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アイヌモシリ一万年祭コミュの縄文アイヌ

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アイヌは土器も使い現に縄文土器更に北海道独自と言う擦文土器を使っている、遺構が幾つも見つかっています。
ネイテブ(古きと言う意味合い)〜古式なアイヌ伝統文化としてはアイヌ民族は墓石は使いませんが、クワと言う木製の墓標を立てます、男性は槍の女性はは縫い針のデホルメ若しくはTの字、しながら墓参りと言う習慣は有りません。
慰霊は、先祖供養と言う概念でイチャルパと言い、カムイノミ(神に祈るから神に談判する相談する)時同時に行う事が多いです。
さらにチノミシリと言う、「我祈る場」と言う場所は有りますが狩猟採取を無事に済む事をカムイに祈願する場所です。
*(アイヌは、)鎌倉時代にモンゴル帝国に追われシベリア、アムール川沿岸から移住してきた民族(部族に近い)と認識していますが、違いますか?の質問ですが。
それは、ロシア系アイヌのお方の事で、現に皮膚が白く目が青いお方もいます。
アイヌ民族は1つのグループではないのです。
本文にも書きましたが。
例えば、札幌コタン、平取コタン、白老コタン(ポロトコタン・=ウポポイ)・網走コタン等々ネイテブアメリカンの各部族の集団の様も有り、そしてギリヤーク系、ロシア系、ナナイ族系と言う様に一つ一つが国家の概念を含んでる民族です。
縄文アイヌは勿論海越えたアオトラ石文化圏ゆえに蝦夷系アイヌも本州アイヌもいるのです。
日本列島は、多民族複合の火山列島貫く龍脈の大地ですと言っても間違いないです。
環太平洋は島伝いに船や徒歩で縄文時代自由な物々交換の文化交流があったとアオトラ石や黒曜石(産地が特定できる)また石器の類似点で分かる。
日本人=稲作の長として天皇純血主義と言うマヤカシと古事記に天皇制の思想が入り込んでいる事が間違いの元です。
*補足:及び添付 石器
北海道沙流郡沙流川の支流の貫気別川上流でしか取れないものが東北地方までに広がっているがアオトラ石器文化若しくは下記を読み知る事に成ればストーンサークル文化の繋がりが有りそうだと解ります。
そして更にはストーンサークル【環状列石】文化が・同じ形式でロシアアムール川上流【ナナイ族】から北海道そして津軽海峡を越えて東北地方にも有ります。
(イギリスにもストーンサークルは有るが日本やロシアに有る形式と違う。)
添付図の上部にある遺跡は、平取町荷負ストーンサークル跡遺跡です。
この時代は村と言う共同体が出来た時代でも有ります。
そして何か、平取町荷負ストーンサークル跡遺跡と隣接する貫気別川上流でしか取れないで津軽海峡を越えたアオトラ石器文化とダブって居るのでないかと思った。
更にです重要なのは、その平取町沙流郡字荷負の我が家から北海道沙流川の支流である貫気別川は、我が家から車で3分ほどで付く近隣で合流する沙流川すぐ手前にある平取町荷負に有る貫気別橋
https://loco.yahoo.co.jp/place/g-hb_WxHEG8U-/...
