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アドラー心理学コミュの『嫌われる勇気』を読んで

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『嫌われる勇気』
を読んで

感想
疑問
評価
反論
批判
つっこみ
などなど

書き込んで
みませんか?



*ベストセラーなので
この本をきっかけに

よりアドラーに
はまって欲しいとの
野望から

“読んだ本・・・”は
ありましたが

特別に作ってみました

コメント(135)

>>[93]

私の夫が私の母を蕁麻疹が出るほど大嫌いなのは、私を取られたような気分になりたくないしわがままだと思われたくないという目的があるからだと思います。

それについて日記を書きました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1965594687&owner_id=28894790

嫌いにならなければいけない理由があるから、良い部分も見ないふりをして毛嫌いしているだけです。

原因論で考えるから夫の異常行動に私も私の職場の人達も友人達もドン引きでしたが、目的論で考えたら納得できました。
>>[93]

皆さんご回答ありがとうございます。
説明不足で申し訳ございません。

青年は「...どう考えたって順番が逆でしょうに。嫌なことをされたから、嫌いになった。でなければ嫌いになる理由がありません。」
とあります。私はこれと同意見です。
対して哲人は「...自分の目的が変わっただけだ」
とあります。これは青年が対人関係を回避するという目的に変わったということは理解できます。

ここで私の中学時代の話を例に出します。
クラスが一緒になった子がいます。初めはお互い関係が浅いために、問題もなく友好関係を築きました。ですが月日が経つと、彼は威張るようになっていきます。時には暴力に及んだりと自分の意見を頑固として通す、典型的な人間です。被害は周りへ、そして私にまで及んでいきます。そして私はそんな彼の態度が気に食わなくなり嫌いなりました。

これを原因論で捉えるなら、「彼の態度が気に食わない」→「彼が嫌いになった」となります。
ですが目的論で捉えると、「彼と対人関係を回避したい」→「彼には気にくわない態度という欠点がある」となります。
この部分が納得いきません。

原因論ならわかりますが、「彼と対人関係を回避したい」という目的論はしっくりきません。
つまり「彼の態度が気に食わない」→「彼が嫌いになった」→「彼と対人関係を回避したい」→「彼には気にくわない態度という欠点がある」というなら納得いきます。
目的論においての対人関係を回避したいという目的は原因があったからこそ生まれるものだと思うわけです。いきなり対人関係を回避したいという目的はどうしても辿りつかないと思います。そのため私は青年の意見に賛成です。

もしかしたら私の読解力不足で見落としてる箇所があるかもしれません。
よろしければ、ご意見・ご回答をお願いします。
>>[97]

おっしゃることはよく分かります。
実は、ここ一年、私の身にも同じようなことが起きましたが
最近、考え方感じ方を変えられつつあります。

相手の態度や感情は相手の自由(法律の範囲内で)
相手の態度に対し、自分が嫌いという感情を選択するか、
可愛そうな人とみなして意に介さない
もしくは勇気を出して自分の思いを伝えたり
話合いをするという選択するかは自分の自由。
という考え方をすると、嫌いという感情を選択しないという
こともできる訳で、そんなようなことかなぁと思いました。

ただし、自分の場合は、アドラーだけだと感情の処理が
うまくいかなかったので、自分中心心理学をじっくりと読み
こっちの方で納得しましたが、自分で選択するという部分は
アドラーと同じだと思いました。
>>[097]

はじめまして。
ちょっとお伺いしたいことがありまして失礼いたします。

彼の態度が変わる(相手の原因)

彼の態度が嫌いになる(自分の原因)

*彼との距離を置きたい(自分の選択/決断←目的)

というように考えるといかがでしょうか?

*の部分は「距離を置く」or「それでもつきあいは変わらない」という2択が、実はあると私はあると思うのですが。
自分がくだすのは目的(離れたい/つきあっていきたい)の為に、即座にどちらかを選んでいるのではないでしょうか?

いかがでしょうか?
>>[097]

すみません、書くことを落としていました。


"(無意識に)相手との付き合いを辞めたい(目的)と思ったので、自分からみる彼のいやな部分に注目した"。そこで、原因となる欠点を"発見し強化した"という構図もありえるのではないかと私は思っています。

この"無意識に"という部分は、関係性を良くしようと思っていれば、良い部分に注目するので、いやな部分は見なくてもいいのですが、この人がいやな人なら関係性を断とうと考えてしまえば、悪い部分への注目になるのではないでしょうか?ということです。


無自覚に相手への関係性をどうしたいか(目的)で相手へのどこに注目するかを、自分で決めて原因となるものを見つけ出すということになると思います。
↑ここを理解したときに私は、原因→結果を、目的→原因を見つけ出す→結果なんだとわかったのですが、言葉(文章)にするのは難しいですね。


少しでも理解されやすく書いてみましたが、文才がないので…いかがでしょうか?
>>[98]

なるほど!
たしかに「嫌い」or「可愛そう」など、選択してると考えることもできますね。

自分中心心理学は大まかなことしか知らないので、じっくり読んでみて、考え方を深めてみたいと思います。

ありがとうございます!
>>[99]

たしかに彼の態度が変わったことで、自分の目的が変わったと考えると納得いきますね!

