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藤富保男コミュの藤富保男さん『詩の窓』第12回―題についてー殿岡秀秋筆

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藤富保男さん『詩の窓』第12回――

藤富保男『詩の窓』(思潮社2011年12月25日発行)より
引用は特にことわりのないかぎり本書からです。

藤富保男さん『詩の窓』第12回――「詩作にふれて1」・「厳粛な冗談好き」より


★題について

「一般的に詩を書くときに、詩の本文が先にできてから、題をあとで付けるという経験をされた方が多いと思う。たとえテーマが与えられても、テーマに沿って詩文を作るのが先になるものである。『愛』というテーマがあって、題が『母』になったりするように。
 詩を書く人の何人かは、本文を書くと同時に題ができあがる人もある。しかし、題に迷うときは、迷えるだけ迷うのがよい。詩集の題でも同じである。ある日、神の声が頭を横切るだろう。題はある場合には内容の象徴であり、あるときは総括である。またあるときは、本文の一行目に直接つづく詩文の一行目になってもよい。題がキマッタ、という刹那にその詩は翼をひろげて飛べるのである。」
(詩作にふれて1 57ページより)

「そもそも題名というのは、その題名があるからその内容を象徴するという約束は何もない。地口などで題名にふくらみを持たせる場合は、二重の意味を考えればよいし、題名を意識的に浮き上がらせて、ただたんに海の上に浮かぶブイのように、作品は下のほうで違う形をしていてもよいわけである。
 ぼく(藤富)個人の場合であるが、詩の題に『ぼくの基礎』で木曽の旅を書いたり、『笑い終ったら話の水をよく切っておくこと』という題をつけた例もある。これは『笑い』は『洗い』で、『話の水』は『タワシの水』になり、『洗い終ったらタワシの水をよく切っておくこと』というイタズラでもあった。全部が全部こういう遊芸をやっているわけではないが、一冊の詩集の中にいくつかの操作をした題名を入れている」
(「厳粛な冗談好き」80頁より)

☆辞書から
地口=ことわざや成句などをもじって作った語呂合わせの文句。「下戸に御飯(猫に小判)」の類

☆comment

 言葉の遊芸は詩になりえます。言葉の思考も詩になりえます。どちらも詩であって、どちらかが詩でないという立場をぼくはとりません。そしてぼくは言葉の遊芸の詩をほとんど書きません。言葉で思考する詩を書こうとしています。
 題はいくつも作っているうちにコツがのみこめるようになるとおもいます。仮題をつけて書きはじめますが、作り終えるころには、ほとんど仮題とは変わっています。
 詩文の一行目を題にして、一行目からその言葉を外すということもやります。
 詩文の全体が何を言いたいかを象徴する言葉を、ぼくの場合は題にすることが多いとおもいます。
 言葉の遊芸をする詩人は孤独なのだとおもいます。『不思議の国のアリス』を書いたルイス・キャロルも孤独だったのです。
言葉で思考する詩を書く人も孤独なのです。
 詩を読んでもらってほんのちょっぴり笑ってくれればいい、そして気づくなら孤独に気づいてもらえればいいというのが言葉の遊芸をする詩人の気持ちでしょうか。
 言葉で思考する詩は、互いに響きあうことの難しさに絶望しながら、それでも言葉を紡ぎだしていく。どこか絶望の向こうで、孤独な魂と響き合うことがあるかもしれないと考えているのでしょうか。

(この項つづく)

(メールマガジン「詩を作る楽しみ」2012年4月15日号よりhttp://www.mag2.com/m/0000163957.html

http://blogs.dion.ne.jp/poem_and_fantasy/=詩とファンタジーのレシピ)

http://plaza.rakuten.co.jp/poetry2005/=詩を作る楽しみ)

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