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ここが変だよ比較文化論コミュの桜に風情を感じるのは日本人だけか

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 (1) 桜と「死の美学」
 桜は日本の国花であり、日本人にとって特別な感慨のある花のようだ。桜の季節は年度の初めと終わりにかかっており、多くの日本人が桜に「別れ」や「始まり」をイメージする。この季節には、いわゆる「桜ソング」が流行する。
 日本人はまた、桜に「死の美学」をイメージする。「桜→落花→死の美学」のイメージが定着したのは江戸中期からで、それ以前の桜の一般的なイメージは「乙女」「春」だった。このイメージが流布した原因は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」(「花は桜木、人は武士」の台詞がある)における、死に際に桜を散らせる演出である。なお浅野内匠頭が切腹したのは旧暦3月14日で、グレゴリオ暦では4月21日にあたり、実際に桜が散っていた可能性があるが、赤穂浪士が切腹したのは旧暦2月4日で、グレゴリオ暦では3月20日である。
 ソメイヨシノは江戸末期に品種改良で登場したもので、赤穂事件のころの桜はソメイヨシノではない。散る様が美しいソメイヨシノは、既存種の山桜に代わって全国に普及した。靖国神社にも大量に植樹され、忠魂碑とソメイヨシノの散るさまが一体化したイメージが、国民の間で定着した。
 本居宣長の歌「敷島の大和心を人とはば朝日に匂う山桜花」は有名で、神風特攻隊の4つの部隊の名称「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」の語源になっている。ここから、宣長が「大和魂とはいさぎよい死のことだ」と考えたとする誤伝が生まれたが、ここでいう「大和心」とは国粋主義者の言う「大和魂」ではなく、単に日本人精神のことであり、「山桜花」はソメイヨシノではなく野生種のことである。すなわちこの歌の意味は、「日本人の心とは何かときかれたら、野に咲く山桜の美しさに心を動かされることだ」というものであって、「死の美学」とは関係ない。
 「桜の散るさまに美を感じるのは日本人だけ」というのは明らかに誤りだが、桜の散るさまを人の死に見立てる感性は、日本人特有のもののようだ。この感性を外国人に理解させようと思うなら、仮名手本忠臣蔵、靖国神社、神風特攻隊(特に「人間爆弾」桜花)まで順に説明しなければならないだろう。つまり桜に「滅びの美学」や「別れ」をイメージする「国民性」の正体は、歴史的・文化的共通認識なのであって、感性そのものではないのだ。

 (2) 日本人の見る桜とアンジェラ・アキの見たサクラ
川沿いに咲いてたサクラ並木を
共に生きていくと 二人で歩いた
世界に飲み込まれ 吐き出されても
ただそばにいたくて もっともっともっと
時間の流れと愛の狭間に落ちて
あなたを失った
恋しくて目を閉じれば
あの頃の二人がいる
サクラ色のあなたを忘れない ずっとずっとずっと

 アンジェラ・アキは、日本人の父とアメリカ人の母から生まれ、ワシントンDCの大学で学んだ。アメリカの始業は9月で、日本の4月始業が桜の季節にかかるのとは異なっている。
 アンジェラが見たサクラは、ワシントンDCのポトマック河畔に咲いていたものだ。アンジェラは「あのころは桜が咲いて、あの人がいた。時は流れ、今はもう桜は散り、あの人もいない。でもあの時代を忘れない」と歌っている。アンジェラにとって桜は季節ではなく、時代にかかるようだ。それはいわゆる桜ソングで「滅びの美学」や「卒業・別れ」を想う日本人の感性とは、ずいぶん趣が違っている。散りぎわのはかなさを想うのではなく、彼女の心の中では桜はずっと、ずっと咲いているようだ。
 桜への想いのマンネリズムを打破した新しい感性が、ハーフの芸術家によって打ち立てられたことには、ある種の感慨を覚えずにはいられない。日本の歌曲では韻を踏むのは珍しく、「もっと」と「ずっと」をかけたのは英語話者ならではの感性だろうか。アンジェラは、ハーフでも、日本の桜でなくても、卒業や死でなくても、桜に込める独自の感性を歌いあげた。

 (3) 一青窈が「ハナミズキ」に託す願い
 ワシントンDCの桜は、明治45年に東京市長尾崎行雄が贈ったものだ。ワシントンDCから日本へは大正4年、ハナミズキが贈られている。ハナミズキはアメリカの国花で、その花言葉は「私の想いを受けて下さい」である。ワシントンDCの桜を見てアンジェラ・アキが「サクラ色」を歌ったのに対し、日本では一青窈が「ハナミズキ」を歌っている。不思議な因縁と言うべきか。

夏は暑過ぎて
僕から気持ちは重すぎて
一緒にわたるには
きっと船が沈んじゃう
どうぞゆきなさい
お先にゆきなさい
僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと
止まりますように
君と好きな人が
百年続きますように

 一青窈の父は台湾人で、母は日本人である。歌詞は極度に抽象的だが、9・11同時多発テロへの想いを詠った曲であり、死者から生き残った者へのメッセージだという。
 世界貿易センタービルへの自爆攻撃を見て、多くのアメリカ人は「カミカゼ・アタック」を連想した。だが一青窈は、暴力に対する暴力、殺人に対する殺人、その果てしない憎悪の連鎖を断ち切るために、自分の大切な人、その人の大切な人、こうして一人一人が自分の大切な人の百年続く幸福を願えば、世界は平和になるという願いを込めたのだ。

 (4) 「死の美学」を超えて
 一青窈の思いは、「滅びの美学」とは全く対極にある。アンジェラも「サクラ色のあなたを忘れない、ずっと、ずっと」と歌っており、「滅びの美学」とは対照的な、未来志向を感じさせる。「忘れられない」ではなく「忘れない」と歌うアンジェラの、意志の力を感じる。
 保守的な人は桜の季節になると武士道を持ち出し、滅びの美学を語るが、彼らはなぜ死を美化してばかりいるのだろうか。国歌の由来である新古今和歌集の「我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」が、ハナミズキの「君と好きな人が百年続きますように」に酷似しているのは、奇妙なことである。

コメント(4)

そうかもしれませんね。昔から桜の木の下に死体が眠っているという発想はどうしても、ぬぐいきれなくなっていますので。


外国人からみたら、理解できないし、新しい見方がでてきて当然だし、いいと思います。
>昔から桜の木の下に死体が眠っているという

昔からといっても、1928年に梶井基次郎が発表した「桜の樹の下には」からですね。どうして桜の木の下に死体が眠っていると思ったのでしょうか。

世の中いろんなことが記号論化して、マンネリ化していると思うんですよ。「日本人→武士」とか「カトリック→清貧」とか「スイス→アルプスの大自然」とか。日本人に武士は少数だし、裕福で贅沢なカトリック教徒がいてもいいし、スイス人はみんな遊牧生活しているわけではありません。「民間防衛」なんちゅうもののリンクを一生懸命貼り続ける人もいますね。
芸術なんてものは、マンネリではダメでしょう。新しい感性が常に求められるんですよ。
> ハーバーセンターくんさん

最近聞いたのですが、江戸時代は行き倒れが沢山いたそうです。

私の住んでいる立川の街道にはそんな人を不憫に思った土地の人が亡くなった場所に埋めた跡に必ず桜の苗を植えたそうです。いつか桜の街道ができたそうです。
ちなみに、山桜の開花時期は、ソメイヨシノよりも、一週間程度遅いよ。

風情かどうかは分からないけど、桜の開花と3・4月という別れと出会いの季節とは密接に関連していると思う。

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