までは車で5分で付き、其れより車で15分程貫気別川上流でしか取れないと言われているアオトラ石を同河川敷から貫気別川に続くアオトラ石の露頭を私はこの目で現認しています。
此の事も含めて、我が家近くの畑の土中には今まで出土し保管している写真の物より何かとても貴重な遺物が眠っているに違いないと思っております。
其れは、我が家の元大家さんや村落の言われで私が聞いていますが、我が家の畑にはアイヌのエカシ(長老)が住んでいてその遥か昔には石器を作る場所でもあり、(現に、石器を作るため出た細石器が出てくる)あの場所の廻りにはヌサ場(アイヌ式の祭壇)も有り、極最近の歴史・昭和の初期には53世帯のアイヌ民族が暮らして居たアイヌのコタン(アイヌ語意は村落)であったと聞きました。
また平取のストーンサークルは元と言えば13ヶ所有り、その全ての石が石屋の金儲けと漬物石にされたと聞きました。
また悲しい事に、古い家などの建てた跡の遺跡がそのまま残っていたが、畑や家を作る事の土地として使えなくなるので壊したと聞き更には骨董品屋が各家を回り土器や石器の遺物やアイヌ衣装やパスイ(アイヌのカムイノミで使われる酒しゃもじと訳されています)を買いあさっていると聞かされました、この事は私が住んでいる時にも骨董屋さんが「アイヌの衣装や古い土器などあるかい」と尋ねて来ています。
更に続きますが私の大家さんからは、㋐沙流川上流の岩知志に有った鍾乳洞に色々な古代の人の書いた絵が描いて有ったが、戦争の時コンクリートを作るためその鍾乳洞全て壊されて、その破片がお前さん(私水谷を指す)に置いて来てあるだろうと言いました、私は知りました現在物置として使って有る石灰岩の石がそれ大家さんが話す鍾乳石である事を。
話はいささか関連して飛びますが、東北で見つかりました貴重なアオトラ石器【下記】は歴史新発見で、添付地図を見て分かる様に、そこへたどり着く前に収まり使われて、土中にうずもれて日の目を見ずに今後各地方で新たな発見が必ずやなされると思うのです。
*これは、下記❶スタンプ形石器の出土の広がりや新潟糸魚川のヒスイ・漆も含めて「アイヌ縄文文化圏」若しくは「アイヌ縄文時代」と呼んでも良いと思います。
尚ですが「歴史的には謎の縄文時代一万年」と言う様に。【謎としている=タブーと成っている事を破れば・・・謎ではないのです。それは上記以外に主に東北などの各地で出る女性特に妊婦を模ったと言われる土偶と造形美溢れる火炎式土器の出土も含めて歴史的に後に書かれた北海道余市のプゴッペ遺跡の岩絵などを辿る集落の祭りごとや使われた用途がアニミズム・シャーマニズムの背景が有った自然信仰の息吹が漠然でも紐解ければ縄文時代の歴史学が真に新たに成りますが、それでは困る御用歴史学者や民俗学者さらに宮内庁と言われる権威が居るのです。
・・・それゆえでしょう忘れられた民族・熊襲・隼人・出雲・土蜘蛛・サンカ人・東北アイヌとも言われる蝦夷さらに❷本州アイヌに繋がり其れは江戸時代の山丹交易以前にアイヌモシリ(人間の住む大地)は四国などにみられるアイヌ語表記と思われる地名なども含めて同化された「日本列島アイヌ」まで広く辿れる事に成るでしょう。】これも含めて新発見・・・若しくはタブーも無くなり事実の遺物で検証されて明らかになる事です。
❷本州アイヌ
https://ja.wikipedia.org/.../%E6%9C%AC%E5%B7%9E%E3%82%A2...