とても良い意見ありがとうございます。

私の説明不足なのですが、
実は哲人は「...自分の目的が変わっただけだ」の前に、
「...相手は何も変わっていません。自分の目的が変わっただけです。」
とあるのです。

相手が変わっていないと仮定するとどういう考え方になるでしょうか。
>>[100]

拝見させていただきました。

たしかに目的が「辞めたい」となったために、欠点を発見し強化したと考えることができますね。

無意識 に決めてしまう部分はどのように決定されているのでしょうか?
私の理解が正しければ、無意識に決めてしまってる理由を知りたければ、
原因→結果を、
目的→原因→結果で
見いだせるということですよね(違ったらすいません)

この場合も無意識に決定するって行為は原因論に基づいて形成されてると思うんですけど、どうでしょう?
>>[101]

原文を読みましたので、補足を試みてみます。
かなりの意訳ですが、こういうことかなぁと思います。

対人関係を回避するというライフスタイルとしての目的があり
その目的を達成するための都合の良い理由として
彼の欠点にフォーカスし、嫌いになった。
相手の態度に関わらず、欠点に着目するか
長所に着目するかは自分で選択している、選択できる。
自分の目的が相手や周りと良好な関係を築くことであれば
自分の意思と勇気でなんとかしようとするだろう。

アドラーが言いたかったことは、
どんな局面でも自分の意思で選択できる
ということかと思います。
真っ当で、前向きな哲学ですが、
時として実践するのは難しいかもしれません。
嫌われる勇気にもあったか忘れましたが、
幸せになる勇気には、
他者への尊敬(態度や行為ではなく存在そのものを認める)
という下りがあり、対人関係のタスクは、
この点も関係している気もします。
直接的なお応えではありませんが。。。

>>[97]
はじめましてこんにちは。
認知バイアスを絡めると原因論と目的論の違いが見えてくるように思います。

例のお話だと原因論がしっくりくるとのことですが、私も原因論がしっくりきます。
ですので敢えて目的論で考えてみます。

あくまで距離を起きたいのは自分です(目的が先行)。
これを原因論にすればおっしゃる通り「彼の態度に問題があったから」となりますが、どれだけ彼の態度に問題があっても距離を置かない人もいます。

目的論を実行していたら、そもそも彼を軸にしてあれこれ考えません。
アレコレ考えるということは、「彼を原因にしておきたいなんらかの目的を持ってる自分」が見えてくると思います。
(距離を置きたいかどうかに限らずですが、ここでは目的を「距離を置くこと」とします)

目的論が先行すると相手と離れたい自分を(無意識、意識下に関係なく)自覚してるので、彼を軸にして考える必要がなくなります。
あとは自分の課題として、付き合いを回避する目的を果たすだけです。

ただ、個人的に思う原因論の良いところ(楽なところ)は、「モヤモヤした自分の感情の責任」をいくつかあちら側に投げることができます。
ストレスを受けたとき、原因論の方が自分に優しい気がします。

でも目的論は違います。
「今この瞬間、自分はこいつと関わりたくない」という目的のもと行動するので、自分の感情の責任を取るのは自分です。
こちらはストレスを受け流すイメージです。目的に向かって動き続けるので、ストレス下に長く留まらない印象があります。身につけたら最強だと思います。

目的論はひたすら自分に目的を作るので、ご質問の「いきなり離れたいとはならない。その離れたいという目的自体、相手の都合に対して起こるのだから原因あってのことなのでは」に対し、
「相手の都合は関係なく(課題の分離)、今、この瞬間、自分が距離を置きたいかどうかが軸」と答えさせてもらいます。
恐らく、初手が原因論になっているので、原因論に違和感がないのかもしれません(私がそうです)。
目的論は初手が「あ、無理、離れよう(目的)」なので、相手がどうであるかはもう終わったことになっており、自分はここから離れるんだという目的だけが存在する印象です。

原因論「だってあの人むかつくんだもん。こんなことがあって、あんなこともあって、だから離れた」
目的論「さっさと離れたかったんだもん。もう関わりたくないし」

最初に認知バイアスと書きましたが、人間ならばどうしても思考に歪みがあるので原因論のほうが馴染みやすく、自然にできる印象です。
目的論は客観的に認知し続けないと難しい気がします。

