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暇刊 巴mixiコミュの過去の巴シリーズ 夏

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「ライジングケイジ」

作:雲井和巴 挿絵:mitsuyasu"matataki"

巻の壱 「あまざらしの貴婦人Z」

フロアにイエモンが響き渡る、それを洗い流そうと銀玉が狂ったように走る、赤や黄色や蒼の光が踊り、静かな人々の前を通り過ぎる。恵慈は
TOAから叩き出される音だけで動く、体は躍動する、孤独な道を誰の物でも無いモヒカンで切り裂いて走る。
 仕事を終えて恵慈はニードルスの甚平を羽織って店を出た、千日前のアーケイドまでのほんの十数メートル、雨が降っている。恵慈は傘など持っていない、自慢のトサカが濡れるのに腹をたてて歩く、前から綺麗どころの姐さんが、色とりどりの傘さして、歩いてくるのも気に止めず。ピーカンのDVDプレイヤーとトサカを気にしながら、水たまりを踏みしだいてガンガン歩いてゆく。跳ねた雨水が姐さんの前にこぼれる、恵慈がハッとしたとき、三つの傘が揺れて止まった、恵慈は一番前を歩いていた少し切りすぎた前髪が妙な女と眼が合って、体をかわして姐さん達を先に通した。むせかえるような香りが恵慈を一瞬包む、恵慈は香水にやられて瞬きして眼が覚める、さっさと下を向いたまま姐さん方をやり過ごして先を急いだ。
 
 信太はCDの棚を漁って今日のキラーチューンを探す、SIZZLAと書かれたRをデッキに叩き込んで店の前のベンチに腰を降ろした、外は梅雨の初め、シトシト雨が降りそぼる。店の中で親父がサンドバッグを蹴り上げる音が響く、信太は開襟アロハの胸ポケットからタバコを探ってアスファルトを眺めた、細かな雨粒が水たまりを叩く、信太は空になったタバコの箱を握り潰してゴミ箱に投げた。紫煙の向こうに雨煙り、なんとも言えない気持ちに呆然としていた、信太は梅雨が好きな男で、この季節になると妙に心が落ち着かない、かといってはしゃぐわけでは無いのだが。店の親父がタオルで汗を拭きながら表に出て来た、よく鍛えられた体は現役のファイターのそれである。
 「よう降るなぁ、今日はあかんわ」
 「そやね、こんな雨降りに散髪来るのは職人ぐらいや」
そう言って信太はタバコをぷうぷう吹いている、親父は店に戻ってパイナップルのアロハを素肌に着けて、冷蔵庫から緑茶を出してコップに注いで信太に出す、二人はSIZZLAを聞きながらゆっくりと茶を飲んだ、二人はベンチに座って向いのジーパン屋の車を見ている、アメリカに攻めに行ったあのゼットが止まっている。黄色のフェアレディーは、雨の中で濡れている。そこにエメラルド色のビニール傘をさして、麻の買い物籠を下げた女将さんが帰ってきた。
 「あんたら何をぼぉッとしてるん、景気悪いなぁ」
 「こんな日に来んのは職人くらいや」
 「わかってるんやったら剃刀でも研いどき」
親父は女将さんに尻を叩かれて中に引っ込んだ、信太はまた独り雨を楽しんだ、すると今度はそぼ濡れて機嫌の悪い恵慈がやって来た。
 「おっつ、調子どうよ」
 「おっつ、てなんやねん」
 「おつかれや」
 「ふぅん、ぼちぃぼち」
恵慈はあいさつもそこそこに店に入っていった、女将さんがCDを変える、プライベートサーファーが流れて落ちる、信太は降りしきる雨の向こうに夏を想って空を見上げた。

 サンスプラシュのビデオを流したまま、恵慈はうつ伏せにうたた寝て、ぼんやりした物がハッキリ見えて眼が覚めた。画面をテレビに変えて見ると、
 「どうなってしまうのかぁぁぁっっぁ」
ガチンコが啼いている、そんな時間かと湯飲みに口を着けて、恵慈はガチンコを見ていた。しばらく大和の坊主頭を眺めて、恵慈は外に出てバイクを磨いた。CD50のタンクの傷、ひさしぶりの洗車にコンパウンドが白く光る。雨上がりの空に星が光を強くして月と張り合っている、その時横町の角から恵慈の耳にCB50の排気音が届く、ファンネルが片腹から吠えている、信太がやって来た。
 「なぁしとん」
 「身だしなみや」
 「身だしなみしたんやったら行くぞ」
 「どこにぃ」

