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藤富保男コミュの詩人藤富保男さん研究ーーニヒリズム哲学篇

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詩を作る楽しみーー詩人藤富保男さん研究ーーニヒリズム哲学篇――



 一人の詩人(藤富保男さん)の根拠(なぜ詩を書くのか)を探るのは難しいものです。回り道かもしれませんが、哲学からはいってみようと思います。
 ニヒリズムについて、平凡社大百科事典から引用します。今回はそのうちの「哲学篇」です。

●ニヒリズム(Nihilism)について

 虚無主義ともいう。
 アウグスティヌスは「何ものも信じないものを意味する」という。
 自分の哲学上の根本問題としてニヒリズムを最初にとりあげたのはニーチェであり、社会運動との結合において広く一般に使用されるようになったのはツルゲーネフの『父と子』(1861年)という小説以後のことである。

●ニヒリズムの形式

 ニヒリズムは形式的には、何ものとも承認せず、否定しようとする立場である。
 否定する際に何に重点をおくかで次の四つに分けられる。
1いかなる真理も存在しない。また、認識されない。(ギリシャのソフィスト)
2すべての義務や規範の妥当性や拘束力を否定し去ろうとする実践的、倫理的なもの。最高の諸価値が価値たることを失うこと。(ニーチェ『権力への意志』第二節)
3国家や社会の秩序、組織、イデオロギーなどを破壊しようとする政治的なニヒリズム(ツルゲーネフ。ロシアの革命思想。テロリズム)
4あらゆる世俗的なものの価値を否認し、厭世観の態度をとる。(仏教に顕著)

●現代のニヒリズム

○デカルト(1596年生まれ)
 すべての物事を対象化し、自分の前に表象するという態度はデカルトにはじまっている。デカルトは「コギト」(自我)をあらゆる存在者の関係づけられた中心においた。これは存在するものが対象的に存在するものに限られ、したがって存在するものの存在とは対象性のことであり、真理とは表層の確実性となったことを意味する。

○ニーチェ(1844年生まれ)
 現代のニヒリズムは、近代の文化や社会が表層上の繁栄にもかかわらず、深層においてはすでに息づまった19世紀半ば以後のものである。これを根本命題としたのはニーチェである。かれは「キリスト教のニヒリズムにヨーロッパの退廃は由来するとした。」
 キリスト教徒は世俗の権力や財力に強い執着を抱いているが、弱者であって強者に対抗しえないために、世俗的なものの価値を否認する態度をよそおい、博愛、人道を唱道した。この不誠実なニヒリズムが退廃の根源である。これを打破するには権力への意志を高揚させるほかはないとした。「神は死んだ」と宣言する権力意志の立場もやはりニヒリズムである。しかし、ニーチェはキリスト教的厭世観的ニヒリズムが受動的であるのに対して、権力意志の立場が能動的であるところに相違があるとした。

○ハイデッガー(1889年生まれ)
 神を殺してニヒリズムを招致したものは、じつをいえばほかならぬ権力意志である。これは生活圏の現状を維持し、また他を征服してそれをより以上に拡張するために、たえず評価し打算しなくてはならなり。このために物事をすべて対象化せざるをえない。その結果認識され経験されるものは、ただ対象的に存在するものに限られることになるが、存在するものはこういうものに限らない。だから存在するものの存在も対象の対象性とは限らない。しかし、現代の人間が認識し経験するものは、対象的に存在するものでしかないから、それは当然存在ではなく虚無となる。ここに現代の人間がニヒリズムのうちをさまよわざるをえないゆえんがある。
 ニヒリズムの克服のためには、権力意志の高揚が必要なのではなく、もっと開かれた心をもって謙虚に存在するものの存在を受けいれることこそ必要である。このような考えをハイデッガーはリルケ解釈においても展開している。
 しかし虚無に対する存在そのものが何か、またそれがどのようにして存在されるかについては、積極的にほとんど説かれることがない。

○サルトル
 一般に実存哲学は、不安、絶望というような人間心理の暗黒面を好んで分析した。また、現代の機械化され大衆化された文化と社会とに対しては反抗的であるため、ニヒリスティックな空気を濃厚にただよわせている。
 サルトルは対自存在と即自存在とが結合すべきはずなのに、現実にはつねに分離せざるをえないことにおいて自分自身の哲学もエゴイスティックなニヒリズムのうちにとどまることを肯定している。

○金子武蔵さんの見解(平凡社大百科事典「ニヒリズム哲学編の著者」)
 ニヒリズムは形式的にはあらゆるものの否定を主張するが、じつをいえばなおとらわれるところがあり、肯定を残していることが多い。そして否定からとり残されて肯定されているのは、結局のところ愛すべき自我である。ソフィズム、懐疑主義、相対主義、権力主義、アナーキズムなどの場合もほど同様である。
 これに対して愛すべき自我さえも否定し去るニヒリズムは、真に自由で批判的な精神として、個人としても、社会としても、進歩発展するために欠くべからざる中間状態であり、また、このような場合にのみ、虚無は存在に転換することができる。


 次号では、同じく『平凡社大百科事典』から、「ニヒリズム文学篇」をお届けする予定です。

                                 以上

http://blogs.dion.ne.jp/poem_and_fantasy/=詩とファンタジーのレシピ)

http://plaza.rakuten.co.jp/poetry2005/=詩を作る楽しみ)

(メールマガジン「詩を作る楽しみ」08年3月23日号よりhttp://www.mag2.com/m/0000163957.html

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