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ジャイアント馬場コミュの馬場のベストバウト

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馬場のベストバウトだと思う試合を語り合いましょう!
正直、日プロ時代を含めて語れる人ってのは少ないと思いますので、レスをする方の私的ベストバウトとなると思いますが、思い入れコミで熱く語りましょう!

コメント(34)

vsスタン・ハンセン
(82年2月 東京体育館・PWF認定ヘビー級選手権)
この試合は、当時44歳で動きにキレがなくなってきた馬場に対し現役限界説が流れていた時の試合。
対するハンセンは、新日のエース外国人として大暴れしていた時代。それが、全日に突如現れ、馬場との対戦を表明。試合までの前フリはバッチリだったが、ピークを越えたと思われた馬場が不利であろうと戦前評された。

だがその説は一気に覆される。
試合開始直後、ロープワークから奇襲の16文を抜いたときはTVの前でめちゃくちゃ興奮した。
その後も馬場の執拗な左腕殺しなど手に汗握る攻防。
結局場外でレフェリーに暴行ということで、両者反則のドローとなったが、会場は「大・馬場コール」で馬場の健闘をたたえた。
馬場のキャリアを生かしたテクニックと、ハンセンの若さあふれる直線的なレスリングが見事にスウィングした試合だった。

当時小学生だった自分はめちゃくちゃ感動して、どちらかというと猪木よりだった心を動かし、プロレスにはまったんだよなーと今でもこの試合のことをたまに思い出します。
はじめまして、馬場さんの大ファンです。

シングルではないんですが、
ハンセン・馬場組vs三沢・小橋組
(平成6年3月5日 東京・日本武道館)
馬場さんが試合後に、もうメインは出ないといった発言までした、試合です。
私はプロレスファン歴15年くらいで、馬場さんの試合はTVとビデオがほとんどですが、当時の全日本プロレス中継でTVの前に釘付けになった記憶があります。
馬場さんが巧くグラウンドを組み合わせてで三沢。小橋を翻弄しつつ、ハンセンが力でドーンと押し切って、でも三沢エルボーや小橋逆水平などで反撃。
最後に三沢小橋組の雪崩式ジャンピングネックブリーカーが出たところで最高潮でした。
ぜひ、馬場さんのファンであればビデオでも観て欲しい一戦です。
個人的には全日本プロレスの明るく、楽しく、激しい試合が一番凝縮されている試合だったと思います。

試合後、馬場さんが「(自分が)一線級を退いても(全日は)大丈夫」といったコメントが印象的です。そのコメントをしているときの馬場さんがとても嬉々として楽しそうだったとか。
やはり、PWFにまつまる試合が印象に残ってます。
レイス戦や福岡でのハンセンとの試合は、特に印象に残ってます。
ブルーノをライバルとして考えていた本人としては、ハンセンが全日に戻ってきたときに「手があう」とプロの勘で思ったのでは。
本当に素晴らしいプロとしての個性です。
フラフラになるまで闘ったキニスキー戦などもよかったけど、あの全盛期を取り戻したかのような82年2月2日のハンセン戦は涙が出るほど感動、元気をもらいました。
フリッツ・フォン・エリックの鉄の爪で流血に染まりながら

ガシッ!

とブロックして攻撃に転じた姿が瞼に残ってます。
ハリーレイスからNWAのタイトル脱出した試合。すぐ取られたけど?・
3度目のNWA奪取のハリーレイス戦。確か佐賀スポーツセンター
たたみかける攻撃で最後はランニングネックブリーカー。めちゃくちゃ感動しました。このころからプロレスにはまりましたね。そのあとの3000試合記念試合のバーンガニアとのAWA戦もよかったね。日テレは中継のたびに3000試合の軌跡で名勝負放送したのをおぼえてます。ますます馬場さんのファンになりました。
ただ鶴田が台頭してきた時期なのでだんだん鶴田にメインを譲ってきたのがむしょうに悔しく思ってました。(鶴田はきらいじゃないけど)
馬場対ラジャライオン戦
残念ながらよく覚えていませんでした。
馬場対鶴田は必ず放送されてましたよ。

