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ダライ・ラマ自伝コミュのダライラマ法王

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ダライ・ラマ14世(1935年7月6日(チベット暦5月6日)- 、在位1940年 - )は、第14代のダライ・ラマで、俗名(本名)をテンジン・ギャツォ (チベット文字: Bstan-'dzin Rgya-mtsho)といい、チベット仏教のゲルク派の最高位の仏教博士号(ゲシェ・ラランパ)を持つ僧侶であるが、チベット仏教の全宗派の伝統の教えを継承し研鑚を積んでおり、教え・実践両面のすべての領域における最高の権威者(チューキ・ギャルポ;法王)として広く認められている、チベット亡命政府の指導者である。

コメント(17)

一匹の蟻がこちらに走ってくるとき、もしそこに指を一本置いて行く先を塞いでも、すぐに違う方向に走り出します。そしてまたそちらを塞いでも、またすぐに違う方向に走り出します。蟻のような小さな生き物でさえ、こんなに強い意志を持って一生懸命生きているのです。ましてや私たちは人間です。人間の素晴らしい知性を持っているのです。
ですから、たとえ一つのことで何か障害にぶつかり、挫折するようなことがあったとしても、あきらめずに違った角度から挑戦し直してみてください。そうすれば、将来はあなたがたの前にいつでも大きく開かれているのです。
慈悲と人を愛する優しさを心の中に持っていれば、何かが自然にあなたの内面にある扉を開いてくれるのです。それを通じて、あなたたちは他の人々とずっとたやすく心を通わせることができるようになるのです。あたたかな気持ちは開かれた心を生み出します。全ての人間があなたと同じであることがわかり、もっとたやすく人間関係を育てていくことができます。
死や一生のはかなさについて深く考えると、私たちの心は自然と精神的成就に興味を抱き始めるようになりますが、ちょうどこれは、ごく普通の人が友の亡骸を目の当たりにしたとたん、何かに気付き始めるのと似ています。無常と死について瞑想することは、大変有益なことです。なぜなら瞑想することによって、はかなく無意味な行いに心が奪われてしまうことがなくなるからです。
個々人の気質に関しては、考慮しなければなりません。ある人にとっては、この宗教がためになることがあれば、場合によっては別の宗教の方がふさわしいこともあります。環境に応じて、人間社会で様々な考えが見出されることは必要なことであり、有益なことです。
人間でありつづける限り、人間のコミュニティのなかで、あなたがたは人間関係を築けるのです。私たちは互いに同じ人間であるという絆で結ばれています。そういう人間の絆がありさえすれば、価値や尊厳を築くに充分なのです。あなた方が全てを失った時でさえ、そのような絆こそが慰めの源泉となりうるのです。
他者の幸せを大切にすればするほど、私たち自身の幸せへの意識も深まってきます。他者へのあたたかい親近感が深まれば、自然に自分の心も休まってくるものです。この気持ちは、どんな恐れや不安を抱いていてもそれを取り除く手助けとなり、直面する障害と闘う力を与えてくれます。これが、人生における究極的な成功の源となるのです。
はっきりと言っておきたいのは、私たちは皆同じ人間だということです。私も同じ普通の人間のひとりにすぎません。単に母から生まれた人間のひとりであり、信仰している人間のひとりであり、仏陀の教えに従うひとりであって、特別な人間ではありません。皆さんとどこかが違う、変わったユニークな人間でもありません。つまり、私たちの持っている可能性の面から考える限り、私たちは人間として成功し、良き人間となり、幸せな人間になるための全く同じ可能性を持っているのです。
―2000年東京仏教講演「智慧と慈悲」より
誰もが皆、幸福を望んでいます。都市においても、地方においても、遠く離れた地域でも、人々はせわしなく活動しています。こういった活動の本来の目的は何でしょうか。皆、幸せをつかもうとしているのです。それは正しいことですが、幸福を手にするには正しい方法に従わなければならないのです。物事のうわべだけでしか理解されていないのにあまり深入りしすぎることは、大きな問題を解決することにはならないということを、心に留めておかなければなりません。
人はこのように感じることがよくあるでしょう。ああ、私のボーイフレンド(ガールフレンド)は本当にいい人じゃなかった、心のあたたかい人でもなかった、でもまだ私はあの人に魅力を感じている。このように、最初に感じただけの魅力に結びついた人間関係は信頼に乏しく不安定であるのは、一時的な現象に過ぎないものに依存しているからです。
一匹の蟻がこちらに走ってくるとき、もしそこに指を一本置いて行く先を塞いでも、すぐに違う方向に走り出します。そしてまたそちらを塞いでも、またすぐに違う方向に走り出します。蟻のような小さな生き物でさえ、こんなに強い意志を持って一生懸命生きているのです。ましてや私たちは人間です。人間の素晴らしい知性を持っているのです。
ですから、たとえ一つのことで何か障害にぶつかり、挫折するようなことがあったとしても、あきらめずに違った角度から挑戦し直してみてください。そうすれば、将来はあなたがたの前にいつでも大きく開かれているのです。
私は広島を訪れました。その地で起きた核爆発に関しては、いくらか知識がありましたが、実際そこに行き、自分の目で見て、当時原爆の被害に遭遇した人々に会ってみると、聞いて知っているだけのこととは全く異なり、悲嘆にくれてしまいました。恐ろしい兵器が使われたのです。
私たちは、誰かを敵と思ってしまうことがあるかもしれませんが、より深いレベルで考えると、敵という人もはやはり人間なのであって、幸福を望み、幸せになる権利が与えられているのです。広島の惨劇を目の当たりにし、これについて考えると、怒りや憎しみでは問題を解決することはできないのだという思いをますます強くしました。
縁起を意味する「テンチュン」というチベット語は、「テン」と「チュン」という二つの語からできており、「テン」という単語は「他に依存する」ということを意味しています。そしてこれには、「他のものに依存しない存在はない」ということも意味が含まれているのです。そして「チュン」という単語は、「何かが存在している」ということを意味しています。利害を与える働きもなく、全く存在しないといのでもなく、何かが確かに存在していることを意味しているのです。
―2000年東京仏教講演「智慧と慈悲」より
貪欲のおかしな点は、満足を得たいということが根底にあるのに、欲しがっていたものを手に入れてもまだ不満足であるというところです。貪欲の解毒剤は、満足です。もしあなたがふだんからとても大きな満足感を味わっていれば、目的のものが手に入ろうが入るまいが、問題ではなくなるのです。
縁起を意味する「テンチュン」というチベット語は、「テン」と「チュン」という二つの語からできており、「テン」という単語は「他に依存する」ということを意味しています。そしてこれには、「他のものに依存しない存在はない」ということも意味が含まれているのです。そして「チュン」という単語は、「何かが存在している」ということを意味しています。利害を与える働きもなく、全く存在しないといのでもなく、何かが確かに存在していることを意味しているのです。
―2000年東京仏教講演「智慧と慈悲」より

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