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日本家屋コミュの上総鶴舞駅・小湊鉄道(千葉・市原)

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上総鶴舞駅舎 [上総鶴舞駅下車]
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%B0%8F%E6%B9%8A%E9%89%84%E9%81%93%E3%83%BB%E4%B8%8A%E7%B7%8F%E9%B6%B4%E8%88%9E%E9%A7%85&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
多くの駅舎が時代と共に増改築がされてきた中でこの上総鶴舞駅駅舎は大正十四年(1925年)の開駅当時の雰囲気を残しておりそうした理由により1998年に「関東の駅百選(歴史的な価値、近代的で便利かつ人に優しい、多目的な機能を有する、固有の風情があって、シンボル的な存在という条件にかなった駅)」に認定された駅である。元々の駅名は「鶴舞町」であったが桜の名所、城下町である鶴舞を広くアピールするため1958年に改称された。

上総鶴舞駅のこと(August 28, 2004.)
上総鶴舞は旧遠江浜松藩から転封されてきた井上正直率いる鶴舞藩2万石の城下町です。この辺りは小藩の集中している場所で、周辺には久留里藩3万石、大多喜藩2万石、一宮藩1.3万石などが散在します。

上述の第1期の開通区間である五井=里見間に含まれ、あと数駅で当初の終点である里見駅に辿り着くと言う場所です。五井=上総中野間が全通している現在では運賃上?丁度中間の場所でして、上総鶴舞駅から乗車すると、五井まで乗っても¥770、上総中野まで乗っても¥770です。

反面、運行上の中間点はこの上総鶴舞駅ではなくて、2駅ほど五井寄りの上総牛久駅となります。以前は、と言っても40年程前までは大部分の列車が五井=上総中野間の直通運転でした。途中折り返しと言えば月崎、上総鶴舞、馬立、上総山田などで折り返す列車がパラパラとあった程度ですが、現在では全線を走り通す列車は1日に5本程度でしかありません。

非常に大雑把ですが五井を出る列車が5本あったとして、その内の3本が上総牛久折り返し1本が養老渓谷折り返し、残りの1本だけが上総中野までの直通列車ですから、全体の2割程度でしかありません。

同時に、上総鶴舞駅には1日に数本しか路線バスがやって来ません。上総牛久駅には普通の路線バスのほかにも、東京湾アクアライン経由で羽田空港・横浜駅へ行くバスもやって来ます。規模が小さいとは言え駅前の街道筋に商店街やちょっとした郊外型スーパーマーケットが在る上総牛久駅と、そもそも商店らしきものすらない上総鶴舞駅とでは、今となっては比較にならないようです。

駅の規模としては交換列車の間に折り返し列車が入ってきても捌ききれる程度のものだったようですが、現状では使用されている線路は駅舎寄りの1本のみで、それ以外の線路には最近は列車が入った形跡が全くありません。

黒い実線は現在使用されている本線です。赤い実線は現存するけれども使われていない側線です。本屋の隣の五井寄りの倉庫に入る側線が、本線から微妙に離してありますが、この部分は本当にこのようになっています。どうやら、比較的近年になってポイントを撤去したようです。

青い点線は、これは私の全くの想像の産物なのですが、五井方からやって来て駅前広場を横切り左側に在る(在った)農協の倉庫の横まで入ってくる側線で、本屋の右隣の倉庫の更に右側の敷地の形状や勾配から判断すると、多分このような貨物側線が存在したのではないかと思われます。或いは、これは全くの夢物語かもしれません。

上下線のホームの位置が微妙にずれている点が、この線路配置図だけをみると少々不可解ですが、駅舎に直結しているホームの改札口の辺りに線路に降りる階段が在って、更に踏み切りを渡れば向かい側のホームの一番上総中野寄りに位置すると言う、それなりに巧く工夫された配置になっているからです。

この『線路に降りる階段』は単線区間で良く見掛ける、普段は鉄板で覆ってあって、必要に応じて蓋を取り外すような使い方をしていたのではないかと思われます。ま、この辺りは私の想像ですから、蓋の材質は木だったかもしれません。セメントを詰めて階段を閉鎖した後が現在でも明確に残っています。

こんなわけで、現在の上総鶴舞駅は相当に寂れた駅です。処が何が幸いするか判らないもので、開業以来建て替えをしていないであろう駅舎と、需要が少ない(列車が来ないと人通りが殆ど無い)点が好感されてか、テレビドラマの撮影にしばしば使われるようです。

近い処ではフジテレビで放送された菊池寛原作の『真珠夫人』と言うドラマの中で、東修善寺駅と言う設定で撮影に使用されています。現在の上総鶴舞駅の駅名看板は木製の比較的小型のものなので、それの上に覆い被さるようなモノを作って撮影に使ったようです。

駅の周囲には桜の木が多数植えられていますが、これは『関東の駅100選』に選定された際に植樹されたもののようです。

コメント(1)

小湊鉄道について(August 28, 2004)
JR内房線の五井駅から市原市内を縦断し、養老渓谷を経て太平洋岸の小湊を結ぶ計画で着工された鉄道です。実際には出資者の大部分が養老川流域の住人(=地主層など)であることや、現在の終点である上総中野以遠を建設するとなると安房山地を越えて行かなければならないために莫大な建設費が必要とされることから、現在の終点(=上総中野)までたどりついた時点で建設は終わります。経済圏が違うと言いますか、五井=養老渓谷間は全区間が養老川流域で千葉県市原市内ですが、養老渓谷駅を出て、ちょっと越えた辺りから終点の上総中野までの間のみが千葉県夷隅(いすみ)郡に入ります。


同様の経緯で元来は夷隅軌道として建設されていた国鉄木原線(木更津=大原の意)も夷隅郡内の地域交通の域を脱せずに大原=上総中野間の路線に終始し、現在ではいずみ鉄道と名乗る第3セクターとして営業していることはご承知の通りです。

つまり、小湊鉄道も木原線も当初から、それぞれが養老川流域の地域交通機関、乃至は夷隅郡内の地域交通機関であったわけで、小湊鉄道の小湊延長計画も、木原線の木更津延長計画もどちらかと言えば掛け声程度に過ぎなかったのではないかと思うわけです。

形の上では途中駅の上総中野で挫折したもの同士が顔を合わせているわけですが、実際には大して悲壮な残念至極な話ではないのでは?と想像しています。

小湊鉄道の路線は、定石通りに省線に接続する五井方から、五井=里見間が1925年(大正14年)3月、里見=月崎間が1926年(大正15年)9月、月崎=上総中野間が1928年(昭和3年)5月を開業させています。第1期の開業区間の終点である里見とは、有名な曲亭馬琴(瀧澤興邦のペンネーム)の『南総里見八犬伝』の里見、だと思います。但し、物語の上での舞台は安房国である筈で、実際には小湊鉄道の里見駅の在る場所は上総国ではないか?と思うわけです。私は千葉県とは殆んど縁も所縁も無く過ごしてきましたので、この辺の事情の真偽の程には大した確証があるわけではありませんので、単に書き散らかしておくのみといたします

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