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SGIコミュの各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 〜海外在住の同志のために〜

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各部合同協議会での名誉会長のスピーチ?

――さあ立正安国の使命の大道を 創価の師弟に勝るものなし!――

◆◆◆功労の友を讃えよう

◆◆ 諸葛孔明 “悪事を追求し善事を顕彰せよ”

◆◆ モンゴルの文学者 良き同志こそ人生の喜び

 一、きょうは、お忙しいところ、また遠いところ、本当にご苦労様!
 モンゴルの著名な文学者ロドイダムバは、こう語った。
 「良き同志は、人生の支えであり、人生を行きゆく上の喜びである」
 私も全く同感である。
 きょうは、創価学会を常日ごろから、陰に陽に厳然と支え、広宣流布の道を開いてくださっている最良の同志の代表をお迎えし、これほどの喜びはない。
 皆、いい顔をしておられる。光っておられる。私は心から感謝申し上げたい(大拍手)。

◆恩師が愛した“五丈原”の歌

 一、恩師・戸田先生と私は28歳の開きがある。若い私のことを、先生は自分の生命以上に大事にしてくださった。
 こんな崇高な世界が、どこにあるだろう。
 その大恩になんとしても応えようと、私は心に誓った。
 ある正月に、戸田先生を囲んで懇親会が開かれた。その席で、「星落秋風五丈原」を歌ったことも忘れられない。<昭和28年>
 作詞は土井晩翠。私は青春時代から詩が好きだった。晩翠の詩も、よく愛誦していた。
 詩人は詩人を知る。詩人を大事にしてこそ、真の文化国家である。指導者には「詩心」がなければならない ―― これが私の信条である。
 晩翠の詩集は、わが家の本棚にあった。「星落秋風五丈原」は、『三国志』の英雄・諸葛孔明を謳った、とても長い詩である。歌は、それを短くしたものだ。
 懇親会に先立ち、幾人かの青年部が、わが家に来た。そこで「星落秋風五丈原」の話になった。戸田先生の心に通じる内容であり、ぜひ先生にお聞かせしようということになったのである。
 先王・劉備の理想を継いで戦う諸葛孔明。しかし大業いまだ成らずして倒れる。独り呻吟する胸のうちをうたった詩―― 。戸田先生は、じっと聴き入ってくださった。

 祁山悲秋の風更けて
 陣雲暗し五丈原
  ・・・・ ・・・・
 丞相病あつかりき

 謳い終わると、「いい歌だ。もう一度、歌ってくれ!」。そしてまた、「もう一度!」と。何回も何回も歌った。

 成否を誰れか
 あげつらふ
 一死尽くし 身の誠
  ・・・・ ・・・・
 苦心孤忠の胸ひとつ
 其壮烈に感じては
 鬼神も哭かむ秋の風

 戸田先生は、涙を流しておられた。先生ご自身が、病と闘いながら広布の大業を一身に担う“孔明”だったのである。
 そして私に、「俺が死んだ時も、これを歌ってくれ」と言われた。
 私は、師の言葉を深く、重く受けとめた。
 <昭和38年4月20日、戸田会長の創価学会葬は、“五丈原”の歌が葬送の曲となった>
 一、孔明その人は、偉大な知将であり、人間王者であった。
 しかし、自分が仕えた主君の跡継ぎは幼く、武将たちも不甲斐ない。
 味方は負け戦。民衆は苦しんでいる。そして、迎えた五丈原の戦場。
 使命を果たさずには、死ねない。先王との誓いを果たすまでは―― 。
 使命を自覚した者の責務と辛さを、戸田先生は教えてくださった。
 先生のことを思えば、私の胸には限りない勇気がわいてくる。

◆皆さまは誇りある善の勝利者

 一、さて、社会を改革する上で、孔明が実行したポイントは何であったか。その一つは、先日もお話したが、「悪事をなした者は必ず罰し、善事をなした者は必ず顕彰する」という点であった。<正史『三国志』の「諸葛亮伝」から>
 これは、戸田先生の厳しき教えでもあった。
 戦って戦って戦い抜いた人は、必ず賞賛せよ!
 一生涯、また一家も、子孫までも賞賛せよ!
 反対に、戦うべき立場にありながら、敵を前にして戦わない、ずるい人間は必ず罰せよ!悪事をなした者には自らの行動の報いを受けさせよ!―― と。
 先生は、「仏法のために働いた人間は、どこまでも賞賛すべきだ。しかし、難と戦わずに逃げた人間、ずるい人間は絶対に許すな!」と叫ばれた。正邪に関して厳格であられた。
 ゆえに私は、広宣流布のために尽くし抜いてこられた皆さま方を、最大に賞賛し、永遠に顕彰して差し上げたいのである(大拍手)。
 一、歌といえば、戸田先生とご一緒して、人と会った時のことを思い出す。
 先生は、「大作、何かいい歌を歌って差し上げなさい」と、よく言われた。歌が得意でない私は一生懸命に歌った。懐かしい思い出である。
 先生は、どこへ行くにも、私を連れていかれた。「大作は、私の片腕だ」とも言われた。
 飛行機に乗って地方へ行く時も、日本中、どこへ行くにも一緒だった。親子以上だった。
 世界にもご一緒したかった。だから私は、上着の内ポケットに恩師の写真を入れて、世界広布の第一歩を踏み出した。そして今も、恩師と心の中で語り合っている。
 戸田先生と私は、どこまでも一体である。
 戸田先生は、弟子を、本当に大事にしてくださった。徹底して薫陶してくださった。
 本物の弟子がいれば、師弟は「不二」となる。そうすれば、未来は安心である。
 反対に、本物の弟子がいなければ、その団体は滅びる。根幹の「師弟」の精神をないがしろにして、いくら勢力を増しても、結局は崩れていく。
 ゆえに先生は、同志を苦しめ、裏切る反逆者には鉄槌を下した。その本質を鋭く見抜かれた。
 「悪い枝は切っておかないと、必ず乱される。悪人は、厳しく追放せよ」と訴えられた。
 ともあれ、広宣流布のために戦う人を、どこまでも大事にする―― これが学会の伝統である。
 皆さまは、私とともに「平和の道」「民衆の勝利の道」を厳然と開いてくださった。誇りある善の勝利者として、栄光の人生を、永遠に歩んでいく方々である。
 幸福の大道を真っすぐに進んでいっていただきたい(大拍手)。

◆◆唱題は白馬が大草原を駆けるように 共に祈り共に前進を!

