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クトゥルー神話創作小説同盟コミュの短編小説:ふみきり

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『式王子港市における埋葬法』
 明治維新政府によって、神道派の反発を考慮にいれた太政官布告による火葬禁止令が徹底され仏教色の払拭がなされる前も、都市部生活圏の場所問題により、火葬が復活し、それが主となる後にいたっても、式王子港市では土葬の風習が色濃く残っていた。
 木枠の桶に、遺骸と共に土地神への供物を奉納品として共に埋めた。奉納品を受け取った神はその礼として遺骸に精を吹き込み、その頬に朱を差させては生前の姿を纏わせ、現世に還すという。実際に土葬である場合に、土の精気を受け仮死状態であるものが息を吹き返すという現象が少なからずあった。このことが宗教的意味合いを強め、火葬よりも土葬のほうを尊ぶようになったのであろう。……参考事例……「屍解鬼」
 
『屍解鬼』
 墓場などの地下に群棲し、遺骸を攫って喰らうといわれる鬼。畜生面で護謨状の皮膚をして、前かがみに飛び跳ねるように二足歩行するという。
 御囃子宮の社殿にはまことしやかに「屍解鬼の腕」と伝わりし怪しげなる物が奉納されている。一見したところ、霊長目の腕に見えるが、劣化した護謨に似た形状も併せ持ち、いい伝えの容姿に遵えば屍解鬼は存在している物証となるやもしれぬ。写真は別紙参照。レントゲン検査及び体細胞の採集は許可されず、科学的検証はない。
 かつて、義歯やかつら用の毛髪狙いの墓荒らし、果ては解剖学研究の学徒らが生体の手っ取り早い調達方法として死体を盗むことがしばしば横行した。それらの姿が鬼気めいて伝聞されたとしても納得のいく話である。
 付記しておく事例として当時のカストリ新聞に「カクモ衆生驚クベキカナ。桶ノ底抜ケタル当ニ其ノ下、凍エル冷気息吹ク果無シ穴在リ」とされている。
 尚、更に追記のこと。米国、アーカムにあるミスカトニック大学での研究資料として「食屍鬼」と「夢想國」や「成り変わり」についての言及があるが、民俗学的見地からの関連性は未だ見出されていない。
 
 *
 
「ふむふむふむふむ」
 横でふむふむいいながらシャーペンでがりがりノートにメモしている生き物を僕はぼんやりと眺めていた。生き物の手元には『式王子港郷土史』なる分厚い黄ばんだ書籍が仰々しく鎮座なさっておられる。この、一種亜空間めいた空気に耐えられる中学生が、式王子大学付属中学校に「もし」存在するとしたら僕だけだろうと自負できる。
 先ほどから隣に座っているヘンチクリンが一生懸命に何をしているかというと、飾らずにいえば死体の研究だ。いやちがうか。死体に伴う何かの学究だ。それか……或は単に死体が好きなだけかもしれない。まさか、そんな僕じゃあるまいし。
 そんな僕はといえば、今やレア本である『SFバカ本』に収録されている「演歌黙示録」を読んでいた。牧野修氏の傑作だ。演歌と神秘学についての繋がりから世界滅亡への道を描くというトンデモだが、こんなトンデモ小説が大好きである。図書館であることを考慮して笑いをこらえるが、それでも時折こみ上げてくるものは抑えきれない。ぷぷ。
 隣のギガガントマギカディアボロスが僕の笑い声に反応してジト目でこちらを見た。グワリッと顎を広げ威嚇している。僕も負けじと手元のノートを覗き込んでやる。「成り変わりと都市伝説の関連性とは?」としゃちほこばった字で書いてある。両手でノートを覆い隠すようにして「何よぅ」と珍獣が今更恥ずかしがってる。
「お気に召すなら『オールカラー解剖学図典』でもお持ちいたしましょうか。無修正で胴体輪切りの連続写真が載ってる奴」
 シャアーッとまたもや人間てこんな口開くのかってぐらいの全開で威嚇。
「そろそろ時間だからさ」
 館内にドヴォルザークの新世界が流れている。閉館の時間が近い。
「おす。了解ー」
 チンチラの仔猫のように無邪気に飛び跳ねながら少女は『式王子港郷土史』を禁帯出の棚に返しにいった。禁帯出図書なんて読んでたのか……。
 
