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クトゥルー神話創作小説同盟コミュの陽神里奇譚?太陽神の堕ちた里(第三回)

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 ザアアティス?その単語は聞き覚えがあった。確か先程の大祭の時に祝詞の中で幾度も出て来ていた。
 「ええと、つまり天之日降神(アメノヒフリノカミ)の本名はザアアティスと・・・」「姉がアマム・テラルス、妹がザアアティスです」と、晶子さんは如何にも言い慣れている様子で答えてくれる。「何処の神様なんです?日本じゃないですよね」と問うと、彼女は今度は首を傾げてよく判らぬと答えた。只、ズーダラと言う女性が書いたとされる書物の内容の一部が口伝で一族に残っていたのだと言う。「勿論、元は日本語では無かった筈です。誰が、何時、訳したのかは知りませんが、一族が朝廷に仕える前だったのか後だったのかも判りませんが、兎に角、そこには多くの神々の事が伝えられていました」
晶子さんは、そこで言葉を切ると別な絵を指差した。古代の、飛鳥とかそれ以前の時代と思しき服装に髪型の人々が、反身が無く真っ直ぐな剣を、刃の下の方がそのまま細い握りの部分となりその根元が環の形になった、確か環頭大刀と呼ばれる剣で戦い合っている。天には大きな雲がかかり、その中に幾つもの球状の光が見えている。光は様々な色をしていて赤もあれば青もあり、と言った具合だった。「わたしたちの一族の神です」と彼女は言うが、戦の絵にしか見えず、わたしはタイトルを読んだ。“神前”とある。神の眼の前で戦争をしていると言う事なのだろうか?もう一度、絵を眺めてわたしは不意に気付いた。「この雲の中の光が神々なのですか?」「神々ではなくて神です。夜神様とおっしゃって、一族の神なのです」間違い無かった。闇島で小夜さんが巫女をしている鍵守神社と言う所に祀られていた神様だ。矢張り晶子さんは、先程ニュースで訃報が伝えられた夜部三郎さんと同じ一族なのだ。そこで、鍵守神社の事を話すと、そう言えば島へ渡った一族は彼等の神を祀る役目だったらしいと教えてくれた。すると小夜さんたちの祖先は、鍵守神社の創建と維持が使命だったと言う事か!しかし雲の中に居るこの神は一体どのような姿をしているのだろうか?矢張り異形なのだろうか。そう想ってわたしは“怒りの妹”に視線を戻した。まるで怪獣だ。そう想って眺めるうち、ふと湧いた疑問に頭を悩ませ、晶子さんに訊ねてみた。アマム・テラルスとザアアティスの名前は祝詞にもあったからそうだと判るが、ザアアティスがこう言う姿だとどうして判ったのかと。すると晶子さんは、にっこりと笑って「スケッチしましたから」と答えた。
 その後、晶子さんと色々話し込んでしまい、気付くと宿の夕食の時間になっていた。慌ててその事を彼女に話して宿に戻ろうとすると、何処に泊まっているのかと訊かれて神降荘だと答えると一寸待ってと言って、晶子さんは携帯で宿の主人にわたしが少し遅くなると連絡を入れてくれた。それから、今夜は黒陽(こくよう)寺で昼夜通しての祭があるので行く予定なのだが、わたとも来てみないかと誘われた。流石にこの時間になると、わたしも疲労を感じ始めていたのだが、折角の誘いなので夕食後に行ってみる事にした。
 晶子さんに落ち合う場所を指示されて外へ出ると意外に冷えていなかった。それどころかコートを纏って急ぎ足でいると汗ばんでくるぐらいだった。最初は中で暖房に身体を芯から暖められたせいかと想ったが、どうも実際に辺りの気温が高いようだった。頬に当たる風が全然冷たくないからだ。