◆清々しい勤行

 一、ともに祈って、戦う。ともどもに祈り抜いて、勝つ。これが「法華経の兵法」である。
 学会はこれまで全国各地で、婦人部を中心に唱題の渦を起こしてきた。ともに心を合わせて真剣に祈り、戦ってきた。
 これほど素晴らしい常勝のリズムはない。
 有名な「生死一大事血脈抄」には、こう仰せである。
 「総じて日蓮の弟子檀那等が、『自分と他人』『あちらとこちら』と隔てる心なく、水と魚のような一体の思いになって、異体同心で南無妙法蓮華経と唱えたてまつるところを、生死一大事の血脈と言うのである。しかも今、日蓮が弘めていることの肝要は、これなのである。
 もし、そうであるならば(弟子檀那等がこれを実行するならば)、広宣流布の大願も実現するであろう」(御書1337?、通解)
 要するに、広宣流布の同志が異体同心で題目を唱えゆくところにこと、生死一大事の血脈が流れ通うと教えておられるのである。わが学会には、御本仏の仰せの通りの模範の実践がある。同志と心を合わせ、御本尊に合掌・冥合しゆく姿ほど、神々しく、荘厳な光景はないのである。
 日蓮大聖人は、御義口伝で、「合掌」について、その深義を展開しておられる(同722?)。
 御本尊に向かって合掌し、唱題する時、私たち自身が妙法の当体となる。仏の生命がわき上がるのである。
 ともあれ、唱題は、わが生命を大宇宙の根源の法則に合致させ、「本有常住の仏界」を開き、あらわしていく、最も崇高な儀式である。
 白馬が大草原を駆けゆくがごとく、清々しく、爽やかな音律でありたい。
 一、また、唱題中に念珠を、せわしなく、もみ続けたりするのは、望ましい姿とはいえないであろう。
 念珠は「仏道修行を助けるためのもの」であると、日寛上人は記されている。<「当家三衣抄」>
 もちろん、念珠をもんではいけないというのではない。たまに軽くもむのは、むしろ自然な姿かもしれない。
 しかし、あまりに激しくもむことは、周囲の人に落ち着かない感じを与え、皆の祈りを妨げてしまうことにもなろう。
 細かいことであるが、「小事が大事」であり、「諸法は実相」である。
 ゆえに、お互いに心がけていきたい。
 ともあれ、「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。祈りを具体的に明確に定めて、一つ一つ、祈り切り、祈り抜き、勝ち進んでまいりたい。

◆ただ一人で師匠を守る

 一、戦後、戸田先生の事業が苦境に陥ったときである。
 当時、戸田先生のもとでお世話になっていた人たちが、一人また一人と先生のもとを去っていった。
 なかには、「戸田の馬鹿野郎!」「インチキ野郎!」と捨てぜりふを残していった者もいたのである。
 その醜い豹変の姿は、今もって私の胸から消えることはない。
 戦時中、牧口先生が軍部権力に逮捕されたときもまた、態度を一変させて、「牧口の馬鹿野郎!」と罵り、退転していった人間がいた。
 第一に学会を守り、また会長を守るべき最高幹部が次々と退転していったのである。
 この嵐のまっただ中にあって、戸田先生お一人が、牧口先生とともに、不退転を貫いていかれた。
 しかも、戸田先生は、「あなた(牧口先生)の慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と言われている。
 他の弟子たちが、師匠の悪口を言っているときに、戸田先生だけは、牧口先生に最大に感謝された。経文通りの命に及ぶ大難に遭ったことを最大に誇りとされた。
 これが、創価学会の師弟である。
 仏法の究極の師弟の姿である。

◆阿修羅のごとく

 一、私も、「同じ心」で師匠である戸田先生にお仕えした。
 戦後の混乱のあおりを受けて、戸田先生の事業の挫折は、深刻を極めていた。
 事態を聞きつけた新聞記者が取材にきた。
 まかりまちがえば、先生に法律的な制裁が科せられる恐れもあった。
 そのために先生は、学会の理事長も辞任されたのである。
 債権者は戸田先生の自宅にまで押しかけていた。
 まさに絶体絶命であった。
 このとき、戸田先生が、私におっしゃった言葉が忘れられない。
 「大作、頼んだぞ。命あるかぎり、戦いきってくれ」と。
 戸田先生は、若き私を心の底から信頼してくださった。「大作がいれば、心配ない」と。
 私は、「先生、戦います」と心に誓い、御本尊を抱きしめるような思いで祈った。「戸田先生をお守りください。私に力をください」と。
 そして、自分のすべてをなげうって、阿修羅のごとく、戦って戦って戦い抜いたのである。
 給料は、何ヶ月も遅配のまま。木枯らしが吹く季節になっても、オーバー一つ買えなかった。
 持病の肺病にも苦しめられた。
 他の青年のように、ゆっくりと外で食事するような時間もなかった。
 しかし、偉大なる師匠とともに、二度とない青春を悔いなく戦える誇りと喜びで、わが心は王者のごとく輝いていた。

◆「永遠に君のことは忘れない」

 一、私は、望んでいた進学も断念し、365日、先生のお側で働いた。
 「そのかわり、ぼくが大学の勉強を、みんな教えるからな」と、漢文、経済、政治、法律、化学、天文学など、ご自身の持てる万般の学識を、私に注ぎ込んでくださった。
 その薫陶があったればこそ、今の私がある。
 晩年、戸田先生が、しみじみとこう言われた。
 「大作、本当にすまなかったな。お前には、どれだけ助けてもらったかわからない。永遠にお前のことは忘れないよ」
 わが子以上に、弟子を愛してくださった、慈父のごとき師匠であった。
 まことに有り難き、会い難き、不世出の師匠であった。
 この厳粛なる「師匠と弟子の結合の力」によって、今日の世界的な学会の土台が築かれたのである。「師弟不二」こそが学会の根本の道である。

◆師弟の結合から宇宙大の力が!

 一、御書には厳然と仰せである。
 「よき弟子をもつときんば師弟。仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成すべからず」(900?)と。
 広宣流布という大目的に向かって、師弟の呼吸を合致させていけば、必ず事は成就する。
 反対に、呼吸が合わなければ、何事も成し遂げることはできない。広布の戦いは勝てない。
 これが大聖人の御確信である。
 広布のため、友の幸福のため、御本尊に祈りに祈り、大聖人の御心に連なっていくことである。
 大聖人と「同じ心」で勇敢に「三類の強敵」と戦っていくことである。
 そうすれば、自ずと、自身の内にある仏界の宇宙大の力を引き出すことができる。
 それが仏法の方程式である。
 だからこそ、牧口先生も、戸田先生も、仏法の師弟に生きよ、と繰り返し、教えられた。
 そして、模範の師弟の姿を、わが身をもって、後世の弟子に教え残してくださったのである。
 仏法の師弟に勝るものはない。
 いかなる三障四魔の嵐に襲われようとも、創価の師弟は断じて負けない。必ず勝っていける。
 私は、創価の師弟の偉大さを、現実のうえで宣揚してきた。
 あらゆる広布の戦に勝ちに勝って、その「現証」をもって、師弟の正義を証明してきた。峻厳な師弟の絆を自覚すれば、無限の力がわくのである。