 恵慈は信太と走り出した、信太のCB50は赤タンクをネオンに閃かせてすっ飛ぶ、恵慈はアクセルを絞りCD50-改のエンジンを解放してゆく。二人は同時にブレイクを駆けて信号に捕まる、「どこ行くねん」と恵慈が言うと、信太はニッコリ笑ってカッ飛んだ。恵慈は跡を追う、どうもミナミに行くらしい、どうもうさんくさい、信太が何も言わない時は悪戯を考えている、それが恵慈の鼻につく。突然目の前に10tが割り込んでくる、背中に虎を背負ったデコトラが二人の行く手を阻む、恵慈と信太は左右に別れて虎をかわす。迷わず開けたアクセルがエンジンを目覚めさせる、「何個ついてんねん」と信太は突っ込みながらギリギリで飛び出したウィンカーをかすめて、ガードレールとコンテナの間を前にぶっ飛んだ。火の着いた二人は淀屋橋から御堂筋に80kmで突っ込んで少しアクセルを戻す、スゥッと門が開いてゆき、恵慈達は夢見るように千日前で止まった、CD50-改に跨がったまま恵慈は体がしびれているのを三沢のように確かめていた。
 「あの虎えぐいなぁ、死ぬかと思ったぁ」 
 「ああ、ほんで今日はなんやねん」
 「タコスロで勝った、祭や」
信太はそう言って雑居ビルに入って行った。

 狭いエレベーターに二人は乗り込んだ、恵慈はこうなったら信太の手のひらでブレイクダンスを踊るしか無いと腹を決めた。ビルの3階で降りると蝶ネクタイの兄さんが立っている、信太は慣れた様子で店の様子を聞いている。
 「今どんぐらい待ち」
 「全然ヒマです、すぐいけますよ」
そう言って門番は信太から金を受け取ると、指名は無いかと聞いて来た。無論、恵慈には無い、信太も無いと言うと席を用意すると言ってカーテンの向こうに消えた。
 「金が無いオーラ出すなよ、ビッとしとけ」
 「ここなんや」
 「翼の折れたエンジェルの戦場」
 「なんやねんそれ」
 「まあそんなええもんちゃうけどな」
恵慈は待ち合い室で置いてあったドカベンを手に取った、実際は岩城のホームランも眼に入らない、ここがどこなのか大体見当はついた、恵慈は全く予期していなかった事態にたまらず口を開いた。
 「なあ、やっぱええわ、金高いし」
 「うるさい、ここまで来といて遅いわ、どうせ泡銭や、腹決めて大人   
  の階段昇れや」
 「ハードコアな階段やでぇ」
言ってる意味が解らない、てんぱっている恵慈を尻目に信太は悪魔的な笑みを浮かべる、そうこうしていると、カーテンの向こうからさっきの蝶ネクタイが迎えに来た。
 
 ホールの中はミラーボールに回転するライトが光をまき散らし、薄暗い中に潰れたユーロビートが爆発している、案内されて中に入った恵慈は驚愕した、ホール中を歩き回る無数の看護婦。信太と少し離れた席に案内されて恵慈はビールを頼んだ、二人が座るので一杯の席に恵慈は独り開き直った。程なく恵慈の席に看護婦がやって来た、恵慈の足下に軽くひざまずいて小さくお辞儀をする。
 「はじめまして、セイラです、よろしくお願いします」
金髪で細身の看護婦は狭い席にぎうと入り込んで来た、顔にはまだあどけなさの残る、セイラはおしぼりを恵慈に渡すとニコッと笑った。
 「おビール頼んでもよろしいですか」
 「ああ、ええよ」
 恵慈は天井で回るライトを見てビールをイッキに飲み干した、恵慈の飲みっぷりにセイラが囃し立てる。
 「すごぉい、お酒強いの」
 「ああ強い、ところでこの店何の店」
それを聞いたセイラは、言うが速いか恵慈の上に馬乗りになった、いきなりマウントポジションを取られ、しかも席が狭くてガードポジションが取れない、恵慈はタップしてトサカがしゅんとした、信太に助けを求めようとそちらを見ると、信太は悟りを開いている。
 「どぉしたらええんかなぁ」
 「あたしにさわっていいの、好きにしていいの」
セイラと対面したまま恵慈はストーンしている、とにかく一度セイラを
横に座らせた、セイラはきょとんとしている、恵慈はアップロックを始める。もはや踊るしか無い恵慈は少しずつ体をほぐして口を動かした、そしてやがてセイラが聞いた。
 「どこの生まれなん」
 「生まれも育ちも大阪や」
 「あたしも大阪で生まれてたらどこにもいかんかったのになぁ」