 そんな事を考えながら急ぎ足で歩くうち、わたしの鼻に再びあの異臭が感じられた。何?辺りは真っ暗だった。向こうに街灯の明かりが見えているが、街灯はぽつりぽつりとしか無く、丁度その辺りは街灯と街灯の間の真っ暗な所だった。物音はしていなかった。だが、気配はしていた。眼の前の真っ暗闇に何かが潜んでいるのだ。これは、そいつの臭いだ。そう想った瞬間、臭いが強くなった。近付いて来る?わたしは想わず後ずさった。その時だった。誰かが砂を蹴って歩いて来る音がし、不意に臭いが消えた。「大丈夫ですか?」と声がして正面に古びた男物の黒いトンビを纏った女性の姿が現れた。その顔を見て、わたしは、アッ、と想った。先程、神降神社の社務所で色々と教えてくれた人だ。だが、「先程はありがとうございました」と言うと、その女性はきょとんとしていた。それで先程の事を話すと「ああ、それは姉です」とその女性は笑って答えた。「よく間違われるんですよ。観光客の方ですか?」と彼女は気さくな様子で言う。それでわたしは神降荘に泊まっている事、夜辺晶子さんと知り合った事、彼女と後で黒陽寺で会う約束をしている事などを話した。すると、「黒陽寺なら大丈夫でしょう。それでは一応お気を付けて」とだけ言い置いて、彼女は行ってしまった。その時、行き過ぎる彼女の足元を見て、わたしは、おやと想った。白足袋に草履だった。それで判った。おそらく彼女もあそこの巫女さんなのだろう。ところが何かで外出の用が出来、防寒着としてトンビを纏って来たのだ。トンビは袖が無いので巫女さんの格好のまま着る事か出来るし、それに全身をすっぽり包むからあそこの巫女さんが歩いているとは誰も気付かぬと言う訳だ。
 それにしても、一体、何が大丈夫で、何に一応気を付けねばならぬのか。
 宿に戻ると夕食の用意が出来てますと言われ、部屋に戻らず、わたしは食堂に向かった。食堂に足を踏み入れようとした時、丁度、中から誰かが出て来るところだった。若い男性だった。しかも見覚えがあった。天陽神社の本殿と郷土館で見かけた人だった。観光客だろうと想っていたのだが、此処の泊まり客だったのか。
 彼もわたしに気付いたらしかった。「先程、天陽神社と郷土館でお見かけしましたね」と彼の方から声をかけて来た。実に爽やかな笑顔で。間近にその顔を見て美しいと想った。美青年と言っても過言では無いだろう。身体が熱くなるのが感じられた。
 「今夜、何処かへお出かけになるのでしたら、気を付けた方が良いですよ」彼はそれだけ言うと、さっさと行ってしまった。それにしても又だ。一体、何に気を付けろと言うのか。会う人毎に気を付けるよう忠告はされるのだが、何に気を付ければ良いのか肝心な事は教えてくれぬのだ。
 わたしはため息を吐くと食堂に入った。中には夫婦かアベックらしい若い男女の二人組と、今の男性程ではないが整った顔立ちの若い男性二人組、それに十四、五歳くらいの女の子と十二、三歳くらいの男の子の居る家族連れが食事の真っ最中だった。幾つかの卓には既に食事を終えた後があった。わたしは、卓の上に眼を這わせた。自分の部屋の番号が書かれた札を探す積もりだったのだが、どうやらその必要も無かった。食事の用意がセットされたままで空いている席は一つしか無かった。
 品の無い話だが、ご馳走を見るとお腹が鳴った。温かいご飯と味噌汁を奥さんが運んで来てくれて、わたしは食事に取り掛かった。味噌汁は白味噌で、蟹が入っていた。沢蟹らしい。身は結構引き締まっていて、中々コクがあって美味しかった。味噌汁にも沢蟹の味が染み出していて、こちらも美味しかった。次に燻製の川魚とハムをつまんでご飯のかずにする。皿は幾つかセットされているので、もっとおかずが出て来るのだろうが、川魚とハムだけで一膳食べてしまい、お代わりを貰ったところでお肉が出て来た。ラムだと言う。細切れの肉に黒胡椒と塩をかけ、細かく輪切りにしたグリーンアスパラと一緒に炒めたもので羊の臭みがまるで感じられずお蔭でご飯が進み、わたしはすぐに三杯目をお代わりした。三杯目のお代わりをした時には、天ぷらが出て来た。鯰にぜんまいにキノコにふきのとうにタラの芽。みな美味だった。只、ふきのとうやタラの芽は春のものだと想ったのだが、温室栽培でもしているのだろうか?結局、その後、芋と野菜の温かい煮付けが出て、漬物も又、ご飯が進んでしまい、まる四杯もご飯を食べてしまった。下手をするとダイエットの必要があるかも、と想ったところで、本当に必要があるかな、とも想ってしまった。わたしをスリムに見せねばならぬ男性は、今のところ何処にも見当たらぬのだ。そこで、ふと、先程の男の事が想い出され、わたしは再び身体を熱くした。それでも、わたしは冷静だった。これは恋愛感情ではない。単なる性欲だ。