◆ 世界最大級の特大石斧 海越えたアオトラ石文化圏の謎
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO99959070S6A420C1000000/
秋田県東成瀬村の上掵(うわはば)遺跡から出土した世界最大級の巨大な石斧(せきふ)が北海道日高山脈中部の【沙流川支流の貫気別川】河川上流だけにある特別な石材で作られていることが分かり、波紋が広がっている。石斧は4本で縄文前期(6000年前〜5000年前)の遺跡でみつかった国の重要文化財。石材はアオトラ石と呼ばれる緑色岩で、青森県の三内丸山遺跡の磨製石斧約6割もアオトラ石製と判明。アオトラ石の文化圏は【どの様な村落や道なき道と歴史を辿りながら】どのように広がったのだろうか。
写真添付は、私の家(北海道沙流郡平取町字荷負のすぐ手前の畑から出土した石器群、アオトラ石製も有り 他に
写真:石臼2点のその一つも出土して来ています。
写真2点❶スタンプ形石器 他は模型ですが大小多数事さらに欠損している【アイヌの儀式カムイ送り「精霊送り」】と思うのも幾つも出土して畑の隅に置いて有ります。
写真以外に、石器多数と縄文創成期と言われる土器も多数出土していますが、土器と私が初期に発見した石器は沙流川歴史館に貸して有ります。
尚【下記を参照にするとスタンプ形石器文化圏は更に広く広がります。】

一万年前の謎の石器
―縄文時代早期の「スタンプ形石器」と「礫斧(れきふ)」
https://ch.kanagawa-museum.jp/monthly_choice/2018_07
【神奈川県立歴史博物館】では「スタンプ形石器」「礫斧」を含む縄文時代早期の石器を1000点近く所蔵しています。それらは横浜市磯子区の紅取(べにとり)遺跡群(JR磯子駅前の高台から久良岐公園一帯に広がる遺跡群)から見つかったものがほとんどで、一つの遺跡からみつかった縄文時代早期の石器としては全国でも有数のコレクションとなっています。今後はこのコレクションを活かし、色々な分析を試みていこうと考えています。常設展示室でもご紹介していますので、ぜひ「謎」を解きにきてみてください。
私のアップした写真の遺物は事実を語る。
縄文時代の遺跡である、擦り石や矢尻がアイヌのアニミズム・シャーマニズムと言う多神教としての地上で役目が終わったから神々の世界に返すと言う、カムイ送りされています。【使えなくする故意に割る行為や燃やす行為、ですから、深く言えば付喪神(物の怪)と言う考えも有ります】
また重要なのは、アイヌ民族は1つのグループではないのです。
例えば、札幌コタン、平取コタン、白老コタン(ポロトコタン・=ウポポイ)・網走コタン等々ネイテブアメリカンの各部族の集団の様も有り、そしてギリヤーク系、ロシア系、ナナイ族系と言う様に一つ一つが国家の概念を含んでる民族です。
この事は各部族の衣装の違いやユッカラ(口頭伝承文化の叙事詩)やウポポと言う古式伝承の踊りの違い更に方言からも有る事から分かります。
日本国内で言えば、山の民 平地の民 若しくは川と山や谷で仕切られた豊かな大地に暮らしてた豪族がそれにあたります。
アニミズムはアイヌの専売ではありません。
それにふれるなら、アニミズムは自然崇拝でありますから稲作の長である所の天皇制支配を抜かした古事記の世界や世界のハスートネイション(先住民)の多くの世界観です。
自然は多様性であふれて居ています。
だからこそ、「八百万」(ヤオロズ)ノ神々と言う言霊が生まれました。
八百万は、途方もない多くの数と言う意味です。
アイヌ民族の特色と指摘される他部族性は、まさに各部族の衣装の違いやユッカラ(口頭伝承文化の叙事詩)やウポポと言う古式伝承の踊りの違い更に方言からも有る事から分かります。
そして、祈り言葉を言えて戸籍係でもある「長」を中心にしてカムイノミ(我神に感謝し祈り相談もする)更にイチャルパと言う先祖供養や家を建てる時、まがまがしい事が起きた時カムイに祈り聞きます。
それは、「儀礼をして」謹んで申し上げます、あなた様の心にそっと触れさせてください。
アイヌ語では、「儀礼をしてイランカラプッテ・アンナ―」です。
この儀礼は、サルンクルアイヌ(沙流川流域に住んでるアイヌ)の独特なアイヌの古老の祈り言葉と認知しています。
多様性、神々の多様性 生物の多様性 人種性格の多様性・・・
***これより再アップコピー***
校正先住民 縄文人「縄文(土器名)文化」は原始パーマカルチャーコミニテー文化 2023年06月14日 記一部重複も有り
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985272029&owner_id=5437811
先住民 縄文人「縄文(土器名)文化」は原始パーマカルチャーコミニテー文化で弥生(地名が付いた土器名)時代に入りその縄文の狩猟採集文化は破壊されて行くようになった。
縄文文化期に栗を伐採せずに人里近くに残して行くように成り、結果的に栗を栽培すると言う見方が出来る。
現に今でも大きな巨木な栗が住居の近くの森の中、社として祀られている所があります。
(写真は北海道平取町荷負のセカンドハウスの我が家から2キロ程山奥にあります森の入り口にある巨木の栗の木。:平取町は、縄文創世記から縄文アイヌ文化期:荷負ストーンサークル跡遺跡やチャチ跡遺跡=(「チャシ」はアイヌ語で「柵囲い」を意味し、砦、祭祀の場、見張り場など多目的な用途で使われていたとされます。)が複数更に❶アオトラ石文化が東北青森三内丸山・秋田県南東部。岩手県と宮城県に境を接する奥羽山脈の山深い東成瀬村の上掵・青森県五所川原まである:縄文時代晩期)から擦文(土器名)〜唐子柄の陶器の時代から近代に至る遺跡が100以上あります。
google.から、写真左右の中央分の空色の左側が我が家、右側が栗の木の巨木が有る近くの家
https://www.google.com/.../@42.6801032.../data=!3m1!1e3...
