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エルンスト・ユンガーの時代コミュのユンガーと現代

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 マイミクのかまいちさん管理のコミュニティ「橋川文三を考える」のトピックと、私のMixiの日記に以下のようなユンガーに関する書きこみをしました。
・橋川文三コミュ(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=44692235&comment_count=201&comm_id=938199
・Mixiの私の当該日記(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1505220093&owner_id=7146920


(2010年05月31日 10:17)

ゲーテの「中庸」というのはどうやらドイツ人の理想であり、トーマス・マンをショーペンハウアーに擬えるとニーチェに該当するといわれ、ニヒリズム時代のロマン派とも評されるユンガーもゲーテを理想としており、ユンガーはゲーテの形態学を高く評価しており、ワイマール時代のユンガーの文学論でもある『冒険心(Das abenteuerliche Herz)』においてもゲーテの形態学をとりあげています。
 ところが、ゲーテ的な立場に至ったような精神は、ドイツの精神史や思想史、文学史においては「凡庸」の類になるようです。ゲーテはドイツの古典主義の代表ですが、そもそもドイツには古典主義は存在したのだろうか、ドイツの古典主義なるものはゲーテの個人的な奇跡にすぎないのではないかという見方もあります。ゲーテと並んで古典主義の代表とされるシラーは、ゲーテと比べるとロマン主義に傾斜しています。
 シュトゥルム・ウント・ドランクの克服としてドイツの古典主義が登場したのであれば、それはゲーテに訪れた奇跡であり、シュトゥルム・ウント・ドランクの方はロマン派になり20世紀にはナチスとなるのでしょう。つまりドイツは、ゲーテになるかヒトラーになるかということであり、そしてドイツはゲーテをアリバイにしたところがあるようにも思えます。
 個人的にはマンの小説は嫌いではありませんが、しかし本質的な意味でマンは凡庸だと思います。ただ、ヒトラーには神々の黄昏しかなく、凡庸である以外に現実性がないのがドイツであるならば、マンの凡庸さはドイツには不可避なのかもしれません。ユンガーは80歳を越えても戦後民主主義つまり凡庸な現実から「危険な精神」として批判され、1997年に102歳で死ぬまで危険性をいわれ続けましたが、長生きしたヘルダーリンではないかとも思います。ハイデガーいう、ユンガーは現代のニーチェであり、ニーチェと同じくニヒリズムの超克を主張するがゆえにニヒリストであり、必要なことはニヒリズムに耐忍すること、ニーチェではなくヘルダーリンであるというユンガー批判が的外れであるのも、私見ではここだろうと思います。ハイデガーは自分をヘルダーリンに、ユンガーをニーチェに擬したのかもしれませんが、『存在と時間』において「ダス・マン」から覚醒をいうところにおいてハイデガーはヘルダーリンではありえなかったわけであり、彼がナチスにいかれるのもそこにあるのでしょう。

(2010年06月04日 12:32)