私もよく原因論で悩んでいるので考えさせられました。
>>[097]
遅ればせになりました。

アドラー心理学は新しい物事の考え方の提示だと思うと少し分かりやすくなります。
心の仕組みを知るものではないと考えるといいかと思います。

基本的にアドラー心理学は目的思考であり勇気の心理学でもあり「今ここ」の心理学です。
そして個人の心理学なのです。

ここを踏まえて
嫌いな彼を見ると…
人によってはこの彼が大好きだったり、
人によってはこの彼によくしてもらったり、
とその時々違う一面が出てきます。

またあなたと彼の間で別の目的ができると
例えば仕事で無理矢理組まされるとか
実は友達が彼を好きだったとか
どうしても付き合わなければならない「目的」がある場合
気分よくいるためには嫌いにならないという可能性もあります。
小説、マンガ、ドラマなどではありがちシチュエーションです。

そこで彼のある一面だけみて…という部分ではなく…
実は裏側にはよい部分もあるとして
裏も表もないんだという個人心理学ですから
一人のフラットな人ととらえることもできます。

そして目的を変えれば相手を
好きにならなくとも少しくらいはよく思える可能性が生まれます。
そうするとあんなことしたからこいつ嫌いだ…こいつ嫌だ…というのが
「相手を嫌おうとする目的」の後付けの原因と考えられるのです。
その目的を変えることこそがタスクとなって現れます。
過去(原因)なんてどうでもいい今ここをどうするかということです。
あなたが暗く憂鬱な今を少し楽しく感じる今に変える勇気が持てます。

これがタスクの目標と合致します。
・自立すること
・社会と調和して暮らせること
・私には能力があるという意識
・人々は私の仲間であるという意識

まあ脳科学でいう行動と感情と思考のどれが先に起こるかははっきりとしていないという考えに似ています。
目的と原因どちらが先なのかは言えないという話です。アドラー心理学は目的を先とするということです。

実はこのページまでにいっぱいヒントは書かれているのですがわかりませんよね。
先にも同じような気分になる罠が隠されてます。

長く染み付いた感覚がすぐに納得しないのも実際です。
使用の心理と言われてすぐさま使えるか
私が使えているかと言えば別の話です(笑)

これは私のアドラー心理学への解釈でしかありません。
違っていたらご容赦ください。
>>[103]

返信ありがとうございます。

嫌われる勇気、愛される勇気、どちらも何年か前に「青年」側で読んだ記憶があるだけで、熟読はしておりませんので的外れでしたらすみません。

そしてRicky_Tさんの返信とその後のお二人を読んで感じたのは、"友人と付き合いを続けるかどうかを目的としているのか"ということです。

ここにこだわると友人の態度が〜となりますが、もし、"快適な人を友人としておきいたい"が目的だとしたらどうでしょうか?

Ricky_Tさんの例で考えると、
快適ではないので離れた。
と、いとも簡単に解決するのではないでしょうか?


この最初の"快適な人と〜"は自分の目的であるはずなのに、はっきりとは意識していない(無意識)なのではないでしょうか?


友人が暴力をふるうのを見る(原因)前に、快適な人と〜(目的)があるから、離れようか決める選択をする。
そして原因を見つけて離れる。


他の方のおっしゃっているように、原因論は相手のせいにするけど目的論はすべて自分の責任になります。

それゆえに苦しくなる反面、相手に左右されることがなくなります。


ということは、相手がなんと言おうと決定するのは自分であるわけで、友人が暴力をふろうが、関係性を続けたいと決定することもできるわけです。
なのに、続けないのはその前に自分の目的があるのではないでしょうか?

友人が暴力をふるうには友人の目的があるわけです。それを達成させるかどうかは、友人の課題です。もし協力を求められたとしても、協力するかどうかの決定はRicky_Tさんの課題であり、自分の目的により、すきにすればよいのだと思うのです。


もし、目的が"友達になった人とはどんなことがあっても一生友達だ"なら、友達が暴力をふるうようになっても、なにかしら折り合いつけて続けるかもしれません。
ただ無理が生じれば自然と目的は変わる気がしますが。


いかがでしょうか?

×愛される勇気

○幸せになる勇気

間違えました
本題とは外れるかもしれませんが、
私の周りにも目的論的事象が起こっていることを確認できました。
会社の上司が、客先よりトラブル対応を依頼され、メインの関係者と、
利害が対立するが客先よりの別の関係者にヒアリングし、
客先の受けの良いように、メインの関係者の問題点をまとめた。
一方、プロジェクトリーダーの私は、客観的事実が知りたかったので、
双方の意見を注意深く聞いたところ、それぞれの言い分があることがわかった。

哲人の言う通り、人は目的に叶った理由をいくらでも作り出すことができるのです。
この件は、人生のタスクとは異なるかもしれませんが。
アドラーのいう人生の嘘から目を逸らすな、とは、
すなわち、自分の心の声に従え、ということではないかと思います。
他人の態度如何にかかわらず。
自分が正しい、やりたいと思うことを瞬間、瞬間に選択する。
当然ながらその責任も自分で負う。
この生き方は、清々しいです。

