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船戸与一コミュの船戸与一の戊辰戦争総括(図書新聞連載より)

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 平岡正明氏の没後出版された高取英の脚本『ネオ・ファウスト地獄変』(沖積舎)の解説で、平岡氏は次のように書いていた。
 「安保ブンドに発する潮流の土着的部分には、『昔からの宿怨』を背負っている発言が飛び出すことがある。たとえば中大丸太ブンド上がりの伊達政保という男だ。彼は薩長相手に江戸の焦土戦術もやれなかった江戸っ子の軟弱さを笑う。しかし自分たち奥羽連合は官軍と戦った。磐城平で、会津で、仙台で、長岡で、そして最後まで屈しなかった新撰組副長の土方歳三たちと箱館五稜郭に拠って官軍と戦い抜いた。賊軍の誇りは自分たち東北人にある。天皇制より右の極左ということになるだろう。」
 ここまで言われたらオイラ、最近出版された船戸与一の小説『新・雨月 戊辰戦役朧夜話』上下(徳間書店)について、触れない訳にはいかないではないか。本書は小説の形を借りた、戊辰戦争総括であり、現在5巻まで刊行中の『満州国演義』(新潮社)の前段とも言うべき作品となっている。まさに日本帝国主義の生成過程を、薩長を中核とした官軍(西軍)の東北侵略戦争の中に見出しているのだ。ただ、『満州国演義』でも見られる、間諜による謀(諜)略史観が、本書に若干の違和感を与えているが、それも総括を導き出す手段となっている。また、これまでの敗者の美学や判官贔屓や怨念で、東北での戊辰戦争流血譚を語るのではなく、奥羽越列藩同盟の欠点や齟齬を明確に抉り出しているのだ。
 大藩を中心とした諸藩の連合体である奥羽越列藩同盟は、「戦争目的」を救会(津)から出発して薩長政権に対抗する東北政権を展望するに至るが、「藩」がそれを疎外する。すなわち「一藩主義」が「建国」を疎外してしまうのだ。小藩の中には、他藩への義から自藩を顧みず戦った二本松藩や平藩の例もあるが、殆どの藩が最後には「一藩主義」に陥ってしまう。我が会津藩とて例外ではない。また「戦闘目標」も「一藩主義」のため分進合撃とはならず個別撃破され、軍議で土方歳三が、軍事総督就任に際し生殺与奪の権が必要としたが、これも「一藩主義」により拒否され「建軍」も疎外される。
 また封建思想により武士と農民が分断されていたため、武士間の戦いにすぎないと局外者あるいは反抗者となった農民は、近代総力戦の様相を帯びた戦闘では殺戮対象となってしまう。ただ庄内藩だけが農民、町民を組織し、豊富な軍資金で最後まで戦ったが、「本間様には及びもないが、なってみたいな殿様に」と謡われた豪商本間家の存在がその要因であった。
 最後に著者は明治期の日清、日露戦争に戊辰戦争の人脈を見る。もし奥羽越列藩同盟の戦いが違ったものとなっていたら。そこに著者の総括の真意がある。
伊達政保

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