❶の関連しての書き込み。長文です
蝦夷は日本の祖霊いいえそれも有りますが各地方のアイヌと混血と純血です、今の和人全て混血で同じです。「蝦夷 縄文アイヌ文化圏」と言う概念は確かに私でも証明出来る。
蝦夷はアイヌと言う事も出来ます。
何故なら、アイヌには東北蝦夷を祖とするもの、樺太から南下した北方系〜擦文時代を作る祖と居ますが、下記長文ですが目を通してみてください。
第一に
⓪根底に北海道先住縄文系アイヌも居た事が証明されています。
*2022年8月出版、(平和主義のビートルズのジョンレノンの妻オノヨーコさんの親戚)アイヌ研究家の小野有五さんは本の題名【「新しいアイヌ学」のすすめ】口絵3で新石器時代:縄文アイヌ文化期と記しています。
また、その本の帯には
・「北海道の縄文文化」は、「縄文アイヌ文化」!
・宗谷陸橋を歩いてきたマンモス・ハンターが、「古アイヌ語」を話す人たちの先祖?
・「東北アイヌ語地名」が、「アイヌ語」の古さを証明!
・最新の科学的データーから、いま明らかにされる「アイヌ」の人たちの真実の歴史!
と書かれています。
*私の見解
青森県青森市大字三内字丸山にある、縄文時代前期中頃から中期末葉の大規模集落跡の磨製石斧約6割がアオトラ石製と判明と秋田県東成瀬村の上掵(うわはば)遺跡から出土した世界最大級の巨大な石斧はアオトラ石は北海道の沙流川上流の上流の貫気別川周辺でしか産出しませんと言う事などでアオトラ文化圏と呼び蝦夷は「東北アイヌ」と呼ばれています。
更に、北海道の十勝石(紅が入っている黒曜石も)東北地方の各地の縄文の遺跡から関東地方の一部の遺跡からも出土しております。
したがって「アイヌは日本の先住民」です。
古代東北の蝦夷(えみし)はアイヌ民族ではなく和人だったと言う説もありますが、これは木を見て森を語らずです。
世界最大級の特大石斧 海越えたアオトラ石文化圏の謎
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO99959070S6A420C1000000/
更に❶〜❾下記に表すように幾つもの部族【一つのコタン部族の集落が古来は国家的要素が有ると解釈できます】があります。
よくわかる例として、あるコタンで失敗しても、他のコタンの所へ行くと過去の失敗の事は問われないと言う事などです。
罪やよろしく無い行いに関して、懲罰、お仕置きは有ります、古来は鼻そぎとか尻打ちの罰とかありますが、これも又コタンの長の裁量で決まります。
*北海道アイヌに死刑は存在しなかったが、殺人などの重罪であればアキレス腱を切断された後、コタンから追放されるなど生存が難しい刑もあった。 樺太アイヌの社会では、殺人者は被害者の遺体と共に生き埋めの刑に処された。
❶札幌アイヌサッポロピㇼカコタン
❷阿寒アイヌコタン
❸釧路アイヌコタン
❹平取アイヌコタン
❺白老アイヌコタン
❻石狩アイヌコタン
❼静内アイヌコタン
❽登別アイヌコタン
❾屈斜路湖アイヌコタン
➓帯広=十勝アイヌコタン
樺太では。
クシュンコタン(久春古丹)
千島列島では。
オンネコタン(温禰古丹)
シャスコタン(捨子古丹)
チリンコタン(知林古丹)
ハリムコタン(春牟古丹/ウバユリの多いところの意)
北海道の地名としてのコタンの例
シャコタン(積丹)
コタンベツ(古丹別)など有ります。
