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百人斬り訴訟を応援する会コミュの望月五三郎証言

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コメント(15)

このあたりから野田、向井両少尉の百人斬りが始るのである。野田少尉は見習士官として第11中隊に赴任し我々の教官であった。少尉に任官し大隊副官として、行軍中は馬にまたがり、配下中隊の命令伝達に奔走していた。
この人が百人斬りの勇士とさわがれ、内地の新聞、ラジオニュースで賞賛され一躍有名になった人である。
「おい望月あこ(※2)にいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。
一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。
戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの理由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。
その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。
両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦闘中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。
この残虐行為を何故、英雄と評価し宣伝したのであらうか。マスコミは最前線にいながら、支那兵と支那農民をぼかして報道したものであり、報道部の検閲を通過して国内に報道されたものであるところに意義がある。
今戦争の姿生がうかがえる。世界戦争史の中に一大汚点を残したのである。
終戦后、連合軍は両少尉を如何に処置したか、ここで”潜行三千里”の著者、元参謀辻政信大佐の手記を引用してみる。
彼は敗戦の報を知って、戦犯をのがれるためビルマ、タイ、仏印、昆明、重慶へとのがれ南京に至って支那の重臣の庇護の許に、混乱する状況下で共産軍毛沢東に対処する戦略をアドバイスしていた。それから戦犯容疑が時効となり日本に帰ってきたときのことである。
野田・向井両少佐(※3)が南京虐殺の下手人として連行されてきた。この二人は、一たん巣鴨に収容されたが、取調べの結果証據不十分で釈放されたものであるが、両少佐は某紙の100人斬りニュースのお陰で、どんなに弁明しても採上げられず、ただ新聞と小説を証據として断罪にされた。
永い間の戦争で中、小隊長として戦ってきた人に罪は絶無であることは勿論であるが、証據をただ古新聞や小説だけに求められたのでは何とも云えぬ。
両少佐の遺書には一様に”私達の死によって、支那民族のうらみが解消されるならば、喜んで捨石になろう”との意味が支那の新聞にさえ掲げられていた。
年も迫る霜白い雨華台に立った、両少佐はゆうゆうと最后の煙草をふかし、そろって”天皇陛下万才”を唱えながら笑って死についた。おのおの二、三弾を受けて最后の息を引きとった。
 ◎やれ打つな 蝿が手をする足をする(一茶)
(「私の支那事変」望月五三郎著私家版1985年P43-45)

※引用者注
1 「鯖中隊」 中隊長の落丁と思われます。(他の部分で中隊長のことを「鯖中隊長」と書いている)
2 「あこにいる支那人」 あそこにいる、の落丁でしょう
3 「野田・向井両少佐」この部分は、おそらく辻参謀の手記が誤っていて、それをそのまま転載したためにこうなったのでしょう。両少尉は事件当時はもちろん少尉であり、また最終階級は大尉であって、少佐の階級を得たことはありません。
また、細かいことですが、「戦犯容疑が時効となり日本に帰ってきたときのことである」とありますが、辻の帰国は実際にはまだ戦犯の指定が解除される以前のことです。(極秘に帰国してそのまま隠れていた)
「南京大虐殺論」コミュより引用。

---------(引用開始)-----------------

67 2007年10月07日 14:58 ナームの怨霊

(前略)

打ち首についての誤解
江戸時代の打ち首は、介錯人以外に3人の押さえ役がいた。
2人が左右から押さえ、4人目が介錯の直前に足の親指を強く
引っ張った。足の親指を強く引くと首が伸びた。
打ち首になる人間は、亀の様に首が、すくんでしまうので、
打ち首には、最低4人目が必要であった。
介錯人が、返り血を浴びない為もあり、3人の押さえ役が
が、必要だった。
また、介錯は剣の達人でないと出来なかった。
剣道を少しやった程度の腕では、上手く出来ないのだ。
捕虜を座らせておいて、一人で首を落とすことは、出来ないの
である。

-----------(引用終了)-------------------
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=23509643&comm_id=565689&page=all


ただし、上引用中「介錯」は誤りです。
罪人の斬首は介錯とは言いません。
上で引用したように、日本では斬首の際、罪人は死にたくないから首をすくめるし暴れるのを抑えるために複数人の手を必要とした。
また、首切り役人は血がかからないように斬っていた。


でもトピックの資料を見る限りでは、百人斬りでは被害者は首もすくめなければ暴れもせず笑って斬られたらしい。
しかも斬る方も斬られた首から噴出すはずの血を避けもせず正面から斬っているらしい(笑)
望月五三郎証言が決定打となり、百人斬り訴訟は原告敗訴に終わりました。
4 Sigesige さん

それで、この証言を貼ってどうされるおつもりなのでしょうか。

証言の真偽を検証されるおつもりですか?
それとも、この証言があるから百人斬りを認めろ、という事でしょうか。
6 Sigesige さん

なるほど。

では貴方が証拠として出されたものの中に

>両少佐は某紙の100人斬りニュースのお陰で、どんなに弁明しても採上げられず、ただ新聞と小説を証據として断罪にされた。

と書かれていますが、この点についてどう思われますか?
>>7裁判の時点では十分な立証がなされていなかったと思いますが、断罪された後に有罪が確実な証拠が出てきたわけです。
>8

私は2でこの証言の信憑性に疑義を提示しました。
そして貴方が言うには、7で私が示した点にもこの証言には誤りがあったという事になりますね。

本当にこの証言は信頼に値するのでしょうか。
>>9信頼に値します。詳しくはリンク先を読んでください。
>10

というか、貴方ご自身の反論はないのですか?

私の引用した2、そして3はどう思います?
>13

具体的にはどこがどう反論になっていませんか?

ご指摘をお願いします。
望月氏の私家本を証拠に挙げられる人がいますが、この本では

?「潜水艦の水先案内で軍用船は静かに岸壁を離れていった」(潜水艦が水先案内!?)
?「重機関銃や軽機関銃で城壁は破壊されていく」
 (それはムリ。米軍の12.7mmM2重機関銃でもムリ。尚当時の日本軍の
  重機関銃は7.7mm92式重機関銃、軽機関銃は6.5mm11年式軽機関銃)
?「戦車が城門めがけて激突破した、城門がギイイと音をたててくずれた」(これもムリ)

と少しでも軍事や南京戦を知っていればおかしなところが出てきます。

証拠能力はあっても、このような描写の内容の本は(阿羅健一氏が間違いを指摘)正に証明力は無いものと言えるのではないでしょうか。

反論以前に残念ながらSigesige氏が挙げられた望月氏の著書は意味の無い証拠と言わざるを得ません。

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