なお、アドラー的にいえば、嫌われる勇気のどこを取り入れ
取り入れないかも自身の選択であり、
それを実践するか、しないかも自身の、選択と勇気の問題であるのでしょう。

私は自身は、命に関わる大病から復帰後の人間関係のトラブルから
ようやっと回復し、またこの生き方ができつつある感じです!
ちなみに、5年間、大型未破裂脳動脈瘤を経過観察していた時期は
文字通り今ここを生きるしかなく、今日が人生最後の日だと思い過ごしていました。
この時期は、他人の戯言など、全く気にならず、人生にくっきりと爪跡を残そうと
仕事に邁進していました。たとえ、道半ばで倒れても前のめりに倒れようと。
結果的に仕事は大成功しましたが、始点と終点ではなく過程を楽しみました。
エネルゲイアです。
不思議なもので、人間関係のトラブルや感じ方、被害者意識は、
入院、手術、退院、復帰後に起きたものですが、
やはり、今ここに強烈なスポットライトを当てれば過去も未来も見えなくなる
ことは事実なのでしょう!

>>[36] さん  「存在に価値がある」は余り考えなくて良いと私は思います 

アドラー心理学が気にする価値は
共同体に建設的か
共同体に破壊的か
だと思います

建設的な“行動”
破壊的な“行動”
を特に気にすると
思います

ですから
「存在に価値がある」
は気にせずに
破壊的な“行動”をとらずに
建設的な“行動”をとるように気にする


お勧めです
>>[111]

考えさせる話題、ありがとうございます。
自分自身の行動であれば、そうかもしれませんが
他人の行動を考えた場合、
存在に価値がある、私は、という点は大いに納得がいきます。
罪を憎んで人を憎まずという言葉もありますし。
他人の行動や言動は、他人の自由で、
それをどう受け取るかは自分の選択。
けれど、他人その人そのものは言動や行動によらず価値はある。
ただし、言動や行動が受け入れられなければ、自分の選択として
受け入れる必要もなく、自分のいけを主張するのも良し。
共同体の共通課題を協力し対応する勇気は必要。
いかがでしょう?
>>[104]
ご回答ありがとうございます。
申し訳ございません。
色々立て込んでいたため、返信が遅くなりました。

『、、、他者への尊敬(態度や行為ではなく存在そのものを認める)という下りがあり、対人関係のタスクは、この点も関係している気もします。、、、』
なるほど、そのような関係性もあるのですね。
私はまだまだ無知であります。
たくさんの考え方を学んで、自分の心理を追求すべきだとわかりました。
よろしければ、この事象を解決する上でヒントとなりそうなオススメの書籍などを教えていただけないでしょうか?
>>[105]

ご回答ありがとうございます。
申し訳ございません。
色々立て込んでいたため、返信が遅くなりました。

とても参考になりました。
確かに認知バイアスに陥ってる気がします。
まとめますと

原因論:自分の負の感情を相手になすりつけられる
→ストレスを受けた際、自分に優しくなる
目的論:自分の感情を自分が責任を取る
→目的に沿うものなのでストレスを受け流すことができる

またこの事象だと
原因論→彼を軸にする、彼があーだからこーだから だから こーする となる
目的論→自分が距離を置きたいかどうかが軸(なぜなら「相手の都合は関係なく(課題の分離)、、、」とあるようにこの場合彼が威張るという選択によって、最終的な結末を彼が引き受けることになるので、相手の都合は彼の課題となるから(嫌われる勇気,課題の分離とはなにか,p.141,6行目))
、なんらかの目的(ex:距離を置くこと)が先行する、つまり相手の事柄は終わったことであり目的だけが存在することとなる、あとはそれに沿う

さらに私の考えだと、
原因論を初手に考えてしまっているために原因論に納得している
→目的論で考えるならば、目的が初手になっているため、上記のように相手の事柄は終わったことであり目的だけが存在することとなる
つまり、
「いきなり離れたいとはならない。その離れたいという目的自体、相手の都合に対して起こるのだから原因あってのことなのでは」→
「相手の都合は関係なく(課題の分離)、今、この瞬間、自分が距離を置きたいかどうかが軸」

ということですね。

いくつか私の理解力不足でわからなかったことがあるので質問させていただきます。
・「、、、目的論が先行すると相手と離れたい自分を(無意識、意識下に関係なく)自覚、、、」とあります。この自覚とは何でしょう?文章にしづらいのですが、自覚とはどのように生まれるものなのでしょう。どうしても私は原因論という先入観に埋もれて、他視点から物事が見れません。そのため自覚というものを原因として捉えてしまいます。目的論は初手が「あ、無理、離れよう(目的)」となることはわかりますが納得できません。よろしければ例を挙げていただけないでしょうか?


