ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

クトゥルー神話創作小説同盟コミュの『横たわるはカダスより総てを超ゆる存在(もの)』 中編

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加



  奇異なる悦びを


  無垢なる悦びを


  清廉なる悦びを


  偽らざる悦びを


  それらあまねく悦びを汝が下(もと)に齎(もたら)そう


  悦びに抱かれて夢見るままに来(きた)る日々を


  悦びに包まれてうつろわざるままに来る日々を


  悦びに育まれて誘うままに来る日々を


  それらあまねく日々を汝が下に齎そう


  虚ろな世界の夢


  空ろな世界の夢


  あえかなる世界の夢


  それらが持つ世界が夢を、あまねく世界に渡り続けるモノたる古ぶしき獣が、汝が下に齎そう。

  
  そして――


  それらと共に古ぶしき獣が汝に名状しがたき恐怖を齎そうではないか。


  
  奇異なる悦びが故に――!!!!!



     ――あえかなる世界に風は飄々と吹けど

       
       彼(か)の世界の奥底まで辿り着く事は無く
       
   
       永劫たる眠りより――


       永劫たる夢より――
      

       深き世界より其は目覚めしモノ――




『横たわるはカダスより総てを超ゆる存在(もの)』



 狂える教団“未知なるユゴス”の大神官――ヴァニラ枢機卿が最期に紡いだ其が呪文、其れは古ぶしき獣を呼び覚ます呪文。三千世界に於いて最も力を持つ呪文の一つ。そして、それはヨハネスの心へと確かに染み込んでいた。聖堂に会した狂える者達が齎した異様な空気に中てられたヨハネスは件の呪文をはっきりと自分の意思で耳に聞き入れたはずは無いのだが、こうして――
「あえかなる世界に……風は」とヨハネスが右親指の爪を小さく噛みながら呪文の序段を呟く様からヨハネスは自らが知らぬ内にヴァニラ枢機卿が紡いだ呪文を脳に刷り込んだのだろう。もしくはヴァニラ枢機卿がヨハネスの深層意識に呪文の種を刷り込んだのかも知れぬ。だが、そう考える事も不思議な事ではなく、彼(か)の存在によりて奇跡を承ったヴァニラ枢機卿ならば可能たりえる事象かも知れぬのだ。だが、どちらにしろ、その事をヨハネスが識ることは未来永劫ありえない事だった。ヨハネスとヴァニラ枢機卿が合間見えたのは、これが最初で最期となったのだから。
 ハンスに導かれるままに教団“未知なるユゴス”の集まりに首を差し伸ばし、そして狂える者達が崇拝する狂える大神官たるヴァニラ枢機卿の紡ぐ狂える呪文を流されるままに自らの胸へと抱くヨハネス。本来ならば“未知なるユゴス”が齎す世界はヨハネスにとって関わる事無き世界のはずで、彼が本来、居る場所は地上であり決して地下ではなかった。しかしヨハネスは関わる事の無い世界に奇妙な理を持ってして関わってしまう。それはハンスの差し金か。
 否――それは決してハンスがきっかけではなく。おのが理は――
「………」
 と、ヨハネスがいまだ虚ろで空ろな瞳のまま呪文を喉の奥で反芻しながら、ふらふらと街道を歩いていた時、傍らから突然とヨハネスに声が降りかかる。
「ねぇそこの歩いている君。さっき聖堂にいたよね?ほらあそこの角をまがった先の小さな家の階段の下にある隠者達の聖堂。君、そこで祈りを聞いていたよね?あの御方の御言葉を――」
 声の主はうら若き女性。ヨハネスは前へと踏み出そうとしていた足を止め、声のした方角へと首をゆっくりと動かした。
「ふふ。こんばんは。私の名前はレイラよ。よかったら君の名前も教えてくれる?」
