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藤富保男コミュの藤富保男さん『詩の窓』第20回―日常をどうとらえるかー殿岡秀秋筆

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藤富保男さん『詩の窓』第20回―日常をどうとらえるかー殿岡秀秋筆

藤富保男さん『詩の窓』第20回――3−6「心のこもった嘘」より

★日常をどうとらえるか

 藤富保男さんは、詩人ならだれでも言ってみたい名言を書いています。
「詩とは何かと、詩人に尋ねてごらんになるとよいだろう。十人が十人とも違う返事をする。みんなが違うのが詩という化物のおもしろさである。」(160頁)
 これは詩とは何かがわからない詩人が大勢いるということの裏返しの表現でもあります。ぼくもその一人です。詩とは何かがわからなくても、散文の言語芸術である小説との違いは分かっていないと困るのではないか、とおもって、この連載エッセーを書き続けているのです。詩とは何かは常に考えていないと詩という化物から見放されてしまうような氣がします。
「ルールの中で規則正しく平穏に良識ある生活を続けて行くことは、健康的であるけれど、その慣れの波に浮んでいるばかりでは退屈で、時にはケタをはずしてみたくなる。それかと言って客にショートケーキを出すのに、醤油を添えるというようなことは実際上できない。
 どうもこのあたりから〈詩〉がむらむらと湧き出そうである。」(168頁)
ルールの中で規則正しく平穏に良識ある生活を続けて行くことは、大変に難しいというのがぼくの実感です。
 藤富さんは「健康的であるけれど、その慣れの波に浮んでいるばかりでは退屈で」という日常についての思いがあります。
 退屈な日常を裏返したいという欲望は理解できます。しかし、ぼくの場合は平穏に良識ある生活を続けていくことの難しさに詩が湧き出そうとします。
「北園克衛は『詩人は嘘の世界と本当の世界で、嘘でも本当でもない感覚の世界を作る道具であると言うことは出来る』と飛躍して言っている。」(160頁)
 詩は嘘の世界(虚構)をつかって本当の世界(あるべき真実の世界)を描きだそうとするものです。そのどちらでもない感覚の世界は退屈しのぎにはいいでしょうが、生活する難しさをかかえているものにとってはそのために割く時間はありません。
 日常は退屈であるというのが、藤富さんの詩を作る根底にあるものです。ぼくは平穏に良識ある生活を続けていくことの大変さ、つまり生き難さを詩を作る根底に据えています。

(この項つづく)

(メールマガジン「詩を作る楽しみ」2012年6月15日号よりhttp://www.mag2.com/m/0000163957.html)

(http://blogs.dion.ne.jp/poem_and_fantasy/=詩とファンタジーのレシピ)

(http://plaza.rakuten.co.jp/poetry2005/=詩を作る楽しみ)

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