「目的論は客観的に認知し続けないと難しい気がします。」とあります。確かにそのとうりかもしれませんね。もっと多角的な視点を持たないといけないのかもしれません。
>>[106]

ご回答ありがとうございます。
申し訳ございません。
色々立て込んでいたため、返信が遅くなりました。

とてもわかりやすかったです。
アドラー心理学
=新しい物事の考え方の提示(=目的思考であり勇気の心理学)
=「今ここ」の心理学
=個人の心理学
である。

目的で左右される、
・相手を嫌おうとする
→嫌う原因が考えられる
・相手を好もうとする
→少しくらいはよく思える可能性が生まれる
つまり、目的がタスクなのであって、過去(原因)はどうでも良い
→イマココをどうするかが問題となる

また
脳科学的にも不明瞭である行動と感情の思考の問題を目的、原因と同様にして目的を先行として考えている。

ということですね。

確かにそうですね。
このページを今一度見直して見ます。

質問なんですが、
この場合は交友のタスクになるのでしょうか?また、タスクの目標と合致する部分を詳しく教えていただけないでしょうか?

よろしくお願いします。
>>[107]

ご回答ありがとうございます。
申し訳ございません。
色々立て込んでいたため、返信が遅くなりました。

「"快適な人と〜"は自分の目的であるはずなのに、はっきりとは意識していない(無意識)なのではないでしょうか? 」
に共感しました。

また「、、、例で考えると、、、」とありますが確かに、そのとうりです。目的を 快適ではないので離れた。 にすれば解決する話です。

[97]では、
青年の考えである 嫌い と 対人関係の回避 に焦点をあてて、哲人が「嫌いになる(=対人関係の回避)」という目的があるからこそ、欠点を見つけている
という部分に疑問をぶつけました。

これは私の文章が悪かったのですが、私は[97]で 彼が嫌いになった を目的として書きました。これは、青年の意見に賛成したためです。
ここに私の考え方の食い違いがあるかもしれないので「"友人と付き合いを続けるかどうかを目的としているのか"ということです。」の補足を試みます。



命題が全く違う方向に行くかもしれませんがご理解お願いします。

この嫌いになった後の最終目標としては、できれば友達を続けたいです。実際は無理でしたが、、、

この時彼とは1年間同じクラスでした。何と言っても、ドラマや漫画のような夢のような話かもしれませんが、私はクラスが一丸となって仲良くなることを目的としてました。そのためにはクラスの全員と仲良くする必要がありました。
その後ある程度関係ができると、彼の威張りが始まるわけです。自己中的考えで周りをねじ伏せようとします。この影響が私に及んだため嫌いになりました。ですが、私としては何としてでも仲の良いクラスにしたかったわけです。
結局それが継続して一年がおわったわけですが、、、

昔話としてはこんなもんですが関係性をあらわすと
「彼の態度が気に食わない」→「彼が嫌いになった(=対人関係の回避)」⇒「だが、最終目的のためにも仲良くしたい」
となります。

目的論は自分を変えることができるとあります。この場合、私はどう目的論として捉え、タスクを乗り越えるべきだったのでしょうか?
すいません、本題と変わりますが、
嫌われる勇気、非を認めることは「負け」じゃない より
「怒りっぽい人は、気が短いのではなく、怒り以外の有用なコミュニケーションツールがあることを知らないのです。だからこそ「ついカッとなって」などといった言葉が出てきてしまう。」とあります。
哲人は、相手に言いがかりをつけられても、「怒りという道具に頼る必要」がなく、言葉の力、論理の力を信じろと説きます。つまり、そもそも議論の中で権力争いに入った時にそこから降りる必要があると述べてます。
意図は理解できますが、使用するとなると明確なビジョンが浮かべにくいです。
よろしければ、例を挙げて頂けないでしょうか?
>>[115]

とても丁寧な返信、こちらこそありがとうございます。
お話を共有することができとても嬉しいです。
私はRicky_Tさんと考え方が似ているので、他の方のアドバイスがとても参考になります。
拙いですが、返事を書かせてもらいます。

「(無意識、意識化に関係なく)自覚」と書きましたが、
この自覚とは、捉え方(感じ方)の意味で書かせてもらいました。
「結局、目的ができるのも原因(相手の態度)ありきではないか」とのことですが、
例を出して私の考えをまとめさせてもらいます。

一度人間関係から離れますが、
この時期、雨とは切っても切れない関係です。
雨は天災ですので、私達にコントロールできません。

人間関係も、起こったことは「原因」というより「天災」です。
私達には動かせないものです。
突然雨に降られた状態と同じです。
雨相手に「なんで降るんだよ!」と怒ったところで、恐らくスッキリも解決もしません。

それよりも「濡れたくないから(目的)」と考える方が、軒先をお借りし雨を防ぎ、コンビニで傘を買うこともできます。
雨は降るものと考えているので、無意識に今自分にできることしか考えていないと思います。
雨に向かって思いを馳せても無駄だと知っているからです。