 *
 
「おまた……せ」
 あいつは図書カウンターで司書のおねーさんと話してる……。
「翔さーん」
「こら、チーちゃん。木津さんっていいなさい」カウンター内のおねーさんが片眉をきゅっと上げる。
「はい。木津おねーさん」
「よろしい。千尋くん」
「で、で?」あいつの目がきらきらしてる。こんな目をするのは理由がある。ちゃんと分かってるんだ。だけど。
「ミッションコンプリーツ!」眼鏡がキラリンと光る。親指をグイッと上に向けた拳を突き出す木津さん。木津さんは司書のアルバイトをしていて、あいつとは顔馴染みだ。というか馴染みすぎちゃってるから困る。
「テリー・ビッスンの『ふたりジャネット』とラファティの『宇宙舟歌』!」あいつが感激した雄たけびを上げながら、木津さんの両手を握ってブンブン振ってる。木津さんもこらーとはいいながらも嫌な顔を見せることはない。
 不健全だ。ビッスンやラファティの面白さはあたしにだって分かる。でも二人はそれ以外に血に淫するがためのクライヴ・バーカーの『ゴーストモーテル』やインモラルな『SFバカ本』なんてのを式王子港市立図書館にせっせと納入しているのだ。学究の徒であるべきこの場であたしと違ってあの二人は書物に淫らがましい空気を持ち込んでる。不健全、不健全だ。
 それに……肩にややかかる程まで伸びた黒髪、知的なノンフレームの眼鏡。清潔な白のブラウス。香るか香らないかな程度の香水。いかにも女の子。木津さんはあたしが五年の年齢差を補っても追いつけない女の子をしてる。それをあいつがかまう。
 不健全だ……どっちが? 
 図書館に不健全な本があるのがいけないのか、それとも木津さんが不健全なのか。前者は多分、そうだ。でも後者は……きっとあたしが不健全なんだ。
「お、翔さん、いい色のブローチ付けてるね」
「む、目ざといなぁ。スワロフスキーなんだけどね。アメジストの葡萄」
「さすが似合います。ところで読みたい本があるんだけど?」
「おねーさん、いつか誉め殺されそう」
 こんな二人ならいつかミスカトニック大学から『ネクロノミコン』の写本だって手に入れちゃいそうだ。あたしはなんだか脱力してしまう。
 
 *
 
「で、調べ物はうまくできた?」
 三月の足音はすぐそこまで来ているが、五時過ぎはまだ寒い。千尋はハーフコートに手を突っ込んで歩いている。
「邪魔されなきゃもっと進んだかもね」毬華が口をとがらす。毬華は千尋のことを邪魔だなんて産まれてこの方、一度も思ったことはない。先ほどのもやもや感が残ってて、憎まれ口を叩いているだけだ。  
「そっか。悪い」
「いつものことだ。気にすんない」ばんばんと毬華が千尋の背中を叩く。その度に毬華の猫ッ毛なショートヘアが揺れ、千尋の鼻先に仄かな牛乳石鹸の香りが漂う。
「今晩、どうする? お前ん家たしか」
「ん、そうさな。ゴチになりますかなぁ」
 海淵侍毬華と長谷川千尋はいわゆる「お隣さん」である。十年ほど前とはいえ一緒に風呂も入ったことのある仲だ。海淵侍家の両親は共に民俗学者であり、フィールドワークで国内外を問わず駆け回っている。そのためよく家を空けており、そんな時毬華は隣家である長谷川家にご飯を食べに来るのだった。用心も兼ねて千尋の両親は千尋の姉の部屋を貸そうと申し出ている、そんな話を千尋は聞いていた。
「今晩エビフライだってさ。甲殻類サマサマ」
「じゃあ尻尾あげる」
「お、気が利いてるなぁ。どした」エビの尻尾やホタルイカの眼球なんて妙な物が好物なのを知ってるのは学校じゃあたしだけだな、毬華は心の中で笑った。
「どうもしない。そうそう調べ物といえば、こんな都市伝説があって」
 毬華がノートを開ける。空に陽のほむらはかろうじて踏みとどまっている。千尋はメモを覗き込んだ。
 
