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都留文自主ゼミ(仮)コミュの要カウンセリング

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レポート期間、パソコンに向かう機会が多いので立てました。

最近、実学的な勉強にしか興味をそそられなくなってしまいました。
これは、実践的な学問分野に魅力を感じる一方で、概念の世界の非実用的な欠点ばかりが目に付くからでしょうか。しっかりとした理論が無ければどんな実践も技術も役には立たないということも十分理解しているつもりです。ただ、理論などの上部構造よりも、より現実に近い下部構造に惹かれるのは、ナンなのでしょう。こんなアンビバレンスに陥った経験は無いですか。

コメント(9)

シャルティエさん、どうもありがとうございます。

ここでは文学に関しても、考える必要があると思います。文学を学ぶことの意義です。文学をどう捉えるかにもよりますが、そこまで掘り下げれば何か見えてくるのではないでしょうか。まあ、これは分析的アプローチ。
もうひとつ、有効な総合的なアプローチとして、文学部を出た学生が何の仕事をするという問を立ててみるのはどうでしょう。

文学の定義は、私は文学は人間科学のひとつだと言っていいと思います。国文学、英文学、仏文学なども含めです。人間の本質に迫ることが目的なので、シャルティエさんのいう諸学問の基礎にはあたらない、哲学のための哲学も該当するかと思います。

そう考えると私の中では、学問に関して、以下の3つのくくりができます。

?文学、(哲学のための)哲学
?社会学、(諸学問を基礎付ける)哲学
?科学

若干乱暴かもしれませんが、どうでしょう。?が虚学なら、?が実学。?は実学に分類されると思いますが、もっと言えば、?を方向付けるあるいは?に意味を与える学問であると思います。

一方で?の人間科学と?の社会学はには共通点があると思います。それは、やはり最終的には、人間の学問であるということです(?は自然科学)。ただ、?は社会というより普遍的な単位によって人間を科学します。また、その社会の定義自体が問題になることもあるでしょう。

それに対し、?は個人の特殊な経験の域を出ないのではないかということです。ただ、これはアプローチの問題で科学や社会学が普遍性を求めるのに対し、文学は特殊な共感、感動を用意して人々を納得させるという考えもあります。

愛、美、善、正義という人間の根本にかかわる概念を読者に理解させるために、人物と場面を用意し、物語を展開させる中で様々な仕掛けを発動させていく。最終的には、読者が筆者の思惑にはまり共感していまうというものです。そう考えるならば、文学者は大変技巧的で、またどこか狡猾に思えてきます。

しかし、上記のことは現代文学にはあまり当てはまらないような気がします。現代文学をあまり読んでいないので、勝手なことは言えませんが、はたして、どれだけの本を書く人が、人々に人間の本質を理解させようとして本を書いているでしょうか。どれだけの本を書く人が、本当の文学者でしょうか。

当たり前の話ですが、文学者は人間科学の研究者でなくてはいけません。日々、人間とはという問を立て続けなくてはいけないのです。そうでない人は、ただのもの書き、文学者ではなく小説家とよぶべきでしょう。

ここまでの議論が正しいならば、研究対象が衰退した文学にはもう死滅するほか道はないということになります。あとは、文学史的巨人の思想を現代の問題と結びつける、テキストの読み返しということでしょか。

とまあ、長くなりました。これは分析的アプローチなので、総合的アプローチに関しては、また後日。
シャルティエさんコメントありがとうございます。

>?社会科学と?自然科学には共通点があるかと。

シャルティエさんが指摘しているとおり、?と?は「科学的な方法」という点で一致していると思います。「観察」→「仮説」→「実験」→「観察」→「仮説」→・・・という方法です。その結果として普遍的な法則を発見するということが科学の目的でしょう。
シャルティエさん、確かに時間も空きましたし、議論が煮詰まってしまった感じになってしまいましたね。

なるほど、センなど優秀な人物は学問の壁を越えてしまうでしょう。また、ファイヤアーベントに関しては、詳しくありませんが興味深い議論だと思います。

私の理解では、センはあくまで経済学者であるといえると思います。彼の偉業に関してはシャルさんのいうとおりなのですが、その意義は「効用」の概念など、工学的になりがちだった経済学を本来の形、つまり人々の生活を善くするための学問に戻す試みをしたということです。つまりは、アリストテレスに源流を持つような経済学です。それは、人々の善き生を問うものですから倫理学と強い結びつきを持っています。これはなかなかすごいことです。なぜなら、これまで報われなかった文学や哲学にも何らかの実用性が証明されるような歴史的事件であるからです。このダイナミックな視点はいったいどこから生じたのでしょうか。

ここで重要なのは、この話がすべてアカデミックな世界に関してのことだということです。上記のような理由からセンのような巨人が誕生する一方で、実社会で生じている現象にも注目すべきです。つまり、理系の学問を修めた人が必ずしも技術者にならないとか、文型の学問を修めた人が自然科学に関する仕事に就くといったことです。そして、彼らのように修めた学問と就いた仕事の分野に断絶がないような人でも、仕事をするうえで様々な知識を活用しているということがあります。

ある程度学問自体の分析は済んだということにして、今度はもう少し違った観点から議論する事にしましょう。その学問を修めれば、どんな能力が身につき、どういったことが可能になるのかということ、つまり総合的なアプローチです。

通俗的には、理系が新技術の開発に、文型は事務や営業などということになります。また、文型は理系が開発した新技術に価値や方向性を付け加えることで社会に送り出すということや、新技術の暴走を抑制するといった議論もされます。私は、前者は浅い理解であるし、後者はちょっと行き過ぎているような感じがしてどちらもリアリティがないように思います。

突拍子もないかもしれませんが、ここに「ワープゾーン開発プロジェクト」というものが発生したとして、理系・文系あるいはこれまでの分析の結果を用いて言えば、人間科学(文学・哲学のための哲学)、社会科学(実践的な哲学を含む)、自然科学を修めた人々はどうプロジェクトに貢献するでしょうか。
「死神」のたとえは、誰しも人間科学の研究者であるということでしょうか。

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