同じように困った人を天災だと思えば、それに合った対処ができます。
その人に思いを馳せても無駄なのです。

他人や天気は、自分にはコントロールできません。
このコントロールできないものを原因にすると、困る人は他でもない自分です。
無駄にイライラしたり、ふとした時に思い出してムキー!となったり(私はよくやってます)。

でも、コントロールできないと割り切ってしまえば、天災もそれなりにかわすことができます。

理不尽なことも多い世の中ですので、せめて自分が楽になれる選択肢があるのなら、そちらを選んだ方が心の安定のためにも良いよ、というのが目的論じゃないかなと思っています。

前にも書いたかもしれませんが、相手や何かを原因にしておきたいのは他でもない自分の心です。
目的論を遂行している人たちは、私達が「原因」だと思っていることを原因だと思っていない気がします。
「ハイハイ」とスルーできています。
相手にしないのだから原因になりようがありません。
その方たちは天災を防ぐ(雨降ったなぁ傘さそう。この人には深入りしないようにしよう)という目的をしっかり持っているんだと思います。
見習っていきたいです( ´∀`)
>>[118]

育児だと「走っちゃダメ!」と怒鳴るより「隣を歩こうね」と穏やかに言ったほうが通じます。
「なんでこんなことをしたんだ!」と責めるより「今度からはこうしてね」と言われたほうが反省する気になります。
カッとなる方々はこういう言い方を知らないから怒るんでしょうね。

議論の中で会話を降りると言うのは、相手の挑発に乗らないということではないかと思います。
「まんがでわかる7つの習慣」という本にそういうエピソードが載っていました。
原作の「7つの習慣」スティーブン・R・コヴィーでは「公的成功は、他者を打ち負かして手にする勝利のことではない。 関わった全員のためになる結果に達するように効果的な人間関係を築くこと、これが公的成功である」とあります。

相手の要求が理不尽だと思っても謝ることも必要なビジネススキルですし、そういうことかと思います。
>>[119]
早速のご返信ありがとうございます!
とてもわかりやすかったです。

たしかに天災で考えると、理解しやすいですね。改めて、わかったことをまとめさせて頂きます。

「(無意識、意識化に関係なく)自覚」=捉え方(感じ方) である。

雨を例とすると、
雨は突然降ることがある。これに対し多くの人は「濡れたくないから(目的)」と考え、雨を防ぐ行動にでる。つまり自分の行動限度を自覚しているため、雨に思いを馳せることもない。
これは、雨=コントロールできないもの=他人の課題として捉えてることである。

同様にして今回の事象に適用すると、
威張っている彼はコントロールできないものであり、私はそれに対していくつか考えることができる。

原因論で考えてしまえば、コントロールできない対象物を原因とするわけであって、自分自身ではどうすることもできない。
→自分が困る

対して目的論で考えるならば、コントロールできないものと捉えているのであって、あとは自分がどうしたいか目的に沿って行動すれば良い(離れよう or 関係を続けよう)※ここで相手が嫌いなのかを選択でき、なおかつそれに対応した相手の特徴がみえてくる
→自分で楽になることも選べる

これらを参考にしてかなりモヤモヤがなくなりました!
確かに、目的論を我が物にした人たちはとてつもないですね笑
私も見習わなくては、、、

ご回答ありがとうございます!
>>[120]

ご回答ありがとうございます。

確かにそうですね。
怒鳴るだけでは、相手はその問題に対して真摯に反省しませんもんね。
怒るよりもできたことに対して褒めた方が成長する話とかとも結びつくような気がします。

そのビジネススキルは大事ですもんね。
「7つの習慣」と結びつけてお話ししていただいて、とても参考になりました。

一つ相談なのですが、いわゆる開き直る奴はどう対処すべきでしょう?
状況は職場、学校、プロジェクトチームなどの決まったグループ内だとします。
なにかしらのルールを破るAさんがいます。私がAさんに「それは周りにも悪影響が及んでしまういけないことだ」と教え示します。そうすると決まって「そうだね、だから?」とAさんはいいます。彼は、自分が周りに悪影響を与えていること知ってもなお、ルール破りの行動をとるわけです。なぜそのような行動を取るかは理解できませんが、一番は自分はどうなってもいいと思い、彼なりの自由的行動をとるが周りにも悪影響がでるケースでしょう。
色々な対処法があると思います。
多くの人は彼を切り離すことができないため、怒りという武器を使って支配を試みます。
そんな中、怒り以外のツールとなるとどうすべきでしょう?
説得でしょうか?通じる相手じゃないかもしれません。
これは彼の課題でもありますが、切り離せないとなると自分自身の課題にも関係してきます。

長文になりましたが、簡潔でいいのでよろしければご意見お願いします。
>>[122]

