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J・G・バラードコミュの1968年7月5日、バラードインタビュー

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 このインタビューは1968年7月5日、バラードの自宅においてジャニク・シュトルムによってなされたものである。オランダ放送のために企画されたものであったが、沙汰やみになったので、スウェーデンのSF誌に掲載され、さらに米国のファンジン「スペキュレーション」に転載された。本訳はこの「スペキュレーション」誌に拠っているのだが、原テクストを喪失したため、細部に不明の点があることを了承されたい。

シュトルム まず初めに知りたいのは、どのような次第で書き始めたのですか?

バラード  書き始めたのは学生の頃だ――私はケンブリッジ大学で薬学を学んでいた。薬学に非常に興味があり、そこで学んだことは全て非常に役立っている。解剖や生理学やそのほか全て。膨大なフィクションのように思える。大学では毎年、短篇小説のコンテストがあって、私も1篇書いたのだが、それがその年の第1位になったのだ。私はそれを青信号だと考え、薬学をやめて、数年後には処女作を発表できた。もともとは英国の文芸誌「ホライズン」とかそうしたたぐいのものに書こうとしていた。実験的な性格をもった全くの普通小説として。その後で、サイエンス・フィクションのことを考えた。当時はどこを見てもアシモフ、ハインライン、クラークで――50年代中頃のことだ――私はこれらの作家たちはサイエンス・フィクションに作りだすことができる多くのものを作っていないように思えた。新しい種類のサイエンス・フィクションが書かれなくてはならないと感じたのだ。

シュトルム あなたのサイエンス・フィクションは、言われるように古いサイエンス・フィクションとは違っています。どういうふうにでしょう?

バラード  1940年代50年代の現代アメリカ・サイエンス・フィクションはテクノロジーの大衆文芸だ。そのもととなったのは「ポピュラー・メカニクス」のような、30年代に出版されていたアメリカの大衆雑誌で、科学とテクノロジーの楽観主義の全てはその時代の中に見いだせる。30年代の雑誌を見ていて、30年代に出版された本を読んだことを思い出せる者なら誰でも、私の言う意味がわかるだろう……驚異が満ちあふれていた。世界最大の橋、最も早いこれ、最も長いあれ……科学とテクノロジーの驚異が満ちていたのだ。この時代に書かれたサイエンス・フィクションは科学が世界を再創造するのだという全くの楽観主義から生まれていた。その後、ヒロシマやアウシュヴィッツがあり、科学のイメージは全面的に変貌した。人々は科学に対して非常に懐疑的になったのだが、SFは変わらなかった。いまでもそんな楽観的文学が見うけられるが、科学の可能性に対するハインライン、クラーク、アシモフ型の態度、これは完全な過ちだった。50年代の水爆実験の最中には科学がより魔術に近いものとなりつつあるのが見てとれたことだろう。それでもサイエンス・フィクションは当時、外宇宙の観念と同一視されていた。おおむねそれが多くの人がサイエンス・フィクションに対して抱くイメージだった。宇宙船とか、異なる惑星だ。そしてそれは私にとって何の意味もないものだった。私にはそれらが私が最も重要と思う領域、私の言う「内宇宙」――この言葉を初めて使ったのは7年前のことだ――心の内部世界と現実の外部世界が出会う場所を無視しているように思えた。内宇宙はマックス・エルンスト、ダリ、タンギー、キリコなどシュルレアリストの絵画に見られる。彼らは内宇宙の画家であり、私はサイエンス・フィクションもこの領域を、心が外側の世界とぶつかりあう領域を探求すべきだと感じた。単に幻想小説の中で扱うのではなく。これこそ50年代初期のSFのまずいところだ。幻想小説になってしまうのだ。それはもう真剣で現実的な小説ではない。そこで私は書き始めた……私は3冊の長篇と70篇近い短篇を過去10年の間に書いた――おそらくその中で宇宙船の登場するのは1篇しかないだろう。それも単に通り過ぎるものとして触れているにすぎない。私の小説は全て現在、あるいは現在に近い時に背景をおいている。

シュトルム なるほど、それがあなたの風景がリアルでない理由のようです。一種、象徴的なものなのですか?