 戦場の天使達に次々と指示が飛ぶ、セイラが席をはずして代わりにカテジナがヘルプに入る、スパイシーなカテジナとのスパーリングをしているとセイラが帰って来た。突然ホールの照明が落ちる、マイクがええ声で吠えた。
 「お待たせいたしました、Let's ライドオォォン」
ストロボが狂ったように瞬いて、ライトは速度を増して行く、ホールにアナスタシアが降りて来た、客は静かにマッシュアップしている、恵慈はぶっ飛んで信太のほうを見ると、信太はデンプシーロールしている、
セイラが恵慈の耳もとによってきて囁いた。 
 「上に乗ろっか?いい?」
 「ああそやな」
今度はガードポジションがっちりである、恵慈はセイラをやさしく抱き締めた、なんだか妙に心静かに、懐かしさにも似た感覚に恵慈は思わず言った。
 「女って柔らかいなぁ」
 「そうかなぁ、あたし胸が無いからごつごつしてるって言われる」
恵慈は無性に愉快になって笑い出した、セイラは初めどうしたのかと
聞いたが釣られて自分も笑い出した。時間が来るまで恵慈はセイラと体を合わせて話をした、話ながら恵慈は前の席に座っている客を見ていた、その客はどうやら一人で来ているらしく、看護婦がいない間はジッとしていて、帰ってくると看護婦の肩に寄り掛かった。看護婦は優しく男の頭を撫でてやり、男は安心した顔で何事か話している、恵慈は何とも言えない物に追い立てられてセイラを横に座らせた。
 「どうしたん、しんどかった?」
 「いや、大丈夫、せやけどあれやな、ここではアホにならなあかんね
  んなぁ」
 「そやで、みんなあほやし、恥ずかしいことも無いよ」
そう言ってセイラは屈託なく笑った、恵慈はセイラと片寄せあって何と言うことの無い話を続けた、セイラの言葉の端々に福岡なまりが出てきた頃、恵慈は彼女の肌が少し冷たいことに気がついた。

 店を出てバイクに戻ると、信太は悟り切った様子で恵慈に言った。
 「名刺を持ってきたか、そんなもん持ってたらあかんで」
そう言って信太は自分の持ってきた名刺を丸めて捨てた、恵慈は「そやな」と言って名刺をピッと飛ばしてキックを蹴り抜きエンジンをかける。二人はネオンの海を渡って家路を急ぐ、途中に淀屋橋でゼットとすれ違った、雨のそぼ降る中ゼットは滑る様に60kmの門に吸い込まれて行った。



巻の弐「女神の前髪と蝉の声」



ロッカーの鏡でトサカを起てながら、恵慈は窓の外を眺めた。夜明け頃から降り出した雨は午前九時十二分、朝も早から店に並ぶ客の肩を濡らしている。ねむたい眼でトサカをつまみ上げては横から見る、そんなことを十五分ほど続けている、この雨のせいでなかなかトサカが収まらない。そうこうしてる間に半時になって恵慈はフロアに降りた、梅雨のなごり「ファック」と毒づきながら階段を駆ける、恵慈の「ファック」は武藤の「ファック」である。
 フロアに降りて恵慈は開店作業に取りかかる、ポリを交換して景品をストッカーから運び込む。コーヒー娘。がシャキとフロアに並ぶ頃に、恵慈は傘さして客に睨みをきかしている、雨にとけるトサカのポマードを気にしながら。店の有線が「Ticket To Ride」でロックンロールし始めた、雪崩を打って客が飛び込んでくるのを体で留めながら、恵慈は人波を切り盛りしていた。フロアに客が落ち着いた頃に恵慈は傘をたとんだ、黒雲の向こうに広がる青空を振り返らずにコースに向かって。