相手と争わずに、怒りを使わず、自分の気持ち、
「困ってる、悲しい」などを表現することは可能です。
これは、感情の解消です。
「相手の自由を認めることは、自分の自由を認めること」と、
考えれば、自分の心の平和の選択として、その場から
立ち去ることも可能でしょう。
勇気を出して、説得を試みてもよいかもしれませんが
それにより、相手が変わるか否かは、相手の自由であり、
自分は自分のやるべきことをやればよいのではないでしょうか?
>>[118]

アドラーから少し外れますが、
エリックバーンの交流分析では、
議論で争いになったときは、往々にして、
批判的な親の心理の自分から、自由な子供の心理の相手
というようなパターンとなります。
ここから、怒りを使わずに、
例えば敢えて『水掛け論がしたいんじゃないが』といって
お互いの頭を冷やした上で、
双方が、冷静な大人対大人の心理になり、
話合いで解決することは、状況によりますが、可能です。
>>[122]

ご返信ありがとうございます。

「それはいけないことだ」はyouメッセージですね。
「だから?」という相手の返事の中には「自分にどうして欲しいのか」という問いが含まれます。

注意する時に「私はこうされたら困るからこうして欲しい」というiメッセージで伝えると、喧嘩になりにくいですよ。

例えば、家庭内での些細なことですが「爪切り戻してないじゃない!」と言うと「お前が片付けといて」と返されますが、「爪切りがいつもの場所になくて困ってるの。使ったら戻してくれない?」と言うと「あぁ、ごめん、忘れてた」としばらくは戻してくれるようになります。
youメッセージだと喧嘩腰に聞こえて相手もピリピリしてしまうんでしょうね。

まずは注意の仕方をiメッセージに変えてみたら良いのではないかと思います。
>>[116]

話題が進んでますね。
だいぶ理解されているのに今さら返信ですみません。

さてタスクの種類と言うことですが、
おっしゃる通り交友のタスクですね。
もし「役割や建前」があれば目的が変わりお相手をその悪い感情にはならないと思うのです。

TA(交流分析)の話も出ているので交流分析の時間の構造化にタスクの種類は近いと思います。
TAの時間の構造化…要は交流の距離に近いですが…閉鎖、儀式、雑談、活動、ゲーム、親交とあります。
このうちの儀式、活動(雑談)親交が仕事、交友、 愛に当たると思えます。
縛りが減り近くなるほど難しくなるというものでしょうか。

もう一つのタスクの目標と合致するのはすぐ上の文です。

>あなたが
>暗く憂鬱な今を
>少し楽しく感じる今に
>変える勇気が持てます。


>これがタスクの目標と合致します。
>・自立すること
>・社会と調和して暮らせること
>・私には能力があるという意識
>・人々は私の仲間であるという意識

この勇気こそがタスクの目標に向かう力ですし
またタスクの目標に向かおうとすることがこの勇気を作り出すとも言えます。
まさに勇気の心理学ですから。

バーンやコビー…私が学んだロジャーズやエリスなど…
後に出た心理学に大きく影響しています。

人災を天災にたとえることは素敵な考えです。

どの内容も基本的には使用する…理解し応用することが大切です。
ある意味これが一番難しい…
と言ってはいけないのですが…
私は「まだまだだな」と自省と自戒してしまいます。
交流分析について補足します。
アドラーを源流とする後の心理学者エリックバーンによる円滑な対人関係を築くための技法。
http://www.js-ta.jp/analysis.html
広く企業研修にも取り入れられ、私も若い頃受けました。受ける前から知ってましたが。
交流分析を学ぶと、会話における相手と自分の心理的な交流パターンが割と明確に分かります。
例えば、批判的な親の心理は、自由な子供を制限したり変えようとする、
逆にそうされると、自由な子供は、反発する など。
これがエスカレートするとアドラーのいう問題行動の5段階となります。
会話の違和感が、どんなパターンかに『気づく』ことで、
非生産的な心理ゲームを中断し、大人と大人の会話に基づき
お互いを認め、共通の課題を解決し、『I’m OK,You’re OK』のアサーティブな状態
に持っていくことは可能です。
このためには、相手を変えようとするのではなく、『まず、自分が変わる』必要があります。
アドラー的には何を目的にするか、アサーティブな状態を目的にするか?です。
このために勇気が必要です。
エリックバーンの名言:
『過去と他人は変えられない、未来と自分は変えられる』
アドラー的にいえば、『全ては自分自身の選択である』、ということでしょうか?

>>[117]

丁寧な返信に、ずーっと考え込んでいました。
何かが違うけど何だろうと。

視点がずれてしまうかもですが、書いてみます。(アドラーからもずれてたらすみません)

過去のRicky_Tさんの、あの時にどうすれば良かったのか?という問いの解決策のひとつは、嫌いになってしまった彼の"嫌いな部分"に注目(反応)せず、適切な行動に反応し、勇気づけが必要だったのではないかなと、私は思います。

目的論や原因論ではなく、"勇気づけの言葉がけ"なのではないでしょうか?