◆◆信濃町の由来 親子で信義を貫いた永井信濃守

◆全世界の友が「信濃町」へ

 一、学会創立75周年の上半期、じつに多くのわが同志が、全国・全世界の各地から、遠いところ、東京に足を運ばれ、信濃町の学会本部を訪問してくださった。

 日蓮大聖人は、山河を越え、はるばる馳せ参じた弟子に対して、その信心を讃えられ、こう仰せである。
 「山河を越えるには苦労が多い。たとえ志はあっても、行動にあらわすことは難しい。そうであるのに、今、あなたが志をあらわされたのを見て、その信心が並大抵でないことが分かります。必ず法華経の十羅刹女が守られるであろうと、頼もしく思っています」(同1554?、通解)
 広宣流布の勝利のため、いかなる労も惜しまず、勇敢に行動を貫いた、わが学会の同志の深き信心を、大聖人がこよなく賛嘆されていることはまちがいない。
 仏に等しい、尊く健気な同志の皆さま方に、私は妻とともに題目を送り続けている。
 感謝の思いを込めて、ここ信濃町にちなんだ歴史を、少々、語らせていただきたい。
 一、JRの信濃町駅から学会本部を望む北側の一帯には、かつて、江戸幕府の重臣・永井信濃守(永井尚政)をはじめとする永井家の下屋敷(本邸以外に江戸近郊に設けた控えの屋敷)が広がっていた。
 「信濃町」の名称は、この永井信濃守の「信濃」に由来している。
 江戸時代の古地図と照合すると、現在、学会本部、聖教新聞本社、創価世界女性会館、民音文化センターなどが立つ場所は、この永井家の屋敷と、ほぼ重なっている。これまでも折にふれ、永井信濃守については語ってきたが、この永井家の祖は、永井直勝、すなわち尚政の父である。
 直勝は、徳川家康から絶大な信頼を寄せられ、一生涯、その信頼に応えて戦った人物である。
 直勝は、10代の時から家康に仕え、家康の命によって、家号を「永井」と称するようになった。
 若き直勝の初陣は、天正12年(1584年)の「小牧・長久手の戦い」である。家康直属の若武者として、22歳の直勝は勇猛果敢に戦い、武勲を挙げた。
 その後、直勝は家康の側近として、慶長5年(1600年)、天下分け目の決戦「関が原の戦い」に先立って、諸大名を味方につける重要な情報戦・外交戦においても、陰で活躍していった。
 慶長19年(1614年)の「大坂冬の陣」では、家康の目となり、耳となって、敵の状況などを詳細に偵察する「斥候」の役も果たしている。
 翌年の「大坂夏の陣」に際し、家康の軍に騒動が持ち上がったときには、直勝が奔走して、それを鎮めた。混乱を好機に転じて、かえって士気を高め、団結を強めて、戦いに臨んだといわれる。まことに天晴れな名将として、勝利の歴史を残してきた。
 家康亡き後も、直勝は2代将軍・秀忠に仕えた。天下を取った徳川幕府の体制を磐石に固めるため、諸大名の改易など難しい案件の対処を託され、各地に派遣されている。そして、その重責を厳然と果たしていった。

◆後継者が活躍

 一、この直勝のあとを立派に受け継いだのが、嫡男の尚政(信濃守)らである。
 尚政は、14歳で、父・直勝とともに戦陣に参加し、16歳から2代将軍・秀忠の近習(側近)となっている。
 家康、秀忠、家光、家綱と、4代にわたる将軍に仕え、草創期の徳川幕府を支えた。なかんずく、秀忠の時代には、老中の要職を務め上げ、徳川家の恩に報いていった。
 二男・直清(日向守)も、2代・秀忠に仕え、家光、家綱からも深く信用されている。政治的な手腕に秀で、幕府も、その手腕を頼みとした。
 寛永19年(1642年)には、兄・尚政とともに、京都や大阪の貧しい人々を救済している。善政を行い、領民から非常に慕われたことでも知られる。
 永井家の領地は、関西創価中学・高校のある大阪府交野市、また関西創価小学校のある枚方市にもあった。
 さらに、隣の寝屋川市の池田村と呼ばれた地域も、永井家の領地であったという。
 三男・直貞(豊前守)は幼いころから、3代・家光に仕え、本陣・江戸城の警備などに当たる小姓組のリーダーとなった。
 四男・直重(式部少輔)も、15歳の時から秀忠に仕えている。
 一、思えば、イギリスの歴史家トインビー博士は、私との語らいのなかで、歴史上の偉大な政治家として3人の名を挙げておられた。
 中国の漢の高祖(劉邦)と、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス、そして、戦国の乱世を勝ち抜いて、天下太平の世を開いた徳川家康であった。
 家康はその生涯の大半において、富士山が見える場所に城を構えて指揮を執った。<江戸、駿河、御殿場など>
 信濃町は、古来、富士の望む名所と謳われてきた。kの地のゆかりの永井家は、父も、そして子も、誇り高き「信義の道」を貫き、徳川15代の繁栄の礎を築き上げていった。その歴史の劇が偲ばれてならない。<永井信濃守などについては、『新・信濃原の郷土史』本社刊、『永井直勝』一行院刊等を参照した>

◆◆今月23日から未来部の躍進月間がスタート!

◆◆◆後継の育成が未来を決する

◆◆君よ先輩を越えゆけ! 「青は藍より出でて藍より青し」

◆未来部は「宝」!

 一、日蓮大聖人は、南条時光の父子を讃えられて、こう仰せである。
 「亡くなられた兵衛七郎殿(南条時光の父)こそ情けに厚い男だと人は言いましたが、あなた(時光)はその御子息であるから、父上の優れた素質を、より一層、受け継がれたのでしょう。
 青は(藍からとりだすが、その青さは)藍より青い。氷は(水からできるが、その冷たさは)水よりも冷たい。(と同じように、あなたが父を越えるほど立派に成長されていることは)ありがたいことです。ありがたいことです」(御書1554?、通解)
 青は藍より出でて藍より青し ―― まさに「出藍の誉」である。
 何事であり、先人の心を継ぎ、発展させゆく青年ありて、永遠の向上の道は開ける。
 創価学会の万代の興隆、そして、広宣流布の万年の勝利を決定づけることができるかどうかは、ひとえに後継の育成にかかっている。
 この7月23日から、いよいよ「未来部躍進月間」が始まる。
 青年部の21世紀使命会、壮年・婦人部の未来部育成部長、そして学生部の進学推進部長の真剣なご健闘に、あらためて感謝申し上げます。
 次の50年を見つめながら、若き友の成長をともどもに祈り、「宝の未来部」の育成に一段と力を入れてまいりたい(大拍手)。

◆◆ナチスのウソと戦った劇作家 語り足りなかったということがないよう幾千回となく語り継がれたことを僕らはさらに繰り返し語り続けよう!