『屍解鬼の踏切』
 全国各地に設置されている踏切のうち、幾つかは魔の踏切と呼ばれ、何故か事故が多発するところがある。しかし、綿密なる調査に関わらず、計器の故障や経年劣化による誤作動も人為的ミスも見出せなかった。原因究明の結果、とある民俗学者が「地域性」を挙げた。その地域がかつて土葬が盛んであったことに。「それ」を食料としていた屍解鬼が獲物を仕掛ける罠を編み出した。死食性であり、臆病である屍解鬼は自らが狩をすることはなく、その道具立てとして列車を選んだ。歩行者を幻惑させあたかも信号に異常がないと錯覚させて踏切を渡らせる。そうして手にした「獲物」を巣穴に持ち帰り食すのだと。
 線路に事故の痕跡が残っている。千切れた衣服や所持品など。列車にも何かを轢いた痕跡が残っている。しかし、遺骸は見つからない……。
 
「そんなの調べてたのか。それでよく人のこと悪趣味とかゆーよな」
「それは違う。あんたのは悪趣味。あたしはフィールドワーク」
 バチバチと見えない火花が散る。
 目の前の踏切がカンカン音を立てている。
 毬華の視線が何かを捕らえたかのように座っている。その視線の先、千尋は線路沿いの盛り土に幾人もの影が躍るのを幻視した。
「ねえ」
「なんだよ」
「あたしがいなくなってもケータイのメモリ消さないでね」
「なんでそんなこと」
「甲殻類一匹あげるから」
「わーかったからそんなこというな。消すわけないだろ」
 毬華がうん、と笑ってそれじゃあ、お風呂入ったら行くから勝手にめしすんなーと千尋を置いて一人駆け出した。
 踏切の自動遮断機はとっくに上がっており、千尋の横を車や学生や自転車やらが通り過ぎてゆく。
「ニューヨークの地下鉄でもそんな話あったよなたしか」
 千尋は盛り土にもう一度目を向けた。なにも異常なものなどありはしなかった。
 
 *   

 夕飯はエビフライに大根おろし添えハンバーグ。ネギダク納豆にナメコのお味噌汁。
 それに河内ワインの赤。あたしらが十五歳だってことを長谷川パパママは気にもしていない。あたしはグラスに一杯だけ注いでもらい、火を扱うように慎重に飲み込んだ。マスカットベリーAの芳醇な香りが口いっぱい鼻いっぱいに広がり胸が熱くなる。辛い。千尋のおねーさん好みの味。
 千尋はといえば食後、そのおねーさんとケータイで話し込んでる。しぶしぶといった表情だが、遠慮なく軽口を叩いているから嫌じゃないんだろうな。あいつ、エビフライを約束どおりに一尾皿に放り込んでやったら、代わりに付け合せの人参甘煮をあたしの皿にぽいぽい投げ入れる。辛党なのは知ってるので黙って食ってやった。
「比奈子おねーさんなんだって?」
「ああ、今河内に行ってるらしい。ワイン館があって片端から試飲してやったって豪語してた。どんな肝臓してんだか。いかんぞう」
 一発どつく。
 千尋はニコニコしてる。ツッコミがあることに嬉しがってるのだ。ったくもう。
「さて、腹ごなしにいっちょ指南してやるか、ホレ」
 千尋は自分の部屋にあたしを引っ張り込み、ゲーム機のコントローラーを寄越し、ゲームロムをセットし、あたしがあ、も、う、もいわないうちに始めてしまった。
 『怪物狩猟者』は千尋がマイブームにしているアクションゲームだ。主人公は狩猟者となって出てくる怪物を得意の武器で退治しオンラインで全国ランクも出るという極めし者のためのゲームだといってる。全国でも上位ランカーに入っているらしく、要はあたしに自慢したいのだ。お子様め。
 
 *
 
 緑の藪深い獣道。視界が狭く、しかし獣の息遣いだけが聞こえる。
 走り回る地響き。砂煙。
 あたしは跳躍して岩陰に身を潜める。自分の息遣いも荒くなっている。
 苔色のいぼに鎧われた毛むくじゃらの鼻面が地面を蹄が蹴る音。
 大剣を横に薙ぐ。止まらない。一転して体勢を立て直し、視界を回転させる。
 奴は……目の前にいた……剣先を正眼に構え、突撃。
 