想えば恋人らしき存在と最後にデートしたのは何年前だっただろう。中学の頃から、幾度、出会いと別れを繰り返して来た事だろう。わたしは声をかけ易いのか、割と簡単に男が出来る方だった。いや、女性に言い寄られた事もある。いずれもわたしは拒まなかった。断るのが面倒で付き合ったと言う感覚なのだが、セックスに関しても生理的に受け付けぬ相手でなければ、承諾した。と言うより、生理的に受け付けぬ相手以外は交際を申し込まれれば年齢性別を問わず承諾していたのだ。お蔭で、わたしは対象範囲の広い女だと周囲で噂されていたみたいだ。と、こう書くと仕方無しに付き合っていたように見えるが、わたしはそれなりに楽しんではいた。わたしは見知らぬ場所へ行ったり、見知らぬ物事を見て聞いて体験する事が好きだった。初めて見る飲食物は何でも口にしたがったし、そう言う意味では付き合う男女とは一度はセックスをしてみたいと願う方だった。だから、わたしに交際を申し込みながらセックスしようとしない相手には、こちらから持ちかけた。中には、そんな人だと想わなかったと泣いて逃げ出す男性も居たのだが、彼がどうしてそう言う反応を示したのかは未だに判らず、多分、男から誘うものであって自分から誘う女はロクでも無い女だと言う偏見でもあったのだろう。しかし、わたしは決して性欲が強い訳ではない。その証拠に、此処暫くは身体が熱くなる事は無かったのだ。それでも、そろそろガス抜きの男が必要になって来たのかも知れぬ。いや、男でなくても良いし、一番てっとり早いのは自分でする事なのだが、生憎、そう言う気も起きない。雑誌などを読んでいると自分の理想の男性を想い浮かべてとか、好きな歌手のコンサートビデオを見ながらと書かれていたりするが、わたしには理想の男性も、情欲をかき立てられるような歌手も居なかった。性的欲求の解消については、後でまた考える事にしようと想いながら、わたしはデザートの甘い寒天を木のスプーンで掬って食べた。さっぱりとした甘さで、中に砂糖漬けの花が入っている。その後、お茶を啜ってわたしは立ち上がった。そろそろ黒陽寺へ行く時間だ。
食堂を出る時、先程の男性の顔が再び想い出された。しかし今度は身体が熱くなる事は無かった。次に行くお寺の事、そこで会う晶子さんの事などか頭を占めていたからだ。
取り敢えず、欲求の解消については彼も可能性の一つではあるな、とわたしは想った。だが、彼でなくても勿論構わぬ。わたしの脳裏にはもう一人、可能性のある人物が浮かんでいた。晶子さんだった。
黒陽寺は宿から役場に向かって少し行った所にあった。この辺りは村の中心地だが実際は戦後になってから開けた所だそうで、昔はこの黒陽寺しか無い荒れた場所だったと言う。
晶子さんは既に先に来て待っていた。先刻は気付かなかったが、何処か蟲惑的な色気のようなものを感じさせる人だ。わたしは気さくに笑う彼女の笑顔を見ながらそう想った。
それにしても、晶子さんと待ち合わせていたのは黒陽寺の門の所だったのだが、大型のトラックが真下ですれ違えそうな程、大きな門だった。しかも割合新しい。それでも戦時中の事だと言う。何でも日本の勝利を祈願してとの理由でこの辺りの寺社の設備を整えたり修復したりしていたらしい。門の右の柱には大きく”陽神里大黒”と大きく書かれた板が貼り付けられていた。