 まずヨハネスの視線に入り込んだのは髪を短く切りそろえたボーイッシュな女性の微笑を湛えた顔。自らをレイラと名乗った、その女性はヨハネスの視線に気づくとニッと人懐っこい笑みを浮かべ親しげにヨハネスへと近づいてきた。微笑を顔に讃えながらレイラは口を開く。
「君、あの聖堂に来たの初めてだよね。“未知なるユゴス”を何処で知ったのかな?」
 だが顔に浮かぶ微笑とはうって変わって、レイラの口から出た言葉は深淵に満ちていた。
すなわち、レイラの言葉通り彼女も“未知なるユゴス”の狂える信者の一人――
 そんな彼女がヨハネスを呼び止めたのは何故か。レイラの顔が湛える人懐っこい笑みには悪意は感じ取る事は出来なかったが人の深層、心の奥底で何を考えているのかを他者からは読み取る事は出来ず、それが出来る存在が居るとすれば、もっと、もっともっと高次の存在たるのだろう。例えばアザトース、ナイアーラトテップ、ヨグ=ソトース、シュブ=ニグラス……それらのような旧支配者ならば可能なことなのかもしれない。
 ヨハネスは彼女の深層を伺うことは出来ず彼女の表情が齎す暢気な雰囲気に中てられた。それが偽りの感情だとしても、ヨハネスが知ることは無いが故に――
「ねえ――」
 と、ヨハネスの思考を遮るかのようにレイラはヨハネスの顔を覗き込む。ヨハネスより頭一つ分小さいレイラは必然的にヨハネスを見上げる格好となった。
ヨハネスはレイラの語りかける言葉に軽く「あ……」と呻いて、泡沫の夢から覚醒する。
 しかし――
 次にヨハネスはレイラの瞳が持つ深淵に囚われた。彼女の瞳のレンズはヨハネスの顔を映し出しており黒く染まった自分を見ては、ヨハネスは、まるで自分が暗黒になったかのように思えた。
「君も“未知なるユゴス”を求める旅人なんでしょ?永劫の時を重ねて現在(イマ)に降り立った旅人。だったら私達と一緒だよ!!」
 ヨハネスを、そのまま見上げながらレイラはにこやかに笑った。何かを期待している眼。ヨハネスが自分と同じ世界を見ているんだろうと期待している眼。その無垢なる感情を持つ眼に、ほだされたヨハネスは軽く喉を鳴らした。
「私は別にそういうわけじゃ……今日も無理やり友達につれてかれて。それだけのことだよ。決してこんな世界に関わろうなんて思って――」
 喉を鳴らしながらも、彼女の言葉を否定する言葉を述べようと口を開こうとしたヨハネスに対しレイラは「違うよ!!」と、きっぱりとした口調で遮る。
「それは違うよ君。“未知なるユゴス”に相応しくない人を聖堂に誘う人はこの教団には居ないよ。旧神を崇めるアイツら――異端審問官なんかとは全然違うんだから……本当の旅人じゃないと。そう――“夢見る旅人”じゃないと!!!」
 『異端審問官』――その言葉を口にした途端、レイラの柔和な笑顔は憎しみのソレへと移り変わった。内に秘めたる思いがレイラを、そうさせるのだろうか。
憎しみを胸に抱いたまま、レイラは身を翻し聖堂の方向へと向く。レイラはヨハネスに背を向けたまま言葉を続ける。
「だから、その人は本当に君が“未知なるユゴス”に相応しいと感じたの。だから聖堂へと連れ出したんだ。きっとそうだよ。そうに決まってるよ!!」
 レイラは自分の言葉が正しい事を確かめるかのように何度も首を縦に振りながら語る。ついには再び振り向いてはヨハネスの両手を自身の胸に抱いてまで。
「だから……だから君は選ばれたんだよ。この、”未知なるユゴス”に!! “未知なるユゴス”の追い求める旅人として選ばれたんだよ!!」
最期にレイラは、そう語って押し黙る――


 気がつけば、ヨハネスは自分の右手をレイラの右手によって引かれながら聖堂の方角へと引き返していた。
 いつヨハネスはレイラに肯定の言葉を紡ぎ彼女の足並みに自分の足並みを揃えようと思ったのか。
いつヨハネスは彼女の言葉に共感し、その言葉に耳を傾けようと思ったのか。
 答えは定かではないが、こうして彼女に惹かれるままに聖堂に引き返している。これがヨハネスの現実。それは覆しようのない事柄だった。


