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楽川俊介のノート。コミュの民主主義について。

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僕は、とあるコミュニティーで、民主主義について議論しました。

何回かの議論の末、僕は、議論は、きちんと論点を見据えた上で(意外とこれが難しい)議論の集点を絞り、感情をできるだけ排し、冷静且つ客観的になされなければ、直ぐに主題からそれるし、きちんとした結論を得ないで終わったりすることを、ミクシー内で実感として感じたのです。
(もちろんミクシー外の経験からも、ですが…)

結論から言えば、ミクシーのコミュニティーで、議題の集点ををしぼった、きちんとした議論をするのは非常に難しいと僕は思いました。

なので、ここでは基本的に、議論という形ではなく、淡々と自分の意見を書いてみたいと思います。

コメント(1)

民主主義について(1)


まずは「民主主義」という言葉について考えてみましょう。

この民主主義の「民主」という言葉とよく似た言葉に「共和」という言葉があります。

「民主」主義も「共和」主義も、市民によって選出された代表者によって政治が執り行なわれるという考え方は一緒のはずです。

では、「民主」と「共和」では何が違うのでしょうか?

それは、上記ででた「市民」の定義の違いにあります。

ちなみに、ここでいう「市民」とは、市の住民という意味ではありません。

ここでの「市民」とは、「国政に参加する権利を有する人民」を指す言葉です。

この言葉の語源を調べるとすぐわかることですが、そもそも「市民」という概念は古代の都市国家の発生と共に生まれた概念なのです。

つまり「国家である都市の市民」=「国政に参加する資格のある市民」という考え方ですね。
(「都市国家の市民」=「都市国家の国民」ってことです)

ここでこれ以上話すと、西洋史の方に話が流れるので、ここでは説明はここまでにしときます。

閑話休題。

さて。では、まず。

歴史的に民主主義より古い政治思想である、「共和」主義における「市民」の定義について、

「共和主義における市民とは、国家への義務を果たし、国家からの保護を受けている国政への参政権を持つ市民」

これだけだと、何が民主主義と違うかわかりませんね。

では、次は、共和主義の市民と比較するためにも、「民主」主義における「市民」の定義を書いてみましょう。

「民主主義における市民とは、国家への義務を果たす能力を問わず、国家の保護下にある総ての人間である」

なんとなく解ってもらえたでしょうか?

つまり、共和主義における市民が、能力や財力によってある程度限定されてる存在であるのに対し、民主主義の市民は、国家に属してさえいれば、その能力や財力に関係なく、市民としての地位と権利を有することが出来る制限の無い存在である。

…と、言う事なのです。

少々乱暴な話のようですが、これが、民主主義と共和主義の考え方の違いです。

一見、似たような意味の言葉であっても、その言葉の生まれた思想的な背景や、歴史的背景が変われば大きく意味が変わります。

また、同じ言葉でも、使う国や地域、時代の変化によって、その意味は大きく異なっている場合が多いです。

議論をする以前の話として、まずは、当たり前のように使っていた言葉のチェックから始めるというのも、必要なのかもしれませんね。

その場にいる全員が、同じ意味でその言葉を使ってるとは限らないのですから…。

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