檀家の人たちなのか、それとも、只やって来た地元の人たちなのか、神降神社の境内程ではないが、割と人が多い。露天も幾つか出ていたが、主として酒か食べ物むで、流石に玩具を売ったりゲームをやらせたりと言ったお店は見当たらず、りんご飴や綿飴と言ったものも見られなかった。矢張りお寺のお祭と言うものは、活気はあっても何処か地味に感じられるものだと、わたしは想った。
左右を巨大な仁王像が守っている門を潜ると敷地もまた広かった。石灯籠の灯りが周囲を照らしているが、覗き込むと太い蝋燭があった。よくある蝋燭の臭いではなく、香料の香りのように強くは無いが、何処か心地良い香りがうっすらとしている。もしかしたら蜜蝋を使っているのではないだろうか、とわたしは想い当たった。
境内のあちこちに観世音菩薩様とか地蔵菩薩様の像が見える。一応、真言宗のお寺なのだと言う。「あ、立川流じゃありませんよ」と笑いながら晶子さんは言う。わたしの理解している範囲では、立川流は性の快楽に依る喜悦こそ法悦であるとしたもので邪教とされたと言うものだが、指導者が南朝側に付いていたと言うので、それもあって北朝側に付いたお坊さんたちに潰されて、その理由として邪教扱いされたのではないかと想っている。実際、本当にみんなの前でセックスしたりしていたのかは知らぬが、もしそんな儀式を本当にしていたのならば、見てみたいとは想う。してみたいとは想わぬが。
ところで、奥の方へ足を運んでみて、何で晶子さんがわざわざ立川流じゃありませんと言ったのか判った気がした。広い敷地の中にお堂のようなものが幾つかあるのだが、正面に一際大きくそびえるお堂があって結構人が出入りしている。正面の大きな扉は閉ざされたままで、横の小さな扉から、みな出入りしている。そこを潜った途端、十一面観世音菩薩像にお出迎えされた。像容は二本の腕、顔の上の周囲に小さな顔が合わせて十、頭頂部に一つと普通なのだが、只、裸でしかもふくよかな女性の姿をしている。股間の秘めた部分迄、彫られ、乳房は羨ましくなるくらい丸く形良く、そこは羨ましくはないが女のわたしですら想わず眼を奪われる程、大きかった。石の像だったが、もし肌色に塗られていたら猥褻物扱いされたのではなかろうか、とわたしは想った。
お堂の中は明るかった。天井にも照明があるが、灯篭の形をした水銀灯が堂内各地に配置されていて、煌々と空間を照らし出している。それこそ床の上のシミや梁のむ黒ずみ迄判る程に。
お堂の中央には男女の交合仏があった。高さは二メートル以上ありそうだった。前にチベットの交合仏の写真を見た事があったが、ああいうものとは完全に違った。どう見ても日本人の男女なのだ。それも少年と少女と言ったところだ。両方共全裸で、少女は右の脚を少年の腰に絡みつかせ、その脚を少年は左腕で自分の腰に引き寄せている。少年の方が顔半分くらい少女より背丈があり、見下ろす形だった。そして両方共美しい顔立ちをしていて、実に艶かしい表情を浮かべている。眉根を寄せ口を半開きにし、下を向く少年の眼はやや伏せられていて、口から覗いて見える歯まで掘り込まれていた。少女の方はと言うと口の端から舌が覗いて見え、半眼に見上げる顔は快楽に朦朧としているようにも見えた。その時、わたしは少年と小女の手の形に気付いた。これは印契だ。よく、仏像たちの両手がその仏像毎に独特の仕草を見せているが、それには何やら意味があるのだと言う。すると、この二体は矢張り仏像なのか。そう想って見ると、少年の額から小さく象の頭が、掌に収まるくらいの大きさの頭が、突き出している。一方、少女の方はよく見ると髪の中に髪飾りのようなものがあるのだが、それが、みな人の顔の形をしているのだ。せいぜいカブトムシくらいの大きさで気付きにくいが正面に三つ、右に三つ、左に三つ、後ろに一つ、そして頭のてっぺんに一つ突き出していて、数えると全部で十一ある。みな、少女の顔で、それぞれ怒ったり笑ったり牙を剥き出したり異なる表情を見せている。判った。少年と少女の正体が。少年はシヴァの息子のガネーシャ、つまり大聖歓喜天、少女はエーカーダシャムカ、つまり十一面観世音菩薩だ。確かにこれを見れば誰でも立川流と想うだろう。立川流の本尊は大聖歓喜天だが、女神を祀る事もありその女神の正体こそ十一面観世音菩薩だからだ。暴れる大聖歓喜天をなだめる為に十一面観世音菩薩が女に化身して交わったとされているそうだ。いや、何処かで立ったまま交合している象頭人身の男女の絵を博物館か何かで見て近くに居た館員に訊ねたら、そう教えてくれたのだ。但し、その絵の中で十一面観世音菩薩が化身したのは、大聖歓喜天と同じ象頭人身の女神だったのだが、実際に歓喜天とか大聖天と言って観世音菩薩風の女神像が祀られている事もあり、結局、それらはみなエーカーダシャムカ、十一面観世音菩薩なのだ。
それにしても実に写実的な像だった。晶子さんが言うには、江戸時代末期か明治に入ってのものらしいとの事だったが、淫祀邪教の類として、よく取り締まられになかったものだ。わたしがそう言うと、晶子さんは笑って、此処では取り締まる側の人もこのお寺にお参りに来ているのよと言う。地元の信仰は官憲より強し、と言う事なのだろう。シャッターを切る音が時折している。もっと写真を撮る人が多いかと想ったが、そうでもないようだった。考えてみれば地元の人が大半なのだ。此処で写真を撮るのは、里帰りしていた人たちか観光客むくらいだろう、と想ったら、晶子さんの話では、毎年、この前で男女交合像と一緒に撮影をする夫婦も少なくないのだと言う。言っているそばから、わたしもかなり年配の夫婦に頼まれてカメラのシャッターを押した。その夫婦から礼を言われてなるほど、と想っていると、後ろから声をかけられて、又、写真を頼まれた。見ると宿のマスター夫婦だった。
マスター夫婦は、”今年の撮影”を終えてから本堂へ行くと言って、奥の方へ去って行った。晶子さんの方を振り向くと誰かと話している。確か、天陽神社で本殿の中に居たお年寄りの一人だ。この分では、あの村長さんも来ているかも知れない。と想った途端に誰かが背中にぶつかり、よろめいて振り返ったわたしの眼に茶色のトンビの後ろ姿が、そして振り向いた女性の顔が映った。
「あ、すみません。大丈夫でしたか?」そう言う女性の顔は、よく知った顔だった。しかし挨拶しかけて、一瞬、わたしは躊躇した。それで「あ、先程はどうも、ええと、お姉さんの方ですか?それとも妹さん?」と言う変な挨拶になってしまった。すると彼女は、くすりと笑って「姉と妹にお会いになったんですね?わたしは真ん中なんです。初めまして、二番目の神蔵たけです」と言う。三人姉妹だったのか!そこで、わたしも名乗って改めて挨拶した。そう言えば自分の名を告げたのは、三人の中ではこの人が初めてではなかろうか。そこへ晶子さんも戻って来て、二人共、親しげに挨拶を交わした。わたしは、神蔵たけと名乗った女性に、今日、どう言う風にお姉さんと妹さんにお会いしたかを話した。そこで、たけさんと晶子さんから色々教えられて、わたしは驚いてしまった。先ず、お姉さんだが神降神社の禰宜だと言う。あの神社の副代表なのだそうだ。そして妹さんのうめさんが宮司、つまり、あの神社の代表なのだそうだ。で、たけさんは権禰宜、つまり、あの神社の、只の一員なのだと、たけさんは楽しそうに語ってくれた。あの神社は正式なメンバーは彼女たち三人だけで、只、正月や祭の時だけは地元の人たち、ナニナニ講と言う組合のようなものが幾つかあって、その人たちが手伝ってくれるのだそうだ。結局、あの敷地が広く縁日の露店と参拝客で賑わう神社は姉妹三人でやっており、末の妹が経営者で一番上の姉が副経営者、真ん中が従業員と言う事らしい。だが、何故、長女ではなく末の妹が経営を?と想ったら、「元々この辺りは、昔は、女が、それも一番最後に生まれた娘が家を継ぐ習慣がありました」と、たけさんは言う。そうだったのか!とわたしが驚いていると、「と言うのを口実に、妹さんに全部押し付けてしまったのですよね」と横合いから晶子さんが言った。途端にたけさんは「だって、接待したりされたりだけでも大変なんですよ」と口を尖らせる。
なあんだ、と、わたしはおかしくなった。おそらく神社の代表など面倒以外の何物でも無いのだろう。長女も次女も責任を果たさねばならぬ席に就きたくなかっただけなのだ。たけさんは、自分が一番逃げ上手だったと自慢した。そうか、只の従業員と言うのが、一番美味しい地位なのか。
たけさんが本堂へ行くと言うので、わたしと晶子さんも一緒に行く事にした。本堂は如何にも古びた建物で、それ程大きくはなく、真上から見れば六角形なのだと言う。開いた扉からは、丁度、男の人が出て来るところだった。すれ違う時、その男の人に何処か見覚えがある気がした。神降神社で見かけたのだろうか。あの時は、沢山の人だったから、一々覚えてはいなかったのだが。
本堂の中は扉を潜ると履物を脱いで階段を上がるようになっていて、つい先程の天陽神社での大祭を想い出した。そこで気付いた。想い出した。今、すれ違った人は、此処から出て来た男性は、天陽神社の宮司さんだ。そこで、たけさんにその事を言うと、「ああ、そうですね」と答え、晶子さんも「谷部(やべ)さん、熱心だから」と言う。谷部一郎さんと言うのだそうだが、元旦のうちに一通りの寺社を詣でるのだそうだ。少年時代からお寺や神社が好きで、元旦中に地元の寺社を一回り詣でるのは、若い頃からしていたらしい。そこを天陽神社の先代宮司に見込まれて婿養子に選ばれたのだと言う。人間、何をどう見込まれるか判ったものではない。もっとも、それで幸せとは限らない。先代宮司の一人娘は美人で気立ての良い評判の巫女さんで、宮司を目指して勉強中だったそうだが、神降神社で挙式を上げる事が決まって半年後、式の一ヶ月前に彼女は亡くなってしまったのだそうだ。風邪から肺炎を併発し、町の病院へ担ぎ込まれた時には、もう呼吸が殆ど出来なくなっていたらしい。それでも、彼は婚約者の遺志を果たそうと勉強して今は自分が天陽神社の宮司を努めているのだそうだ。その話を聞いて、わたしは少し感動してしまった。
だが、その感動も、正面を見上げた途端、吹き飛んでしまった。
「流石に驚いたみたいね」と、晶子さんに言われて、わたしはその場に立ち竦んでいた自分に気付いた。しかし、誰だって、こんな物がお寺の中に立っていたら、驚くのではないだろうか。わたしが見上げていた物、それは一言で言うなら悪魔の像、いや、悪魔みたいな像だった。頭は山羊だった。しかも黒い。顔は普通の観世音菩薩、或いは多羅菩薩、大勢至菩薩などとは違って明王みたいな憤怒相だ。いや、馬頭観音も憤怒の表情だから馬が黒山羊になった馬頭観音と表現すれば良いだろうか。もっとも馬頭観音も本来は明王なのだと言われ、実際、馬頭明王と呼ばれる事もあるのだから、そうすると、これも明王なのだろうか。しかし胸には沢山の乳房が見える。顔や腕が沢山と言うのは珍しくないが、沢山の乳房と言うのは初めてだ。一体、これは何なのだろう。「黒羊(こくよう)観音よ」と、たけさんが言う。では、矢張り出自は馬頭観音と同じく明王なのではないだろうか。他にも孔雀観音と言うのがおそらく孔雀明王なのだろうし、観世音菩薩でなくてもナニナニ観音とされている例は少なくない。その事を口にすると、晶子さんとたけさんは顔を見合わせて、判らないと答えた。それにしても脇侍が凄い。向かって右に十一面観音、左に千住千眼観音が居る。
堂内に眼を向けると、成るほど、六角形になっている。六十度の角が六つあり、それぞれの角を六つの壁が繋いでいる。うち一つが、今、わたしたちが入って来た出入り口だ。残る五つの壁には、それぞれ一対の仏像が置かれていた。
晶子さんは、この寺の名前はこの仏像から来ているのだと教えてくれた。つまり黒羊の“羊”と言う字を“陽”に変えたのだと言う。わたしは、ふと、気付いて訊ねてみた。梵語では何と言う名前なのかと。すると晶子さんは梵語ではないと想うが、と前置きして教えてくれた。「シュブ・ニグラス」と。

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