バラード  そう、風景は私が現代を自然主義的に描かないという意味で、リアルではない。だが、最近書き始めた1群の小説、それは項目形式で書かれていて、私は濃縮小説と呼んでいるが、その中で私は現在の風景を取りいれている。明らかなことだが、もし小説の舞台の多くを数年先に置こうとすれば、ある程度は風景を創りだして用いなければならない。なぜなら20年後のロンドンやニューヨークを自然主義的に描くことなどできないからだ。かなりの程度に風景を創りださねばならない。

シュトルム あなたは科学に対して、たとえばレイ・ブラッドベリのように、非常な敵意を持っていると思われています。しかし同じというわけではないと思いますが?

バラード  私の敵意は科学それ自体に対するものではない。科学的志向性は存在するほとんど唯一の成熟した志向性だと思う。私が敵意を持つのは、人々が抱く科学のイメージなのだ。人々の心の中でそれは驚異を呼び起こす魔法の杖となっている。アラジンのランプのようなものだ。物事を単純化しすぎる、あまりにも便宜的に。科学は現在、実をいうと、フィクションの最大の創造源だ。100年前、あるいは50年前ですら、科学は自然界から素材を得ていた。科学者はガソリンの沸点や星の地球からの距離を解き明かしていたのだが、今日、特に社会学や心理学において、科学の素材は科学者たちによって創り出されたフィクションだ。つまり彼らはなぜ人々がガムを噛むのかとか、その類のことを解き明かそうとしている……そうして心理学や社会学は膨大な量のフィクションをまき散らしている。彼らこそ主要なフィクションの創造者だ。もはや作家ではない。

シュトルム いわゆるニュー・ウエーヴ、たとえば「ニュー・ワールズ」で自己主張している人たちについて、どう思いますか?

バラード  ニュー・ウエーヴは私だ!! そう、ニュー・ウエーヴ……私は端緒についたばかりだと思っている。煉瓦の壁に10年の間、頭をぶち当てつづけてきて……今ようやく人々は私が考えすぎの間抜けではないということを認め始めている。私が最初に書き始めた時には、多くの人にそう思われていたのだが。あまりに長くかかったので、宵越しの奇蹟が起ころうとは期待もしていなかったが、もう承知のように、若い作家の一群が登場している。トム・ディッシュ、ジョン・スラデック、マイケル・バターワース。その他にも、こちらにやってきたアメリカの若い画家、パム・ゾリーンのような者たち。彼らは異質のサイエンス・フィクションを書きはじめているが、いわゆるニュー・ウエーヴを固めるに充分なほど長くサイエンス・フィクションの内部にとどまるのか、それとも――こうなるのではないかと考えているが――全員が直ちにサイエンス・フィクションの外に出て、サイエンス・フィクションに負うところの全くないスペキュラティヴ・フィクションを書きはじめるのか、私にはわからない。

シュトルム すると同じことがあなたについても言えますね。あなたは自分自身をサイエンス・フィクション作家とは考えていないのではないですか?

バラード  アイザック・アシモフやアーサー・C・クラークがサイエンス・フィクション作家であるという意味では、私はサイエンス・フィクションの作家ではないと考えている。率直に言えば、シュルレアリスムもまた科学的な芸術だというような言い方をすれば、私もまたSF作家であると思う。ある意味でアシモフやハインラインやアメリカSFの巨匠たちは実際には科学について何一つ書いていない。彼らが書いているのは便宜的に『科学』とラベルを貼られた空想上のアイディアの組み合わせについてなのだ。彼らは未来についての一種の幻想小説、西部小説やスリラーに近いものを書いている、だが科学に関わるものは全く皆無だ。私は薬学、化学、生理学、物理学などを学んでいるし、5年間は科学雑誌の仕事をしてきた。「アスタウンディング」つまり現在の「アナログ」のような雑誌がいくらかでも科学に関わりがあるという観念はばかげている。科学とは何の関わりもない。「ネイチュア」のような雑誌や、あるいはどんな科学雑誌でもよいが、それを手にするだけで、科学が全く異なった世界に属していることがわかるだろう。フロイトは分析的志向性(おおむね科学のもの)と総合的志向性(これは芸術のもの)とを弁別すべきだと指摘している。ハインライン=アシモフ型のサイエンス・フィクションのまずいところは、完璧に総合的である点だ。フロイトはまた、総合的志向性は未熟さの表象であるとも言っており、古典SFはそこにおちつくのだと私は思う。

シュトルム あなたは「ニュー・ワールズ」にいくつか広告をのせていますね。どういう考えなのですか、その意味するところは?