◆◆◆青年は攻めて勝て

◆◆昭和の名横綱は押し相撲

◆相撲の常勝将軍

 一、「強敵を伏して始めて力士をしる」
 有名な「佐渡御書」の一節である(957?)
 強敵との激戦また激戦を勝ち越えて、自らを第一級の「広宣流布の力士(力ある士)」と鍛え上げていくのが、学会青年部の伝統である。
 古来、大相撲では、「押せば押せ。引かば押せ。押して勝つのが相撲の極意」と言われる。相手がどう出てこようとも、押して押して押しまくること、攻めて攻めて攻め抜くことが、相撲の基本だというのである。
 「昭和の名横綱」と謳われた第32代の玉錦、第35代の双葉山の二人の横綱も、「攻めの相撲」で有名である。ともに「常勝将軍」と呼ばれた。
 たまに指揮は、「怒濤の寄り」といわれる速攻が身上だった。
 双葉山は、いまだに破られぬ69連勝の大記録を打ち立てた。その連勝における決まり手(勝負が決まった時の技)は、「上手投げ」や「寄り切り」や「寄り倒し」が多かった。攻め抜いて勝ったのである。
 一、ともあれ、御書には、「法華経の行者を、第六天の魔王が必ず妨げる」(981?、通解)、「魔の習癖は、善事を妨げて悪事をさせるのを悦ぶことである」(同?)と仰せである。
 ゆえに、魔にスキを見せてはならない。魔を魔と見破り、打ち破っていくことだ。
 きょう7月16日は、日蓮大聖人が「立正安国論」をもって、時の最高権力者を諌暁された日である。
 大聖人は「凶を捨てて善に帰し、源を寒ぎ根を截つべし」(同25?)と仰せである。
 邪悪の根を断て!不幸の源をふさげ! ―― この厳命の通りに、学会は、強くまた強く、攻めて攻めて攻め抜いていくのである。
 戸田先生は、厳然と一言、「追撃の手をゆるめるな!」と遺言された。
 私は申し上げたい。
 わが青年部よ、正義の執念で勝ち進め!
 わが創価の同志よ、「立正安国」の勝利のために、痛快に真実を語りまくれ! ―― と。
 ナチスと戦ったドイツの劇作家ブレヒト。彼は戦後、ある平和会議に寄せて訴えている。
 「語り足りなかったなどということがないように、いく千回となく語りつがれたことを、ぼくらはさらにくり返し語りつづけよう!」(石黒英男訳『ブレヒトの政治・社会論』河出書房新社)

◆切れ味鋭く反撃
 一、邪悪には、断じて破折の声を上げることである。切れ味鋭く、正義を叫ぶことだ。
 「一」言われたら「三」言い返す。「三」言われたら「十」言い返す ―― この不屈の反撃精神こそ言論戦の方程式である。
 言うべきときに言わなければ、自分が損をする。また、悪が増長するだけである。
 語らなければ、心は伝わらない。心で思っていても、それだけでは、相手には分からない。
 真実を叫ぶのだ。そうすれば、敵をも味方に変えることができる。
 「声仏事を為す」(御書708?)である。わが信念を叫び抜く声の力こそ、広宣流布の原動力である。
 勝利の要諦 ―― それはまず、御本尊にしっかり祈り抜くことだ。そして智慧を出し、「最高の作戦」を立て、積極果敢に打って出ることである。
 我らはどこまでも、この偉大なる「法華経の兵法」で勝ち進んでまいりたい(大拍手)。

(?に続く)

コメント(2)

各部合同協議会での名誉会長のスピーチ?

――舞台は世界!君よ友情の太陽と輝け――
――健康は智慧!人間革命の夏を!!――

 一、夏になると思い出す。
 ほとばしる清流。
 透き通る緑。
 かつて訪れた、青森の東北研修道場である。<1994年8月>
 あれから11年。
 わが東北の同志は、天を突く大樹のように、幸福と勝利の枝を大きく茂らせている。
 研修道場の近くには、広大な十和田湖。そして美しき奥入瀬の渓谷。
 その光景を私はカメラに収めた。最高峰の宝の自然を、世界の友と分かち合うために。
 研修道場には、私の詩が碑に刻まれていた。
 それは――
 「滝の如く 激しく
 滝の如く 弛まず
 滝の如く 怖れず
 滝の如く 朗らかに
 滝の如く 堂々と
 男は
 王者の風格を持て」
 我らもまた、滝のごとく、清冽に生きたい。
 あらゆる苦難を打ち砕きながら!

◆◆◆開拓精神(フロンティア・スピリット)を燃やせ

◆◆常に『挑戦者』だったウォルト・ディズニー

◆全ては「大失敗」から始まった

 一、7月17日は、アメリカの「ディズニーランド」が開園して50周年の佳節に当たる。
 アメリカ創価大学と同じオレンジ郡にあり、世界的な“夢の広場”として愛されている。
 50年前の開園は、どんな様子であったか。
 その日、映画人であり起業家であるウォルト・ディズニーは語った。
 「子の場所が、世界中の人々にとって喜びと感動の源となれますよう、願いを込めて」(グリーン夫妻著、山口和代訳『魔法の仕掛人 ウォルト・ディズニー』ほるぷ出版)
 だが、彼が思い描いたような順調な滑り出しではなかった。
 開園日は日曜日。ニセの招待券が出回り、予定の3倍以上の人が殺到。準備も万全ではなく、乗り物は故障や停電に見舞われた。水飲み場やトイレが足りず、長蛇の列に。大混乱に陥った。
 「ブラック・サンデー(暗黒の日曜日)」と呼ばれるほどの惨憺たる出発であった。
 多くのマスコミ、批評家から酷評された。
 「ウォルトの夢は悪夢だ」「ディズニーランドのオープンほどの大失態は前例がない」
 一斉に叩かれた。
 しかし、障害があるほど強くなるウォルト・ディズニーであった。
 「僕たちの目標は高いんだ。だからこそ、いろんなことをやり遂げられるんだ」(ポブ・トマス著、玉置悦子・能登路雅子訳『ウォルト・ディズニー』講談社)
 開園すると、彼はよくディズニーランドに泊り込んだ。現場の話を聞き、陣頭指揮をとった。
 大失敗の初日であったが、開園から数ヶ月で入場者数は100万人を突破。事前の予想をはるかに上回ったのである。
 ディズニーランドは、不断の改良を続けた。当初、22だったアトラクションは、10年後には倍以上に増えた。事業は拡大し、大成功を収めた。
 なぜ成功したのか。
 その要因の一つは、当時、全盛期を迎えた白黒テレビを宣伝の武器に使ったことにあったといわれる。
 また、従業員に対して“ディズニー大学”で継続的な研修を行った。
 十分な訓練を受けた従業員たちは、ディズニーランドの理念や姿勢を見につけ、素晴らしい応対で来園者を迎えた。
 それが、当時、遊園地にあった「とげとげしい係員」「汚い」というイメージを払拭させた。一度来園した人が、何度も訪れるようになった。

