を象徴的に表したものとされている。
 しかし実は、中国古典である論語の「礼の和をもって貴しとなす」に由来している。このあとは「知和而和、不以礼節之、亦不可行也」(和するを知りて和するも、礼を以てこれを節せざれば、また行わる可からざるなり)と続き、社会は調和だけでなく、礼儀やけじめや法も大切だと説いた。論語はまた「君子和而不同、小人同而不和」(君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず)と説いている。偉大な人は調和しても妥協はしないが、小さい人物は妥協しても真の調和はしないという意味である。
 だが十七条憲法は、第三条に「承詔必謹」(〔天皇の〕みことのりを承りては必ず謹め)と定めることで、「不同」の精神を切り捨てた。これはすなわち、天皇に従うことが絶対的真理であり、そこで必要とされるのは従順のみだということである。十七条憲法における「和」とは、相互の矛盾・対立・批判を一方的に排斥するものであり、論語が説いた本来の「和」の精神ではなく、むしろ「同」(妥協)の精神にほかならない。

 なお十七条憲法は聖徳太子が作ったとされてきたが、言い回しや役職が当時のものではないため、後世の偽作と考えられるようになった。
 敬語は敬意を表すだけでなく、「敬遠」という言葉が示すように、相手との距離感を示す役割もある。日本人は「結婚してるの?」「子供は何人いるの?」などと初対面でもパーソナルな質問をするので、外国人から「プライバシーに配慮しない」と思われがちだが、実は欧米人や中国・韓国人より日本人の方がパーソナルスペースが広いことが知られており、日本人は見知らぬ人に挨拶や世間話はしないことから、外国人に冷淡だと思われやすい。
 日本文化では、他人との距離感を適切に保つことが重要である。敬語・常語はそのツールの一つであり、日本語には一人称・二人称の代名詞が不必要なほど多い。
 このごろは、初めて会った美容師にタメ口をきかれたのを不快に感じたという報告をよく聞く。有名な例では、歌手の宇多田ヒカルが十代のころ、敬語を使わなかった。

「私は、嫌いな人に対しては敬語を使うなあ。敬語って、相手との距離を示すものだよね。言葉が与える印象の面で敬語は大事だと思うし、日本の大事な文化だけどさ、私はできるだけ使わないようにしている。いろいろ考えながら『これは敬語じゃないと失礼に聞こえるかも…』っていうところだけ敬語を使ったりしてきたんだ。話している人の中身を探りたいから、距離をできるだけなくしたいって思うのは自然だよなあ。普通は敬語を使うことが礼儀だけど、私にとっては敬語を使わないことが礼儀だったりする。これをやっていくには、想像以上に相手への配慮が必要とされるんだけどね。」

 宇多田ヒカルはよく知られている通り、アメリカ育ちであり、日本語より英語の方が得意なようだ。英語は日本語ほど敬語が発達しておらず、アメリカには貴族階級がないので、特別かしこまったような表現は、大統領と話すようなときでもなければ使わないものだ。だが歌手は人気商売であり、億万長者とはいえまだ十代の娘だった彼女は、ファンとの間に距離を作りたくなかったのだろう。
 アメリカの文化人類学者エドワード・ホールは、相手との関係と距離感を以下のように分類した。

1・密接距離(intimate distance):0cm〜45cm
・身体に容易に触れることが出来る距離。
・家族、恋人など、ごく親しい人がこの距離にいることは許されるが、それ以外の人がこの距離に近づくと不快感を伴う。
2・固体距離(personal distance):45cm〜120cm
・二人が共に手を伸ばせば相手に届く距離
・友人同士の個人的な会話では、この程度の距離がとられる。
3・社会距離(social distance):120cm〜350cm
・身体に触れることは出来ない距離。
・あらたまった場や業務上上司と接するときにとられる距離。
4・公衆距離(public distance):350cm以上
・講演会や公式な場での対面のときにとられる距離。

 日本人の場合はこれら物理的距離のほか、日本語にある多様なフォームを駆使して相手との距離感を示してくる。
 もっとも敬語が発達した言語では、敬語を使ってさえいれば敬意を表現できるという安易さがあるが、そうでない言語は定型のフォームを持たないので、相手に対する敬意はその都度自分で考えなければならないという煩雑さがある。
 逆に日本語には、swear wordがないとされる。罵る表現自体はあるものの、「死ね」「糞喰らえ」などは単なる悪口に過ぎず、“go to hell”“shit”などと言われたときの衝撃には、及ぶべくもない。
●マダム・リリー『なぜ外国人は「日本人と仲良くなるのは難しい」と悩んでしまうのか?』
http://www.madameriri.com/2013/05/16/%e3%81%aa%e3%81%9c%e5%a4%96%e5%9b%bd%e4%ba%ba%e3%81%af%e3%80%8c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%81%a8%e4%bb%b2%e8%89%af%e3%81%8f%e3%81%aa%e3%82%8b%e3%81%ae%e3%81%af%e9%9b%a3%e3%81%97%e3%81%84%e3%80%8d/

>他人の心を思いやることなく、ズケズケと言いたいことを言うことを「人の心に土足で踏む込む」というが、日本人は多かれ少なかれ内と外の線引きができない人を嫌う傾向にある。
>個人が意識しなくとも、日本には上履きと土足があったり、他所の人に使う敬語と身内の人に使う言葉を遣い分けたり、「内と外」をしっかりと分けるような社会のしくみになっている。
>だから、日本では相手の“内”を守ってあげるのが大人のマナーで、それができない人は常識知らずとして嫌がられる。

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