バラード  あれは1年ほど前のことだったが、広告というのは作家が関心をもつものとしてみる限り、未知の大陸、イメージとアイディアの一種の処女地、アメリカではないのか、とすれば作家たるもの活き活きした潜勢力旺盛などの領域にも分け入っていくべきではないかという考えが浮かんだのだ。そして、私の短篇、私のフィクション全般のうちに組み込める多くのアイディアを私はもっているが、それは直接的に表現する方がいいのではないかという考えが浮かんだ。製品の広告の代わりに、アイディアを広告するわけだ。これまで3つの広告を出してきたし、これからも続けたいと思う。この広告の中で、私は極度に抽象化されたアイディアを宣伝しているのだが、これはアイディアを押し出すよい方法だ。もしもこうしたアイディアが短篇小説の中にあるとすると、読者はそれを無視するだろう。彼らはこう言うだけだ。「またバラードか、さっさとストーリーを読もう」 しかしもしそれが広告の形で「ヴォーグ」誌や「ライフ」誌に載っているもののように差しだされていれば、読者はそれに目を留めざるを得ないし、それについて考えざるを得なくなるだろう。私はこれを続けたいと思うが、唯一の障碍は出費がかさむことだ。究極的には雑誌が掲載する広告に金を払ってくれることを望んでいる。

シュトルム あなたが散文エディターをしている「アムビット」ではドラッグの影響下で書かれたもののコンテストを催しましたが、あなた自身「アムビット」で認めたように、普段あなたが「アムビット」で産み出しているものと非常に接近していましたね。そのことについてコメントを。

バラード  文学コンテストは決して何も、傑出したものは一つも産み出さない。新聞や雑誌では何年も最優秀短篇とか最優秀紀行文とかのコンテストをつづけているが、送られてくるのはどれもこれも独創性がなく、興奮もさせない。我々が受けとる候補作は興味深くはあるのだが、その理由はおそらく文学的なものではなく、むしろ履歴的なもの、人々が小説を書く、詩を書く状況にあるのだと思う。これは興味深いことで、私は興味を持つにふさわしいと思う。その上、同じ時にサイケデリア、ある種のサイケデリック革命について多くが語られ、全くたくさんの新しい芸術が、ドラッグにもとづいて、あるいは触発されて産み出されようとしているのだからね。そしてコンテストの結果をみれば、実際にはドラッグはそれほどの影響を与えておらず、彼らが近道したり短絡したりしていることが分かるのは面白いよ。

シュトルム ところであなたはウィリアム・バローズの讃美者として有名ですが、彼のスタイルに影響を受けたかどうか話してください。

バラード  ないな。あってくれたらと思うのだが。バローズと私は完全に異質の作家なのだ。私が作家としてのバローズを讃美するのは、彼の方法によって20世紀の風景が全く新たなものとして創造されたからだ。彼は一種の黙示的風景を作り出し、ヒエロニムス・ボッスやブリューゲルに近づいている。どのような意味においても彼は田園の作家ではない。彼は悪夢の作家なのだ。私がバローズを読みはじめたのは約4年前で、影響を受けることになるのかもしれないが、私には分からない。だが今のところは確実に影響は受けていない。ただ受けているという人もいるだろう。その人たちは全く誤っている。

シュトルム 実際にはあなたの創作スタイルには著しい展開がありますね。全く普通の小説から書きはじめて、今ではあなたが「濃縮小説」と呼ぶような作品に達している。

バラード  その過程は革命ではなく進化だろう。私は『燃える世界』という長篇、『沈んだ世界』につづく二冊目の長篇を書いた。これは荒廃した地域についての長篇。それを書いているうちに非常に抽象化された種類の風景の幾何学を、非常に抽象的な登場人物間の関係を探求しはじめている自分に気づいた……そこから進んで、私は「終着の浜辺」という短篇を書いた。これは水爆実験が行われた太平洋上の島、エニウェトクを舞台にしている。この中で私は再び登場人物を、小説内の出来事を、非常に抽象的な、ほとんどキュビスト的な方法で眺めはじめた。登場人物のさまざまの側面を分離させ、叙述のさまざまの面を分離させた。どちらかといえば科学調査員が奇妙な機械の動く仕組みを知るために分解するように。私の新しい小説、私が「濃縮小説」と呼ぶものは「終着の浜辺」から茎を伸ばした。ただし「浜辺」の発展ではあるが、私のしてきたことが革命であったとは思わない。長年にわたる着実な変化にすぎない。