◆これからが本番

 一、開園から10周年を迎えた時、ウォルト・ディズニーは、仕事に携わってきた一人ひとりに感謝しつつ、こう語っている。
 「これだけは言っておきたい。これまでのところは、まあ、言ってみれば、リハーサルみたいなもので、これからが本番なんです。ですから、みなさんの中で過去の栄光の上にどっかり座って楽をしようという人がおられれば、えー、もう用はないんです、そういう方には」(同)
 彼はみなの心を奮い立たせたかったのだろう。
 前へ!前へ!
 新しい舞台へ!
 彼が築いた“夢の城”は、フロリダ、東京、パリと、世界に広がり、本年9月には新たに香港にも開園するという。
 大いなる夢に向かって彼は突き進んだ。常に挑戦者だった。心には「開拓精神」 ―― 「フロンティア・スピリット」が燃えていた。
 ここに、新たな時代を切り開く原動力があったと私は思う。
 創価学会は、この秋、創立75周年を迎える。
 いよいよこれからが「本番」である。
 希望は常に前にある。栄光は前進し続ける中にある。ともどもに悔いのなく、最高の勝利の人生を飾ってまいりたい。
 <先月26日、フィリピンの「東南アジア子どもテレビ基金会」が、名誉会長に、子ども向け番組に貢献した人物に贈る最高の栄誉「アナック・テレビ放送賞」を授与した。
 その際、同基金会のローセス会長は、名誉会長を「想像を超えた世界に子どもたちを連れて行き、楽しさと喜びを与える“アジアのウォルト・ディズニー”です」と賞賛している>

◆ロマンに生きよ

 一、この地上から「悲惨」の二字をなくしたい ―― これが戸田先生の夢であった。そして私の夢である。
 夢を実現する武器は何か。それは「対話」である。
 日本と世界の指導者、さらに各界の識者と、私は、胸襟を開いて対話してきた。
 イギリスでは、バッキンガム宮殿で、アン王女を表敬し、難民問題等について意見を交換した。
 チャールズ皇太子からは私邸に招かれ、青少年の教育について話が弾んだ。
 冷戦終結の立役者、ロシアのゴルバチョフ元ソ連大統領とも、これまで8度にわたって親しく語り合った。
 96年には、アメリカとキューバの関係が悪化するなか、両国を相次ぎ訪問した。キューバの革命宮殿で、背広姿のカストロ議長とお会いしたことも、思い出が深い。
 議長とは、「核兵器は絶対に無用」との信条で一致した。
 また私は、世界の“知性の府”から招聘を受けて、講演を行ってきた。
 アメリカのバーバード大学では2度、スピーチした。
 フランス学士院でも、厳粛な雰囲気のなかで講演を行った。温かい賛同の拍手を送っていただいたことも懐かしい。
 アジアにも、南米にも、アフリカにも、オセアニアにも、創価の人間主義に共感してくださる友人が数多くいる。
 我らの「友情の太陽」で世界を照らしたい。
 一生涯、大いなるロマンに生き抜きたい。
 そこに平和の緑野が広がっていくのである。

◆◆モンゴルの格言 団結は勝利の源

◆◆破和合僧の大罪を断じて許すな

◆「団結した人々は壊されない」

 一、歴史を変えゆく運動を成就させるために、最も大事なことは何か。
 アメリカ公民権運動の大指導者キング博士は、「運動に参加する人たちを団結させておくことだ」(雪山慶正訳『自由への大いなる歩み』岩波新書)と述べている。
 モンゴルの格言にも、「団結した人々は壊されない」「団結は勝利の源」とある。
 団結こそ力である。
 御聖訓には、「異体同心なれば万事を成し」(御書1463?)と仰せである。
 広宣流布の前進においても、同志の「異体同心の団結」が極めて重要となる。

◆嫉妬の心から和合僧を破壊

 一、仏法を行じ、弘めゆく人々の団結を破壊せんとする「破和合僧」の罪は、仏法上、大変に重いとされる。
 「破和合僧」は「五逆罪」の一つとして説かれている。
 <五逆罪の内容は、仏典等により諸説ある>
 御聖訓には仰せである。
 「大阿鼻地獄(無間地獄)の業因をいえば、五逆罪をつくる人が、この地獄に堕ちるのである。
 五逆罪とは、一に父を殺すこと、二に母を殺すこと、三に阿羅漢(小乗の悟りを得た聖者)を殺すこと、四に仏の身を傷つけて血を出させること、五に破和合僧である」(同447?、通解)
 また、「佐渡御書」で中国の不惜身命の僧として言及されている慧遠は、『大乗義章』で論じている。
 “破和合僧は、正法に違背し、人々を悩ませ、成仏への道を閉ざしてしまう。ゆえに、五逆罪の中で最も罪が重い”
 さらに、こう断じている。
 “破和合僧は、貪嫉の心から起こる。貪りの心、名聞を求める心、嫉妬心ゆえに和合僧を破壊するのである”
 遠くは、日蓮大聖人、日興上人の御在世においても、近くは、牧口先生、戸田先生の時代においても、破和合僧の反逆者たちの性根は皆、同じであった。
 その本質は、今も変わらない。
 「和合僧」を破壊することは、正しき仏法を断絶させることに通じる。
 ゆえに、破和合僧の悪人を、絶対に許してはならない。あいまいな態度で妥協してはならない。
 こうした人間を放置すれば、仏法の命脈が絶たれてしまうからだ。
 また、悪行を徹して責め抜いてこそ、その人を目覚めさせ、救うこともできる。
 「破和合僧」の輩と戦いゆく学会の「破邪顕正」の言論闘争は、仏法の法理の上から見て、正しい行動なのである。
 釈尊に在世において、提婆達多は教団を乗っ取りと分裂を画策した。
 提婆達多の邪悪な本性を見破った釈尊は、厳しく言った。
 「提婆達多がなすところの事は、もはや仏法僧の事ではない。ただ提婆達多の所作なのである」(「四分律」巻第四、国訳一切経を参照)
 もはや提婆達多の言動は、仏法者のものではない、と言明したのである。
 提婆の人生は破綻した。頼りにしていた権力者の阿闍世王からも、見放された。
 その悪行も世間の知るところとなり、人々から憎まれた。最後は大地が割れ、生きながら無間地獄に真っ逆さまに堕ちていったとも、経典には記されている。

◆邪悪を砕け!

 一、インドのアショカ大王が残した法勅には、“僧伽(仏道修行をする人々の集団)を破壊する者は、追放されねばならない。なぜならば、私が願うのは、和合した僧伽を永続させることだからである”と刻まれている。
 このアショカ大王の法勅については、現代インドを代表する大哲学者であるロケッシュ・チャンドラ博士との対談でも話題になった。
 博士は、現代の「和合僧」というべきSGI(創価学会インタナショナル)の人間主義運動に、大きな期待を寄せてくださっている。
 インドだけではない。
 今や全世界の心ある知性が、創価の和合の前進に、「共生と平和の未来」への希望を見いだしているのである。
 大聖人は仰せである。
 「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(御書762?)
 生命の悪、生命の無明の消滅が即、功徳である。「悪を砕く」大闘争にこそ、その大功徳が輝く。大発展の道がある。
 邪悪な「破和合僧」の輩を断固として打ち破るたびに、学会は、いよいよ威光勢力を増していく。その闘争があったからこそ、190カ国・地域に広がる創価の和合の大連帯が築かれたのである。