しかもいつも松永アナの実況で

しかもいつもプロレス絵巻をみてるような展開でっていってました。

しかもいつもフルタイム引き分け。

しかもいつも全部の大技がでます。

しかもいつも楽しみにしてました。(1982年までありました。)
馬場・木村VS天龍・ハンセンです。
はじめて馬場さんが日本人にフォールされた瞬間。
負けてしまった試合だけど、
一番印象に残ってます。
対ぶっちゃー戦 pwfをシカゴ?で奪回した キックキックで血まみれのぶっちゃーに気迫あふれるbigBABAが迫力満点でした。
初めまして。
私がプロレス的物心がついた時は、馬場さんはすでにファミリー軍団として前座を沸かせていました。
そんな中、デビアス欠場の流れから組まれた、
馬場、ハンセンvs三沢、小橋
が私の中のベストバウトです。
三沢のダイビングネックブリーカーでフォール負けするも、初めて見た「強い馬場」に感動したのを今も強く覚えています。
馬場さんが乱闘をやった数少ない試合

81”世界最強タッグ 決勝戦

ザ・ファンクスvsブロディ・スヌーカ


昨日まで、新日本に上がっていたハンセンが、突如ブロディ組のセコンドに・・

そして試合中、とうとう、テリーファンクに場外ウエスタンラリアット
テリー戦線離脱・・・・

孤軍奮闘のドリーもブロディのフライングニードロップに沈む。
これだけで十分な、そして衝撃的な外人世代交代。

優勝トロフィーを手にするブロディ・スヌーカに必要に迫るふらふらなドリー。

そのドリーをブロディが、そしてハンセンがボコボコに蹴りまくる、その時・・

馬場さんが、リングに・・・・

ブッチャー引き抜きに始まった、新日との外人引き抜き戦争に、
決定的ダメージを与えた、ハンセン引き抜き。
その時は子供で知る由もなかった馬場さんの政治力、行動力、
プロモーターとしての信頼度。

ハンセンに『OK』と言わせた、引き抜き交渉こそ、
プロモーター馬場さんの、最も価値あるベストバウトだ。


でも、もう一度みたいのは、
馬場・木村・百田vs大熊・永源・渕
皆さん挙げますけど、やはり82年のハンセン初対決はすごかったですねexclamationいきなり飛び出したカウンターの16文に始まり手を替え品を替えての左腕殺し、終盤には32文ロケット砲まで飛び出しましたふらふら実況の倉持アナよろしく、やれやれ!馬場!やれやれ!馬場!ってな感じの試合でした。試合前には8:2でハンセンコールが起きてましたが、最後は全て馬場コールに変ってましたバンザイジャイアント馬場を感じるには1番の試合ですねexclamation

やっぱり自分も82年、スタンハンセンとのPWF初対戦です。
当時のハンセンは世界最強と評価する声が高かった。
新日本・アントニオ猪木の馬場さんへの誹謗中傷は常軌を逸しており凄まじく
マスコミもブームの絶頂だった猪木偏重。新聞・雑誌には馬場不利どころか、
ウエスタンラリアートで馬場は再起不能にされる!とか、ハンセンと戦ったら
馬場は命にかかわる重大な事態になる・・などと無責任な事を書いて煽る状態。
自分は馬場さんを信じていたけど、当時の世間は猪木信者が圧倒的に多くて、
もしも馬場さんが負けたら・・と不安な気持ちも正直に言えばありました。
だけど、さすが世界の馬場。ご存知の通り、馬場さんは口でレスリングはしません。
リングの上で全盛期のハンセンを圧倒して我々の期待に応えてくれました。
PWF奪還の試合も思い出深いですが、最高の感動を与えてくれた試合として
82年2月のPWFハンセン戦をベストバウトに選びたいと思います。
私が物心付いた時には悪役商会との対戦だったので、
やっぱハンセン・馬場組vs三沢・小橋組 ですかねぇ〜。
天龍以来の日本人からのピンフォール負けでしたね。
はじめまして、芋平と申します。

自分は30代後半頃の馬場さんがトップロープからジャンプした
フライングボディープレスでハリーレイスをフォールした
試合とブッチャーのエルボードロップをセコンドから渡された
ブリキのバケツで受け止めた試合(メッチャ面白かったです)が
印象に残っています。