 *

「お前ぃ、セブンセンシズはないのか」
「そんなもんないわよっ」
 あたしのキャラ、マリカは地面に倒れ臥し、いぼいのししに踏まれまくっていた。
「ヴェルッカボアーは別名『猪神サマ』と呼称される序盤、いやある種このゲームで最凶を誇られるモンスターなんだ。その首の上に付いてるモンをうまく使え、アホ」
 千尋が深狭鬼と名付けた、黒髪長髪の女剣士を選択する。武器は同じく大剣。
「見てろ」ぺろりと舌を出し上唇を舐めた。
 先ほどのシチュエーションに遭遇する。細い獣道に三体のヴェルッカボアー。
「要するに、あれはお前だ。もしくはうちのねーちゃんだ」
 突進してくる三体をまともに相手せず、側面から動きの止まったところを狙い打ちに大剣を上段から打ち振るう。一撃では沈まない。すぐさま深狭鬼はヴェルッカボアーから離れ、突進を待ち、剣を構える。動きが止まる。打ち込む。それの繰り返し。
 ものの二分で三体のヴェルッカボアーは地に沈み、深狭鬼は悠悠とハンターナイフで皮革を剥いでいる。ファンファーレが鳴り響く。
「な、正面から猪突猛進してくる相手なんて簡た……ん」
 誰が猪突猛進だっ。鉄拳を千尋のテンプルにめり込ませる。あたしは最後まで台詞をいわせなかった。千尋はコントローラーを握り締めてあたしのひざに倒れ臥した。
 トクンと鼓動が跳ねる。ごろんとひざの上で転がり千尋が顔を上に向けた。あたしが先に帰ったのはシャンプーを買いに行くため。牛乳石鹸は卒業したんだ。
「ごめんな」
「え」
 収まれ、心臓。シャンプーを変えたのに気付いてくれたんだろうか。木津さんのブローチに目が行ったみたいに。千尋との距離が近過ぎる。鼓動がばれる……。
「猪なんてごめん。毬華きっとギガガントマギカディアボロスの化身だよ」
 ゴス。あたしのひじが鼻柱を直撃した。
「てんめー、そんなお前にはなー」
 鼻を押さえながらポケットに手をやり探っている。頭はあたしのひざの上のまま。
「これをやる」
 にゅっと突き出た拳。開いたてのひらの中には小さなピンバッヂがあった。
 窒息状態。いわゆるチアノーゼで紫になっている悪趣味に戯画化された顔が房になって連なっている。葡萄?
「さっき飲んだろ? ねーちゃんがワインと一緒に送ってきたんだ。さすが姉弟だけのことはある」
 豪放磊落というか、比奈子おねーさんは弟の趣味を許せるくらいに器が大きい。というか完全なブラコンで千尋は苦りきってる。そして体裁気にせず活発すぎるあたしの中におねーさんの姿が重なるらしい。つまり「おんな」を意識しないのだ。
「おんなじもん持ってるから毬華にってことだろ、きっと」
 もう一度手をポケットに突っ込み取り出したそこには表情は異なるものの同系統の悪趣味なバッヂがあった。
「はは……ははは」
 いつのまにか泣いていた。千尋の顔に涙が落ちる。ひと雫、ふた雫。
 千尋の気持ちは真っ直ぐで嬉しい。照れも無く猫のように平気でじゃれあってくる。でも、そんなこいつのあたしを見る瞳の中におんなはいない。悲しいがいつの頃からか分かってしまった。
 精いっぱい伸ばした手で千尋があたしの頭を抱える。てのひらが髪の毛をくしゃりとかき回す。困った表情であたしを見上げてる。
 十五年も一緒にいれば何でも見えてくる。見たくない。でも背けられない。
 例えば、木津さんのようにあたしが守ってやりたいくらい脆弱で清楚でおしとやかで愛らしい女性が好みなのだ。同族嫌悪といえば失礼だけど、比奈子おねーさんの性格に加えてとち狂ったほどの溢れんばかりの愛情に千尋は免疫を持ってしまった。
 フィールドワークで泥んこになっても気にしないような幼馴染は姉と一緒にしか見えないに決まってる。だからひざ枕にもシャンプーにも反応しやしない。
 確証が掴めたら、あたしはあたしを脱ぎ捨ててこいつの前に現れてやる。
 もう平気な澄ました瞳なんかであたしを凝視なんかさせてやらない。
 
 *
 
『成り変わり』
 「屍解鬼」と、欧米で風聞される「屍食鬼」には共通点が数多見受けられる。地下に群棲し、死食性であるのは周知のこと、最たる特筆すべき特徴が成り変わりであろう。
 対象物である屍骸が人間である場合、その者の大脳、小脳、脳幹を含むいわゆる脳と、心臓部を喰らうことにより、その者自体に化生するといわれる。外見はいわずもがな、その者の記憶の細部にいたるまで、特徴は異なる点を見出せない。しばしば文献で完全に死亡を確認された遺骸が納骨堂や土饅頭に隠された木桶の中から消失し、変わらぬ生前の姿をまとって戻ってくる事例の報告がある。日本での研究報告は皆無であるが、海外の研究資料により、民俗学的同意性を補完することにいささかも臆するべきではない。
    