◆師弟の大道に勝利の栄冠

 一、若き日、私は戸田先生から御書を学んだ。「当体義抄」など数々の重書を、直接、講義していただいた。
 最高の師匠のもとで、最高の哲学を学んだ。それを無上の誇りとしてきた。先生からいただいた記念の品も、私は、ずっと大切にしている。
 今、SGIの平和・文化・教育の貢献に対して、世界の各地から多くの顕彰が贈られている。皆さまを代表して私が拝受した栄誉も数多い。
 仏法の眼から見るならば、こうした栄誉の数々も、師弟の大道を生き抜いた勝利の栄冠である。わが同志の大福徳の証である。私は、そう深く確信している。
 <名誉会長に世界の大学・学術機関から贈られた「名誉博士」「名誉教授」等の栄誉は178、世界からの名誉市民称号は414、国家勲章は25を数える>
 「心こそ大切」(同1192?)である。
 学会のため、広宣流布のために一心に尽くしていくならば、必ず最高の幸福境涯となっていく。偉大な人生を歩んでいくことは、絶対にまちがいないのである。

◆◆ガンジー 正義の生きる人生に真の健康が

◆◆健康管理のポイント
  ・規則正しい生活、十分な睡眠
  ・バランスのとれた食事
  ・水分をこまめに補給
  ・適度に体を動かす
  ・熱中症、冷房病、食中毒に注意

◆題目で生命力を

 一、私と妻の祈りは、ただひたすらに、わが同志が一人ももれなく、健康で、裕福で、ご長寿であってほしい、所願満足の人生を飾ってほしいということである。
 健康は智慧が大事である。これから、暑さもさらに厳しくなってくる。
 ドクター部の皆さんと相談し、夏の健康管理のポイントを、具体的に7点にわたって挙げていただいた。
 ?規則正しい生活をすること。とくに疲れをためないよう、十分に睡眠をとること。
 ?栄養のバランスのとれた食事をすること。
 ?水分をこまめに補給すること。
 ?適度に体を動かすこと。
 ?熱中症に気をつけること。
 とくに外出の時は、日傘や帽子を利用し、長時間、直射日光を浴びないよう、工夫したほうがいいと、ドクターは強調していた。
 ?冷房病に注意すること。
 ?食中毒にも十分に注意すること。
 ともあれ、自分の健康は自分で守らなければならない。「健康第一」で進んでいきたい。
 マハトマ・ガンジーは語っている。
 「真の健康の主旨も真理と正義の理想を不撓不屈で追求してゆくことなのです」(岡芙三子訳『ガンジーの健康論』編集工房ノア)
 題目を浪々と唱え、偉大な生命力をわき上がらせて、広宣流布のために戦いゆく学会活動。ここにこそ「真の健康」の実像があるといえよう。
 どうか、生き生きと、そして聡明に、次の勝利の因を深く刻みゆく「充実の夏」「成長の夏」「人間革命の夏」としていただきたい。
 終わりに、戸田先生のご指導をお伝えして、スピーチを結びたい。
 「臆し去った者は、みじめな敗北の姿を晒す。正しき信心を貫いた人は、必ずや勝利の姿を示す」
 きょうは本当にありがとう!各地の同志の皆さん、また、ご家族の皆さん方に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 皆さんのご多幸を心から祈っています。また、お会いしましょう!(大拍手)

 (2005・7・16)
各部合同協議会での名誉会長のスピーチ

――――――――――――――――――――――――――――――――――

◆◆◆ 若々しく戦う魂を燃やせ!行動の人を諸天は守る!

◆◆◆ 先陣を切れ! それが真の弟子

◆◆≪戸田先生≫「一番むずかしい所から始めよそうすれば、あとはやさしい」


【名誉会長のスピーチ】

 一、創立80周年を目指して、皆さんが元気に戦ってくださっているお陰で、学会は隆々(りゅうりゅう)と発展している。

 本当にありがとう!(大拍手)

 忙しい毎日だと思う。皆さんのご苦労は、すべてわかっている。どうか、賢明な生活を心がけ、健康に留意していっていただきたい。

 また、ご家族が病気の方もおられるにちがいない。私は妻とともに、そうした方々の平癒(へいゆ)と、ご一家の幸福を、日夜、真剣に祈っている。

 私は今、日本だけでなく、世界全体を視野に入れながら、「平和の城」「文化の城」「教育の城」を、がっちりとつくっている。毎日がフル回転である。

 ともに広布に戦う功徳はすべて、皆さんと、皆さんの一家一族に行き渡っていくことを確信していただきたい。


◆「聖教新聞の発展は配達員のお陰」

 一、聖教新聞の創刊55周年を記念する祝賀会が全国各地で行われ、いずれも大成功で終えることができた。関係者の皆さまに、心から、「ありがとう。ご苦労さまでした」と申し上げたい。

 〈東京、札幌、仙台、名古屋、大阪、広島、高松、福岡、那覇の各都市で開催され、各界の来賓8000人が出席した〉

 昨日(23日)は、その悼尾(とうび)を飾って、沖縄の那覇で盛大に開催された。

 その席上、聖教新聞を愛読し、励みとしてくださっているという来賓が、体験談等の記事に勇気づけられていると語るとともに、“聖教新聞の発展の最大の要因の一つは、配達員の皆さまのご努力とご苦労だと思います”と言われていたそうである(大拍手)。

 温かなご理解に、深く感謝申し上げたい。


◆要領の人は敗北

 一、きょうもまた、戸田先生のご指導を紹介したい。先生のお言葉は、わかりやすい表現の中に、じつに深い真理が込められている。そうした言々句々(げんげんくく)を、私はすべて遺言と思って受け止め、生命深く刻み込んだ。

 戸田先生は、ある青年に、こう言われたことがある。

 「若い時代は、自分の力を出し切って働いていくのだ。それが青年の生き方だ。何でも大いに苦労し、自分で地盤を築いていくのだ」

 苦労を避けてはいけない。要領よくやって、楽をした人間は、必ず敗北していく。

 青年ならば、あらゆる課題に真正面からぶつかり、自分の力をぎりぎりまで出し切って戦うことだ。手抜きなどせず、苦労を重ねることだ。そうでなければ、本物の力はつかない。

 先生はよく、「幹部は先頭に立て」と言われていた。

 臆病な人間、ずるい人間であっては、「先頭に立つ」ことはできない。

 皆の先頭に立ってこそ、人々の模範となり、安心してもらえる存在となれる。

 また先生は、新任の幹部に対して、「学会をよくするためには、どんなことでも勇気をもって言い切っていきなさい」と指導され、上の人間に対しては、「そうした意見をよく聞いてあげなさい」と言われていた。

 皆が何でも言い合えるような雰囲気の組織は、必ず発展する。



◆◆ 女子部は〔学会の宝〕

     ── 創価女子会館 おめでとう

◆≪ブルガリアの言葉≫ 賢き女性はダイヤより貴(とうと)い


◆女子部を大切に

 一、女子部の皆さん、いつもご苦労さま!

