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ペリリューの戦いコミュのはじめまして。

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遅ればせながら、大佐と申します。どうぞ皆さんよろしく。

コメント(14)

どもこんばんは
肝臓と申します。
硫黄島のことをいろいろと調べていたらぺリリューのこと
も知りました。
ぺリリューの戦い前後の陸軍の現場の指揮官の多くは本当に有能で、なぜもっと早く第一線に配置されなかったのか、残念でなりませんね。
年功序列とかいろいろ有ったのでしょうけど。
そうすればやたらに突撃を敢行して無駄死にする方がどれほど減ったでしょうか・・・
わたしの両祖父はどちらも視力が悪く、前線に駆り出されることは無かったのだそうですが、もし駆り出されていて、万歳突撃を命令されていたらと思うと、本当にぞっとします。
戦争当事者の方たちがどんどん亡くなられている昨今、戦争について活発に議論したいものですね
>肝臓さん
こんばんは。ご参加有難うございます。
両御祖父様の話はまさに「人間万事塞翁が馬」ですね。素晴らしいことだと思います。

NHKの「ETV2002 緑の島は戦場になった」によれば、万歳突撃戦法が持久戦術へと変わった主な原因は、日本軍の戦略の変化にあったとのことでした。絶対国防圏崩壊後、日本軍は決戦場をフィリピンに定め、フィリピンより東にある島嶼部での戦闘は決戦までの時間稼ぎに主眼に置くというわけです。ペリリュー島そのものが、米軍のフィリピン到達を少しでも遅らせるための遅滞陣地ということになりそうです。

私の想像に過ぎませんが、兵士の中には生き地獄で糞を喰らうような生活を続けていくよりはいっそのこと敵中に突撃して討ち死にして果てたいと思う者も多かったと思います。最後期には洞窟の中で糞尿に塗れながら息を潜めているだけで、ガソリンを流し込むホースが伸びてくるのをじっと待っているだけという状況になっていたのでしょうから。
はじめまして

太平洋戦争関連の事は昔から結構関心がありましたが、今回の硫黄島ブームを背景に、日本軍が予想以上に、綿密な戦略を練って、圧倒的な物量の米軍に抵抗していたことが知り、とても関心している時、このペリリューの戦いも知り、コミュに参加しました。
私は浅はかにも、サイパン島の悲劇などの映像から、日本軍は各島で、十分な銃器もそろえられないまま、猛攻撃の米軍に突撃していき、玉砕していったのだと思っていましたが、このように、冷静な分析力で物量差などを計算し、有効な攻撃をしていた戦いもあったのだと知りました。

みなさんと比べると、ほんとに浅はかな知識のものですが、どうぞよろしくお願いします。
二か月くらい前に発売された 歴史郡像と言う雑誌にペリリューの戦いが特集されてます
はじめまして。私の祖父が海軍でペリリュー島にいました。零船などの整備もしていたそうです。
激戦の3日前にペリリュー島から移動になり、移動先の島で祖父の部隊は日本兵からも米軍からも離され、終戦も知らぬままでした。祖父は栄養失調で失明し、帰国後も入院していたそうです。
ペリリュー島の話しなど幼いながら聞いていたのですが、その時は小さすぎてわからなくて…。祖父が亡くなり父からペリリュー島での事や戦争の事を聞き、もっと祖父に話しを聞けば良かったと後悔していました。このコミュをみつけ少しでも、戦争について知れればなと思い参加させて頂きました。よろしくお願いします。
初めまして

ペリリュー島の戦いの事は、ここ最近2年ぐらい前に知りましたたらーっ(汗)

硫黄島や沖縄の日本軍が米軍相手に長く持ちこたえ戦いの事はよく知っていますが…かつての日本の委任統治領だったパラオ諸島にも長く持ちこたえた戦いがあったんですね…

しかもペリリュー島ではあんなに仲良くしていた日本軍の兵隊達がいきなり冷たくなった…でもその本心は日本の兵隊達が、米軍との戦いに島民を巻き込みたくなくて、島から逃がすためだった…涙
一緒に日本軍と戦うつもりだったのが、日本の兵隊達の優しい気遣いにより命を救われた…涙

本当にいい話ですよ涙

まさに武士道ですexclamation

そんな武士道を持つ、中川州男大佐以下、守備隊隊員の英霊達から少しでも武士道を教わりたいと思い、コミュに参加しました。

どうぞよろしくお願いします顔(願)
(パラオ・ペリリュー島まで交通費いくらぐらいかかるんやろう…たらーっ(汗))
はじめまして

TOKYO MX * 「西部邁ゼミナール 〜戦後タブーをけっとばせ〜」
↑の番組動画をニコニコ動画にて視聴して、この戦いのことを
知りました。現地の島民を避難させた裏話など感動いたしました。
また、このことを知らなかったことを恥ずかしく思い英霊に申し訳なく感じています。
>今年4月天皇皇后両陛下がパラオ諸島をご訪問されました。

戦後70年、漸くという感、否めませんが改めて想い無量です・・・

私の父が1944〜1945年(昭和19年〜20年)パラオ海洋師団(第14師団)照7713部隊(多田督知大佐)に在籍していました。

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