 *
 
 あの晩、流した涙のわけを毬華は教えてくれなかった。
 あれから、独りの家に帰った後、次の日の朝にはもぬけの殻だったからだ。
 両親に似て、放浪癖というか、毬華は学校すらサボってふらりと旅行に行くことが以前にもあった。問題児極まりない。帰ってきたら土産話というか、下手すると一昼夜に飽き足らず延々と都市伝説やら云々喋ってる。つまり、根は僕と変わるところがない。立つ位置が違うだけで。
 数日前、毬華と図書館からの帰り道に通った踏切で事故があった。
 事故現場には式王子大学付属中学校の制服と鑑定された布切れが落ちていた。というよりも布切れがあったから事故、事件性が示唆されただけで。
 なぜって。毬華以外、一人も生徒が欠けていないからだ。
 その毬華からは相変わらずメールが届く。たわいもない内容のメールばかり。抹茶屋の牛飯で初めてネギダクに挑戦してみたとか。事件を秘匿するために毬華を装っているならよほど才知に長けた奴だろう。毬華の友人ということで警察署に呼ばれたが、こんなアホなメールを寄越すのは毬華本人以外百パーセントありえない。
 ありえないということは毬華の身に何かあったわけじゃない。
 変わったことが一つだけある。
 あの翌日から今日まで僕は毎日終業時間まで図書館に通っている。毬華がいつでも戻れる場所を用意しておくために。
 そんな僕の生活を狂わすひと。
「お隣、座ってもよろしいでしょうか。あたくし」
 紀伊國由芽。僕と同学年で隣のクラス。生徒会副会長を務めるお嬢様。
 ほっそりした面立ちに流麗な立ち居振る舞い。どこまでも柔らかな口調。腰まで届く艶やかな黒髪。
 僕は彼女を勿論知っている。遡れば入学式当時から一目惚れの女の子。しかし彼女との接点はこれまでない。この図書館で見かけたことすらない。
 打てば響く。彼女はどこまでも僕の話題について来た。数日の間にあたかも以前からの「半身」であったかのように寄り添って座っている。
 居心地悪い違和感の中に僕はいる。本来、隣の席には毬華が座ってふむふむと呆れるほどの本の虫になり古書籍に齧りついてたはずなのに。横を向くと紀伊國由芽がたおやかに微笑んでいる。半身をもぎ取られたかのような耐え難い喪失感。憧れや一目惚れよりも、繋ぎ慣れたてのひらを手放す辛さ。こんな気分、毬華の所為だ。
 そして僕は気付いた。彼女の通学鞄を飾っているものに。
 ありふれたバッヂかもしれない。毬華が「悪趣味ー」といいながらも握り締めていた葡萄のピンバッヂ。
 清潔感溢れるオーデコロンの中に墓場のような匂いが混じっている。
 僕は変な妄想に苛まれる。毬華が線路の盛り土に隠された穴から顔を出し、獲物を狙っている。毬華が少女を幻惑し罠にかける。少女が閉じられた遮断機をくぐる。
 列車に跳ね飛ばされ横たわる少女の胸を開き、温かい心臓を取り出す。
 乱れた黒髪に爪を突きいれ頭蓋を割り、脳に口唇をあてがう。
 そして成り変わる。
 由芽が不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
 毬華にいわせれば不健全でインモラルな小説を読みすぎたツケなのだ。   
 隣の特等席に毬華が早く帰ってくるといい。僕は牛乳石鹸の香りを恋しく思った。              