 創価女子会館のオープンも、もうすぐである。おめでとう!(大拍手)

 女子部を大切にしたい。女子部の皆さんが、伸び伸びと、楽しく活動でき、幸福への道を歩んでいけるよう、応援し、祈り、ともに進んでいきたい。

 女性を尊重し、尊敬する。それができない人間は、リーダー失格である。学会の世界、仏法の世界は、最も女性を大事にする世界でなくてはならない。

 戸田先生は、女子部の人材グループ「華陽(かよう)会」の会合で「女性自身が大いに伸びて、晴れ晴れと、高度な文化を打ち立てよ!」と呼びかけられた。

 未来は、女子部の拡大と、女子部の皆さん一人ひとりの成長で決まる。創価女子会館の誕生は、女子部が大発展しゆく象徴である。

 「女子部、万歳!」と申し上げたい(大拍手)。


◆何があろうと馳せ参じた

 一、戸田先生の、青年に対する訓練は厳しかった。それらはすべて、皆を一流の指導者に育て上げようとの厳愛であった。

 あるとき、「戦いに参加できないということは、もっとも悪い。はってでも来ようという精神がなければ、弟子の道ではない」と言われたこともある。

 何があろうと、いざというときに馳せ参じてこられないのは、本物の弟子ではないと教えてくださったのだ。

 “広布の会合には、何としても行くのだ!”という精神が薄れ、要領や弁解が始まると、そこから弱くなっていく。

 崩れてしまうか、さらに伸びていくか、ここに境目がある。

 だから私は、こうやって戸田先生のご指導を打ち込んでいる。

 私は、いついかなるときであっても、ただちに先生のもとに参上した。

 先生は、夜遅くまで思索を重ね、新しい着想や課題が生じたときには、深夜であっても私を呼ばれた。そして二人で、学会の勝利と前進のために、綿密な打ち合わせをした。懐かしい思い出である。

 御聖訓にいわく。

 「謀(はかりごと)を帷帳(いちょう)の中に回(めぐ)らし勝つことを千里の外(そと)に決せし者なり」(御書183ページ)

  ── 幕を張った中で作戦を練り、戦場から千里離れたその場で勝利を決したのである ──

 この戦いの要諦を、身をもって私に教え、訓練してくださったのである。



◆◆ 君代正義の剣で勝て

◆◆≪戸田先生≫「勇気をもって言い切っていけ」


◆「あなたには御本尊がある!」

 一、戸田先生は、経済苦で悩んでいた人に対し、「日蓮大聖人は、すべての難を乗り切られた。これが実証です。あなたには御本尊がある。真剣に祈り、折伏をやりきることです」と言って励まされた。

 自分には無理だとあきらめたり、祈りが叶わないなどと嘆く前に、本当に真剣に祈っているか、自行化他の実践をしているか、自分自身に問うてみることである。

 折伏もしないで文句ばかり言っている人は、観念であり、ずるいのだと先生は厳しかった。

 すぐれた経営手腕を持っておられた先生は、「会社の経営にあたっては、諸経費を削減して、経費倒れにならぬよう注意せよ」と言われていた。

 節約というのは地味に見えて、事業の根幹をなす実践である。目立たなくとも、そのために努力する人は、偉い人である。大事にしなくてはならない。


◆打てば響く心意気で!

 一、いつまでも若々しく生き抜きたい。

 きょうも生き生きと!

 楽しくやろう!

 その心こそ、晴れやかな勝利の人生を送る秘訣(ひけつ)である。

 未来の希望を見つめ、希望をつくりながら、朗らかに進むのだ。

 たとえば、職場で嫌な先輩がいたら、「自分が偉くなって、もっとよくしよう」と思えばいい。

 何があろうと、笑い飛ばしていけばいいのだ。

 笑顔は薬である。自分も、人も、元気になる。

 大変な時こそ、もう一度、初心に帰ろう!

 原点に返ろう!

 そう決めれば、心も若返る。大事なのは、わが精神が高揚しているかどうかである。

 それには、題目だ。同じ題目をあげるのでも、深さで決まる。数だけではない。

 日々の勤行は、いわば「心のお化粧」「生命のお掃除」である。

 すがすがしい勤行・唱題で、明るく、喜びあふれる前進の日々を送ってまいりたい。

 一、広布のためなら、どこへでも!

 これが草創期の幹部の心意気だった。

 打てば響く、その行動の潔さ。何の迷いも、ずる賢さもない。利己主義など微塵もない。

 純粋な師弟の魂が燃えていた。

 決意は気宇壮大(きう・そうだい)!

 狭い日本にとどまらない。海外へ、地球の反対側にまで、友は勇んで飛び出していった。

 そして、今、あの国でも、この地でも、「人間革命」の哲学と行動に、絶大なる賞讃が寄せられている。

 先輩たちは、そうやって世界広布の舞台を開いてきた。

 若き諸君は、次の50年の歴史を、勇気をもって切り開いていただきたい。今こそ、真剣になって立ち上がり、勝利をつかんでもらいたい。


◆考え抜いてこそ広布のリーダー

 一、戸田先生は「何をするにしても、二段、三段構えでやっていけ」と言われた。

 本当の智者は、幾重にも考え抜き、戦いを進めるものだ。行き当たりばったりではいけない。

 とくに、責任あるリーダーの皆さんは、自分の頭で考えない“事務屋”のようになってはならない。

 戸田先生が、最高幹部に対して「とにかく頭を使え!考えろ!」と常に厳しく言われていたことが忘れられない。

 ここに兵法の第一歩がある。

 一、戸田先生は、学会を私利私欲のために利用しようとする魔性に対しては、激怒して、猛然と戦われた。絶対に許さなかった。

 皆の真心に支えられ、社会的に立派な地位を得ながら、かえって民衆を見下し、威張る、増上慢の人間。

 もしも、そういう人間が出たならば、毅然(きぜん)と叱りつけ、容赦なく、たたき出せ!最低の人間だと見おろしていけ! ── それが戸田先生の厳命であった。

 清浄な信仰の世界に、指一本、断じて触れさせてはならない。


◆悪を打ち破れ

 一、御書には、「火に対しては水をもって消す。悪に対しては善をもって打ち破る」(1466ページ、通解)と記されている。

 妙法の利剣で、悪を打ち破っていくのだ。

 また、「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(御書762ページ)と示されている。

 悪と戦い、悪を打ち破ってこそ、自身の無明(むみょう)が消え、真の功徳が顕れる。大きく境涯を開いていける。

 特にリーダーは、先陣を切って戦うことだ。

 青年時代、私は学会や戸田先生へのデマの中傷は、絶対に許さなかった。庶民をいじめる横暴な権力とは、言論の剣で徹底して戦った。

 一、戸田先生は、よく、おっしゃった。

 「一番難しいところから始めよ。そうすれば、あとは、やさしい」

 最も困難なところへ、「一歩」を踏み出す。苦手な分野に挑む。そこで突破口を開けば、さらに勢いも増す。

 「一番いやなところ」「一番大変なところ」に行くのが、本当の戦いである。仏道修行である。

 私はいつも、「一番大変なところ」へ乗り込んだ。勇んで指揮を執(と)り、断じて勝った。それが私の最高の誇りである。

 日蓮大聖人は仰せである。

 「法華経の肝心、諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字が、末法のはじめに全世界に広まっていかれるべき瑞相(ずいそう)として、日蓮が先駆けをしたのである。わが門下よ、二陣三陣と続いて、迦葉・阿難(かしょうあなん)にもすぐれ、天台・伝教(てんだいでんぎょう)にも超えていきなさい」(同910ページ、通解)