  「いらしゃいませ・いらしゃいませ・いらしゃいませ
   いらしゃいませ・いらしゃいませ・ありがとうございます
   いらしゃいませ」

マイクと共にハッピーハードコアの流星が降ってくる、いぶし銀の店長がマイクを握る、店長がマイクを握るのは新装開店の時に限っている。恵慈は三つのコースを見ていた、さっそくあちこちのコースで噴き出す、7コースのモンスターが暴れまくっている、あそこは確か新入りが就いていたと思った瞬間、コーナーランプが全部ついた。

 熱い銀玉の激出し海峡を泳ぎきり、恵慈は蒸し暑いロッカーから飛び出した、沈む夕陽が燃えている、その向こうから夜がやって来ている。恵慈が店を出た後を信太が追ってきた、綺麗どころの姐さん達が出勤してくるのをじろじろ見ながら、バイクに火を入れている恵慈を捕まえる。
  「呑みにいこうや」「いやや」「なんでや」
  「だってお前打ちに行くもん」「万券だけやて」
  「だるいねん、パチンコ」「まあまあ軽いクールダウンやん」
 しぶしぶ恵慈は信太に引きずられていって、向こう三軒隣の青龍屋に入った。青龍屋も本日激甘で「甘釘祭」の提灯が色とりどりに灯る、
レイバンをかけた通称「元帥」がドル箱の壁に囲まれている。
  「今日も元帥撃沈しまくりやなぁ」
  「あほぉ、今日うちの店でどんだけ出しとんねんあのおっさん」

 二人の戦果はなかなかで、サバンナを軽く駆けずり回って荒稼ぎをした後に呑みに行こうとなった、バイクをすっ飛ばして梅田に、ナビオを回り込んで「初べー」で落ち着いた。たこやきと酎ハイで一杯やりながら二人は祝杯を上げてよしなし事に話しの花を咲かせた、梅田の夜空は雲一つなくて、街の光が無ければ美しい空だろうと恵慈は空に星を探した。
  「なんや、なんか飛んでるんか」
  「何も飛んでへん」
  「ふうん・・・、なあ腹一杯なったらクラブ行かへん」
  「おお、ええやんけどこ行く」
  「なんかどっかでダンスやってるやろ」
店のテレビで東京の親玉が吠えている、呑んだくれ親父が「あほかぁ」と怒鳴った。二人は「初べー」でしこたま呑んでクラブに向かった。

 DD・HOUSEの前に前にバイクを止めて恵慈はメットを脱いだ、バックミラーでトサカを直していると信号に捕まって遅れた信太が追い付いてきた、クラブの前にはいい感じのラガマフィンが溜まっている。白い壁に青いロゴが並ぶ、爽やかなカリブの色である。チャージを払って店に入ると、ドレッドをヘアバンドでかきあげた黒人がスピーカーの横で女を口説いている、信太はトイレに足早に向かって行った。恵慈はレッドストライプを頼んでひと息ついた、狭い店の中に人がごった返す、身動きも取れない中に恵慈は飛び込んでグッドバイブスに乗る、マイクを握るDJ達が男を揚げて女を揚げる。ダンスホールに火が入る、ガソリン満タンで暴れることに夢中になっていた恵慈は信太を忘れていた、何をしているのかと見渡すと知らない女と話している、いつもの病気が始まったと一汗かいた恵慈はレッドストライプを買いにカウンターに向かった。
  「レッドストライプ」
  「はい、なんか今日調子ええやないですか」
  「パチスロ勝ってん、所で今日ヒゲの兄さんおらんの」
  「ああ、先週からジャマイカですわ」
  「ほんまかいな、ラバダブ楽しみやったのになぁ」
スピーカーからエレファントマンのがなり声、恵慈がいいかげん酔いも高まってきて呆然としていると、調子良く信太が飛んできた。
  「女捕まえたぞ」
  「はあ、ほんでどうした」
  「どしたやあるかい、お前もチチマンて言われたなかったら女ぐら       
   い捜せ」
信太は好きなことを言って女の所に帰って行った、その女はテキーラサンライズを一息で飲み干すと信太と向かい合って切れよく腰を振る、全身の毛穴から甘い匂いを放っている。恵慈はビールではっきりしない頭を叩いた、勢いよく立ち上がるとカウンターにビールを買いに行く、おぼつかない足で人の間を縫って歩く。キリンラガーの瓶を一気に呑んでげっぷをしてフロアを眺める、すると恵慈を真直ぐ見つめる視線に気がついた、恵慈はしびれた頭でその視線に釘ずけになった。どこかで見たことがある気がする、しかしそれがどこだか思い出せない、めんどくさくなってきてつかつかと歩いて行って声をかけた。
  「なあどっかであったっけ」
恵慈は我ながら下手な切り出しに顔が紅くなった、女はニコリと笑って首を振る、二人は夜風に当たりに外に出た。