Ricky_Tさんの目的が"クラス一丸となって仲良くいたい"のなら、彼が何らかの目的で変わったとしても、Ricky_Tさんが彼の良い側面を見つけ出し、勇気づけの言葉をかけていれば、もしかすると、今も続く友情が育まれていたかもしれません。それとも、やっぱり離れたかもしれませんが。
過去は変えられないので、思いを馳せるのなら、こんな感じかなと思いました。


Ricky_Tさんの疑問が、私には複雑…いくつもの疑問の合わせ技?のようで、何を聞きたいのかなぁと迷ってしまいます。
Ricky_Tさんが、過去ではなく今、一番困っている事を解決に導く話になったら、わかりやすいのではないのかなって思います。(ささいなことでも、ハッピーじゃないのなら、それを考えた方がすぐ解決策を試してみて、目的論か原因論かも理解しやすいのではないかな?と私は思うのです)

今、問題もなくハッピーに過ごせているなら、嫌われる勇気も必要ないのかなと…。


すみません、こんな返信ですが、大丈夫でしょうか?
『嫌われる勇気』の公式サイトを載せますね。

このサイトの中に、「アドラー流お悩み相談室」のタブがあり、このタブを通して、人生・仕事・学校・家庭・対人関係などのお悩みごとを投稿していただくと、岸見一郎先生がアドラー流にお応え下さいますよ。

詳しくは、下記の公式サイトを見て下さいね。

http://book.diamond.ne.jp/kirawareruyuki/
流れを考えずに…

嫌われる勇気を読んだのは、数年前。(続けて幸せになる勇気も)

香里奈さん主演のドラマやホリエモンさんの発言をしっかり見聞きしてないモノの、切り口が違うような気がしていました。


先日、友人らとその話していて気づいたのが、個人の持つパワー(自己肯定感?)に寄るのかなと。

もともと嫌われる勇気は、自己肯定感が低く「嫌われたくない」と感じてしまう人が読んで「私は私でいいんだ。大丈夫!」と思って、勇気を出す為の本だと思うのに、ドラマやホリエモンさんのように自己肯定感溢れる(ように見える?)人が更にヒートアップしてしまうと、まわりが火傷してしまう勢いに見える。


自己肯定感を高めることは必要なんだけど、それと共に、社会と調和することも大事。
ドラマやホリエモンさんからは、自己肯定感高めることを感じるけど、社会と調和が低い気がします。


嫌われる勇気を読み解くには、どちら(自己肯定感と社会調和)をも必要すると改めて感じました。
どちらかだけを突出して抽出するとおかしくなりますね。

>>[123]

ご回答ありがとうございます!
長い間ご返信できていなくて申し訳ありません。

なるほど、確かにそのとうりです。
相手の自由を認めれば、自ずと自分の自由を認めることにつながりますね。
とてもタメになります。
ありがとうございます!
>>[124]

ご回答ありがとうございます。

とても興味深い内容です。
ぜひ参考にさせていただきます!
>>[125]

ご返信ありがとうございます!
長い間ご返信できていなくて申し訳ありません。

とてもわかりやすかったです。
シンプルでいてとても大切なことですね。
確かにyouだけでは相手に多くの選択が生まれてしまいますもんね。iにすることで、自分の心情と願望が簡潔に伝わりやすく、なおかつ受け取りやすいですね。

ぜひ参考にさせていただきます。
「縦ではなく横の関係を築く」
これは、いつも、たち戻り自己点検したいです

縦の関係ってどういう事だろうか?
ヨコの関係ってどういう事だろうか?

今日も取り組みます!!
最近、アクセプタンス&コミットメント・セラピーの考え方にハマりました。
マインドフルネスと認知行動療法の融合です。
https://www.earthship-c.com/psychology/acceptance-and-commitment-therapy/

アドラーの目的論も自己選択も、なるほどですが、
それ以前に、自分の心の状態をありのまま に見て、
たとえ、ネガティブな思考でも追い払うことなく、受け入れる。
これにより、思考の効力が減る。
その上で、自分の価値の実現を選択し、コミットする。
コミットのところはアドラーと同じ。

このステップは、実体験として、とても効果があることを経験しました。
アドラーは、概ね同意しますが、潔癖すぎ、柔軟性に欠けると思います。
一方、ACTの考え方を実践していると、実に柔軟・レジリエントな心になれ、
自分を受容することで、べき思考が薄まり、他人も受容でき、
嫌われる勇気など使わなくともよい平和な世界になります。

私、元々、嫌われる勇気も横の関係もできていたので、
あるがままに基づくACTの考え方は斬新でした。
人がネガティブな思考に執着するのは、危険回避のための進化の設計で、自然なこと。
これを、目的論で強引に矯正する前に、一旦受け入れることで、随分と楽になります。

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