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Walking With Jesusコミュのはじめまして

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コミュニティトップの言葉に甘えさせてもらいまして
無宗教に近い立場からコミュ参加させてもらいました。
こちらの方からすると多少不謹慎な下記コミュのような
考えを持つものです。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1428785

どの宗教という訳ではありませんが、特定の宗教に
傾倒することに多少の違和感を持っています。
宗教という少々ナーバスな内容の会話をする機会
も普段ありませんし、そもそも信仰とはどんなものかという
純粋な興味と疑問から参加させていただきます。

コメント(3)

はじめまして!

一応管理人をしてるケンと申します。このコミュニティにご参加いただきありがとうございます!マストさんのように別の宗教観をお持ちの方が与える事のできる新鮮な味がこのコミュニティに加わることを期待しています!

一般教のコミュニティを見させていただきました。なかなか面白く、かつ柔軟性のある概念で色々考えさせられました。なるほど、それぞれの行事に応じて違った宗教の儀式を違和感なく行える、そういう人をまとめて一般教。

ではまじめなクリスチャンとして生きている者の宗教観を少し分かち合わせていただきましょう。僕もそういう意味では「一般教徒」とも言えるでしょう。クリスマスや結婚式は教会、でも夏祭りなどは神社にもときどきいったりしました。でも宗教を見るときその宗教から生まれる「文化」とその宗教の元々の「教義」とを区別するべきだと僕は考えます。ある宗教の「文化」的な要素を生活に取り入れている意味で「仏教徒」「クリスチャン」と一般的に言われますが、教義を従順に守って生きている意味での「仏教徒」、「クリスチャン」との生き方にはかなりの開きがあると思います。僕やこのコミュニティの多くの方は後者のほうです。

マストさんの「特定の宗教に傾倒することに多少の違和感を持っています」というのは理解できます。それは、前述の「文化」と「教義」を混同した理念を各宗教が広く説いているからではないてしょうか。例えばクリスチャンになると禁酒禁煙だという考えが一般に広まっているようです。しかしこれはよりましな私生活を目指すことから来るものであって、別にキリストの教えでもなんでもありません。もちろん禁酒、禁煙、その他のあらゆる禁欲は信者にとって有益でしょう。でもその全てがクリスチャンになる上での必須というわけではありません。キリスト教の教義の根本は、まず全てを尽くして神を愛する、周りの人々を敵味方を問わず愛する、自分の罪を悔い改めてキリストの従う・・・などなどです。

宗教を見るとき、外側の風習や行事の文化の面だけでなく、その教義の根本を見るのも重要ではないでしょうか。「文化」や「習慣」の観点では特定の宗教に傾倒する必要はないでしょう。しかし教義、特に「救い」になるとより真剣に真実を追求し、一つの宗教に従うことになるものです。僕の場合はキリストの教える生き方が一番だと確信して従っています。

長くなりましたが愚見を述べさせていただきました。またこれから色々深みのある議論などを楽しみにしています!
早速レス ありがとうございます。
ケンさんのお話から信仰がなんたるかの片鱗を感じたような気がしますし啓蒙される部分もあります。
自分の中に「確信」と断ずることのできる、人生観はないの
ではと思うと、その確信の強さがうらやましいとも感じます。

「文化」と「教義」の区別、そういう考え方もあるのかと、
また、その考えも現実に理にかなっているの部分もあるのではとも思います。
上記の「一般教」の考えとは別な話しで、自分の宗教感
(感とかいたのは感覚的なものだからです)について少し
書いておきます。

自分の中で教義にあたるものは、何かと言われれば「良識・倫理」でしょうか。
それは、小さなことで言うと、人の嫌がることはしてはいけません、とか、人のものを取ってはいけませんとか、周りの人を大事にしようとかそんなシンプルな親のしつけ、今まで関わった人の考え方とかそういった物の集大成です。ですから、これからの体験によって、たとえば結婚式で聞いた神父さんの話だったり、葬儀で聞いた説教によってその内容と言うのは変わるかもしれません。またその考えの中にはキリスト教の教えに影響を受けたものあるかもしれません。そういった意味で自分の教義に確信はありません。

ただ一ついえるのはこのように自分の頭でそしゃくした、「良識・倫理」にしたがって生きている今の自分が幸せであることには確信を持っています。
また無宗教と名乗る人間が多いこの国がそこそこの繁栄を保っているのは、国民性もあるでしょうが、その「良識・倫理」の存在が大きいのでは、とも考えます。

私のいう「特定の宗教のに傾倒することの違和感を持つ」は言い換えれば特定の宗教の教義を鵜呑みにすることに抵抗を感じるということかもしれません。どの宗教にも教義の根本ではすばらしいことを言っている事もありますし、その考えに感銘を受けることもあります。しかし宗教の教義といっても人間の作るものですから、完璧なものがあるとは思いません。たとえば、「偶像崇拝を禁止する」などの他の存在を認めない排他的な部分を持っていたり、理解が難しい神秘的で限定的な事象を無条件で全肯定しなければいけなかったりと、宗教の教義の中には自分の考えと照らし合わせて受け入れることができない部分が存在するのも事実です。
ですが全てを否定はしません。
それぞれ良いところも有るからです。

文化的な部分のみならず、教義的な部分でも
特定の宗教に傾倒しない人間の存在を少し理解していただけたら、と思います。
長々と無益な文章を羅列してすみませんでした^^。
返信遅くなってすみません。

特定の宗教の教義を鵜呑みにできないのは分かります。僕は何事も鵜呑みにしない人です。聖書に書いてあることをチャレンジしたり、教会で教えられていることに異論を唱えたりは良くするので他のクリスチャンに変に思われることもしばしばあります。

鵜呑みにはせず、思い巡らし、納得するまで考えてから認めます。しかしキリスト教の一つの性質を見ると、キリストを神と見ているわけですから、彼の教えた教義は人のものではなく、神みから来る絶対的のものわれわれは見るわけです。宗教に排他的な部分が多少あるのは仕方ないでしょう。聖書の偶像礼拝禁止は、全知全能の神が人みたいに弱く小さいものにご自分をお示しになったにも関わらず、それを差し置いて人の造ったもの拝むのはいかにもばかばかしい、という概念から来ているのだと思います。

「理解が難しい神秘的で限定的な事象を無条件で全肯定」は、僕自身は絶対に拒否します。教会であろうが牧師であろうが、自分の知能で理解できないものを絶対的に認めさせようとするものには真っ向から反対します。それを完全否定するわけではありませんが、わからないものはわからないでいいと思います。

なかなかまとまっていない文章ですみません・・・またよろしく!

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