 入口のベンチに腰掛けて恵慈はあることないこと喋り倒した、もはや十秒前に話したことも覚えてはいない、女は恵慈の話を楽しそうに聞いている、ようやく酔いがさめるころに恵慈はやはりどこかで見たことがあると思い出した。
  「なあ、今まで話したことの八割ウソやねんけどな、やっぱり
   どっかで会ったことない」
女は淋しそうな顔をして首を振る、そこで言葉が途切れて消えた、恵慈が困って下を向いていると女が立ち上がって恵慈の手を引っ張る。
  「どっかつれていってよ」
  「ああ、バイクあるから走り行こうか」
恵慈はCD-50改にケリを入れてまたがる、女はタンデムに横座りして恵慈の腰に抱き着いた。走りながら恵慈は必死になって女の事を考えていた、夜の風を切り裂いて二人バイヴスを感じながら街を流れる、すぐ目の前に紅い観覧車が見える場所でバイクを止めた。
  「なあ、あたしの事ほんまにわからへん」
  「あ、ぐ・・・、わかりません」
恵慈が慌てていると突然肩に痛みが走る、女が肩に噛み付いている、バイクを飛び降りると女は恵慈にメットを投げ付けた。女は前髪をかきあげてふいっと後ろを向いて行ってしまった、そのしぐさに恵慈はハッとなった、あれは雨の日に水たまりを引っ掛けた女、少しきりすぎた前髪の女。そう気付いた時には女の姿は無く、街灯の光で鳴く真夜中の蝉が恵慈を笑っていた。



巻の参「ヘクトパスカルとミリバール」



「うわっ」と言う声と共に車が急停止した、一瞬目の前に人影が写る、
どさっと人影が崩れ落ちた。

 トラベリングがステレオから聞こえる、外には台風の風が吹き荒れてきている、ストーンしている信太を置いて恵慈は車を飛び降りた、人影に駆け寄ると地べたに座り込んでゲロを吐いている、「ヤッバ、マジで」。おずおずと恵慈が人影に近づくこうとすると信太が車から飛び出してきた「運べ運べ」いいながら人影を抱えてわめく、恵慈はその人影があの女であることを運んでいる途中に気がついた。

 堀江から離れて高架下に向かう車内は静まり返っている、昨日やっと届いた紺のゴルフ、届く前の日から信太は寝ずの番をして待っていた。恵慈はひざに女を寝かせながらそんなことを考えていた、信太は真直ぐ前を向いてハンドルを握っている、高速に入って行くようだ。
   「おいどこ行くねん・・・、なあて」
   「わからん」
高速の赤黄色い照明が止めど無く流れてゆく、信太がカーステレオをつけた、ラジオから「what's going on]が流れる、突然女がガバリと起き上がった、恵慈が泡を喰っていると女はきょろきょろしている、次の瞬間女は奇声をあげて暴れだした、ゴルフのタイアのbpmが変わる、恵慈は女を抱きとめて押さえた。
   「だいじょぶやから、今から病院行くから、おい、高速おりろ」
女は恵慈の顔を見て我にかえってぼぉとしている、信太は滝のように汗をかいてタイアのbpmを落として高速から降りた、ゴルフを止めてコンビニで落ち着く。
   「だいじょぶか、痛い所ないか」
女は首を振ってぼおぉとしている、信太が水を買って帰ってきた、まだ興奮が醒めていないらしく小刻みに震えている、恵慈は女に水を渡して
一息つかせて自分も落ち着いた、少しの間街を流した後に女が口を開いた。
   「なあ、あたしのこと覚えてる?」
   「ああ、おぼえてるよ」
   「ほんまに・・・、よかったぁ」
そう言うと女は屈託なく微笑んだ、二人のやり取りを聞いていた信太がたまらず口を挟んでくる。
   「おまえら知り合いなんか?」
   「ああ、こないだ梅田で知り合った」
   「何やさき言えや、ごめんなぁほんまに」
   「ごめんなやあるかい」
けろっと落ち着きを取り戻した信太は急に口を開きだして止まらない、女のほうも平気でけらけら笑っている、恵慈はなんとも不可思議な空気を持っているこの女は何だとその顔を眺めた。
   「おまえ体だいじょぶか、さっき吐いとったやろ」
   「大丈夫、さっきまで呑んでてん、ほんで酔い覚ましに
    散歩しててん」
   「そうか、病院いかんでもええんか」
   「大丈夫、それよりどっか連れてってよ」
   「はあぁ、お前いよいよ頭打ったんちゃうか、ふつう自分のこと    
    轢いた奴らとそんなんありえへんぞ」
   「そんなんどうでもええやん、それからあたしの名前覚えてる、
    あんた」
   「えっ、おぼえてるよ」
恵慈は目が泳いでいる、言うが速いか女の平手が恵慈を張り倒す、信太はゲラゲラ笑ってそれを見ている。
 