 脇圭平さんの『知識人と政治』は、同種のテーマや扱った対象などから類例のものが少なく、親書でありながらなかなか貴重な本であり、またエルンスト・ユンガーについては当時としては異例なくらい頁を割いています。
 近年ではマックス・ヴェーバーの比較対象としてはトーマス・マンではなくエルンスト・ユンガーの方が適切ということで、ドイツではヴェーバーの官僚制とユンガーの形態としての労働者の比較や、ヴェーバー的な社会哲学とユンガー的美学の比較考察などが登場しつつあります。
 日本ではユンガーはまだまだ未紹介に近い伝説的存在の域を出ていないためドイツやヨーロッパの思想におけるユンガーの位置や問題性については肌で感じにくいところがあるかもしれませんが、Mystery Trampさんが書かれているようにサルトルの存命中は、フランスでもサルトルに匹敵する知識人と見られており、ドイツではいうまでもなくハイデガーやカール・シュミットと並ぶ存在であり、そのカリスマ的発光現象は異例なくらい強烈あったようですし、今なおその余韻は根強く残っています。
 ユンガーの不思議なポジションは、ナチスよりも過激なファシスト性を有しながら、ナチス時代は、ナチスに対する一切の協力を公的に拒否し、ナチスが提供すると申し入れてきた国会の議席をはじめ、ドイツ文芸院やプロイセン詩人協会などの役職の類もすべて拒否したところにあります。しかし、ユンガー論の難しさは、ではユンガーの思想は、ナチスに対してどのようなものだったのかというところにあります。
 この点で、脇さんをはじめとする人々の記述は、ユンガーの貴族主義者としての気質やヒューマニズムへの転向ということになっていますが、いうまでもなく、これらは戦後当初のドイツの状況を反映したものにすぎません。脇さんのユンガーの記述は、1950年代に書かれたゲルハルト・ローゼの『エルンスト・ユンガー。形態と著作』をいうならば"種本"にしており、時代的制約があることは否めません。
 ユンガーの思想のポイントは、ナチス的なもの、あるいはニーチェ主義的なファシズムだとすると、ナチスとの関係の把握は重要であり、ナチスに対してユンガーは何者だったのかということが、彼の思想の重要な内容になります。ところが、それをユンガーの貴族主義者的な在り方で処理しようとすることは、ユンガーの思想にまったく取り組んでいないに等しいといえます。これが脇さんやローゼなどの時代のユンガー論の時代的な制約と限界です。だから当時のユンガー論の大半は、ユンガーの思想や文学の解明の欠落した人物論でしかありません。そうした人物論的限界が越えられるためには、ドイツにおける戦後の批判が不可欠でした。これは日本における日本浪曼派への考察の状況ともパラレルなところがあると思います。

(続き)
 ユンガーのナチスに対する立場は、既存の反ナチとも非ナチとも異なります。あえていうならば、彼はナチではなかったが、もう一つの別なナチ、高度に知的に武装された独立した、精神的にアナキストだったナチだったともいえます。あるいはナチスがワーグナーだったなら、ユンガーはニーチェでしょう。
 ユンガーの「形態としての労働者」についてはユンガー的な存在論としての考察が不可欠でしょう。ユンガーのいう労働者とは、総力戦における兵士の社会的な現存在性ですが、ではその「兵士」とは何者かということです。そのためには総力戦、ユンガーのいう総動員の戦場とは何であり、そこで兵士は何を体現しているのかが問われなければなりません。
 このようなことからしてユンガーの思想、さらには政治思想についての解明は、近年、端緒についたばかりであり、またドイツ・モデルネの現存在とも評される彼の文学や美学に対する取り組みも始まったばかりといえるかもしれません。これは戦後さらには現代のドイツの思想や文学の状況を映し出しているとえるかもしれません。近年、フランクフルト学派の研究において、アドルノやベンヤミンの思想を、ユンガーと正面から対決させることを回避してきた弱点が指摘されつつあります。つまりそれは、ユンガーに体現されたようなドイツ・ロマン派からニーチェを経て現代に到るドイツ的なものの現存在との対決や解明をフランクフルト学派は回避してきたという批判的指摘でもあります。これはドイツにおける思想の震源から回避しているということでもあります。これはナチスに対する問いを禁じられた戦後のドイツ思想には不可避だったのかもしれませんが、結果として戦後のドイツ思想は、現代思想の脇役となってしまったといえます。
 文学においても同様で、はっきりいえばトーマス・マンは、ドイツ文学のナチス体験から逃げるためのアリバイでしかないようなところがあります。マンは確かにファウスト博士のような作品も書いていますが、しかしナチス体験という現実からすればマンの文学はブッデンブローグ家の人々であろうといえます。つまりマンの文学は最後まで教養だったことでもありますが、ポスト・マンとでもいえるユンガーにおいては体験であり、それも死の体験とその存在になります。好戦的とイデオロギー的批判にさらされたユンガー初期の戦争文学の問題性もそこらへんにあろうかと思います。近年ではユンガーの戦争文学の美学的読解も行われ、ベンヤミンの美学に匹敵するものをそこから抽出する精力的な研究も増産されつつあります。

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