 わが弟子たちよ、いかなる困難も乗り越えて広宣流布に生き抜け。

 釈尊の優れた弟子であった迦葉尊者(そんじゃ)や阿難尊者、そして天台大師や伝教大師をも超えるような妙法の勇者たれ ── 。

 大聖人の烈々(れつれつ)たる気迫が伝わってくる。私たちは、この御心のままに、勇んで広布の戦いに邁進(まいしん)してまいりたい。

 一、学会のリーダーならば、広宣流布のために「まっすぐな人生」を生き抜いてもらいたい。

 世間の目を気にして見栄を張る。卑屈になる。そういう人は、結局、信心がおかしくなっていく。

 だれが何と言おうが、「創価の道」「師弟の道」を堂々と進むことだ。報恩感謝の思いで、同志に尽くしていくことだ。

 その人が、最後は所願満足の勝利の人生を飾っていけるのである。


◆師弟の栄冠

 一、青春時代、私は、大学で学ぶことも断念して、戸田先生を守り抜いた。事業の挫折)ざせつ)という最大の苦境にあった先生を、断じて支え抜いた。

 そうした私に、戸田先生は万般(ばんぱん)の学問を教えてくださった。

 「これが将来、どう展開されるか楽しみだな」と言われながら、毎朝、あるときは朝から晩まで、個人教授をしてくださった。

 先生は、それはそれは真剣であられた。本当にありがたい師匠だった。私は、師の思いにお応(こた)えしようと必死であった。

 「当体義抄」をはじめ、御書の講義をしていただいたことも、忘れられない。

 御書の講義を終えたとき、先生は私に修了の証書をくださった。それは、小さな、ささやかなものであった。

 しかし私は、それを師匠からいただいた最高の宝として、大切にしたのである。

 戸田先生は、私をはじめとする青年たちに未来を託された。

 今、創価の民衆運動は、SGI(創価学会インタナショナル)の世界的な平和・文化・教育の活動へと発展した。

 この人類への貢献に対して、世界から数多くの顕彰が贈られている。諸大学からの名誉学術称号をはじめ、皆さまを代表して、私が拝受した栄誉も多い。

 本当にすごい時代となった。戸田先生が植えられた種は、大きく花開いたのである。

 仏法の眼から見れば、これらの栄誉は、師弟の道に生き抜いた勝利の栄冠である。全同志の偉大なる福徳の証である。

 私は、そう強く確信している。

 「種」というのは、もともとは、本当に小さなものだ。しかし、小さいからといって、粗末にすることはできない。それはやがて、「大樹」となる可能性を秘めているからだ。これが「妙法」である。

 師から授かった種が、必ず大きく育ちゆくことを確信して、祈り、行動していく。この一点がある人は幸せである。


◆志を行動に表せ

 一、大聖人は、険(けわ)しき道のりを越えて御供養をお届けした弟子の純真な信心を讃え、次のように仰せになられた。

 「たとえ志はあっても、行動にあらわすことは難しい。そうであるのに、今、あなたが志をあらわされたのを見て、その信心が並大抵でないことが分かります。必ず法華経の十羅刹女(じゅうらせつにょ)が守られるであろうと、頼もしく思っています」(御書1554ページ、通解)

 仏法の魂は「行動」である。

 友の幸福を祈って、日々、懸命に折伏をしている人。

 大変なところで、学会のため、同志のために、地道に動いてくださっている人。

 そういう人を、必ずや十羅刹女が守る。諸天善神が守護してくださる。

 信心の世界は、要領とか、格好主義は通用しない。幹部だから功徳があるというわけでもない。

 真剣な「行動の人」にこそ、妙法の功徳は輝くのである。


◆胸を張って!

 一、善と悪が入り乱れた「闘諍言訟(とうじょうごんしょう)」の世の中である。

 だからこそ、大事なことは、正と邪を明快に言い切っていくことだ。

 大聖人は「(仏法においては)事実、勝れていることを勝れているということは、慢(まん)に似ているようだが、じつは大功徳となるのである」(同289ページ、通解)と仰せである。

 私たちの対話は、誠実が第一である。相手に幸せになってもらいたいとの祈りが根本である。

 その上で、言うべきことは、きっぱりと言う。何の遠慮もいらない。

 堂々と、胸を張って、仏法の正義を語っていけばいいのである。

 一、先日(20日)、創価大学の卒業式の折、欧州ブルガリアの著名な芸術史家アクシニア・ジュロヴァ博士と、懐かしい再会を果たした。

 〈名誉会長と博士の対談集『美しき獅子の魂』のブルガリア語版は、ブルガリア出版界の2001年度「ベスト出版ナショナルコンクール」で「最優秀出版物」に選ばれている〉

 ブルガリアには次のような美しい箴言(しんげん)がある。

 「賢き女性は、ダイヤモンドよりも貴い」

 「賢き男性は、女性を重んずる」

 女子部の皆さんの「生命のきらめき」は、まさしく、学会のダイヤモンドである。

 何度も申し上げるが、壮年部、婦人部、青年部は、総力をあげて、女子部を守り、女子部を大事にし、女子部を拡大していってもらいたい。

 皆さん、応援をよろしく頼みます!

 また、全国の女子部の皆さん方の奮闘の様子も、よくうかがっています。本当にご苦労さまです(大拍手)。

 「異体同心の団結」と「強盛なる祈り」で、万年(まんねん)に輝く黄金の女子部の歴史を綴っていってもらいたい(大拍手)。



◆◆ 生き生きと!健康第一で 勝利の名指揮を


◆指導者で決まる

 一、最後に中国古来の「帝王学の教科書」とされた『貞観政要(じょうがんせいよう)』の一節を紹介したい。

 この書は、大聖人も読んでおられ、流罪先の佐渡にも取り寄せられた。その様子は御書にも記されている。〈961ページ〉

 「徳のある立派な人を用いれば、善を行う人は皆、進んで善に励む。

 もし誤って悪人を用いれば、不善の者が争って進み出てくる」

 「人を用いるには、ますます慎(つつし)んで選ぶべきことがわかるのである」(原田種成著『新釈漢文大系95』明治書院)

 どんな団体も、指導者で決まる。リーダーの責任は限りなく大きい。

 とりわけ、妙法のリーダーは、常に生き生きと、福徳にあふれ、多くの人に、勇気と希望を贈っていく存在であっていただきたい。

 御書に「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(1135ページ)とある通りだ。

 広布の役職を担(にな)うことは、それだけ大変だけれども、より大きな功徳を得る資格を持つことにもなる。

 どうか、健康第一で進んでください。そして、わが地域で、わが職場で、見事なる勝利の指揮を執ってください。

 長時間ありがとう!

 またお会いしましょう!(大拍手)


              (2006・3・24)

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