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クトゥルー神話創作小説同盟コミュの陽神里奇譚?太陽神の堕ちた里(第二回)

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 神降神社は神降山を超える行き方と迂回して行く行き方とがある。わたしは北周りに迂回してみたのだが、正直、失敗だった。途中で湿地帯にぶつかってしまい、それ以上東へ行けなくなってしまったのだ。後で知ったのだが、神降山を迂回するならば南へ周らねばならなかったのだ。正面に拡がる沼地のすぐ向こうにそれらしき鳥居と社が見えていると言うのに諦めざるを得ず、わたしはきびすを返そうとして待てよと想い右手の神降山を眺めた。四方向から頂上に向かって道が延びているのだ。わたしは北の道を上がると東の道を降りて行った。
 少し行くと向こうに大きな鳥居が、その下に縁日の露店が、沢山出ているのが見えて来た。驚いた事に露天の数は半端ではない。手前から向こうに、バナナチョコレート、あんず飴、ホットドッグ、ドネルケバブ、焼きそば、鶏の唐揚、おでん、お好み焼き、サブマリンサンドイッチ、べっこう飴、牛の一口ステーキ、焼き鳥、ベビーカステラ、焼きイカ、今川焼き、焼き餅、たこ焼、もつ煮、ちぢみ、鯛焼き、などと言った食べ物類の他、お面、ヨーヨー釣り、スーパーボール釣り、水鉄砲や人形などの玩具類、射的、達磨や暦帖などの縁起物、様々な店が参道にひしめき合っている。熱気もかなりのものだった。露天に近付くとそれだけで暑さを感じるのだ。通りに雪は見られなかったが、もし雪が降り積もっていたら熱気で溶けて参道を泥濘(ぬかるみ)に変えてしまっていた事だろう。調理器具を使っているお店だけでなく、お面やヨーヨー釣りなどのお店も暑かった。良く見ると露天の中にストーブがある。大抵は赤外線を出すタイプだが、中には温風ヒーターを使っている露天もあった。それで温められた空気が露天から上空へ上昇して行く際、通りかかったわたしにぶつかり、熱気として感じられるのだ。しかし、かなり電気を喰うだろうと想うのだが、そう言えば発電機も見えぬ。代わってそれぞれの露天の下には太いケーブルが神社の方に向かって伸びており、どうやら何処からか電気を引いて来ているらしい。
 参道の正面にそびえる大きな鳥居を潜るとそこはもう神社の境内だった。神社の境内は、かなり広かった。縁日の露天の数も相当なものだった。参道どころの比ではない。前に川崎大師とか鎌倉の鶴岡八幡宮にお祭りの日に行った事があったが、丁度そんな感じだった。この辺りの人口がどのくらいなのかは知らぬが、外から来る参拝客もそれ程多いとは想われず、これはどうした事なのだろう、とわたしは首を傾げてしまった。だが、見ていると参拝客の数はかなりの人数に上るようだった。かなりと言っても朝夕の新宿駅の構内や休日の渋谷の駅前程ではないし、前述の川崎大師や鶴岡八幡宮程ではない。何より参拝客の行列が見られぬ。やって来た人たちは、参拝するより寧ろ境内のあちこちで臨時に設けられたような休憩所の細長い板に脚を付けただけのベンチに腰かけたり、パイプ椅子に座ったり、或いは立ったままでお互いに何やら話し込んでいる。服装年齢性別に関わり無くだ。聞くとは無しに聞いてしまえる会話から察するに、旧交を温め合っている感じだった。それで大体見当が付いた。この人たちは此処の出身者なのだ。今は外で暮らしている人たちが戻って来ているのだ。しかし此処にそんなに宿の数はあっただろうか?いや、おそらく、みな家族や親戚知人の所に泊まり込んでいるのだろう。おそらく今日は此処の臨時人口は、いつもの何倍にも膨れ上がっているのに違いなかった。
 境内には舞台のようなものもしつらえられていて、丁度、黒子の姿の人物が二体の操り人形を同時に操り、その横で矢張り黒子の姿に顔だけ出した男性が口上を述べている。良く聞いていると口上と言うより二人の人物のセリフだった。どうやら漫才になっているらしかった。
 境内は広いものの本殿と社務所、それに売店を兼ねた休憩所とトイレがあるくらいで建築物が殆ど無く、その分、縁日の露店や出し物が数多く軒を並べていられるようだった。
 本殿は行列は無いと言っても参拝の人が途切れる様子はなく、賑わっていた。かなり歴史のありそうな本殿だった。神の名はそこには無かった。もしかしてと想い、境内と参道の境を守る鳥居の所に行ってみると鳥居の下に“天之産巣日神”と書かれた大きな板があった。通りかかった人に訊ねてみると“アメノムスビノカミ”と読むのだと判った。ところで、わたしは御来光を毎年拝むようになってから併せて各地の神社にも行くようになり、祀られている神々について或る程度は詳しくなっていた。そこの神様の事を何も知らずに拝むよりは知っていて拝みたいと想うようになったからだ。古事記も幾度も読も直している。だが、この神の名は初めて見た。わたしに読み方を教えてくれた人は「この世界をお作りになった神様らしいですよ」と教えてくれた。すると古事記に出ている造化神の一柱なのだろうか。
 社務所に行くと、綺麗だが年若い巫女さんが少々のお守りや破魔矢の前で暇そうにしていたので、声をかけてみた。安全のお守りと破魔矢の小さいのを買うと、おそらく買いに来る人などおらぬと想っていたのだろう。彼女はびっくりした様子で慌てて値札を確認していた。その様子があまりに可愛いらしかったので、わたしは想わず、くすりと笑ってしまった。年は幾つくらいなのだろうか。何処か年齢不詳の感じの女性だった。わたしが、此処の神様について教えて欲しいと言うと、他の人を呼んで来るかと想いきや彼女はすらすらと説明を始めてくれた。
 先ず、この神はこの世界を創造した神であるらしいのだが、物事の理(ことわり)を知らぬ神だと言う。どう言う事かと問うと、して良い事と悪い事の区別がつかず、物の道理が判らぬ神なのだと言う。それでは、神様には失礼だが、まるっきりのバカではないかと言うと、その通りなのだと答が返って来た。それでも世界と神々をお作りになった神であり、神降山に落下して来た太陽神もこの神の娘に当たるのだそうだ。更には芸事の神でもあるのだと言う。此処の神様にお祈りする事で絵や唄や芸事の才能に恵まれるのだとか。それにしても他では聞かぬ神だ。すると巫女さんは「ええ。だって、多分、外来の神様だと想います。バビロニアとかイランとかあちらの方の神様じゃないでしょうか」と言うのだ。と言うのは、この神社には何処の国の言葉とも知れぬ古謡が伝わっているのだと言う。意味は不明で、言葉の感じが、何処となく中近東の言葉を連想させる響きがあるのだそうだ。口伝でのみ伝えられており、神様に対しての子守唄だとも言われているのだとか。「この世界を一人で作られた程のお方なので、下手に自分の作られたものに関心を寄せられると、それだけで世界が壊れてしまうかも知れないのです。それで神様が高みに設けられた玉座から此処へおいでになろうとされると、この古謡で眠さを覚えて頂きお帰り頂こうと言うのです」
 わたしはため息をついた。相当危ない神ではないか。だが、よく考えてみると山の神様なんて、みな一種の魔神だし、考えようによっては実に日本的な神様だ。正義と言う、唱える側にとって都合の良い概念を振りかざす一神教の社会では、悪魔と呼ばれてしまうだろう。だが、日本や南北亜米利加大陸やアジア、アフリカの場合、神々はみな下手に触れると祟りや災いを成す。この神様もそう言ったよくある神々の一つだろうと想い、わたしは納得した。只、神降神社と言いながら何で降って来た神様の方が祀られていないのだろうと言うと、太陽神の方は此処とは神降山を挟んで反対の位置に、この神社より以前から天之日降神(アメノヒフリノカミ)を祀った天陽神社があるのだと言う。確かに地図にはその神社が記載されていたが、そちらの方が古いのだとは知らなかった。後でそちらも行くとしよう。わたしは礼を言って別れると、安心して社殿に行きお参りを済ませた。
 境内から出ようとして、何やら人だかりがしているのに気付いた。行ってみると獅子舞をやっていた。一人が太鼓を叩き、一人が笛を吹き、それに合わせて獅子が踊っている。美事な舞だった。本当に獅子が生きているようで、一人で演じているようだったが、かなり高く飛び上がったり、飛び上がる際に宙で一回転したりとかなりアクロバティックな動きを見せてくれていた。最後は獅子が今年の幸運を祈って頭を噛んでくれるので、みな喜んで噛まれていた。わたしも噛んで貰ったのだが、その時、何処か違和感があった。獅子の歯が木でもプラスチックでも無く、もっと別な何かのように感じられたのだ。それに、まだ何か違っているような気がしていた。すぐには想い当たらなかったのだが、鳥居を潜って参道を歩いている最中に気付いた。獅子に正面から噛まれると言う事は、わたしの正面に、獅子を演じている男性の身体がある事になる。わたしは今迄にも幾度も獅子舞の獅子に頭を噛んで貰っているが、その度に、相手の男性の気配や息遣い、体温、時には体臭や汗の臭い、と言ったものを感じて来た。或いはわたしは神経質に過ぎるのかも知れぬ。友人などは、まるでそう言うものを感じられぬと言うのだ。だが、問題はそこでは無い。日頃、そう言うものを感じるわたしが今回に限り何も感じられなかったのだ。いや、その代わり、頭を噛まれた際、獅子の口の中から何かしら湿り気のようなものを、けれども発汗に依るものとは異なるものを感じてはいた。あれは何だったのだろう?
 ポケットから時計を出すと、わたしは時間を確認した。役所で貰った各寺社の正月行事予定表に依れば三時から天陽神社で降臨大祭となっている。急げば間に合いそうだった。天陽神社は神降山を挟んで神降神社とは反対側にあるのだと言うが、神降神社が神降山の東北に位置しているのに対し東南に位置していると言う事で、神降山の麓を半周せねばならぬ訳ではない。今、来た道を少し戻り幾つ目かの分かれ道で東へ向かえば良いのだ。わたしは急ぎ足で天陽神社へ向かった。
 天陽神社への道は判り易かった。東へ向かう小道へ入ると、すぐに鳥居が眼に入った。しかし小さかった。その向こうを見てわたしは唖然とした。参道だと言うのに縁日の露店が一つも見当たらなかったのだ。これはどうした事なのだろう?
 参道を真っ直ぐ行くと、すぐに今度はもう少し大きめの鳥居と神社が見えて来た。それでも先刻の神降神社と比べると規模は小さく何より参拝客の数がまばらだった。地元の人がごく少数と言った感じで、縁日の露店も無く社務所も閉まっていてお守りとかお札とか破魔矢とか売っている様子も無かった。
 鳥居の正面に見えているのが本殿で、正面の入り口は開け放たれており、横に“降臨大祭”と書かれた看板が見えた。入り口迄行くと“履物を脱いでお入り下さい”とあった。歩き易いように履いていたスニーカーの紐を解いて上がる。ずっと歩きずくめでいたので臭わないか少し気になったが、躊躇していても仕方が無い。 
 中に入ると少数の人々が、並べられた小さな椅子に腰を下ろしていた。矢張り地元の人たちらしい、お年寄りの男女が数人と言ったところだった。会話が弾んでいるようで、どうも観光客はわたし一人らしい。神主さんらしい人や巫女さんたちが奥に出入りしては何やら忙しそうにしている。もっとも、奥の方は手前に布が張られていて良く見えぬのだが。
最前列の中央の辺りが空いていたので、わたしはそこに座った。正面に置かれているのは鏡だった。鏡が置かれているのは珍しくないが、変わっているのは黒い布が被せられている事だ。まるで鏡を封じているかのように。
 疎外感を感じながら、お年寄りたちの話を聞くとはなしに聞いていると、どうやら此処の神様は親神様より危険視されているらしい事が判って来た。天之産日神については、出て来たらお眠り頂きたいが、芸能や芸術に関する才能を恵んでくれる一面があるのに対し、墜落して来た太陽の女神の方は何も得られるものが無く、只、災厄回避の為に祀られているだけらしい。それにしても長年に渡って祀られていながら、此処迄プラス面が無い神様と言うのも珍しいのではないだろうか。魔神の典型とも言うべき菅原道真の怨霊も天神として祀られた後、いつしか学問の神として参拝されるようになった。各地の山の魔神たちにしても、いつしか“災厄を引き起こすのをお止め下さい”から“我々の安全と収穫をお守り下さい”に、果ては“良き収穫をお与え下さい”に変化して行くものだ。なのに、何故、この神様だけが恐れられたままなのだ?
 やがて大祭の開始時刻になった。結局、集まったのは十人くらいだろうか。わたしの後に矢張り地元の人たちらしく中年くらいの人たちと、最後に観光客らしい若い男性が一人。来たのは、それだけだった。そのうち中年の人は役場で地図をコピーして渡してくれた半袖の人だった。お年寄りの一人に村長と呼びかけられているのを聞いて驚いた。彼が村長だったのか!
 入り口の扉が閉められ暗くなり、大祭の開始は宮司さんの挨拶から始まった。眼鏡をかけた人の良さそうな若い宮司さんで、今年も天之日降神が何処かで一年眠っていて頂けるようにお祈りしましょう、さすれば今年も良い年になりますでしょう、との事だった。此処に至って漸くわたしは理解した。親神は降臨して来なければ問題無く寧ろ拝めば利点があるが、この神はおそらく親神同様に危険な存在なのだろう。それが既に降臨してしまっているので、動いて貰っては困るのだろう。と言う事は形としては神社にお祀りしている神様にお祈りしているようだが、現実には封印を繰り返しているようなものではないたろうか。
 宮司さんが上げる祝詞は初めて聞くものだった。いや、初めて耳にする言語だった。どう考えても日本語ではなく、それならば何処の国かと訊ねられると返答に困る、そんな見知らぬ言語だった。何を意味しているかも判らず、それでも耳に残った単語が幾つかあった。“ざああてぃす”と“あまん、てらるす”言う単語が幾度も繰り返され、又、“あざとおす”、“おっここく”と言った単語もしばしば繰り返された。
 大祭が終わる頃、宮司さんは汗だくだった。終わったら此処の神様について訊いてみたかったのだが、見るからに疲労困憊の態で質問するのも気が引け、出直そうと想った。その時だった。宮司さんが奥へ行こうと張られていた布をまくり上げた所で入り口の扉が開かれ、奥がはっきりと見えた。そこは木の床ではなく石造りの床になっていて、上には何かの模様が描かれていた。すぐに幕が下がってしまったので、ほんの一瞬しか見えなかったが、晴明神社で見た星型の印に似ていたように想えた。
 外へ出ると矢張り本殿に居た観光客らしい男性が村長と話しているのが見えた。しかし、わたしが二人に近付いた時には、その男性は村長に軽く一礼して立ち去って行った。村長はわたしの姿を認めると人懐っこそうな笑みを浮かべて「やあ、どうでした。大祭は」と声をかけてくれた。わたしが、もしかしてこの大祭は封印の儀式なのではないかと問うと、村長は少し驚いた顔になり、秘密でも何でも無いからと教えてくれた。墜落した太陽の女神である天之日降神の一柱が、本殿の地下に居るのだと言われているのだそうだ。一柱?わたしが更に問うと、天之日降神は二柱の女神で双子の姉妹なのだと言う。言い伝えでは、温厚な姉と粗暴な妹の姉妹神で、最初は人々に敬われ山頂で崇拝されていたらしい。女神自身がそこに居たので、鳥居だけ建てられ社は作られなかったのだそうだ。だが、やがて人々は暴力的な妹女神に手を焼くようになったのだと言う。そんな時、この少し先にある猫の森に暮らす人々との交流が始まったのだそうだ。彼等は彼等独自の神を崇めており、その神は太陽の女神姉妹を封印出来る神だったのだと言う。人々は猫の森の民に頼んで太陽の姉妹を封印しようとした、封じなければならぬのは妹の方なのだが、姉が妹を救おうとする可能性もあり、人々は双子の姉妹神を一度に封じようとしたのだと言う。だが、結果は最悪だった。どう言う手違いがあったのか、封印されたのは姉だけだったのだ。怒った妹は炎で村を焼き尽くそうとし、そこで猫の森の神と争いになったのだと言う。身体は封じられていたものの魂は自由だった姉も妹に加勢した。どうやら姉妹よりも猫の森の神の方が力は上だったらしく、姉は父とその軍勢、それに多くの兄弟姉妹に助けを求めたと言う。父や兄弟姉妹の多くは、矢張りそれぞれ封印されていたらしい。封印したのは、猫の森の神が属する神々の一族とも神々の一派とも言われているそうだが、一部言い伝えが失われていて、その辺りがはっきりしないと言う。だが、何かしら猫の森の神と関わりがあるらしい。いずれにせよ、姉妹神たちの封印されていた父神や兄弟姉妹は自分たちの一部や魂や配下をこの地に送り込み、猫の森の神を森へ押し戻す事に成功したのだと言う。結局、神々同士の争いはそれが限度だったらしい。すっかり力を失った妹神はそれでも人々には脅威で、又、美しい女人の姿で出現する姉神の魂もそれなりに力を有しており、結局、人々は姉妹神の命じるままに猫の森に侵攻し、そこの民を一人残らず、子供から年寄りから全て殺したのだそうだ。この時、猫の森の民は自分たちの神に祈ったが、姉妹神相手に争った神は、何故か彼等を見殺しにしてしまったと言う。しかし力が弱まったのではない証拠に、猫の森へ自ら侵入を試みた妹神は、その神に依って撃退されたのだとも言う。そして猫の森への侵攻は、この村を発展させるに至った。技術や文化に関しては猫の森の民の方が進んでいたらしいのだが、人々はそれらを持ち帰った。持ち帰り研究して身に付けたのだ。その中に封印を持続させる術式などもあったのだと言う。妹神は幾度も姉神を救おうとしたらしい。そこから人々は姉神を封印し続けていれば妹神の行動も或る程度抑える事が出来ると学び、封印の上に社を建てたのだと言う。今ある本殿は古くなった社を取り壊して新たに建て直したものだったらしい。と言っても建て直しから八百年以上は経過しているそうなのだが。
 姉妹神の封印と言うのは何時の頃だったのかと、わたしは訊いてみた。すると、はっきりはしないが紀元前だろうとの話だった。村長自身は紀元前一千六、七百年と考えているらしかった。と言うのは封印から一千年の時を数えた或る日、姉神の魂が一人の男と接触し、天狗の森の神に男への協力を命じ、男の成そうとしていた事、建国を成功させたとの話が伝えられており、村長はこの男こそ神武天皇に違いないと主張するのだった。
 わたしは、女神が此処に居るのなら、人々が此処に願い事をしに訪れる事は無いのかと訊いてみた。すると、みな女神を恐れていて此処へ来る事は無いのだと言う。願い事に関しては、姉妹に仕える下位の神々や従者が父の神にも仕えていたり、他の社に祀られていたりするので、そちらへ行くのだと言う。特に父である天之産巣日神に祈れば、この姉妹も恐れる大いなる姉・御古々苦比売(オココクヒメ)にも祈りが通じるのだとも言われているのだそうだ。
 だが、これで大体の事は判った。この神社は太陽の女神の崇拝場所と言うより墓なのだ。人々が何かを祈る事は無く、それでこんなに寂しいのだ。
 村長は、此処の神話伝承について知りたいのなら、郷土博物館&美術館があると教えてくれた。今日も開いていると言う。役場と同じ建物で入り口は反対側になるのだそうだ。わたしは礼を言ってその場を立ち去った。
 来た道を戻り出して神降山の真南に来た時だっただろうか。不意に異臭がした。今朝、嗅いだあの臭いだった。近くの茂みで何か物音がしていた。矢張り動物か?だが、物音はそれっきりせず、臭いもいつの間にか消えていた。
 役場に着いた時はもう暗くなっていた。裏に回ると、なるほど“陽神里郷土館”の横長の看板が大きく掲げられていて、その下の方に小さく“郷土博物館”“郷土美術館”“郷土資料館”と書かれた看板も見えている。 
 わたしは中に入ってみた。郷土の画家の作品だろうか。絵が沢山展示されている。その一画に神話を素材にしたと思しき一連の絵画群があった。その中の“怒りの妹”と言うタイトルが付けられた絵の前で、わたしは足を止めた。何だ、これは?わたしは呆然とそこに描かれた物体を凝視した。炎の中に変な物が立っている。そうとしか表現出来無かった。全体は鶏に似ていた。だが、首から上は人間・・・いや猿の上半身のようだった。但し顔は向日葵の花のようで両手の肘から先は烏賊か蛸の触手を思わせるものだった。鶏なら翼のある部分には翼なのか鍵爪なのか判らぬ器官が付いていた。翼だとしてもその先端には大きな三本の爪が備わっている。脚の先は鶏と言うより水鳥に似て水掻きが付いていた。尾は鋭い刃物のようで、先端には蠍のような針が見られた。
 異形の宇宙生物。わたしの頭にはそんな言葉が浮かんでいた。もしかしたら、あの雑誌の記事を書いた人はこの絵を見たのではないだろうか。わたしは、この絵を描いた人から話を聞いてみたくなった。
 その時だった。突然、わたしは自分が一人ではないと気付いた。誰かが居る。展示室の向こうを男性が歩いていた。先刻、天陽神社の本殿で見かけた人物だった。その人物は“資料館→”と書かれた案内板に沿って廊下の向こうに姿を消した。
 わたしは改めて“怒りの妹”に眼をやった。背景には炎があり、そこを良く見ると炎の中に田や畑や家のようなものが見えていた。そして炎の中に鳥や獣や人々の姿があった。おそらくわたしは喰い入るように見つめていたのだろう。ふと視線を感じ振り向くとわたしと同年代らしき女性が立っていた。薄着なので地元の人なのだろう。中々美人なのだが、大きな眼がやや吊り上がり気味で、眼を強調した化粧をすれば悪役か、怪奇映画の魔物か女怪が演じられそうな人だな、と想えた。彼女は絵を見ているのではなかった。視線はわたしに集中していた。彼女の眼は、わたしに向けられていたのだ。
 「その絵に関心がおありですか?」と彼女は言った。やや低めの落ち着いた感じの声だった。わたしがそうだと答えると、その女性は次に自分が作者だと言った。タイトルの所に“夜辺晶子”と作者名が記されている。では、この女性がその人なのか。「それでは、このヤベ・・・」作者名を読み上げようとして、わたしは詰まった。何と読むのだろう?アキコで良いのだろうか?
 「アキコと読みます。ヤベ・アキコです。よろしく」そう言ってその女性は右手を差し出して来る。わたしも右手を出しながら「神楽舞衣です。神楽を舞う衣と書きます。よろしくお願いします。」すると、その女性は、ぱっと顔を輝かせて「素敵なお名前ですね。ではマイさんとお呼びしてよろしいかしら?わたしの事はアキコと呼んで下さい。でも、よくわたしの名字が読めましたね」と言う。そこで、わたしは瀬戸内海の闇島と言う所で“夜部”と書いてヤベと読む家があった事、そこの分家で“夜辺”と書く家もあった事などを説明した。すると晶子さんは、祖先は一緒だと説明してくれた。元々朝廷に仕えていた帰化人の一族で、やがて一部が瀬戸内の方へ移り住んだのだが、都に残っていた一族は滅亡し、僅かな生き残りが各地へ分散し、此処に居る“ヤベ”もそうした子孫だと言うのだ。訊いてみると、彼女の本業は雑誌のカットや書籍のイラスト描きだと言う。“矢部秋子”のペンネームで仕事しているのだそうだ。彼女が絵描きさんと判ったので、わたしは冗談めかして、やっぱり神降神社でお祈りしているのかと訊ねてみた。すると晶子さんは真顔でその通りだと答えた。そして、絵心が無かった自分がイラストレーターとしてデビュー出来たのはアザトース様から才を頂いたからだと語った。アザトース?天之産日神様の事だと言う。そしてアザトースにはアウラニイス、オッココク、トゥーサの三姉妹神、アマム・テラルス(Ammam−Tellars)、ザアアティス(Zaathys)の双子姉妹神、シャンブロウなどの多くの娘が居るのだとも語った。
「これはザアアティスの方です」と晶子さんが指差したのは、“怒りの妹”の中に描かれている向日葵のような鶏のような異形の物体だった。
 

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