 恵慈と信太は「小春」と名乗る女と三人で海へ行く事に決めた、コンビニで買い込んだ氷結果汁を呑みながら小春は上機嫌である、信太はすっかりいつもの調子で頭の悪いことばかり言っている、恵慈はなかば呆れて極生を開けた。紺のゴルフは海に向かって走ってゆく、街の風景が変わってゆく、台風はますます近づいて来ているようでさっきから車体が流される。誰もいない道をゴルフが走り抜けて行く、嵐の中でひときわにぎやかにひたすら海に向けて走る、そこに何かがあるわけでは無い、あるのは海だけだ。
   「なあ、海いって何すんの」
 恵慈は何の気なしにつぶやいた、それを聞いて信太と小春はなんとも答えない、うそ寒い空気が車内を占める。
   「あんた何ゆうてんの、何があっても無くてもええやん
    無ければ作りよ、楽しいことなんか誰もくれへんわ」
小春に一喝されて恵慈はぐうの音もでない、信太はそのとうりだと言って小春に激しく同意している。いよいよ嵐は本物になってきた、風と雨が逆巻いて踊り狂っている、信太はハンドルを器用に取りまわしながら
浜辺の近くに車を止めた。真っ暗な空と海が化物じみた音をたてていきり立っている、小春はTシャツの端を結ぶと車の外に飛び出した、波が
防波堤にまで叩き付けられてくるのを見て恵慈は小春の後を追った。
外に出ると風で真直ぐ歩くこともできず雨で溺れそうになる、やっとの思いで街灯にしがみついている小春を見つけた。
   「おまえあほか、死ぬぞ」
必死で叱りつける恵慈に向かって小春はにっこり微笑んで海に向かって指差した、テトラポットの向こうにいくつもの竜巻きが海を巻き上げて
空に昇ってゆく、雨と風の中でにじむ街灯の光が二人を照らして揺れている。恵慈は小春が吹き飛んでいかないようにしっかりと抱えて街灯につかまった、もはや戻ることもできない。
   「なあ、恐いなぁ、どっかに飛ばされそう」
   「飛ばされそうじゃなくて飛ばされるって、しっかりつかまれ」
   「大丈夫、あたしがまもったるから」
恵慈は腕から力が抜ける思いがした、それからどのぐらい時間がたったのか、十分か一時間か、突然嵐が収まり辺りに静寂が訪れた、びしょ濡れのぐたぐたになった二人はその場に座り込んだ、夜空には雲一つ無く波は穏やかに潮騒を奏でている。恵慈はもはや立ち上がる気力も無くやたらに輝く月と星を呆然と仰ぎ見ていた、小春は恵慈に寄り添っていっしょに空を見ている。
   「な、大丈夫やったやろ、あたしが護るって言ったやん」
   「はあぁ、何ゆうてんねん、こっちは死ぬ思いやってんぞ」
   「でもあたしがおったから必死になれたやろ」       
薄明るい街灯と月明かりの下で恵慈は小春の前髪が伸びていることに気がついた、二人の後ろからゴルフがクラクションを鳴らす、信太がタバコを吸いながら降りてきた、三人は静かな浜辺に裸足でおりて漁師小屋で火を焚いた。小春が寝息をたてる頃、朝焼けが黄金の道を海にかけて昇ってきた。

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