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某同盟に投稿したもので、お題が恋と花言葉。
というわけで、恋愛小説です。
お口に合いますかどうか、皆さま、お試しください。
読ませていただきました。
最初の感想は、甲斐さんの意外な一面を見た!と言う感じでしょうか。少女から女性への変化と、それに気がついてくれない幼馴染という展開は、甘酸っぱくもあり、青春恋愛ものの王道とも言えますね。
気になった点を上げると、まず2人の主人公の視点を行ったりきたりする展開なのですが、初見ではそれが分かりませんでした。ゆえに、一人称が僕とあたしでころころ変わるので、女の子2人の物語なのかと思って読み進めてしまいました。しかもそれで納得してしまったあたりがかなり自分、やばいっすねw
そしてもう一つ、あまりにも唐突な幕切れ。これはこれで良かったのですが、できればもう一ひねり入ったらさらに良かったのではないでしょうか。それはさておき、この甲斐ミサキ流青春恋愛暗黒神話、もっと読んでみたくなりました。
>見越入道さん
読了感謝します。
散文的な書き方、視点の置き方が定まらず、所見では伝わらない、といった点に置きましては、真摯に受け止めたいと思います。
今回、こういうややこしい書き方をしたのは、状況証拠のみでどれだけ最後の結末まで引っ張れるか、物語に付随する様々な境界線をどれだけあやふやに出来るか、つまり「狂気感」が出せるかという点に尽きました。

唐突な幕切れ。
ある少女がいきなり出てきて、どうなってるの?
と思われるかもしれませんが、本来割くべき紙幅を随分とはしょりました。
がっちり屍解鬼の生態と向き合って、ぐっちょり書くことも出来たのですが、「恋愛小説」投稿用に用意していたものなので、状況証拠のみにとどめ、あとは読み手さんの想像にお任せする形をとりました。
神話よりも恋愛小説の枠に収めることに収支したので、神話を熟知なさる方には物足りなく思えたのではと思います。

余談:
見越入道さんの小説「時の猟犬」
あっくすさんの「南極の氷で飲む酒の味は、どんな味か?」
など、これまでにはない、暗黒神話譚に、一物書きとして、大いに勇気付けられてきました。
そして神話の可塑性の素晴らしさをもっと堪能したく、恋愛小説に挑んでみました。

朝松健氏が、かつて、
「クトゥルーVSゴジラや、猛将ラヴクラフトが戦時下で大活躍する噴飯物を読んだ」とアンソロジー「ラヴクラフトの遺産」で書いています。
甲斐にしてみたら、それの何がアカンの?
という思いです。むしろ読んでみたいくらいです。
どれだけトンデモないアイデアであったとしても、少なくとも、この同盟の趣旨に賛同して加盟してくださってる方には「美味しい読み物」に見えると確信に近い思いをいだいています。どうぞ、無茶なさってください。暴走なさってください。
どれも全て美味しく頂戴いたします<(_ _)>
読ませていただきました。

クトゥルー神話で恋愛物ってのもできるもんなんですね。

最初は視点の移り変わりが激しくて、誰が何をしているのかがよく読めなかったのですが、あらためてゆっくり読んでみると、それぞれの物語が重なり合っていて。
最期の物語へと収束し、そのオチがわかったときは年甲斐も無く興奮しちゃいましたw

こういう散文的な書き方は賛否両論あると思いますが、
私は好きな方ですよ。

うまく書ければ其々の音符が重なり合い和音となって濃厚な旋律を生み出せますし。
そういう意味では、よかったとおもいます。

良い読み物、ありがとうございました!!
正統派の甘酸っぱい青春恋愛ものですね。こういうのも良いと想います。
何でも出来るのがクトゥルー神話の強みだと想います。
そう言えば海外でも、自らを人間の女性に変身(脳細胞にいたるまで)させたシュヴ・ニグラースが、人間としての思考と感情に左右されて矢張り人間に変身したハスター相手に繰り広げる正統派のロマンス小説なんてのも短編であります。
>シュブたんさん
クトゥルーで恋愛は可能であるか?
「屍食姫ネリフィリア」なんかは正統な神話を踏まえての恋愛ものですよね。
ジュヴナイルの範疇で捉えるとギャルゲーやコミカライズされての邪神の擬人化による恋愛などありますが、そこまでは個人的にはしたくないと思います。
視点の移り変わりについては種々みなさんが仰っているところですが、オチに繋げるための伏線と、個人的な「遊び」の部分を踏まえ、エンターテインメントとして読み手の方を引き込む(融通が利かないようですが、読者さんに熟読を強いる部分はありえど)、今の筆力ではこうするのが適当の考えました。


>ZEPHYROSさん
正統と受け入れられることは、望外のいたりで面映くも感じますが、素直に嬉しく思います。
青心社のクトゥルーは全て読破しておらず、また幾つかの創元社から出ているアンソロジーにもあまり通暁してはいないのですが、シュブ・ニグラスとハスターとの恋愛小説とは!
本当に間口が広いものですね。

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