シュトルム 新しい小説の中であなたはジョン・F・ケネディやエリザベス・テーラーその他の実在の人物を登場させていますね。なぜでしょう?

バラード  1960年代が重大な転回点を示していると感じるからだ。初めて、冷戦の終結によってだと思うが、初めて外部の世界、いわゆる現実界が今やほぼ完璧なフィクションになってしまった。メディア風景と言い換えてもいい。ほとんど完璧に、広告やTVや大量販売や、宣伝として遂行される政治などによって支配されている。人々の生活は、個人のプライベートの生活でさえ、私がフィクションと呼ぶものによって次第に管理されつつある。フィクションとは想像的な趣旨で創りだされたあらゆるものという意味だ。例をあげれば、人々は飛行機の切符を買うのではなく、またたとえば単に南フランスやスペインに行く交通手段を買うのでもない。人々が買うのは、特定の航空会社のイメージ、その航空会社のホステスが着ているミニスカートなどなのだ。実際にアメリカの航空会社が売りこんでいるのはそうしたものだ……また家の中のものでも、人々は家のために、家をどう飾るかによって買うのであって、話しかたにしても、選ぶ友人にしても、全てがフィクション化されつつある。だから……現実とは今や1個のフィクションであると思い定めれば、作家はフィクションを創出する必要がなくなる。作家と現実との関わりは完全に別種のものとなる。作家の仕事はフィクションを作りだすことではなく、現実を発見すること、現実を作りだすことにある。フィクションはすでにここにあるのだから。20世紀の最もフィクション的人物は、ケネディ家のような人々だ。あれは20世紀のエイトリウス家だよ。私が取りいれるそうした人物像、あれは個性ある人物として取りいれているわけではない。ある短篇の中で述べたように、エリザベス・テーラーのような映画俳優の肉体はみなが無数の映画看板で、無数の広告で毎日、そして映画の画面の中で見ているものであって、彼女の肉体はリアルな風景そのものなのだ。それは我々の生活においては、体系をなす山脈や湖沼や丘陵のどれにも勝るとも劣らないリアルな風景だ。だからこそ私はこの素材を探求し、取り込もうとしているのだし、これこそ1960年代のフィクションの素材だ。

シュトルム 「SFホライズン」でブライアン・オールディスは「バラードがファンジンで論じられることは希だ」と書いています。時はあきらかに彼が誤っていたことを証明し、今ではあなたはファンダムで最も論じられる人になっています。ファンダムそのものについてどう考えますか?

バラード  そんな事情とは知らなかった。ファンジンなど見たこともないから。私はファンとどんな接触ももってはいない。私のただ一度のファンダムとの接触は、ちょうど私が書きはじめた頃、12年も昔、1957年に世界SF大会がロンドンで開かれていた時のことで、私は若い新人作家としてサイエンス・フィクションのまじめな目的とあらゆる可能性に関心をもつ人々と会うために出かけていった。ところが実際には全く知性のない烏合の衆にすぎず、ほとんど無教養で、サイエンス・フィクションの真面目で興味深い可能性のどの一つにも関心をもたない連中だった。実際、この大会には本当に驚いてしまい、2年の間ほとんど書くことを止めてしまったほどだ。それ以来、私は全く完全にファンとの関係をもっていない。あの連中がサイエンス・フィクションの大きなハンディキャップだし、これまでもそうだったのだと思う。

コメント(5)

オメアッド端和さま
インタビュー記事ありがとうございました。興味深く読ませていただきました。
これを訳したのは35年くらい前ですが、昔はこんなに簡単に発表できて、全国に広められる方法はなかったのです。
ありがとうございます。
拝読させていただきました。

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