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日常感情劇場 on mixiコミュの「おとな」という言い草

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有楽町の東京国際フォーラムで行われた「ネオ屋台村スーパーナイト」に出かけた。東京国際フォーラムはもともと都庁のあった敷地に建てられているためかなり贅沢な土地の使い方がされており、東京駅方面に歩いて通ることができる公共の広場がある。平日の昼にはこの広場でネオ屋台がランチ販売をしており、活気付いている。その屋台が月に1回ほど夜にも出店し、アルコールの販売もある「ネオ屋台村」としての営業をするである。
昼の営業とは違い、簡単なステージが作られ、ビール片手に立ったままで音楽を楽しめる楽しい空間になる。今回は特に、翌月ここで行われる「東京JAZZ」のプロモーションも兼ねていたようで、6名ほどでのなかなか本格的なジャズセッションが行われていて気分よく酔っ払っていた。

ネオ屋台村としての営業は21時まで。もうちょっと遅くなるとリンガーハットだったら深夜料金になるような、そういう時間帯。で、毎度ちょっと気になっていることなのだが、こんな夜遅い野外のイベントに、子供を連れてくる人がとてもたくさんいるのだ。

そんなに子供に夜更かしをさせてどうするのだ。私たちが子供の頃には平日は8時に寝かせられ、土日だけ9時まで(「8時だヨ!全員集合」を見るための配慮)起きていられたというぐらいだったような記憶があるのだが、有楽町で夜9時過ぎまで過ごしたら帰宅して寝るのは何時になるのだろうか。

睡眠時間だけの問題ではない。酒を飲んで酔っ払っている人たちがたくさんいる中で、正直、視界に入りづらい子供たちが暴れまわると足元が危なくてしょうがない。親たちが陣取っている場所から遠くまで走っていってしまった子供たちを呼び戻すために大きな声で子供の名前を呼んだりもするのだがその声もこういう大人の場所では不釣合いである。しかもその親たちは東京国際フォーラムの敷地内で堂々とタバコを吸っていた。敷地内が禁煙であるというのもあるが(そもそも千代田区は路上禁煙でもある)、子供たちがいる中で両親ともにタバコを吸っているというのはいかがなものか。

法律上、日本では、満20歳になったら成人と見做される。成人=大人、であるはずであった。
しかし昨今の「おとな」という言葉の使い方には、その本来の意味では説明のつかないものが多いように思う。

たとえばJRの「大人の休日」。
入会できるのは50歳以上。成人してから30年もたたないと入会できない。
日経BPから発行されている「日経おとなの休日」。
誌内で紹介されている各種の店やサービスなどは、20歳そこそこの経済力では入手できそうもないものばかりである。
ヤマハ音楽スクールがやっている「おとなのための楽器講座」の「おとな」のターゲットは定年退職年齢前後の人たちである。

そう、今つかわれている「おとな」という言葉の中には、どうも定年退職近辺の人たちをまとめて言い表すようなニュアンスが混じっているようなのである。

そのためか、いつからか、「成人」と「おとな」はイコールではなくなってしまったようだ。
「子供」としての年齢層が上がってしまったのか。それとも「年季の入った子供のことを大人という」が普通の事になってしまったのか。

仮面ライダー変身ベルトを嬉々として腰に巻いてポーズをとる中年男性の姿をニュースで見た方も多かろうと思う。女性にはあの気持ちはわからないだろう。「何でこんな無駄なものに3万円もかけるの? だったら私に服の一つも買ってよ」という声も同じニュースで聞こえてきた。
このあたりについていろいろと考察する文章は今までにも多数見てきたが、やはり子供の頃から持ち続けた「あれが欲しい」「持っている人がうらやましい」という感情を昇華する行動であろうかと思うのだ。子供の頃には母親から「こんな無駄なもの買うお金はウチにはありません!」といわれて泣く泣くあきらめたものの、子供に金をかけられる近所の家庭の子供はライダーベルトを持っていて、「××ちゃんは持ってる!」というと「よそはよそ、うちはうち」と言われて撃沈したものだった。余談だがそういう世代が親になっている現在、「よそはよそ」と言われて悔しかった気持ちを子供に味わわせたくないからか、他の子が持っているものと同じものを買い与える場合が多いように思う。持っていないことで話題に入れずいじめの対象になってしまうというリスクをなくしたいという寂しい事情もあるだろう。

世のニュースなどを見ていると、無駄遣いをしているのは男性ばかりが報道されているようなきらいがある。しかし、これはやっと男性の側に自由に使える金が回ってきただけのことではなかろうかと思っている。
これをお読みの女性諸氏にお尋ねするが、あなたのクローゼットには、買ったはいいが一度も袖を通さないで何年も経っている服は何着あるだろうか。今から着ようとしてもサイズが合わなくなってしまって、どうにもならない服はどのぐらいあるだろうか。どこかに旅行に行ったときに試食で食べておいしかった菓子や漬物などを購入して持ち帰り、なんとなくすぐ食べるのはもったいないからと冷蔵庫に入れたまま何年も経ってしまって結局消費期限を過ぎたことが表示を見なくてもわかるような状態になってしまって処分してしまったものがどのぐらいあるだろうか。頂き物の包装紙やリボンを「何かのために使うことがあるかもしれない」と決して広くない収納場所を占有して保存していないだろうか。その「何かのため」はもう多分一生来ないし、来た所で「やっぱりきれいなのがいい」と新品を購入するはずなのに。

男の無駄遣いはわかりやすく、女の無駄遣いはわかりにくい。わかりやすい分、いつまでたっても子供なんだから、と責められやすいのが男の側である。実のところ、男も女も、子供な金の使い方の部分では全く変わっていないのだ。個人的な可処分所得のウェイトが均等になってきただけのことなのだ。そして、その長い長いモラトリアムを抜けた人たちだけが、晴れて現代の「おとな」になることができるのではなかろうか。

車を運転するときは酒を飲んではならない。しかし飲酒運転による事故が後を立たない。車に乗るとわかっていて酒を飲むような子供には、運転しないときにも酒を飲ませてはならないのではないか。
禁煙と表示されているところではタバコを吸ってはならない。しかしこれだけタバコが社会的に悪者にされているにもかかわらず、禁煙の表示のある前で堂々と吸っている人たちも後を立たない。表示も読めないような未就学児童にはタバコをさわらせてはならないのではないか。

(20060828記)

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