注】近文コタン・・・昭和9年(1934年)近文の保護地のうち1町歩がアイヌ50戸に固有財産として分配、下付され、残り4町歩は「共有財産」とされ、「実質的に北海道庁の管理下に置かれ」る。
昭和20〜22年(1945年-1947年)の農地改革により、近文の旧アイヌ保護地が「アイヌ地主」の手から「和人小作人」の手に移り、アイヌ系住民が困窮し実質的に終焉を迎える。詳しくは
https://ja.wikipedia.org/.../%E8%BF%91%E6%96%87%E3%82%B3...
共通の文化として「自然崇拝・アニミズム:シャーマニズムとして、祭壇を作ります祭壇に祀られるカムイヌサは熊おくりでない場合。
・火の神様(アテプチカムイ)
・水の神様(ワッカカムイ)
・チセコロカムイ(家を守護する神)
・コタンコロカムイ(コタン集落を守る神様=シマフクロウ)
・キムンカムイ(ヒグマ)
・ヌサコロカムイ(祭壇を司る神) =ヌサ. コロカムイは氏神であるとともに農業神
も有ります。
違いは各コタンの地の
・山名の神:ポロシリカムイ(幌尻岳の神)
・川の名の神:シシリムカ(沙流川)が有ります
・土地の名前のカムイ
・日神ペケレチュプカムイ
・月神クンネチュプカムイ
さまざまな“カムイ”のイナウ像が有ります例えば
囲炉裏と家の中
家屋を建てる時の儀式
新築祝いの際の儀式“チセイ ノミ”
シヌラパ(霊魂供養・祖霊祭)
悪霊払い“ウエポタラ”
その他さまざまな儀式人の死と葬儀についてもそうです。
しかしながらです、各コタンで共通なものもありますが
「衣装の文様や踊り、食べ物、口承文化のユーカラ(叙事詩)も地方独自で豊かです
サイトから。
 アイヌの神話は各部族・集落ごとに異なり、「これが最も有名、正統だ」というようなものはありません。同じ神や英雄について語る神話も互いに矛盾しあったり、体系化されていません。ですから、沖縄地方の神話と同じように、幾つかの神話を並べて紹介してみることにしますね。
http://suwa3.web.fc2.com/enkan/kantan/jp_hon/jpa01.html
この様にユーカラは神々の話・英雄伝・教えや掟を含むもの、先祖のあゆんだ歴史もありそれぞれ違い、方言も有り且つコタンの墓標も男女共に各地方で違います」この様に一口にアイヌと言う様に語れない事が事実です。
故に当然ですがアオトラ文化圏がアイヌ文化圏と同一概念に成り、縄文アイヌ文化圏として東北の下記の名前も成立します。
青森三内丸山コタン
秋田県南東部。岩手県と宮城県に境を接する奥羽山脈の山深い東成瀬村の上掵コタン
青森県五所川原コタン
⓪新石器時代:縄文アイヌ文化期
何故なら明らかに、北海道の平取・荷負・貫気別【サルンクルアイヌ 
https://www.jstage.jst.go.jp/.../ase1911/47/4/47_4_137/_pdf
と呼ばれてた意味は沙流川流域に住むアイヌ】に在住のアイヌが東北蝦夷とアオトラ石の交流が有り縄文時代は、今から13000年くらい前から2300年くらい前まで、約1万年間続いた縄文土器を使っていた時代ですので蝦夷はアイヌと言う事も出来ます。
*私は、土偶文化圏「アラハバキ=(遮光式土偶を指すなどの土偶)をアイヌの文化神で、東の空からカムイシンタ(神々が乗るゆりかご)に乗りゆらゆらとアイヌの地に下りた(降臨した)とアイヌの歌にも歌にも伝わる「オキクルミカムイ」とも言われているが、当然ながら縄文アイヌ文化圏と思っています。