  レイラに引かれるままに――

      惹かれるままに――

      弾かれるままに――

      轢かれるままに――

      挽かれるままに――

      曳かれるままに――

 レイラへ惹かれるままにヨハネスは聖堂に戻る。何故、自身が聖堂へ戻るのか、その答えは何処にも無かったが言葉――レイラの紡いだ言葉に耳を傾けたが結果なのだろう。
 そうヨハネスが思考を張り巡らしているうちに彼とレイラは聖堂の門の下に辿り着いて。レイラは再び聖堂の門を叩いて扉を開き、ヨハネスを扉の中へと誘った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 古ぶしき聖堂の地下、ステンドガラスが齎す煌びやかな光が顕在する聖堂の広間とは対極に聖堂の地下は漆黒の世界。
人が住まうべき空間なのに光源は何処にも無く、ただただ闇が顕在するのみ。
 太陽の光が差し込まないせいか地下の空気は、かび臭く湿度も高いのか肌にべったりと張り付くような感触。
 それはまるで熱帯のジャングルに居るかのよう。
 かび臭い空気、じめじめとした空間。それらが齎す何とも言えぬ不快さが更に漆黒の世界の気味悪さを際立てる。
 闇よりの獣を誘うかのように暗く、闇に棲む怪物を呼び覚まそうとするかのように世界は昏い。その漆黒の世界を練り上げる者達は深淵の世界から湧き上がりたる魔を求むるモノ。魔が世界を喰らいて久しく。魔を求むるモノが求めたる事は永久の世界から変わることなく。世界とは決して相容れる事は無き存在。
 全ては全てを喰らいて世界を闇と成さんとす。魔たる者共の所以。
 彼らは魔を求むる者共――彼らは彼ら自身を"未知なるユゴス"と云った。


 ヨハネスがレイラに手を引かれて聖堂へと引き返そうとしていたのと同時刻。
 ヴァニラ枢機卿が先ほどまで居た聖壇。そこから繋がる暗がりの古ぶしき聖堂の地下。
「……贄――」
 暗澹とした空間の中で一つの言葉が紡がれた。「贄」と一言、言葉が地下に響き渡る。

「誰が言葉を紡いでいるのだろうか。」
 
 そんな事を思う輩は、この闇よりの世界には存在せず。紡がれた言葉が、さも当然であるかのように闇は振舞い、それに続くであろう言葉を待つ。
 闇が言葉を待っていることを知っているのか知らずか更に言葉は紡がれる。
 幾度も「贄が来(きた)る……贄が――」と言葉は紡がれて――紡がれるが度に世界は更に闇の臭いを際立ててゆく。
「来る……贄が来る――!!」
 次第に闇から湧き上がる声は激しく、それは地下全体を包み込むほどに高くとおった。
「我らが"未知なるユゴス"に相応しき贄が今、来る!!」
 紡がれた言葉は聖堂にて狂える信者達が叫び続けた言葉に、とても似通っていて。
 その言葉は「我らがルルイエは――!!!」とヴァニラ枢機卿に捧げられた言葉。
 内容が似通っているわけでもなく。語呂が似通っているわけでもなく。
 似ているのは――

 ヴァニラ枢機卿を崇拝し崇めるが故の言葉で在ること。

 旧支配者を崇拝し崇めるが為の言葉であること。

 言葉が須らく保ち続ける雰囲気が、言葉に込められた想いが。
 狂える信者達が叫び続けた言葉に似ている――言葉が齎す臭いが似ているのだ。

 

「……贄が――来る!!」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「……これが、さっきと同じ聖堂――?」
 聖堂に入るなりヨハネスは不思議そうに辺りをキョロキョロと見渡す。
 それはそうだろう。つい先ほどまで「我らがルルイエは――!!!!!」と叫び続けた狂える信者達で一杯だった広間が嘘のようにガランと静まり返っているのだから。
 そんなヨハネスにレイラは何かを自慢する子供のように無垢な笑顔を見せる。
「ふふふ……驚いた?誰も居なくて?」
「ああ。さっきの騒がしいのが嘘のようだよ――」
「それは当たり前よ。私達、“未知なるユゴス”の“夢見る旅人”は旧神が支配する世界、そんな穢れた世界に対する反逆者。だからヴァニラ枢機卿様の託宣が終れば私達、アザトース様の純真な僕たる旅人は、すぐさま地下に潜るのよ。そう――地下へね」
「――地下?」
 レイラの言葉に首を傾げるヨハネス。聖堂を見渡しても地下に繋がる階段らしきものは見えず、レイラが“地下“という言葉を使っている意図がヨハネスには読み取れなかった。
「ふふ……そう地下よ。地下なのよ」
 そんなヨハネスの思惑を知ってか知らずか、レイラは軽く微笑んで彼の疑問に答えた。
「まぁ地下と言っても言葉通りの地下では無いのよ。旧神を崇める奴らが送り出した刺客――異端審問官に旧神の怨敵である旧支配者たるアザトース様を信仰している事を見つけ出されないように身を、そう我が身を、この穢れた世界に溶け込ませるのよ。穢れた世界であってもアザトース様への、そしてヴァニラ枢機卿様への決して折れること無き信仰心があれば、この身が旧神によって穢れる事は無いわ。だから私達は地下に潜る事を決して厭わないの」
 レイラはヨハネスに地下の持つ意味を説明しつつ“未知なるユゴス”の信者が旧支配者に対する信仰心が如何に厚いかを語る。
と、そんなレイラの言葉の中にヨハネスにとって聞き慣れない言葉が一つ。
 ヨハネスにとって聞き慣れない言葉。
それは――“異端審問官”
今まで旧神を崇める世界に自身を埋め、ハンスに聖堂に連れ出されるまでは旧支配者を崇める教団“未知なるユゴス”すら知らなかったヨハネス。故に彼が“異端審問官”などと言う旧神を崇める教団の暗部たる象徴を知る術は無きに等しい。
よって彼が「……異端審問官――?」と疑問を言葉に出し首を傾げるのも不思議なことでは無かった。レイラはヨハネスの疑問の上に飛び出た言葉に気づき、その疑問に答えようと口を開く。
「ふふ。君は異端審問官を知らないのね。今まで、ヨハネスが居たような世界と対極な存在――“未知なるユゴス”を知らなかったのなら異端審問官を知らないのも当然よ」
「じゃあ異端審問官とは何者なんだレイラ?君の言葉から汲み取るにしても余りいい意味を持たない気がするが」
「そうね。例えて言うならば魔女裁判の執行者。魔女裁判は有名だから貴方も知っているよね?」
「ああ、それは僕も知っている……」
「そう貴方は知っているのね。言葉の通りよ。魔女裁判で疑いを掛けられた魔女と同じで、彼ら異端審問官にとっては旧神に害するモノが執行対象なの。だから旧神に害するモノが傍に、あれば直ちにソレを裁く。それは、ソレが持つ意思が善悪に関係なく……ソレが持つ意図の真偽に関わらずね。一度、異端審問官に目をつけられたら、もう終わり。この世界からさよならね。あいつらは一回だけでも疑いを掛けられたモノに対しては容赦ないから。疑わしきは罰する……が彼ら異端審問官の信条」
 ここでレイラは言葉を切りヨハネスに顔を向ける。ヨハネスの顔を覗き込むレイラの瞳は昏い。何を思って何を伝えたいのか。ヨハネスには彼女の瞳からは到底、読み取れなかったが、最期に呟いたレイラの言葉。それだけが何故か彼の胸に残った。
「だから私達、“未知なるユゴス”の信者が最も嫌っている存在は旧神なんかではなく異端審問官――異端審問官なのよ……ヨハネス」



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「贄は来る――来るのか。とうとう――」
 地下。闇に濡れた聖堂の地下で言葉は紡がれる。
 ひどくしわがれた声。その声は闇にまぎれて何の違和感もなく。
 紡がれる――。
「それは――ヴァニラ枢機卿様への崇拝。まことの言葉なり」
「それは――旧支配者アザトース様への崇拝。まことの言葉なり」
 ――紡がれる。誰に語りかけるとでもなく淡々と言葉は紡がれて。
「あぁ我らがルルイエにて――崇高にして偉大なる夢。夢。夢夢――夢夢夢夢夢!!」
 ぽつりとぽつりと地下の一室で闇よりの声は響きわたる。また一室と。部屋の中から響き渡る声。その中には声にもならないような呻き声もあった。否――それは呻き声でも何でもなく。  
祈り――
「……いあ……いあいあ……くとぅるふ……だ……ごぉ……ん……」
 ――呪言
「……てぅくぁ……いくぁ…いあ……いあいあ……」
 紡がれる言葉の群体は何を言おうとしているのか、そして何を伝えようとしているのか常人には測りようも無い。狂える存在、また狂人のみが理解できる言葉。だが、この世界――古ぶしき聖堂の地下とはすでに狂気と狂人が集う世界。故に、それらの言葉に意味を見出すモノは確かに此処に顕在し、その存在は言葉の意味が齎す役割をちゃくちゃくと生み出しつつあった。
「あぁ……アザトース様!! ヴァニラ枢機卿様!! 」
「贄を!! 我らが手にて――贄を!! 我らがルルイエの下に!! そう――ルルイエの下に!!」
 彼らは待ち侘びている。ヴァニラ枢機卿の託宣が終わり聖堂の地下に潜り息を潜めながら待ち侘びる。彼らが求むるモノを――旧神が支配し白い光にて乱れた世界を闇の昏き深淵により染め直す為に必要なモノを彼らは祈りの言葉を――呪言を紡ぎながら待ち侘びている。
「我らがルルイエは――!!!!!」
 ――贄。
「我らがルルイエは――!! 我らがルルイエは――!! 我らがルルイエは――!!」
 彼らは彼らが紡ぐ言葉の通り。贄が、この聖堂の地下へその体躯を滑り込ませるのを渇望する。遊牧民が砂漠に降る微かな雨を待ち侘びるかのように。彼らは死の臭いが満ちる世界にて贄が地下に迷い込む事を渇望する。
 旧支配者アザトースへの崇拝。そしてヴァニラ枢機卿への崇拝。これらの崇拝により狭窄された世界に於いて彼らが持つ妄信は一つの想いへと集約される。それは彼らが狂える教団”未知なるユゴス”を更なる高みへと誘わんとする想い。故に――故に彼らは狂える世界を更に昇華させる存在を追い求める。それは異常な程、狭窄された崇拝という名の妄信であり、その妄信は虚から実へと成りつつあった。それ程にも妄信が下に生み出される崇拝の理念は、どんな錠前よりも強固であって。
 それが故の、
「さぁ!! 待ち侘びた!! 我らがルルイエの下に堕ちた贄を――!!」
 贄――
「我らが贄を!! ルルイエの下に!! 我らがルルイエの下に!!!!!!」
 贄だった。
 