あの当時の馬場さんは猪木以上に何をやっても許されたんだと
思います。
上田馬之助の制裁マッチも好きです。
はじめまして王道ですexclamation自分は馬場さんを生涯の師と仰いでいる男です。まだmixi始めたばかりですがヨロシクお願い致しますm(_ _)m
自分の思い出は全てですが、馬場さんハンセン組対三沢、小橋ですexclamation
馬場さんが負けて、なんだか無性に泣けちゃいました泣き顔それくらい印象度が高い試合でしたexclamation
馬場さんの試合は本当に心に残り生きがいをあたえてもらえました指でOK
それよりも選手育成、マッチメーク等が本当のベストバウトだと言えるかもしれないですねexclamation
馬場・アンドレvs天龍・ハンセンも良かったですねぇ〜。
89年の最強タッグの札幌でしたか。
馬場が負けるってのが衝撃的でした。
しかも天龍のパワーボムで・・。
2度目のNWAを獲得した、ハーリーレイス戦ですね。
馬場{サンとはあえて言わない(笑)}快心のランニングネックブリーカードロップ
でした。奥義を極めた瞬間だったのでは!?
東京体育館での馬場、鶴田組VSウイリアムス、ゴディ組は泣けました。
ピークを過ぎた馬場さんがSWS騒動で大量離脱の中メインに登場。
当時バリバリの”殺人魚雷”コンビの猛攻に撃沈!でも意地を見せてくれました。
それは対戦相手と言うよりも自分自身に対して。王者の魂・・・
>025

この試合は馬場さんの男気、社長の意地を見ました。コーナーポストの受け身がおかしい形となり動けなくなったあの姿・・でもゴディのパワーボムをキックアウトした時は体が震えました。その後のラリアットでピンを取られましたが、最後までキックをしようとしていましたね。内容としては評価が難しいですが、心に残るいい試合でした。
>24さん
確か、パートナーは、R・木村 じゃ無かったですか?(アンドレと組む前年位?)
私もこの試合は、熱く震えました。
ラッシャーの耐える姿は、「不動明王のようだ!」

>25さん
・・・で、その後、同年の世界最強タッグで、アンドレと合体、当時無敵を誇った その、「殺人魚雷コンビ」 に雪辱してますね。
あの、16文から 超ドンピシャのランニングネックブリーカードロップは自分的にも、タイミング ベスト3 「R.N.D」 だと思ってます。
(因みに他は、 VS J・ブリスコ、 VS H・レイス)
オールドファンの私としては、大阪球場バツキニスキー戦及びキニスキーにバッグドロップでインターナショナル奪われた試合。


ボボ ブラジルからインターナショナル奪われた試合に32文ロケット砲3連発で
奪い返した試合かなexclamation ×2

全盛期の日本プロレス時代、馬場かシングルで負けたのは
この2人だけか!?

ブリスコから当時最高の権威のあったNWA奪取も感動したが(当時普通の新聞雑誌も取り上げた) ベストバウトでは大型同士のぶつかり合いに尽きますね!!

個人的には小型のテクニシャンとは、あまり名勝負には ならないかなexclamation & question

仮に猪木とやっても絡まない気がします。 もちろん、馬場が強がったでしょうがexclamation ×2exclamation ×2

ハンセン&ブロディも名勝負でしたが…残念ながら少し全盛期ズレてるので…全盛期の馬場ならパワー&スピード&テクニックにインサイドワークあらゆる面でハンセンを凌駕してたと思いますよ。

鶴田の方が試合に関しては器用で名勝負は多いですね!!

もちろん日本人最強レスラーはG馬場かJ鶴田exclamation ×2 悩むところかな!!
こんばんは。
この試合の詳細を知りたくて書き込みました。

馬場さんがめっちゃ喜んでいるので、印象的なのです。

まだ初心者なもので、すみません。

どなたか教えていただけませんか?
1974年12月2日。馬場がジャック・ブリスコからNWA王座を奪取した試合。ランニング(フライング)ネックブリーカードロップが決まった瞬間ですね。東洋人初のNWA世界王者になりました。
1983年11月29日・札幌中島体育センター
世界最強タッグ決定リーグ戦公式戦45分1本勝負
ジャイアント馬場、ドリー・ファンク・ジュニアvsジャンボ鶴田、天龍源一郎

生涯最後の32文人間ロケット砲を繰り出した試合です。

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