上記土偶は女性で(国宝に成っている土偶は妊婦:出産シーン模っているまた中空土偶は添付写真の左から2番目だが1975(昭和50)年に、旧南茅部町で発見された縄文時代後期の土偶。精巧な作りが特徴。北海道唯一の国宝として、函館市縄文文化交流センターで常設展示されている。
更に遺跡の再調査が実施され、直径約6メートルの環状配石遺構と土坑墓群と思われる遺構を発見。土坑墓の1つからヒスイの勾玉1点と漆櫛の残片が出土し、今からおよそ3500年前のものであることが確認された。
https://www.hakobura.jp/spots/683
そして着ている衣装若しくは入れ墨に当たる文様が現在も伝わるアイヌの衣装に刺繍として描かれている、アイヌ文様様式であるアイヌ語で言う「モレウ:水の渦巻き若しくは魚の腸」を模った事である事でまさにアイヌ文化が有り且つアイヌの人が住んでいたか交流してた事が分かります。
*交流が有れば、当然男女の縁が出来結婚が有り更に文化の交流が深まり新しい文化まで広がります。
更に渤海国と言う朝鮮半島の付け根にあった民族の末裔も北海道と訪ねて北海道まで来ていると思っています半島と千島列島沿いに千島の文化も引き連れてやってきたと思っています。
朝鮮半島を得て日本列島へ訪ねて来た民族の神話は鳥取の稲葉の白兎のお話に残っていますと思っています。
歴史的には神話の時代で歴史学的には弥生時代末期 - 古墳時代 - 飛鳥時代中期と言われるがそれ以前(弥生時代前期)に大国の主を祖とする出雲文化後に出雲文化圏が日本に朝鮮半島から2度目に成る訪ねた民族ですと思っています。一度目は熊襲でしょう)
和人とは、明らかに「海洋民族の琉球奄美も含む環太平洋民族」と「アジア大陸系朝鮮・漢民族」と北方ロシアとアムルー川上流部の民族で少数にシルクロードを経て来た中東・ペルシャ・ゾロアスター教と言われる拝火教を信仰する民族更に儒教や仏教を信仰する民族の混血民族です。
写真
:国宝の土偶は全て女性であります。
ヌササン:神々が祀られている祭壇:アイヌ民族の信仰で,神聖な東の窓「カムイ・プヤラ」の外側に設けた祭壇. 「幣壇」の字を当てることもある。
アイヌの御幣=ヌサが神道の祭祀で用いられる紙を使う御幣
:我が家の北海道平取町荷負の畑から出土の石器・近隣の博物館に預けましたが擦文土器と江戸時代と思うが唐子模様の陶器も出土している。「中央にスタンプ形石器擦り石も見られる」畑から多く出る擦り石(20数個)は故意に欠けたものが沢山が出土するが、これは今もアイヌに伝わるカムイノミ(精霊送り)で有り所有者が死んだり、使わなくなったものをカムイ(神)の世界に返す儀式の痕跡で、アイヌ縄文文化期を証明できるものだろう。
アイヌ=人が使うものに関して神々が宿るアニミズムシャーマニズムな考えが在る。「日本で言うと付喪神」
尚、スタンプ形石器は、凹んだ擦り石に変わり石臼になったと思う中ですたれた。
【添付写真凹んだ擦り石も大小3つ畑から出てきている。】
以上の様に「蝦夷 縄文アイヌ文化圏」と言う概念は確かに素人の私でも証明出来るのです。

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