 そしてギィと鈍い音を立てながら聖堂の地下室へと誘う扉は開かれた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 先ほどまでヴァニラ枢機卿が立っていた聖壇。聖壇の下には地下へと繋がる階段。そこへヨハネスはレイラに誘われるように足を踏み入れていた。
「…………」
「…………」
 コツ――コツと古ぼけた地下の階段と靴がぶつかる音が鳴り響く。狭い空間のせいか、その音は高く、また反射して辺りへと響き渡る。
 まず先頭をレイラが歩き、そして後ろを追いかけるのはヨハネス。黙々と歩いているせいかレイラの後姿は薄暗い空間に溶け込んでいて、まるで幽霊のようだとヨハネスは感じる。
どのくらい経ったのだろうか。日も差さない、この世界。闇よりの世界に於いては、どれだけ時間が経ったのか測る指針は無く自らの持つ勘だけが頼り。
 だが規則的に刻まれる音のリズムは時間という概念をヨハネスから奪い取っていた。歩くたびに音は刻まれる。しかし、そのリズムは一定が故にヨハネスは自分が持つ時針を音に重ね合わせ、そして自らの持つ時間の概念を見失ってしまった。
 古ぶしき世界に誘われた後、数分なのか数時間なのか数日なのか。それすら曖昧。
 時間が曖昧にあれば次は何が曖昧になるのか。それは自己。この世界は地下へと下る階段。前を黙々と歩くレイラ。そして、それを不安げに追うヨハネス。
 自分以外が全て不確定な世界――とヨハネスは感じる。それはそうだろう。自分以外は全てが今日――出会ったのだから。いや……ハンス以外の全て――だ。
 曖昧な存在達に囲まれたまま刻が経てば次第に自分も曖昧な存在ではないのだろうかと考えてしまうようになる。自己が確立していることの証明を自己に見出せなくなる。
 今、ヨハネスは、そう云ったメビウス……もしくは無限地獄に陥っていた。
 と――
「……ねぇこの世界が怖い?」
「っつッ――!!! 」
 前を黙々と歩いていたレイラが突然と口を開く。レイラの言葉に吃驚したのかヨハネスは軽く身を震わせた。
「と……突然語りかけてくるなよ!! おどろいたじゃないか!!」
「あら、ごめんね。ずっと黙ったままだったから、この世界を怖がっているのかと思っちゃった」
 レイラは「くく……」と息を潜めつつ意地悪そうに微笑む。ヨハネスは、そんなレイラの後姿に憮然とした表情を浮かべ小さく肩をすくめた。
「ふぅ……この世界は決して怖くは無いさ……どうせ世界は、どこも結局の所、一緒なんだし」
「へぇ――」
 ヨハネスの言葉に何か思う所があったのかレイラは軽く嘆息する。
「どうして――どうして君は、この世界が一緒だと言うの?旧神を崇める上の世界。旧支配者たるアザトース様を崇める、この古ぶしい世界。この二つの世界でさえも君は同じだと言うのかしら」
「ああ――そうだよ。世界の根っこは同じなんだ。そう思っているよ」
「……君は面白いことを考えているんだね。旧神が支配すべき世界もアザトース様が支配すべき世界も根は同じ……か。本当、面白いことを考えているよ――ふふふ……」
 そしてレイラは「ふぅん」と鼻を軽く鳴らしたかと思うと、
「さて……着いたわ。ここよ」
いきなり立ち止まり、ヨハネスは、そんなレイラの予期しない行動に慌てて足を止めるが慣性の法則には勝てず、そのまま前へとつんのめりそうになって。
「ととっ――」
 声を上げながらも、なんとか右手で階段の手すりにつかまりレイラの背中へと倒れこむことだけは防いだ。レイラはそんなヨハネスの行動の一連には何の感想も抱かず、代わりにちらりとヨハネスへ振り向いたかと思うと、地下室に着いた事を淡々と告げ始める。
「ここが地下に繋がる扉よ。聖堂の地下室へと繋がる扉――」
「……と言うことは教団”未知なるユゴス”の信者達は今ここに居るのか?レイラ」
「ええ。正しくは“夢見る旅人”だけれども。そんなことはヨハネスにとってはどうでもいいことよね、貴方は――だし。それじゃあ入ろうか。この扉を開けた向こう側に在る世界へ」
「世界――?」
 ヨハネスの問いにレイラは薄い笑みを浮かべる。その笑みは今までヨハネスに向けていたような笑みとは全く違っていて。
「そう――世界……“未知なるユゴス”の夢見たる世界」
 その笑みは、この扉を開いた向こう側で行われるだろうことを期待する笑み。
「そして私達――我らがルルイエの下に来る世界よ。ヨハネス」
 紛れもなく、これから地下室で行われることに対する歓喜と悦楽の笑み。
 そして、ほんの一欠けらの狂気。
 レイラが見せる笑み――笑みはそんな笑みだった。

「さぁ扉は開かれたわ。行きましょう古ぶしい世界へ――」

 言葉に乗せられるようにヨハネスを地下室へと誘う扉はゆっくりとレイラの手によって開かれた。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

クトゥルー神話創作小説同盟 更新情報

クトゥルー神話創作小説同盟のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。