ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

何やってんすか西さんコミュの西さんのエピソード

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
西清孝選手のエピソード・記録で知っているのがあれば教えてください。自分自身、西選手は中日ファンゆえに横浜の選手の詳しいエピソードまではしらないので

コメント(1)

初書き込みです。実際にはほとんどテレビでしか投球を見てないんですが、貴重な中継ぎ投手として欠かせない渋い選手でした。
1984年 - 阪急ブレーブス・南海ホークス・阪神タイガースの入団テストを受け、唯一合格した南海に翌年入団。
1987年 - 4月25日の対近鉄戦で初登板。
1990年 - シーズン途中に広島に移籍。2球団にまたがりウエスタン・リーグ最多勝。
1993年 - 広島から戦力外通告を受け引退を考えたが銚子利夫に誘われ横浜のテストを受け打撃投手兼任として翌年入団。
1994年 - 選手登録はされたものの、実質打撃投手に専念して1・2軍ともに公式戦登板なし。
1995年 - 二軍でのストッパー的役割を任されるなど、二軍ではあるものの36試合に登板し選手として復帰。
1996年 - 5月3日の対中日戦移籍後初登板。合計22試合に登板。
1997年 - 4月25日の対中日戦で13年目にして初勝利、13年目での初勝利はプロ野球記録。
1998年 - 安定感のあるリリーフとしてシーズンを通して活躍。チーム優勝にも大きく貢献した。
1999年 - 戦力外通告を受け引退し打撃投手に転向。その後中日に打撃投手として移籍。

エピソード
かつては稲尾和久(元西鉄)など、打撃投手兼任から現役専念になる投手は数多くいたが、近年ではかなり稀である。また、現役から兼任になり現役専念になったのは西ぐらいである。
1998年には、権藤博(当時)監督の中継ぎローテーションからは外れ、点差が大きくついた試合ではすぐに登板できるように準備をしていた(実際に登板のほとんどが大差のゲーム)。
人柄がいいことで知られ、選手からの信頼も厚く、ファンも多かったために、実績自体はさほど良くなかったにもかかわらず、引退試合・胴上げを行った。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

何やってんすか西さん 更新情報

何やってんすか西さんのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング