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マンボウ広場コミュの気侭に読書。気随に引用。(2周目)

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2周目です。

上善は水の若し。水は善く万物を利して而も争わず。衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。(老子より。)

標題の含意であります。




コメント(1000)

吉本隆明『言葉からの触手』河出文庫





わたしたちはまず、往きとして緊急な層を解明し、還りとして最後の永続的な層を解明して、ふたつの解明を同時に行使し、提出できなければ、かならず錯誤にみちびかれるといっていい。









渡辺京二『北一輝』朝日新聞社




これは何の叫びだろうか。魂を殺されるのはいやだという叫びであって、このように北〔一輝〕は何よりもまず、明治天皇制国家が、そのもとで生きる人間の魂を圧殺することへの怒りから、革命家となった人である。…魂の声が階級的擬制に覆われることへの憤激なのである。









幸田文『ちぎれ雲』講談社文芸文庫






新緑をわたる風にさそわれて、旅をおもう心がさわさわと鳴る。私はよく一人の旅に堪え得るだろうか。父〔露伴〕を見送って、はや三年である。








曾野綾子『日本人が知らない世界の歩き方』PHP新書





〔ミラノ駅で〕子供の頭くらいのどくろを売っているのには驚いた。みやげに買って帰る人がいるわけだ。…机の上や書棚などの身近な場所において、常に死を思うためである。日本人は死について「縁起でもないことを」で片づける。死を意識した時、人間性は明快になり、意識が解放されることがわからない。









森博嗣『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか』新潮新書






似た者どうしが喧嘩をする。国どうしが対立するのも、お互いが、似たレベルで、同じように考えているからである。
ふと、そんなふうに、物事を抽象すると、くすっと笑えないだろうか?









>>[965]
争いは同じレベルの者同士でしか発生しない、ですね(^^;
>>[966]


お写真、ご自作ですか?

くすっと、笑えますね。ウッシッシ








三木成夫『内臓のはたらきと子どものこころ 増補版』築地書館






ここまできますと、もう動物の体内にこうした宇宙リズムが、はじめから宿されていると思うよりないでしょうね…。そして、その場が内臓であることはいうまでもない。もっと厳密にいえば、内臓の中の消化腺と生殖腺でしょう。この二つの腺組織の間を、そうした食と性の宇宙リズムに乗って「生の中心」が往ったり来たりしているのです。










『ロダンの言葉抄』高村光太郎訳 岩波文庫






肝心な点は感動すること、愛すること、望むこと、身ぶるいすること、生きることです。









谷川俊太郎『朝のかたち』〔詩集〕角川文庫






明らかに名ざすことのできるものは、この世にはひとつもない。鍋が鍋ではない何か別のものの寄せ集めなのと同じように、かなしみはかなしみではない数えきれぬほどのおそろしくしんどいもののなれのはてだ。








>>[967]
いいえ。ネットで拾いました。(^^)
森まゆみ『かしこ一葉』筑摩書房






「ほそけれど人の杖とも柱とも思はれにけり筆のいのち毛」
さまざまな伝記にとりあげられる〔樋口〕一葉の少女時代の最初の歌は、その人生を象徴している。まさに筆一本を杖とも柱ともして一葉は一家を支え、世を渡ったのであった。









吉本隆明「エリアンの手記と詩」『全著作集 1 』勁草書房 所収





―<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえはあんまり暗い>―
―<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえは他人を喜ばすことができない>―
―<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえの言葉は熊の毛のように傷つける>―
……………………………………
また日がめぐって来たら
遇うだろう!
底ふかい悲しみをたずさえて!
戻るだろう!
お城の中 ミリカの居る都へ!










吉本隆明「〔島尾敏雄の〕<原像>」『全著作集 9 』勁草書房 所収






もっとも人間が傷つかない世界は<習慣化>された世界である。そして人間はじぶんをその傷つかない世界に馴致させることで生存を防護している。しかし、いつまでも人間と人間の<関係>に慣れることができない<資質>があるとすれば、その<資質>は、つねに、そして時を経るにつれて、ますます深く傷つかなければならないはずである。









アンドレ・コント=スポンヴィル『哲学はこんなふうに』木田元他 訳 紀伊國屋書店





…そうかもしれない。だが、万物が意識をもつということをなにがぼくたちに証明してくれるだろうか。
これらすべての証明は、余計なことまで証明していると同時に必要なことを証明していないという共通点をもっている。










竹内好「伊沢修二のこと」:『日本と中国のあいだ』文藝春秋 所収







晩年最も力を注いだのは吃音矯正ですが、…彼は〔グラハム・ 〕ベルにあてて手紙を書き、吃音矯正の原理を述べて批判を求め、更にそれが世界最初の試みであると思うが如何と訊していますが、ベルはそれに充分の賛意を寄せています。









福田恆存『人間・この劇的なるもの』新潮文庫





不明瞭な未来の幻影のまえで、現在はつねに不燃焼のまま残り、過去の穴倉で腐敗する。満足とか不満足とかいうものは、なんら本人の自覚とかかわりがない。自覚されぬ不満こそ、ここでは問題なのである。…自然のままに生きるという。だが、これほど誤解されたことばもない。もともと人間は自然のままに生きることを欲していないし、それに堪えられもしないのである。










中島敦『光と風と夢・わが西遊記』講談社文芸文庫







一八九一年六月×日
友人!何と今の私に、それが欠けていることか!(色々な意味で)対等に話すことの出来る仲間。共通の過去を有った仲間。会話の中に頭注や脚注の要らない仲間。ぞんざいな言葉を使いながらも、心の中では尊敬せずにいられぬ仲間。この快適な気候と、活動的な日々との中で、足りないものは、それだけだ。







青山二郎『鎌倉文士骨董奇譚』講談社文芸文庫




己れの力を愛すること、中原の様なのを、僕は未だ知らない。中原中也とは何者であるか。小林〔秀雄〕の曰く、中原は、詩人さ、外の何者でもありゃアしない。娑婆気でこれを言えば、中原が生きて居たら、未だ未だ我々は、困らせられたのである。…あゝめん。








ランボオ『地獄の季節』〔詩集〕 粟津則雄訳 集英社文庫







私は、当然のものにせよ力ずくのものにせよ、まったく思いもかけぬ論理による戦いを夢みている。
音楽の一小節と同様に単純だ。









『三島由紀夫未発表書簡』中央公論社






久々の日本はいかがですか?
七月二十日ごろ東京へおいでになる由、たのしみにお待ちしてゐます。丁度私の芝居「薔薇と海賊」もやつてゐますし、嶋中氏と御一緒に夕食にもお招きしたい。
暑さ甚しき折柄、御身御大切に。

三島由紀夫
〔昭和三十三年〕七月一日
ドナルド鬼韻様









副島隆彦『アメリカの秘密〜ハリウッド政治映画を読む』メディアワークス






映画『猿の惑星』〔J・シャフナー監督〕は、日本文化論として重要である。一言でいえば、日本国あるいは日本社会こそが、この映画で描かれた「猿の惑星」そのものではないか、というのが私の理解である。









リチャード・ローティ『哲学と自然の鏡』野家啓一監訳 産業図書







私の論述の眼目は、「合理性」や「客観性」を正確な表象の諸条件によって解明しようとする(伝統的哲学を定義してきた)試みは、現時点における通常的言説を永遠化しようとする自己欺瞞的な努力であり、そしてギリシア以来の哲学の自己イメージはこのような試みによって支配されてきた、というところにある。









池谷裕二・糸井重里『海馬〜脳は疲れない』新潮文庫





池谷:生きることに慣れてはいけないんです。慣れた瞬間から、まわりの世界はつまらないものに見えてしまう。慣れていない子どものような視点で世界を見ていれば、大人の脳は想像以上に潜在能力を発揮するんですよ。
糸井:あらためて大人でよかったぁ、と思いました(笑)。










福永武彦「続・ひそかなるひとへのおもひ」:『日本の詩歌27』所収







だるまの山にはやはり風が立ち
戸田の海には夜光虫がきらめいても
死んだひとは帰らない もう帰らない
そして青春も 希望も かなしいいのちも
みんないつのまにか行つてしまつた








関川夏央『白樺たちの大正』文春文庫





東京市民十万を殺した関東大震災は、すでに刷り上がっていた「白樺」大正十二年九月号を焼いた。関東大震災は東京にきわどくとどまっていた江戸の面影を焼尽した。もはや「パンの会」の会歌のように「若い東京に江戸の風」は吹かないのである。名実ともに別の時代がはじまるのである。








吉本隆明「『試行』第十一号後記」:『全集7』晶文社(配本第二回目)所収





『試行』は、本号から吉本の単独編集となり、第二段階にはいる。…『試行』はディス・コミュニケーションの運動方法を堅持し、あくまでも直接購読者、直接寄稿者との一体化と相互交流を主体にしてゆくことに変りがない。むしろ強化されるとおもう。…どうか耳から耳へ、手から手へという原始的コミュニケーションの現在有効性を信じてもらいたいとおもう。これ以外のどんな方法も現在運動性はないのである。









橋爪大三郎『世界は宗教で動いてる』光文社新書 2014年6月20日






中国の社会構造の基本は、中央政府は官僚制、底辺のグループは宗族(父系血縁集団)という二層構造。この中国社会の骨格は、儒教がつくったものです。…ということは、中国共産党も儒教的システムなのです。









内田樹『日本の身体』新潮社 2014年5月30日








内田:武道でも剣道や居合などをやっている人は、「手の内は乙女のように」といわれます。…佐々木正人さんが著書『アフォーダンス』の中で、大相撲の世界で股割りの稽古をするのは、身体が柔らかい人は同体で倒れた時も、着地が後になると信じられているからだ―という趣旨の記述をされていたのですが、どうなんでしょう。
松田〔哲博〕:そういうところは確かにあるでしょうね。











苫米地英人『空海は、すごい〜超訳弘法大師のことば』PHP研究所 2014年2月26日






空海は五大に「識」を加えることによって、まさにこの世界を物理空間・情報空間としてとらえることに成功しました。…「識」とは密教的には大日如来のことを指します。大日如来は、密教のなかでは汎神にあたります。「一でもあり多でもある」という宇宙の原理です。








奥本大三郎『虫の宇宙誌』集英社文庫






「朝比奈の蚤とりかぬる鎧かな」いかに大力無双の朝比奈義秀といえども、こればかりは相手がわるい。そういえば、日本の武士の出陣の前、兜に香を焚きしめるというのも、奥床しい心がけというよりは単に燻蒸して虫よけをしたのが始まりだったのではないか









大杉栄「僕は精神が好きだ」:『日本の名著46』中央公論社 所収






僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。

思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにはまた動機にも自由あれ。









『萩原朔太郎詩集』新潮文庫




愛をもとめる心は かなしい孤独の長い長いつかれの後にきたる、
それはなつかしい おほきな海のやうな感情である。

道ばたのやせ地に生えた青樹の梢で、
ちつぽけな葉つぱがひらひらと風にひるがへつてゐた。




斎藤孝『身体感覚を取り戻す〜腰・ハラ文化の再生』NHKブックス






秩序化の機能が、型にはある。型は、現実のさまざまな動きの中で、もっとも機能的でなおかつ美しい動きをめざして設定されることが多い。その点では、型は数学的な美学をもっている。…型を身につけた動きが、ある種の折り目正しさを感じさせるのは、型のもつこのような数学的な美意識による。








ポー「盗まれた手紙」丸谷才一訳:『世界文学全集18』集英社 所収






でも、いくら真理としてひろめられていようと、やはり誤謬は誤謬だ。…数学者たちは、習慣になっているもんだから、こういう限界のある真理のことを、まるであくまでも普遍的な適用性のあるもののように論ずる。そして世間でもそれを真に受けるのさ。












うきくさ〔萍〕。*萍の花のさかりを流さるる(沖祐里)蛙 (「"う"で始まる単語、頭に浮かんだのは?」 の回答 view_voice_topic.pl?topic_id=892 )









リルケ「或る時」大山定一訳:『世界文学全集48』河出書房新社 所収






いまどこかとほい世界で、
何のあてもなく歩いている人間が
僕をもとめるのだ。

いまどこかとほい世界で、
ただわけもなく死にかけてゐる人間が
ぢつと僕を見つめるのだ。







村山斉『宇宙は何でできているのか〜素粒子物理学で解く宇宙の謎』幻冬社新書






超ひも理論が力の統一を果たすために予言しているのが、「超対称性粒子」です。これは、あらゆる素粒子に存在する「パートナー」のようなものです。…「量子的な次元」とは別に、時空には4次元を超える次元があると考える人たちもいます。しかも、5次元や6次元ではありません。本当の時空は10次元まであるというのです。










2周目、めでたく?終了を迎えました。

私的読書メモにココまで付き合って下さった皆様。厚く御礼申し上げます。


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